第8話神の存在

文字数 1,682文字

ここ数年、だいぶ読書時間が減って、不勉強だなあ、と思いつつ、ホッブズのリヴァイアサンを少しずつ読んでいる。次は資本論を読んでみようと思うが、リヴァイアサンもまだ1巻(笑)。

今日読んだセンテンスに、ハッと気づかされ、この文章を書こうと思ったが、前に読んでいたセンテンスにも、ハッとさせられた。この文章の本題ではないが、みらいへの配慮からくる知ろうとする好奇心、が前のセンテンス。これには、例えば社会福祉士さん達が知っている社会資源のことを知ろうとしたり、保険のことや、年金制度のことを知ろうとすることなんかが当たるなあ、と気づかされた。たしかに人間にはこうした好奇心がある。根も葉もないうわさを信じるより、識者に質問したり、調べものでもした方がましである。

今回気になったのは次のセンテンスで、〈(未来への配慮からくる好奇心)とおなじものから来る自然宗教〉というところである。
ここでは、例えば視覚障害の人には、火に当たれば温かいことは、手のひらで感じたり、周りの人から、メラメラ燃えていて、と説明されはするが、全盲の人だったりする場合は、火の姿を造影出来ない、とある。このように、その姿を造影出来なければ、拝火教のような宗教もあるのは納得である。視覚障害の人にはどこまでも見ることの出来ない神秘的なものだから。

ところが、この神秘的なもの、神秘的な存在とは、日常にごろごろ転がっている。
例えば、こないだ人から聞いた話。我々は、植物が二酸化炭素を日光を浴びて作る酸素を吸って生きている。ところが、なぜ二酸化炭素が、日光を浴びることで光合成をし、酸素を生み出すか、その光の粒子は一体どんなもので、どう働くから酸素が作れるのかは、わかっていないそうだ。

それと、また人から聞いた話で、近所のホールである心理学者の講演を聞きに行って、「心理学では、人間の心の内奥深く、果てるところまでわかっているのか」と質問してみたら、心理学者は、それはわかっていない、と答えたそうだ。

また、私が持っているような、精神疾患には、自律神経の交感神経と副交感神経で、耐性領域を越えた時、ひどい怒りの感情が湧いてきたり、疾患になり始めの、ひどい硬直、叫び、などへ変わっていくから、耐性領域を越える前にその場を去ったり、夫婦げんかなんかの場合は、もう別れる!とまで行く前に、ちょこちょこ怒りを出してみるのだそうだ。しかし、これまた、精神病理、または医学的見地にしか過ぎず、おれは医学は信じない、という人がいたら、それまでなのだ。何かの専門的知識を得ることは出来るが、危険なのもあって一般化は出来ないのだ。

他にも、進化論だって、なぜお猿さんから人間に進化したのかわからないし、なんの分野にだって、事柄にだって、人知を超えたものはある。最近、やたら、神なんとかとつけられることが多いが、なるほど、神業のようにドラマが素晴らしかったり、音楽が素晴らしかったり、女性が神々しかったりするように、なぜそうなのかわからないものが、我々が普段接する世界にはある。

だから、こういった人知を超えた事柄へ、数千年前の人たちが、神や仏という(ひどく人間くさいが)存在を想像したのも、自然なことかもしれない。
ところが、我々の目や心には、姿が見えないし、いるかどうかもわからないけれど、不思議なことが起きる物事を映し出すことは出来ない。この点、全盲の人の火の認識と似ている。いきなり明日、テレビにあたしゃ神様だよぅ!という人が出てきたら、志村けんさんのビデオだか、へんな人くらいにしか見えないし(笑)。

そういえば、旧約聖書は、冒頭で、(主は言われた、光あれ、と)と始まるが、ひょっとして光合成も日光の粒子がないと出来ないから、本当に最初に神様が光を世界に当てたのかもしれない。とはいえ、なんの分野にだって、解明出来ていない事柄はたくさんあるんですから、本当に不思議ですね。数学みたいに、ばっちり解明出来そうな学問でも、素数や、ルート2や、円周率を延々と計算しているし、どうしても証明出来ない命題もあるそうですから、いやはや(笑)。
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