第11話
文字数 3,471文字
シューとソルと散歩した次の日の朝。俺はいつもより早く起きて、キッチンで朝食を作っていた。スーパーに売っている袋詰めサラダと、お湯を入れるだけで食べられるスープ。目玉焼き。主食はパンで、形が悪くて売り物にならなかった工場のクロワッサンだった。目玉焼き作り以外、料理と呼べることはほぼしていないが、早起きしなければ、きっとパンだけの貧しい朝食になっていただろう。
「ジュージューいってるぜ!」
「パチパチいってるね!」
俺が握るフライパンの上で焼かれる目玉焼きを、シューとソルは興味深く観察していた。いつもより早めにセットしたアラームで、シューとソルも目覚めてしまい、それならばと、俺は二人にも朝食を並べる手伝いをしてもらうことにした。
「よし、完成だ。運んでくれ」
できあがった目玉焼きを皿に盛りつけ、シューとソルに居間へ運ぶようお願いする。二人が居間に朝食を運んでいる間、俺は使った調理器具を洗い、白いプラスチックのカゴに入れた。キッチンの電気を消して居間に行くと、テーブルの上に三人分の朝食がきちんと並べられていた。
「いただきます」
テーブルを囲み、三人で合掌。箸を持って朝食にありつく。
「お父さんの作ったご飯は美味しいね」
「父さん、料理作るの上手いよな」
「こんなのでよければ、いつでも作ってやるよ」
得意げに言って、俺はクロワッサンを一口齧った。咀嚼しながら、現在の時刻を確認するためにスマホを見た。液晶画面に、5時45分の文字が映っている。俺が家を出るのは6時。ゆっくり朝食を味わっている暇はなさそうだ。
急いで食べ、食器を持って台所へ行く。そんな俺の真似をして、シューとソルも急いで朝食を食べ始める。
「いや、お前らはゆっくり食べていいんだぞ。俺は仕事に行くから急いで食べたんだ」
そう言われて、シューとソルの動きがスピードダウンした。俺の行動をなんでも真似するシューとソルに苦笑しながら、手早く普段着に着替えて玄関へ行く。
「じゃあ、仕事行ってくる。おにぎりが台所に置いてあるから、昼はそれを食べろよ」
おにぎりは今日の朝、米を炊いて作ったやつだ。本当は、今日の朝食は米を食べるつもりだったのだが、パンは早めに食べないとカチカチになって不味くなるから、朝食の主食をクロワッサンに決めた。
「行ってらっしゃい! お仕事頑張ってね!」
「あんまり遅いとお腹空くから、早く帰ってこいよー!」
「仕事が終わったら早く帰るよ。行ってきます」
居間から手を振るシューとソルに手を振り返し、俺は家を出た。
いつもは眠気でげんなりしている朝なのに、ここ最近は気分が良い。シューとソルに見送られると、不思議と「今日も頑張ろう!」という気持ちが湧いてくるからだろう。
シューとソルとの生活は本当に楽しい。仕事が終わったら早く帰ろう。スマホで時間をチェックし、俺はいきいきと歩き出した。
「ねえ。最近、なんか良いことあった?」
「え?」
作業中。隣で作業していた橋場が俺に話しかけてきた。
「なんでそう思う?」
「だって、目が笑っているんだもん。マスク付けているから見えないけれど、多分、口も笑ってるよね?」
作業員は全員、作業中はマスクを着用する。頭と耳、頬を覆うスキー帽のような帽子も被るので、ほとんど目しか見えない状態だった。それなのに、目だけで俺が笑っていることに気がついた橋場は、なかなかの洞察力の持ち主だと思う。
「最近、楽しいんだ。生きる原動力を手に入れたから」
「それって、目標を見つけたとか、そういうこと?」
「まあ、そんな感じ」
シューとソルの立派な父親になるのが、今の俺の目標。シューとソルを立派な大人にするのが、俺の夢。シューとソルとの生活が、生きる原動力になっていた。
仕事で疲れたとき、シューとソルと散歩したことや食事をしたことを思い出すと、「もう少し頑張ろう」という気持ちになる。ただ、思い出すたびに自然と顔がニヤついてしまうので、あまり人前では思い出さないようにしていた。作業中はマスクと帽子を付けているから誰にも気づかれることはないだろうと高を括っていたが、橋場にはバレていたらしい。
「ちなみに、その目標って何? もしかして、恋人ができたとか?」
「違う」
「じゃあ、彼女ができたとか?」
「違う。ていうか、恋人も彼女も一緒だろ」
「じゃあ、何?」
「なんでもいいだろ」
橋場は食べ物をねだる子犬のような目でこっちを見つめてくる。ちょっと可哀想だが、どんなに見つめられても、俺が真実を教えることは絶対に無い。シューとソルの出会いは非現実的過ぎるから、きっと、話しても信じてくれないだろう。
「まっ、いいや。でも、話したくなったらいつでも話していいからね? 彼女と喧嘩したときとか、相談のるからさ」
「だから彼女じゃねーから!」
うっかり声を張り上げてしまった俺に、ギロリと日頃市さんの鋭い目が向けられた。俺と橋場はサッと日頃市さんから目を逸らし、パン生地が流れてくるレールに視線を向けた。
日頃市さんは、怒るとライオンのように怒鳴り散らすので、成形係で日頃市さんに注意されて言い返す人はほとんどいない。だから、俺と橋場も日頃市さんからの指示や注意には一切反論せず、黙ってその通りに動いていた。
「そういえば、今日って
パン生地を成形しながら、橋場が俺に訊く。ちゃんと作業していれば、日頃市さんは作業員の私語を注意しない。手を止めて話をしたり、大きな声を出せばさすがに注意されるが、私語を一切禁止にするほど日頃市さんは厳しい人ではなかった。
「あの日って?」
「三股さん主催の飲み会がある日。それって今日でしょ?」
「あっ……」
そうだった。今日は三股さん主催の飲み会が行われる日だ。毎日シューとソルのことで頭がいっぱいで、飲み会のことをすっかり忘れていた。
「佐藤は参加するんでしょ?」
「三股さんには、そう言ってある」
本当は、俺は飲み会に参加しないはずだった。しかし、入社した日から仕事のできない俺の面倒をよく見てくれた三股さんの誘いを断るのは、三股さんを裏切るようで悪いと思い、結局、飲み会に参加することにしたのだ。
「よかった。佐藤も参加するんだね」
「佐藤も? てことは、橋場も参加するの?」
「そうだよ。三股さんにはご飯奢ってもらったり、仕事教えてもらったり色々とお世話になっているから、断り難くて参加するって言っちゃった」
橋場も俺と同じように、世話になっている三股さんの頼みを断れなくて参加することにしたみたいだった。
それにしても、橋場が仕事以外で、三股さんにお世話になっていることは知らなかった。
「橋場って、三股さんと食事に行ったりしているんだな」
「うん。先週の金曜日に、三股さんに『一緒に食事に行こう』って誘われてさ。それで、仕事が終わったあと、駅前のファミレスで夕飯を奢ってもらったんだ」
俺は、人の顔がどうだとか偉そうに言えるほどイケメンではないが……。橋場は結構、男性に好かれそうな可愛い顔をしていると思う。彼女にしたいとか、そういう理由でご飯に誘う男性が現れても、「なんでこいつがモテるんだ?」とか疑問を持ったりはしない。
「三股さんと食事して楽しかったか?」
「楽しかったよ。三股さん、すごくお喋りで、色んな面白い話を聞かせてもらったよ」
「ふ~ん……」
なんか気に入らない、というのが正直な感想。多分、俺は嫉妬しているんだろう。けれど、恋人じゃない橋場が他の人と仲良くしているだけで嫉妬を感じる理由は、自分でもわからなかった。
「佐藤も今度、三股さんと一緒にご飯食べに行くといいよ。男同士で、色々と語り合ったら?」
俺は、シーターのすぐ近くで作業している三股さんを見た。三股さんも俺たちと同じように、隣にいる作業員と話をしながら作業している。
あの人は、誰とでも話ができるフレンドリーな人だ。成形係にいる人で、三股さんと会話しない人は一人もいない。正社員だろうがパートだろうが、それが強面の人であっても、三股さんは笑顔で話しかける。
三股さんは悪い人ではない。他の作業員も三股さんを嫌っていないから、話をしたり、飲み会に参加したりしているのだろう。
「……そうだな。今度、誘ってみるよ」
多分、三股さんなら、「おっ、いいよ!」とか言って、一緒に食事に行ってくれそうな気がする。別に、二人で食事に行くのは女性限定というわけではないだろう。誰とでも気さくな付き合いができる人だと信じて、俺は今度、仕事帰りに三股さんを食事に誘ってみることにした。
「ジュージューいってるぜ!」
「パチパチいってるね!」
俺が握るフライパンの上で焼かれる目玉焼きを、シューとソルは興味深く観察していた。いつもより早めにセットしたアラームで、シューとソルも目覚めてしまい、それならばと、俺は二人にも朝食を並べる手伝いをしてもらうことにした。
「よし、完成だ。運んでくれ」
できあがった目玉焼きを皿に盛りつけ、シューとソルに居間へ運ぶようお願いする。二人が居間に朝食を運んでいる間、俺は使った調理器具を洗い、白いプラスチックのカゴに入れた。キッチンの電気を消して居間に行くと、テーブルの上に三人分の朝食がきちんと並べられていた。
「いただきます」
テーブルを囲み、三人で合掌。箸を持って朝食にありつく。
「お父さんの作ったご飯は美味しいね」
「父さん、料理作るの上手いよな」
「こんなのでよければ、いつでも作ってやるよ」
得意げに言って、俺はクロワッサンを一口齧った。咀嚼しながら、現在の時刻を確認するためにスマホを見た。液晶画面に、5時45分の文字が映っている。俺が家を出るのは6時。ゆっくり朝食を味わっている暇はなさそうだ。
急いで食べ、食器を持って台所へ行く。そんな俺の真似をして、シューとソルも急いで朝食を食べ始める。
「いや、お前らはゆっくり食べていいんだぞ。俺は仕事に行くから急いで食べたんだ」
そう言われて、シューとソルの動きがスピードダウンした。俺の行動をなんでも真似するシューとソルに苦笑しながら、手早く普段着に着替えて玄関へ行く。
「じゃあ、仕事行ってくる。おにぎりが台所に置いてあるから、昼はそれを食べろよ」
おにぎりは今日の朝、米を炊いて作ったやつだ。本当は、今日の朝食は米を食べるつもりだったのだが、パンは早めに食べないとカチカチになって不味くなるから、朝食の主食をクロワッサンに決めた。
「行ってらっしゃい! お仕事頑張ってね!」
「あんまり遅いとお腹空くから、早く帰ってこいよー!」
「仕事が終わったら早く帰るよ。行ってきます」
居間から手を振るシューとソルに手を振り返し、俺は家を出た。
いつもは眠気でげんなりしている朝なのに、ここ最近は気分が良い。シューとソルに見送られると、不思議と「今日も頑張ろう!」という気持ちが湧いてくるからだろう。
シューとソルとの生活は本当に楽しい。仕事が終わったら早く帰ろう。スマホで時間をチェックし、俺はいきいきと歩き出した。
「ねえ。最近、なんか良いことあった?」
「え?」
作業中。隣で作業していた橋場が俺に話しかけてきた。
「なんでそう思う?」
「だって、目が笑っているんだもん。マスク付けているから見えないけれど、多分、口も笑ってるよね?」
作業員は全員、作業中はマスクを着用する。頭と耳、頬を覆うスキー帽のような帽子も被るので、ほとんど目しか見えない状態だった。それなのに、目だけで俺が笑っていることに気がついた橋場は、なかなかの洞察力の持ち主だと思う。
「最近、楽しいんだ。生きる原動力を手に入れたから」
「それって、目標を見つけたとか、そういうこと?」
「まあ、そんな感じ」
シューとソルの立派な父親になるのが、今の俺の目標。シューとソルを立派な大人にするのが、俺の夢。シューとソルとの生活が、生きる原動力になっていた。
仕事で疲れたとき、シューとソルと散歩したことや食事をしたことを思い出すと、「もう少し頑張ろう」という気持ちになる。ただ、思い出すたびに自然と顔がニヤついてしまうので、あまり人前では思い出さないようにしていた。作業中はマスクと帽子を付けているから誰にも気づかれることはないだろうと高を括っていたが、橋場にはバレていたらしい。
「ちなみに、その目標って何? もしかして、恋人ができたとか?」
「違う」
「じゃあ、彼女ができたとか?」
「違う。ていうか、恋人も彼女も一緒だろ」
「じゃあ、何?」
「なんでもいいだろ」
橋場は食べ物をねだる子犬のような目でこっちを見つめてくる。ちょっと可哀想だが、どんなに見つめられても、俺が真実を教えることは絶対に無い。シューとソルの出会いは非現実的過ぎるから、きっと、話しても信じてくれないだろう。
「まっ、いいや。でも、話したくなったらいつでも話していいからね? 彼女と喧嘩したときとか、相談のるからさ」
「だから彼女じゃねーから!」
うっかり声を張り上げてしまった俺に、ギロリと日頃市さんの鋭い目が向けられた。俺と橋場はサッと日頃市さんから目を逸らし、パン生地が流れてくるレールに視線を向けた。
日頃市さんは、怒るとライオンのように怒鳴り散らすので、成形係で日頃市さんに注意されて言い返す人はほとんどいない。だから、俺と橋場も日頃市さんからの指示や注意には一切反論せず、黙ってその通りに動いていた。
「そういえば、今日って
あの日
だよね?」パン生地を成形しながら、橋場が俺に訊く。ちゃんと作業していれば、日頃市さんは作業員の私語を注意しない。手を止めて話をしたり、大きな声を出せばさすがに注意されるが、私語を一切禁止にするほど日頃市さんは厳しい人ではなかった。
「あの日って?」
「三股さん主催の飲み会がある日。それって今日でしょ?」
「あっ……」
そうだった。今日は三股さん主催の飲み会が行われる日だ。毎日シューとソルのことで頭がいっぱいで、飲み会のことをすっかり忘れていた。
「佐藤は参加するんでしょ?」
「三股さんには、そう言ってある」
本当は、俺は飲み会に参加しないはずだった。しかし、入社した日から仕事のできない俺の面倒をよく見てくれた三股さんの誘いを断るのは、三股さんを裏切るようで悪いと思い、結局、飲み会に参加することにしたのだ。
「よかった。佐藤も参加するんだね」
「佐藤も? てことは、橋場も参加するの?」
「そうだよ。三股さんにはご飯奢ってもらったり、仕事教えてもらったり色々とお世話になっているから、断り難くて参加するって言っちゃった」
橋場も俺と同じように、世話になっている三股さんの頼みを断れなくて参加することにしたみたいだった。
それにしても、橋場が仕事以外で、三股さんにお世話になっていることは知らなかった。
「橋場って、三股さんと食事に行ったりしているんだな」
「うん。先週の金曜日に、三股さんに『一緒に食事に行こう』って誘われてさ。それで、仕事が終わったあと、駅前のファミレスで夕飯を奢ってもらったんだ」
俺は、人の顔がどうだとか偉そうに言えるほどイケメンではないが……。橋場は結構、男性に好かれそうな可愛い顔をしていると思う。彼女にしたいとか、そういう理由でご飯に誘う男性が現れても、「なんでこいつがモテるんだ?」とか疑問を持ったりはしない。
「三股さんと食事して楽しかったか?」
「楽しかったよ。三股さん、すごくお喋りで、色んな面白い話を聞かせてもらったよ」
「ふ~ん……」
なんか気に入らない、というのが正直な感想。多分、俺は嫉妬しているんだろう。けれど、恋人じゃない橋場が他の人と仲良くしているだけで嫉妬を感じる理由は、自分でもわからなかった。
「佐藤も今度、三股さんと一緒にご飯食べに行くといいよ。男同士で、色々と語り合ったら?」
俺は、シーターのすぐ近くで作業している三股さんを見た。三股さんも俺たちと同じように、隣にいる作業員と話をしながら作業している。
あの人は、誰とでも話ができるフレンドリーな人だ。成形係にいる人で、三股さんと会話しない人は一人もいない。正社員だろうがパートだろうが、それが強面の人であっても、三股さんは笑顔で話しかける。
三股さんは悪い人ではない。他の作業員も三股さんを嫌っていないから、話をしたり、飲み会に参加したりしているのだろう。
「……そうだな。今度、誘ってみるよ」
多分、三股さんなら、「おっ、いいよ!」とか言って、一緒に食事に行ってくれそうな気がする。別に、二人で食事に行くのは女性限定というわけではないだろう。誰とでも気さくな付き合いができる人だと信じて、俺は今度、仕事帰りに三股さんを食事に誘ってみることにした。