第31話
文字数 4,479文字
田中のライトバンが、ゆっくりと停車する。ドアを開けて降りると、すぐ目の前に一軒の日本家屋が建っていた。黒い瓦に覆われた三角屋根、所々にヒビが入った白壁、正面に『佐藤製菓』と筆記体で書かれている自動ドア。俺が家を出たときと変わらない姿で、それはそこにあった。
「ここからは、お前一人で行くんだ」
「ああ……」
俺と田中は軽い挨拶を交わして別れた。ライトバンが走り去ったあと、唐突に、俺は孤独を感じた。いつも隣にいた家族や仲間が、一人もいない。シューとソルも、田中も、みんないなくなってしまった。別に死んだわけではないし、そもそも、俺がここにいるのは、実家を継ぐ決意を固めたことを両親に伝えるためで、つまりは、
ゆっくりと前に進む。自動ドアが開き、客の入店を知らせるチャイムが店内に響いた。品出しをしていた若い女性が、「いらっしゃいませー!」と俺の方に顔を向けて言った。俺はその女性に近づき、
「あの、社長はいますか? 佐藤大福 です。俺は息子の、佐藤最中です」
「え、息子さん!? 少々お待ちください!」
女性は店の奥に走って行った。店と仕事場は繋がっているので、しばらくすると、白い作業服を着た壮年の男が、手についた小麦粉を払いながら店の奥から現れた。百八十センチを超える長身で、身体つきは重量級ボクサーのようにがっしりしている。眉は薄く、一重瞼の下にある目は獲物を探す鷹のように鋭い。角張った顎には、たくましい髭を蓄えている。見た目は、完全にヤ○ザだった。
「……父さん」
声をかけると、父親はゆっくりとこちらを見た。他人を見るような、冷たい目だった。
「どうしてお前がここにいる?」
お帰り、などと言ってくれるとは思っていなかった。息子が帰ったことに、この男は嬉しさも何も感じないのだ。
「母さんは、どこにいるの?」
「奥で仕事をしている」
「じゃあ、母さんもここに呼んでくれないか?」
「どうしてだ?」
「母さんとも、話がしたいから……」
「母さんは焼き団子の製造で手が放せない。連れて来るのは無理だ」
「そ、そっか……。ごめん……」
なんで謝ったんだ? 別に何も悪いことしていないのに。
……いや、したんだ。したっけ? わからない。
俺は父親にビビっている。それは認めよう。怒らせて、殴られるのが怖いのだ。怖くて、自分の気持ちを正直に伝えることができないでいる。
「お前は、仕事の邪魔をするために帰って来たのか?」
父親の声に怒気が帯び始めたのを感じ取り、俺の背中がサァと冷たくなった。
「ち、違うよ! ごめん! そうじゃないんだ!」
低姿勢だ。低姿勢を保て。
殴られたくない。怒鳴られたくない。俺は父親が怖くて怖くて仕方がなかった。
「お、俺は……」
実家を継ぎたい。そのお願いをするために、ここに戻って来た。そう言いたいのに、言葉にできない。「お前のような軟弱な奴にできる仕事ではない」と一蹴される未来が見えるからだ。
「何が言いたいんだ……? はっきり言えッ!」
爆弾が爆発したような怒声に、俺は思わず「うぅッ!」と情けない声を上げてしまった。
父親の、怒気のこもった凄まじい眼力に気圧され、俺の心が一瞬で折れた。
「くだらない! お前は本当にくだらない奴だ!」
目を逸らし、下を向いて口ごもる俺に、父親の罵声が飛んで来る。
「何も言えない、何もできない! まともに喋れない、伝えられない!」
「ご、ごめんなさい……」
「失 せろ! そのマヌケ面を、二度と俺に見せるなッ!」
くだらない、何も言えない、何もできない、まともに喋れない、伝えられない。まったくその通りだ。父親の言う通りだった。
俺はここにいてはいけない。そもそも居場所なんて存在しないのだ。生きている意味すら無い、ゴミ同然の存在。それが俺なのだ。
父親に背を向け、俺は店を飛び出した。
俺は父親とまともに会話できず、子犬みたいに尻尾を巻いて逃げ出した。情けない弱虫だ。きっと、今の俺を見たら田中は幻滅するだろう。こんな奴と仲良くするんじゃなかった、とがっかりするに決まっている。橋場だってそう思うはずだ。俺が何もできなかったと知ったら、こいつは自分が思っていたほど良い男ではない、と考えを改め、俺の傍を離れて行くだろう。
俺の進む道は、もはや暗黒しかなかった。そう考えた瞬間、目の前が真っ暗になった。俺はひと気のない路地裏で、誰かが捨てた段ボールの山に覆いかぶさり、ゴミと一体化した。
……もういい。死のう。
俺が死んだって悲しむ者は一人もいない。両親は俺のことなんてどうでもいいだろうし、シューとソルはもう、俺のことなんて忘れてしまった。
田中は、多分、納得してくれるだろう。あいつは頭が良いから、俺がなんで死んだのか、すぐ理解してくれるはずだ。
橋場は、すぐ別の生き方を探すだろう。俺より良い男は世の中に沢山いる。そもそも、彼女みたいな良い女と、俺のようなゴミが付き合うなんて初めから間違っていたのだ。
……本当に、クソみたいな人生だった。
もう疲れた。早く楽になりたい。
目を閉じ、俺は安らかな死を願った。
「…………おい!」
消えかけた意識の片隅で、俺は誰かの声を拾った。うっすらと瞼を開け、声の聞こえた方に目を向けて、そこにいた
一人は茶髪のショートヘアーに半袖短パン。無邪気な顔で笑うその様は幼女と言うよりワンパクな少年に見える。
もう一人は、艶のある白い長髪に雪のような白い肌の大人しそうな顔立ちの子。
二人して目に涙を溜め、心配そうな面持ちで俺の顔を覗き込んでいる。
……これは幻だろうか?
いよいよ、俺の頭はどうにかなってしまったらしい。全身に感覚があるので自分がまだ生きていることはわかる。だが、脳は既に死にかけているのだろう。恐らくこれは、死ぬ直前に見る走馬灯みたいな幻覚だと思われる。
俺は笑ってしまった。なんて都合の良い頭だろう。最後の最後に、シューとソルに会わせてくれるなんて……。
だが、せっかくだから、俺はそれを死ぬ瞬間まで見つめていよう。幻覚だろうが、シューとソルと俺は一緒にいる。既に終わったはずの家族がそこにある。
これは神からのプレゼントだと思うことにした。神は、誰にも看取られずに死ぬ俺が可哀想だと思い、最後の最後にとっておきの幻覚を見せてくれているのだ。
「シュー……。ソル……」
俺はそっと、シューとソルに手を伸ばした。
二人の頬に、髪に触れる。二人はくすぐったそうに、微笑んだ。
……あれ?
何かがおかしい。俺が見ているのは幻覚のはずだ。
それなのに、シューとソルには実体がある。手で触れることができる。
これは一体、どういうことだ……?
「お父さん」
「父さん」
シューとソルの手が、俺の手を強く掴んだ。温かい、体温がある。
俺は上体を起こし、大きく深呼吸した。しっかりと目を開いて、シューとソルを見る。
シューとソルは、確かにそこにいた。幻覚ではなく、シューとソルは現実に存在しているのだ。
「こ、これは、一体……!」
信じられない事態に俺は呆然とした。これが現実だったら余計におかしい。シューとソルは、ヤヨイとユウタに成って両親のもとに帰ったはずだ。幻覚より、二人がここにいることの方が不自然ではないか。
「……お前を見つけ出すのに苦労したぜ」
怠そうな声で喋りながら、田中が路地裏に入って来る。奴の背後に目をやると、愛車のライトバンがエンジンをかけたまま路肩に停まっているのが見えた。
「お前、父親の説得に失敗したんだろ? それで、『あぁ、俺はもうダメだぁ~』ってなって、〈穴があったら入りたい〉みたいな気持ちで路地裏に入った。俺が
「……
田中はシューとソルの方に顎をしゃくった。
「大事な娘を取り戻してやったぞ」
「え……」
意味がわからず目を泳がせる俺に、田中はこそっと耳打ちする。
「本当はダメなんだけど、既に決まりを破ってるから今更使っても同じだと思って、〈モノノケ一族〉に伝わる秘術を使った。その名も〈記憶操作〉。ヤヨイとユウタの記憶を消去して、シューとソルの魂に俺の魂のエネルギーを注ぎ込み、失われた記憶を復活させた。……おかげで、俺の寿命が減っちまったよ。お前との貸し借りも、これでチャラだからな」
魔法使いか、こいつは。
田中の言っていることが事実なのか確認するために、俺はシューとソルに訊いた。
「シュー、ソル。ヤヨイとユウタって知ってるか?」
「知らない」
「誰だそれ?」
俺は田中を見た。奴は小声で、「ヤヨイとユウタの両親には人違いだったと認めさせた」と俺に言った。
「じゃあ、俺が誰かわかるか? シューとソルにとって、俺はなんだ?」
「お父さんの名前は佐藤最中。……って、なんでそんな当たり前のことを訊くの?」
「オレとシューの父親だってこと、忘れちまったのか?」
目の奥がカッと熱くなり、枯れ果てたはずの涙が頬をつたって流れていく。
「忘れるわけがない……。忘れるわけがないだろ……!」
俺がどれだけシューとソルに会いたかったと思っているんだ。親の気も知らず、二人して勝手にいなくなって……。俺は死にたくなるほど寂しかったんだぞ。
「シュー! ソル!」
俺はシューとソルを両腕で抱き締め、二人の肩に顔を埋めるようにして泣いた。
「お父さんな、ずっと寂しかったんだ……! シューとソルに、もう二度と会えないのかと思って……!」
「……ごめんね。お父さん」
シューの手が俺の背中を優しく撫でた。
「もう大丈夫だよ。私たちはずっと、お父さんと一緒だから。もう、勝手にいなくなったりしないから」
優しい誓いの言葉に心が温まり、俺は涙が止まらなくなった。
「父さん……!」
ソルは俺の服をギュッと握り、感極まった声で言った。
「何言ってんだよ、寂しかったのはオレの方だよ……! オレとシューを知らない人の家に置き去りにして、勝手にいなくなって……!」
堰を切ったように大声で泣き出すソルを見て、俺は何度も「ごめんな」と謝った。
「俺はもう、どこにも行かないよ……。俺たち家族は、これからもずっと一緒だ」
ヤヨイとユウタの両親には悪いが、俺はもう二度とこの子たちを手放したりしない。俺たち家族の愛は、俺が命懸けで守り続ける。今はっきりと、そう決めた。
「あのー……。感動の再会の間に割り込んで悪いが、これからどうするんだ?」
田中が控えめに、俺に訊いてくる。
「どうするかって? そんなの決まっているだろ」
俺はシューとソルを抱き締めていた手を離し、涙を拭って立ち上がった。
「実家に行く。今度は俺一人じゃなくて、シューとソルも一緒だ」
「それで何か変わるのか?」
「変わる。行こう」
俺はシューとソルに手を差し出した。
その手を、シューとソルは宝物を守るようにしっかりと握った。
「ここからは、お前一人で行くんだ」
「ああ……」
俺と田中は軽い挨拶を交わして別れた。ライトバンが走り去ったあと、唐突に、俺は孤独を感じた。いつも隣にいた家族や仲間が、一人もいない。シューとソルも、田中も、みんないなくなってしまった。別に死んだわけではないし、そもそも、俺がここにいるのは、実家を継ぐ決意を固めたことを両親に伝えるためで、つまりは、
俺の問題
なのだから、一人でいる居間の状況は当たり前であるが、しかし、それでも俺は、初めて知らない場所に来た子供のように怯えていた。ゆっくりと前に進む。自動ドアが開き、客の入店を知らせるチャイムが店内に響いた。品出しをしていた若い女性が、「いらっしゃいませー!」と俺の方に顔を向けて言った。俺はその女性に近づき、
「あの、社長はいますか? 佐藤
「え、息子さん!? 少々お待ちください!」
女性は店の奥に走って行った。店と仕事場は繋がっているので、しばらくすると、白い作業服を着た壮年の男が、手についた小麦粉を払いながら店の奥から現れた。百八十センチを超える長身で、身体つきは重量級ボクサーのようにがっしりしている。眉は薄く、一重瞼の下にある目は獲物を探す鷹のように鋭い。角張った顎には、たくましい髭を蓄えている。見た目は、完全にヤ○ザだった。
「……父さん」
声をかけると、父親はゆっくりとこちらを見た。他人を見るような、冷たい目だった。
「どうしてお前がここにいる?」
お帰り、などと言ってくれるとは思っていなかった。息子が帰ったことに、この男は嬉しさも何も感じないのだ。
「母さんは、どこにいるの?」
「奥で仕事をしている」
「じゃあ、母さんもここに呼んでくれないか?」
「どうしてだ?」
「母さんとも、話がしたいから……」
「母さんは焼き団子の製造で手が放せない。連れて来るのは無理だ」
「そ、そっか……。ごめん……」
なんで謝ったんだ? 別に何も悪いことしていないのに。
……いや、したんだ。したっけ? わからない。
俺は父親にビビっている。それは認めよう。怒らせて、殴られるのが怖いのだ。怖くて、自分の気持ちを正直に伝えることができないでいる。
「お前は、仕事の邪魔をするために帰って来たのか?」
父親の声に怒気が帯び始めたのを感じ取り、俺の背中がサァと冷たくなった。
「ち、違うよ! ごめん! そうじゃないんだ!」
低姿勢だ。低姿勢を保て。
殴られたくない。怒鳴られたくない。俺は父親が怖くて怖くて仕方がなかった。
「お、俺は……」
実家を継ぎたい。そのお願いをするために、ここに戻って来た。そう言いたいのに、言葉にできない。「お前のような軟弱な奴にできる仕事ではない」と一蹴される未来が見えるからだ。
「何が言いたいんだ……? はっきり言えッ!」
爆弾が爆発したような怒声に、俺は思わず「うぅッ!」と情けない声を上げてしまった。
父親の、怒気のこもった凄まじい眼力に気圧され、俺の心が一瞬で折れた。
「くだらない! お前は本当にくだらない奴だ!」
目を逸らし、下を向いて口ごもる俺に、父親の罵声が飛んで来る。
「何も言えない、何もできない! まともに喋れない、伝えられない!」
「ご、ごめんなさい……」
「
くだらない、何も言えない、何もできない、まともに喋れない、伝えられない。まったくその通りだ。父親の言う通りだった。
俺はここにいてはいけない。そもそも居場所なんて存在しないのだ。生きている意味すら無い、ゴミ同然の存在。それが俺なのだ。
父親に背を向け、俺は店を飛び出した。
俺は父親とまともに会話できず、子犬みたいに尻尾を巻いて逃げ出した。情けない弱虫だ。きっと、今の俺を見たら田中は幻滅するだろう。こんな奴と仲良くするんじゃなかった、とがっかりするに決まっている。橋場だってそう思うはずだ。俺が何もできなかったと知ったら、こいつは自分が思っていたほど良い男ではない、と考えを改め、俺の傍を離れて行くだろう。
俺の進む道は、もはや暗黒しかなかった。そう考えた瞬間、目の前が真っ暗になった。俺はひと気のない路地裏で、誰かが捨てた段ボールの山に覆いかぶさり、ゴミと一体化した。
……もういい。死のう。
俺が死んだって悲しむ者は一人もいない。両親は俺のことなんてどうでもいいだろうし、シューとソルはもう、俺のことなんて忘れてしまった。
田中は、多分、納得してくれるだろう。あいつは頭が良いから、俺がなんで死んだのか、すぐ理解してくれるはずだ。
橋場は、すぐ別の生き方を探すだろう。俺より良い男は世の中に沢山いる。そもそも、彼女みたいな良い女と、俺のようなゴミが付き合うなんて初めから間違っていたのだ。
……本当に、クソみたいな人生だった。
もう疲れた。早く楽になりたい。
目を閉じ、俺は安らかな死を願った。
「…………おい!」
消えかけた意識の片隅で、俺は誰かの声を拾った。うっすらと瞼を開け、声の聞こえた方に目を向けて、そこにいた
二人の幼女
を瞳に映す。一人は茶髪のショートヘアーに半袖短パン。無邪気な顔で笑うその様は幼女と言うよりワンパクな少年に見える。
もう一人は、艶のある白い長髪に雪のような白い肌の大人しそうな顔立ちの子。
二人して目に涙を溜め、心配そうな面持ちで俺の顔を覗き込んでいる。
……これは幻だろうか?
いよいよ、俺の頭はどうにかなってしまったらしい。全身に感覚があるので自分がまだ生きていることはわかる。だが、脳は既に死にかけているのだろう。恐らくこれは、死ぬ直前に見る走馬灯みたいな幻覚だと思われる。
俺は笑ってしまった。なんて都合の良い頭だろう。最後の最後に、シューとソルに会わせてくれるなんて……。
だが、せっかくだから、俺はそれを死ぬ瞬間まで見つめていよう。幻覚だろうが、シューとソルと俺は一緒にいる。既に終わったはずの家族がそこにある。
これは神からのプレゼントだと思うことにした。神は、誰にも看取られずに死ぬ俺が可哀想だと思い、最後の最後にとっておきの幻覚を見せてくれているのだ。
「シュー……。ソル……」
俺はそっと、シューとソルに手を伸ばした。
二人の頬に、髪に触れる。二人はくすぐったそうに、微笑んだ。
……あれ?
何かがおかしい。俺が見ているのは幻覚のはずだ。
それなのに、シューとソルには実体がある。手で触れることができる。
これは一体、どういうことだ……?
「お父さん」
「父さん」
シューとソルの手が、俺の手を強く掴んだ。温かい、体温がある。
俺は上体を起こし、大きく深呼吸した。しっかりと目を開いて、シューとソルを見る。
シューとソルは、確かにそこにいた。幻覚ではなく、シューとソルは現実に存在しているのだ。
「こ、これは、一体……!」
信じられない事態に俺は呆然とした。これが現実だったら余計におかしい。シューとソルは、ヤヨイとユウタに成って両親のもとに帰ったはずだ。幻覚より、二人がここにいることの方が不自然ではないか。
「……お前を見つけ出すのに苦労したぜ」
怠そうな声で喋りながら、田中が路地裏に入って来る。奴の背後に目をやると、愛車のライトバンがエンジンをかけたまま路肩に停まっているのが見えた。
「お前、父親の説得に失敗したんだろ? それで、『あぁ、俺はもうダメだぁ~』ってなって、〈穴があったら入りたい〉みたいな気持ちで路地裏に入った。俺が
希望
を取りに行ってここに戻って来る間に、何やってんの? アホかてめえは」「……
希望
?」田中はシューとソルの方に顎をしゃくった。
「大事な娘を取り戻してやったぞ」
「え……」
意味がわからず目を泳がせる俺に、田中はこそっと耳打ちする。
「本当はダメなんだけど、既に決まりを破ってるから今更使っても同じだと思って、〈モノノケ一族〉に伝わる秘術を使った。その名も〈記憶操作〉。ヤヨイとユウタの記憶を消去して、シューとソルの魂に俺の魂のエネルギーを注ぎ込み、失われた記憶を復活させた。……おかげで、俺の寿命が減っちまったよ。お前との貸し借りも、これでチャラだからな」
魔法使いか、こいつは。
田中の言っていることが事実なのか確認するために、俺はシューとソルに訊いた。
「シュー、ソル。ヤヨイとユウタって知ってるか?」
「知らない」
「誰だそれ?」
俺は田中を見た。奴は小声で、「ヤヨイとユウタの両親には人違いだったと認めさせた」と俺に言った。
「じゃあ、俺が誰かわかるか? シューとソルにとって、俺はなんだ?」
「お父さんの名前は佐藤最中。……って、なんでそんな当たり前のことを訊くの?」
「オレとシューの父親だってこと、忘れちまったのか?」
目の奥がカッと熱くなり、枯れ果てたはずの涙が頬をつたって流れていく。
「忘れるわけがない……。忘れるわけがないだろ……!」
俺がどれだけシューとソルに会いたかったと思っているんだ。親の気も知らず、二人して勝手にいなくなって……。俺は死にたくなるほど寂しかったんだぞ。
「シュー! ソル!」
俺はシューとソルを両腕で抱き締め、二人の肩に顔を埋めるようにして泣いた。
「お父さんな、ずっと寂しかったんだ……! シューとソルに、もう二度と会えないのかと思って……!」
「……ごめんね。お父さん」
シューの手が俺の背中を優しく撫でた。
「もう大丈夫だよ。私たちはずっと、お父さんと一緒だから。もう、勝手にいなくなったりしないから」
優しい誓いの言葉に心が温まり、俺は涙が止まらなくなった。
「父さん……!」
ソルは俺の服をギュッと握り、感極まった声で言った。
「何言ってんだよ、寂しかったのはオレの方だよ……! オレとシューを知らない人の家に置き去りにして、勝手にいなくなって……!」
堰を切ったように大声で泣き出すソルを見て、俺は何度も「ごめんな」と謝った。
「俺はもう、どこにも行かないよ……。俺たち家族は、これからもずっと一緒だ」
ヤヨイとユウタの両親には悪いが、俺はもう二度とこの子たちを手放したりしない。俺たち家族の愛は、俺が命懸けで守り続ける。今はっきりと、そう決めた。
「あのー……。感動の再会の間に割り込んで悪いが、これからどうするんだ?」
田中が控えめに、俺に訊いてくる。
「どうするかって? そんなの決まっているだろ」
俺はシューとソルを抱き締めていた手を離し、涙を拭って立ち上がった。
「実家に行く。今度は俺一人じゃなくて、シューとソルも一緒だ」
「それで何か変わるのか?」
「変わる。行こう」
俺はシューとソルに手を差し出した。
その手を、シューとソルは宝物を守るようにしっかりと握った。