第21話

文字数 4,082文字

 橋場と良い意味で色々あった日の翌朝。俺は、シューとソルの声で目を覚ました。二人は早起きに身体が慣れてしまったらしく、アラームが鳴らなくても決まった時間に起きられるようになっていた。ニートの俺は早起きする必要が無いのだが、元気な娘に倣って、二度寝せず起きるようにしていた。

「フルーツフレークが少し残っていたと思うから、今日の朝で全部食べきって空にするか」

「オッケー!」

 シューとソルは活き活きと準備にとりかかる。俺が指示しなくても、必要な物を集めて居間にあるテーブルに並べてくれた。

 頭が良くて、行動力抜群のシューとソル。二人が大人になったら、きっと、凄いことを成し遂げる偉人になるはずだ。

 逆に、俺の未来は不安しかなかった。何もせずニート生活をする選択肢は選べない。節約しまくったとしても、今ある貯金では二ヶ月ほどしか生活できないだろう。さて、どうしたものか……。

「お父さん、溜息吐いてどうしたの?」

 フルーツフレークを食べる手を止めて、シューが俺に訊く。

「いや、なんでもないよ」

「父さん、疲れた顔してるぞ」

 そんな顔をしていないが、ソルにはそう見えるらしい。

「疲れているなら、遊んでリフレッシュしろ」

 俺だって本当は、今ソルが言った通り、遊びたい。けれど今は、転職のこととか、金のこととか、未来のことで頭がいっぱいで遊びに行く余裕が無いのだ。

「お父さんは、今日までずっと仕事を頑張ったんだよね? 頑張った自分にご褒美をあげてもいいんじゃないかな?」

 シューの言っていることは間違ってはいない。だが、答えを出していない問題を放置して遊ぶのは、間違っていると思う。

「お父さん。休めるときに休んでおかないと、仕事に就いてから後悔するかもよ?」

 諭すような口調でシューは言う。シューは筋の通った発言ばかりするので、俺の心がグラグラ揺れた。一日くらい羽目を外してもいいかな、という甘い考えが頭に浮かんでくる。

「父さんは休みたくな~る……。父さんは休みたくな~る……」

 ソルが俺に催眠術をかけ始めた。

 クルクル指を振るソルに苦笑して、俺はハッとなった。

 まさか、シューとソルが俺に休んでほしい理由は、自分たちが遊びたいからなのでは……?

「シュー、ソル。もしかして、お出かけしたいのか?」

 俺がそう訊くと、シューとソルは目を大きくした。効果音を付けるなら『ギクッ』という音だろう。

「え、えっとぉ……」

「オレたち、実は……」

 シューとソルはチラリと目配せし、我慢していたものを吐き出すように、二人同時に大声で言った。

「遊園地に行きたい!」

「……そうか」

 そのために、俺を休ませようと必死になっていたのか。

 きっと、シューとソルは、俺が次の仕事を決められず悩んでいることを察していたのだろう。だからはっきり気持ちを伝えることができず、俺から休むと言い出すよう、回りくどい方法をとっていたのだ。

 ……俺はシューとソルに気を遣わせていたんだな。

 親に気を遣うなんて、まるで昔の俺みたいじゃないか。両親の逆鱗に触れないように、我が儘を言いたい気持ちを抑えて、両親から遊びに誘ってくるのを待っていた。そんな、子供の頃の俺と同じことを、シューとソルにもさせてしまったのか。

「いいよ。遊びに行こう」

 仕事探しは明日に回して、今日はシューとソルと遊ぶことにした。そうすれば、シューとソルもしばらくは俺に気を遣わずに過ごしてくれると思った。

「い、いいの? やったー!」

 シューとソルの表情がぱあっと明るくなり、フルーツフレークをものすごい勢いで口にかき込み始めた。



「お父さん、着替え終わったよー」

「早く遊園地に行こうぜ!」

「ちょっと待て」

 急かすシューとソルに苦笑しながら、俺は洗面台の鏡の前で髪の毛をワックスでセットした。服にこれといったこだわりはないので、いつも着ているラフなシャツとジーパンを選んだ。身だしなみを整えてバスルームから出ると、靴を履いて玄関に立つ、シューとソルの姿が目に入った。二人は自分たちで好きに着て行く服を選んだのだろう。シューは白いシャツにデニムのジーンズを穿いていた。ワンピースを好んで着ているシューにしては珍しいチョイスだったので、恐らく、ソルに勧められたのだと思う。あるいは、空中に身体を投げ出す、絶叫系の乗り物を考慮して、スカートをやめたのかもしれない。シューがソルみたいな服装をしていて、逆にソルは、シューが普段着ている女の子らしい服を着ている……なんてことはなく、ソルはいつも通り半袖短パンだった。

「よっしゃ! 出発だ!」

「レッツゴー!」

「待て待て。まだ荷物をまとめていないだろ」

「財布とスマホは持っただろ」

 俺がいつも持ち歩いている物を見ているソルは、居間でリュックサックを開ける俺を見て首を傾げた。

「近所を散歩するだけだったらそれでもいいけど、今回はそうはいかないよ」

 俺はリュックサックにポケットティッシュと、絆創膏とか酔い止め薬が入った救急セットを詰め込んだ。一応、シューとソルの代えの服と下着も入れて、これで準備完了だ。リュックサックを背負って立ち上がった。

「じゃあ、行きますか」

「行こーっ!」

 シューとソルは天井に向かって拳を突き上げ、高らかに叫んだ。

 部屋を出て、三人で手を繋いで最寄り駅まで歩く。

 券売機で三人分の切符を買うと、それを見たシューとソルが、

「うわっ! 千円札がこんなちっちゃい紙切れになっちゃった!」

「さっき入れた千円札はどこに消えた!?」

 驚きの声を上げ、二人して切符が出てきた長細い穴を覗き込んだ。

「これは切符を買う機械で、俺は今、千円札で切符を三枚買ったんだ」

 お釣りの小銭を財布にしまいながら、俺はシューとソルに説明する。

「切符は改札機に入れるんだ。で、改札機から出てきた切符を取って、先に進む」

「なるほど~」

「簡単じゃん」

 改札を通って駅構内を進み、電車に乗り込む。

「おお……! 凄いぞ凄いぞ! 電車が走り出したぞ!」

「外の景色が横に流れていくね!」

 靴を履いたまま座席に立ち、窓に顔を押しつけてシューとソルは興奮の声を上げた。

 ……そういえば、シューとソルを電車に乗せたのは今回が初めてだな。

 初めてで興奮する気持ちはわかるが、車内マナーはきちっと守ってもらいたい。

「シュー、ソル、座席に立つな。外の景色は座って見てくれ」

「はーい」

「ほーい」

 シューとソルは素直に頷いて、座席に腰を下ろした。

 電車から見える景色は、仕事に行くときいつも見ていたものなので、俺はまったく情緒的なものは感じなかった。だが、シューとソルの目には窓から見える景色が異世界のように映っているようで、目的の駅に着くまで二人は外ばかり見ていた。

 停車した駅で降り、別の電車に乗り換えて移動。降りた駅から遊園地行きの電車が走る駅まで、徒歩で向かう。〈遊園地行きの電車はこちら→〉と書かれた看板の案内に沿って、俺たちは石畳が敷かれた広い道を進み、海のような淡い青色で車体を塗られた遊園地行きの電車に乗り込んだ。

 熊のキャラクターが描かれた座席に座り、電車に揺られること約五分。停車した駅で降り、広く平らな道を進んだ先にあったチケット売り場で三人分のチケットを買った。

 遊園地に入る前に、スタッフから簡単な荷物チェックを受ける。

「はい、チェック終わりましたぁー! 楽しんできてくださいねー!」

 スタッフから遊園地の地図を受け取り、改札機のような機械にチケットを通す。王国の門のようなファンタジーチックな入口をくぐり、俺たちは遊園地の敷地に足を踏み入れた。

 そこは、様々な形の建物が立ち並ぶ大通りだった。煉瓦で造られたモダンチックな建物。お菓子の家のような可愛らしい建物。装飾品に彩られ、クリスマスツリーのようにキラキラ輝く建物。ドールハウスのようなメルヘンチックな建物。遊園地のキャラクターたちが描かれたコミカルな建物、などが見える。沢山の人々が通りを行き交い、誰もが幸せそうな顔で笑い、楽しげな声を上げていた。

「うわぁ! すごいすごい!」

「まるで夢の国だな!」

 シューとソルも楽しそうだ。あっちこっちに視線をやって、興奮したウサギみたいにピョンピョン跳ねてはしゃいでいる。

「さて、どこに行こうか」

 俺は遊園地の地図を広げた。地図帳に載っている線と文字ばかりの地図ではなく、絵本みたいなカラフルな絵が描かれている地図だった。絵の下には、遊園地にあるすべてのアトラクションと飲食店、ショップ、トイレ、その他のサービスエリアなどの名前が載っていて、名前の横には数字が書かれていた。地図の絵にも数字が書かれており、名前の横に書いてある数字と絵の数字を照らし合わせると、どこに何があるのか確認できる。

「私はここに行ってみたい!」

「オレはここだ!」

 シューとソルは地図に描かれているアトラクションの絵を同時に指差した。絵は見事に左右に分かれ、シューは地図の右上にあるメルヘンチックな建物の絵を、ソルは左上にある茶色い山の絵を指差していた。

「じゃあ、シューが指差したところに行ってみよう」

「やったー!」

「おい、なんでだよ!?」

 シューはバンザイして喜び、ソルは信じられないという顔で俺を睨んだ。

「ごめんなソル。ソルが指差したのはジェットコースターだから、最初に乗るのは心臓によくないんだよ」

「オレの心臓は平気だ!」

 ソルは平気かもしれないが、シューと俺の心臓は平気じゃない。初っ端、ジェットコースターなんぞに乗ったら、間違いなく気分が下がる。絶叫マシンは、恐怖によって人を苦しめる悪魔の機械なのだ。

「大丈夫だよ! ソルが行きたい場所にもちゃんと行くから! ね、お父さん?」

 俺が困っていると、シューが横からフォローしてくれた。

「あ、ああ……。勿論、ちゃんと行くよ」

「しょーがねーなぁ。じゃあ、シューが先でいいよ」

「ありがとう! ソル大好き!」

 シューは嬉しそうに笑って、ソルの手を握って歩き出した。幼女だけで歩き回ると危ないので、俺はすぐ、シューの手を握った。
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