第32話

文字数 2,961文字

 本来誓約(ファーン)は神域のような場所で行われるのだが、まだこの里にはそういった場所が整備されておらず、場所は川縁(かわべり)の空き地で行われることになった。
 数日前から見習(アエス)たちが草を刈って掃き清め、石を拾い集めて脇へどけ、地面を平らにならした。少し前まで秋の長雨が続いていたが、ここ数日は晴天が続き、地面はほどよく乾いていた。

 次の長に決まったティールと、格上であるレイとの誓約(ファーン)だということもあって、新たに開かれた広場には多くの人が集まっていた。

 審判(スカーレ)師範(クプルム)のアークが務めることになり、彼は緊張した面持ちで、広場の隅にひかえていた。公正を期すために、ティールやレイとは関わりの薄い師範(クプルム)が選ばれた。

 レイは、赤い文様の刺繍された、剣士の衣をまとって広場の隅に立っていた。誓約(ファーン)では、革の手甲や腹当てなどの簡易的な防具しか使用を認められていない。古式に則った装束なのだという話だが、誓約(ファーン)は復讐や私怨を晴らすために行われることが多く、確実に相手を殺すためにそうしているのだろうと、レイは思っていた。

 久々に身にまとった剣士の衣に、レイは図らずも泣きそうになった。腕にまとわりつくような神官の衣とは違い、ぴったりと体について動きやすい。

(これが、俺の衣だ。俺は神官(シーワス)なんかにはならない!)

 物心ついた時には剣を持っていたのだ。
 初めて持ったのは、父親が削ってくれた子供用の木剣だった。自分の剣を持てたことが本当に嬉しかったのを覚えている。嬉しくて、嬉しくて、寝る間も惜しんで剣を振った。
 稽古に行くようになると、自分が同い年の子どもの中で、誰よりも強いことを知った。試合に勝てば、いつもは特に話しかけてもこない父が褒めてくれ、家族みんなで祝ってくれた。

 剣を持つ子どもなら、誰もが長ストレイフにあこがれていた。戦場での武勇伝を寝物語に聞いて育つのだ。その息子が稽古に顔を出した日、レイは心の底から落胆した。
 彼はどこをとっても凡庸で、初めて手合わせした時、レイは最初の一振りで彼の剣をはじき飛ばした。ティールは心も弱く、打たれては泣いて、師範(クプルム)に毎日のように怒鳴られていた。
 馬や牛をかわいがり、時間ができるとリークの所へ逃げ込んで、書物ばかり読んでいた。そして、あの山人が来るようになってからは、あの山人の所へ入り浸り、稽古に何度も遅れてやってきた。
 そんな従兄弟がレイは大嫌いだった。

 自分に一度たりとも勝ったことのないティールが、次の長に決まり、自分が神官(シーワス)になることを告げられた日のことは、一生忘れないだろうと、レイは思った。
 あの日からずっと、レイは悪夢の中にいるような日々だった。
 謹慎処分を受けたことすらも、レイには納得がいかず、長にも散々言いつのったのだが、取り合われなかった。それでも、こんな日を設けてくれたのだから、星と火屋神(ケン)には感謝をしなければならない。公に、あのティールを斬ることが許されるのだから。

 しかし、レイには、ティールを殺すつもりはなかった。そうしてやりたい気持ちはあったが、エオーを始め、ティールと仲の良い若衆(フォリウム)の恨みを買う。長の気持ちも治まらないだろう。それでは返って自分の立場が危うくなる。
 格下の者に挑まれたが、仕方なくそれを受け、愚かさを許し、命を助ける。そういう流れにしなければならない。
 報復を避けるために、右手を落とすか、腱を切るぐらいの対処はしておく必要があったが、殺してしまわないように気をつけなければならなかった。

(正しい方に、火屋神(ケン)は味方する。あと少しの辛抱だ)

 辺りがざわめき、見れば、広場の対角線上にティールの姿があった。彼もまた剣士の装束をまとっており、重そうに長剣を腰に吊っていた。

(あの姿も、今日で見納めになるのだな)

 レイは快く思い、あの時、短剣を抜いて向かってきた姿を思い出して、唇の端を持ち上げる。

(あの時よりは、勝負になるといいがな)

 あの日、あわてたティールが騒ぐのを、里の者に見せるために、レイはサスムの元へ行く前、屋根を()いていたティールにわざわざ声をかけたのだった。お前たちの選んだ次の長は、こんなにも愚かなのだと、人々に見せつけるために。
 里のためだと言っても納得せず、サスムに刃を向ければ、ティールが短剣を抜くだろうとも思っていた。そしてその通りになった。 

 それでも、ティールの嘆きようはレイの想像を超えていた。いくら懐いていたとはいえ、年に十日ほど姿を見せるだけの山人が死んだからと言って、どうしてあれほど嘆き悲しむのか、レイには理解できなかった。
 彼がいたからといって、ティールにとって何か得になることがあるわけでもない。鍛冶師と同じく、炉で金物を扱うとはいっても、サスムは鋳物師だ。赤金を解かして型に流し込む鋳物と、刃金(はがね)を槌で打って鍛える鍛冶とでは根本的に違う。
 それを、子どものようにわめきちらし、あれを木に吊った後には酷く落ち込んで、しばらく表へ姿を見せなかった。しかしそうすることで、ティールは友に守られ、多くの若衆(フォリウム)の同情を集めて、味方に付けたのだった。謹慎処分を受けたことも心外だったが、これもまた、レイの想定外のことだった。

(この里の者は、哀れっぽく見える者に甘くて困る)

 ここは、剣士の里だ。あんな軟弱者を、長に()えるようなことがあってはならないのだ。どうしてそれがわからないのだろうか。

「レイ、準備はいいか」
 ふり返ると、リークがすぐそばに立っていた。
「ああ、俺の方はいつでも」
 肩をすくめると、リークはわずかに眉をひそめる。
「真面目にやれ」
「もちろん」
 真面目にやってティールを斬ってもいいのか、と胸の内でつぶやきつつ、膝を曲げ伸ばしする。
「レイ、あまりティールを甘く見るな」
「どういう意味です?」
 リークはしばらくレイの目を見据えていたが、ふいとそれをそらし、ティールの方へと去って行った。

 それを見送りながら、レイは唇をゆがめる。
 どう考えても、レイには自分が負ける未来など、想像することができなかった。



 大丈夫か、とリークに問われ、ティールは小さく微笑んだ。
 驚くほどに、心が静かだった。
 これから、自分が人を斬るかもしれないというのに、特に何の感情もわいてこなかった。

──お前はたぶん、剣を持つには気が優しすぎるんだよ

 サスムは、自分のことを買いかぶっていたのだと、ティールは思った。自分は別に優しくなどなかった。

 広場の向こう側に、レイの姿があった。それを見ると、腹の奥でぞくりとうごめくものがあった。これはサスムを喪って初めて、腹の中に生じた黒い何か(、、)だった。
 普段は大人しく潜んでいるが、レイの姿を見たとき、鍛冶場の(くすのき)の前を通りすがったとき、馬の(さなき)の音を聞いたとき、それは、早くここから外へ出せと暴れるのだった。サスムと同じ目に遭わせてやりたいという衝動と共に、這い出してこようとする

 ティールは深く息をついた。

 レイは、いつもと変わりない様子だった。いつものように手足を伸ばし、軽く跳んで体をほぐしている。彼には、斬られるつもりなどないのだ。
 ティールは、剣帯から提げた鈴に触れる。サスムがお守りにと言ってくれた、鳴らない鈴である。

「ティール、行けるか?」
 リークにのぞき込まれ、ティールは真剣なまなざしでうなずいた。

「はい」
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