第17話

文字数 2,488文字

 長に渋い顔をされつつも、サスムは結局毎年のように、阿成(あなし)に立ち寄るようになっていた。(さなき)の注文が多い時も少ない時もあったが、それでもつい、サスムは若葉の頃になると阿成(あなし)に寄った。

 ティールは順調に剣の腕を上げてゆき、サスムが三度目に立ち寄った時には、宣言した通りに練習生(スタンヌム)に昇格していた。そしてその中でも真ん中より少し上にまで腕を上げていて、もう彼を弱虫扱いする者はいなくなっていた。
 元々剣が弱かった他は明るい少年なので、サスムの所へ来るとき以外は、よく同じ年頃の少年たちの輪の中にいた。サスムはそれを見ながら、将来は本当にいい長になるだろうと思っていた。

 その頃から里では本格的に黒金作りにも力を入れ始め、大がかりな建物が幾つか建っていた。これまでは、他の黒金作りの里から鍛冶に使う刃金をいくらか仕入れていたらしいのだが、これからは全て阿成(あなし)の中でまかなうことになるようだった。ティールはそれと同時に鍛冶の手伝いも始めたようで、いつもにも増してサスムの鋳物の話を聞きたがった。

 そしてサスムが六度目に阿成(あなし)を訪れた時には、ティールは成人の証として腰に短剣を帯びていて、もう若衆組(フォリウム)にも入っており、ティールは長の家では暮らしていなかった。
 若衆組(フォリウム)とは里人の間では単に《(くみ)と呼ばれていたが、年齢が十四になると男女それぞれの組に入り、しきたりや作法などを兄方・姉方と呼ばれる先輩たちに教わりながら、伴侶を得て独立するまでの間、共に生活する習慣のことである。
 《組》に入って二年目ともなると、ティールも新入りの兄方となり、里の様々な役割も担うようになる。幼い頃のように自由にできる時間は限られており、忙しそうにしていたが、それでもティールはサスムの所へやってきた。

「何だそれ」

 サスムが驚いた目を向けると、ティールは、はっとしたように左目に手をやった。ティールの左目の周りには薄青い文様が描かれていた。
 ティールは昨年より声も低くなり、ずいぶんと背も伸び大人びていたが、そんなことよりも、その左目の異質な文様がサスムの目をひいた。

(わざ)だよ」
「見ればわかる」

 サスムにはよく内容が読み取れなかったが、ティールの目の周りに描かれているのは単なる文様ではなく、(さなき)に彫り込むのと同じ類の文字だった。文様がある他には、ティールの目に別段変わった様子はなく、目を痛めたのかと問うとティールは首をふった。
 サスムが訝しげにのぞき込むと、ティールは顔を曇らせた。

 ティールは、サスムがあらかた荷物を片付け終わると、川縁(かわべり)の土手へと連れ出した。目の《術》については、あまり人に聞かれたくないらしかった。
 川べりの木々はすっかりと若葉をまとい、しっとりとした靄がその枝の間に漂っていた。水かさもさほどなく、川幅もそれほど広くはないため、気軽に歩いて渡れるような川だが、雨期ともなると酷く増水してあふれるらしかった。そのために堤が築かれており、その土手にも、やわらかな春草が芽吹いていた。

 ティールは今年十五となり、以前から決まっていたことではあったが、長ストレイフの跡を継いで彼が長になることも、正式に決定した。しかしティールはストレイフのように剣の長(アウルム)を目指すつもりはなく、あくまでも鍛冶師を兼ねた長となるつもりだった。文様はそのためのものなのだという。

「鍛冶師は炉の火をずっと見ているから、火虫が目に移って目を悪くするでしょう。それのための《術》なんだよ」
「火虫をそうやって避けるなんて聞いたことがないし、火虫じゃなくても火を見すぎれば目を悪くするものだ」
 うん、とティールはいつになく歯切れの悪い言い方をした。
「僕もこんなのはやめようって言ったんだけど、聞いてもらえなくて」
「結局それは何なんだよ」
「僕がもし目を悪くしたら、それを他の人に肩代わりさせるための《術》なんだ。だから、同じような文様をもう一人にも入れて、代わりにその人は神官(シーワス)になる」
 神官(シーワス)とは火と黒金の精霊(あわいもの)や、炉を司る神である火屋神(ケン)を祀り、魔法──山人が《術》と呼んでいるもの──を学んで病や怪我を癒す者のことを言う。特殊な仕事を担うこともあり、渡り者の里では、長に次いで地位も高いものだった。

「おかしな《術》を考えるものだな」
 サスムがまじまじとティールの文様を見ていると、ティールはうつむいて深いため息をついた。
「その神官(シーワス)になるのが、レイなんだよ」
 サスムは思わず目を(みは)った。
「レイって、あのすごく強い従兄弟のレイか? もうそろそろ剣士(フェルルム)に昇格しそうだって言っていなかったか?」
 数年前、ティールを稽古に迎えに来たレイに「あんたの仕事にこき使うな」と言われたきりで、サスムは特にレイと話したことはなかったが、試合ではよく目立っていたため印象には残っていた。

 ティールは泣きそうな顔をしたが、それをこらえてそろそろと息をつく。
「レイも、すごく嫌がってた。当たり前だよね。神官(シーワス)の地位は高いけど、神官になれば、もう剣を持つ機会はなくなってしまう。レイはまだ十六なのに、あんなに強くて、もう少しで剣士(フェルルム)になれそうだったのに」
「どうしてそんなことになったんだよ」
「僕と従兄弟だからだよ。少しでも血のつながりがある方が《術》が施しやすいんだって。だけど近い一族の者はみんな要職に就くから、母方の従兄弟だったレイが選ばれた。レイは僕の母さんの兄の子なんだ。僕が鍛冶の仕事をし始めているのと同じように、レイはもう神官(シーワス)たちの元に通っていて、いろいろな《術》の勉強も始めている。だけどね、サスム。僕はレイが長を継いで、僕が神官になった方が合ってると思うんだよ。レイは父さんの《天の兄弟》かもしれないんだから」
 サスムは軽くティールの背中を叩く。
「情けない声を出すなよ」
「だって」
「俺はお前が長になるのがいいと思う」
「どうして?」
「お前は長に向いている」
「そう、かな……」
「確かに、剣の腕だけ見ればレイは長の《天の兄弟》かもしれないが、よそ者の俺から見れば、お前は長にそっくりだよ」
 え、とティールが驚いてサスムをふり返る。これまでそんな風に言われたことなど一度もない。
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