第15話

文字数 2,147文字

 昇格試合の日は、剣士の里だけあって、ほとんど里中祭のような騒ぎだった。
 やはり誰が剣士(フェルルム)の称号を得るかというのは、里人にとって重要な関心事であるらしく、サスムも長からぜひにと言われて見に行くこととなった。ここ数日でティールがやる気を取り戻したと言って、力が入っているようだった。

 当のティールは、朝からがちがちに固まっていた。奥方と何やら言い合いながら家を何度も出たり入ったりしており、サスムは大丈夫だろうかと心配になったが、それでも良い傾向ではある。緊張しているということは、勝つ気があるということだった。

 剣士の階級は、剣の長(アウルム)を筆頭に騎士(アルゲントゥム)師範(クプルム)剣士(フェルルム)見習(アエス)練習生(スタンヌム)使部(プルムブム)という七種類の階級がある。上位の騎士(アルゲントゥム)師範(クプルム)は役職名であり、順当に昇っていける階級ではないため、実質剣士(フェルルム)に昇格することが、この里では一番の誉れだった。

 もちろんティールは一番下の使部(プルムブム)である。使部(プルムブム)とは習い始めの初心者のことで、同い年の子どもたちはほぼ練習生(スタンヌム)へ昇格しており、従兄弟のレイはもう見習(アエス)への昇格が期待されていると言う。

 サスムが馬にやるための水を汲んで戻ると、ティールが馬屋の前に立っていた。いつもとは違う赤い文様の刺繍された衣を身につけている。それは剣士が戦場に出ていく時に、甲冑の下にまとう物らしい。

「もう負けたような顔だな」言うとティールはぐっと口を引き結ぶ。「大丈夫。今日はきっと勝つよ」
「本当?」
 情けない顔をするティールに笑って、サスムはティールの頬を軽くつまむ。
「まず心で負けてはだめだ。絶対に勝つと、お前が望まなければ」
「うん……」
「ペオースも一生分見たろう」
「そうだけど……」
「俺も見に行くから、がんばれ」
 それには素直に嬉しそうな顔をして、ティールはそのまま先に稽古場へ向かった。



 試合は一番下の階級である使部(プルムブム)から始まる。とはいえ、もう剣を持って六年になるティールは使部(プルムブム)の中でも最後の方ではあった。しかし順番を待っている間にだんだん緊張が高まってゆき、名を呼ばれる頃には、手が汗でべっとりと湿っていた。

 広場に進み出ると、剣の長(アウルム)である父が他の騎士(アルゲントゥム)師範(クプルム)たちに混じって奥の一段高い席にいるのが見えた。目が合うと、父が小さくうなずいたのがわかった。

 相手はひとつ年下の少年だった。ひとつ年下とはいえ、ティールより少し背が高く、ティールはこれまで一度も彼に勝ったことがなかった。

(勝てるだろうか)

 思うと、どうしようもなく鼓動が早まっていく。
 わいわいとひいきの子どもの名を呼ぶ声が響く。父が長という立場もあって、両親はティールの名を呼んだりはしない。祖父母も既に亡く、負け続きのティールの名を呼ぶ者はなかった。

──まず心で負けてはだめだ

(そうだ、始める前から負けてはだめだ)
 ぐっと腹に力を込めて、ティールは精一杯背筋を伸ばした。

 審判(スカーレ)に促されて前へ出ると、相手の肩に剣先を載せて軽く膝を折る。

 木剣を構えて、踏み込む──

 激しく打ち合い、ひときわ強く打ち合ってから互いに間合いを取る。衝撃に手がしびれるようだった。それは相手も同じで、わずかにひるんだのがわかった。ティールはすかさず打ちにゆき、彼がそれを受けた弾みで隙ができた。
 振りかぶった瞬間、あの赤が目の前に広がる。カークの体から止めどなく流れ出した赤い色が──

「ティール! 行け!!」

 大きな声がした。ティールは、はっとして剣をそのまま振り抜く。

 気づくと審判(スカーレ)が勝負ありと手を上げていた。
 目の前の少年が悔しそうにうつむき、周りがどっとどよめいた。恐る恐る見ると、審判はティールの方へ手を差し向けていた。ティールが勝ったのだった。



 その日ティールは、三試合の内、一勝一敗一引き分けとなり、惜しくも昇格は逃したが、これまで飽くほど負け続きだったティールが一勝したことを、長はたいそう喜んでいた。その日は家族にサスムを加えての、ささやかな宴が催された。




 昇格試合の翌日、サスムは朝から荷物をまとめていた。
 ティールは、どうしようもなく淋しい気持ちになりながら、それを見ていた。
「……また来る?」
「どうかな」
 サスムは今度は正直に答えた。
「また来てよ」
「今回だいぶたくさん(さなき)を作ったからなあ。(さなき)はそうそうすぐに錆びもしないし」
「少しでもいいから」
「少しでいいのか?」
「……よくない」
 サスムはめずらしく声を上げて笑った。
「また寄るよ。お前が次来るまでに昇格しているか気になるしな」
 ティールの顔がぱっと明るくなる。
「本当? 絶対だよ! 僕、絶対昇格するから!」
「言ったな」
「また恐くなったら、サスムのことを思い出すから、大丈夫だよ」
「なんで俺なんだよ」
「最初の試合の時、行け、って言ったのサスムでしょう? あの時、やっぱり僕は恐いと思ったんだけど、サスムに行けって言われたら、どうしてか、ちゃんと体が動いたんだよ。だから、あの時のことを思い出したら、きっと大丈夫だと思うんだ」
 ティールはそう言って笑って見せた。

 サスムはその頭をぐしゃぐしゃと、かき混ぜるようになでる。
 そのサスムの顔がちゃんと笑っているのを見て、嬉しいのと淋しいのとで、ティールはまた少し泣きそうになった。

「がんばれよ」
「うん」

 サスムはその日の昼、再び阿成(あなし)を旅立っていった。
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