第31話

文字数 2,763文字

 冷たさを孕んだ風が吹き抜けた日、ティールは父の元へ向かった。
 一旦リークから話は通してもらっていた。
 ティールが次の長に決まったからと言って、ティールはまだ鍛冶の見習いをしているだけの、特に何の力もない若衆(フォリウム)の一人にすぎなかった。
 長の息子であるとはいえ、父が長として決めたことに、ティールが意見することなど許されない。成人して短剣を吊っていても、里の会合に出るのがやっとで、特に意見を求められたりもしない。この里では、所帯を持って独立して、そこで初めて大人の一人に数えられるのだった。

 しかし、ひとつだけ、ティールの望みを叶える方法があった。

 戸布をめくって中へ入ると、険しい表情の父が長の席に座っていた。
 リークの他に、年かさの男たちが数人。彼らはみな古参の騎士(アルゲントゥム)たちだった。剣の長(アウルム)であるストレイフのすぐ下の地位にあり、里の重要な決め事には彼らの同意が必要なのである。
 単に古参の騎士(アルゲントゥム)というだけではなく、彼らはストレイフと共に戦場で戦った、互いを知り抜いた戦友でもある。

 ティールは一礼して中へ入っていった。

「長ストレイフ、僕はここに、レイとの誓約(ファーン)を望みます」
 ストレイフはきつく眉を寄せたまま、深く息をついた。少しうつむいた顔に影が差し、酷く疲れて見えた。

 古くから、この一族には誓約(ファーン)という作法があった。
 誓約(ファーン)とは、剣を交えた上で誓約(せいやく)することを言う。
 古より、誇りとともに剣を振るってきたこの一族では、己の力ではどうしても覆せない物事や、どうしても優劣を決める必要があった場合、互いの合意の上で、剣を交えて物事を決定する、ということが行われていた。
 長や他の騎士(アルゲントゥム)剣士(フェルルム)など、剣を持つ者五人以上の同意を必要とし、どちらかが命を落とすか、戦闘不能とみなされれば、それで誓約(せいやく)が成立する。
 勝った者は、相手を死に至らしめる以外のことなら何でも命じることができ、戦いの中であれば、どちらかが命を落としても名誉の死とされた。挑んだ者も、それを受けた者も、命を()して戦ったことを誉れとするのである。

 ストレイフは額に手を当て、じっと押し黙っていたが、ややあって、ティールの方を見た。
「五人の騎士(アルゲントゥム)の同意は得た。そして、長としては、お前の申し出を許そう」
「ありがとうございます」
「だが」と、ストレイフはことさら力を込めて言った。「父としては到底許すことはできん」
「父さん。僕はもう十五だ。誓約(ファーン)をするのに親の許可は必要ないはずだ」
「頭を冷やせ」
「僕は冷静だよ」
 リークはため息をつき、周りに座していた五人の騎士(アルゲントゥム)たちに目配せすると、彼らはうなずいてそっとその場から立ち去った。

「考え直せ。お前の腕ではレイには勝てん」
「もう決めたことだ」
「レイはまだ見習(アエス)とはいえ、昇格試合を待っているというだけの剣士(フェルルム)だ。やっと見習(アエス)になったばかりのお前とは格が違う」
「それでも、僕はこのままレイと、この里で暮らしていくことはできない」
「もっと他にやりようはあるだろう、なぜこんなことを決める前に相談しない」
「だって、父さんはサスムを殺したから」

 ストレイフは継ぐべき言葉を見失って、真っ直ぐに見上げてくる息子を見た。

「僕に、別れの言葉も言わせてくれなかった」
「ティール、長は……」
 見かねたリークが口を挟むが、ストレイフはそれを手で押しとどめた。

「ティール。サスムは、最期までお前を案じていた。剣を持って立ちはだかった、この俺に、お前のことを頼むと言ったんだ。ティールのことを頼みます、とな」
 ティールは突き上げてきた熱さに、血の管が浮き出るほど、奥歯を噛みしめた。それをどうにかやり過ごし、ティールはもう一度父を見た。
「──今、それを言うのは卑怯だ」
「卑怯でもなんでも、お前が無駄に命を落とすよりはいい」
「どうして無駄だと思うの? 僕は考え直すつもりはない。数え切れないぐらい何度も考えてきたことだ。だから、申し出をレイに伝えて」
「ティール、頼む……」
 父の、そんなに頼りない声を、ティールはこれまで聞いたことがなかった。

 再び揺れそうになる心を落ち着けると、ティールは深々と一礼する。
「よろしくお願いいたします」
 外へ出ると、ティールは大股に歩いて、よくふて寝していた丘へ向かう。今は誰とも出くわしたくなかった。

──サスムは、最期までお前を案じていた
(そんなのは、嘘だ)

──この俺に、お前のことを頼むと言ったんだ
(父さんは、もっともらしい嘘を言っているだけだ)

 背の低い草を踏み分けて、緩やかな頂上へ登ると、広い空が出迎える。傾きかけた日が、(さなき)と同じ色に雲を染めていた。一番好きな空だった。
 初めてサスムが(さなき)を作ってくれたときに、一緒に見た空だった。

──お前はずっと、この里で待っていないとだめだからな

 わき上がってきたものを押し込めるように、両目を手のひらで押さえる。

──絶対に生き延びろよ

 馬鹿なことをしようとしていると、ティールにもわかっていた。
 自分に勝ち目などないこともわかっていた。
 こんなことをすれば、エオーたちを怒らせるだろうということも。
 父が、サスムをあの場で救って、万一王家の気に障るようなことになれば、私情で山人を救った父は長としての信用をなくしただろうということも。
 サスムの傷は深く、手当てをしたところで苦しませただけだということも。
 火虫を呼ぶための餌にしたことで、王都からの使者にサスムの遺体を暴かれないよう守ったのだということも。
 ティールにはもう、わかっているのだった。

 しかし、それは里やティールの事情でしかない。
 サスムはもっと生きたかったはずだ。もっとやりたかったこともあっただろう。これから家族だって持てたかもしれない。彼には何の非もなかったというのに、唐突にその機会を全て奪われてしまったのだ。痛くて、苦しくて、悔しかっただろう。
 それを一体誰が、わかってくれるだろう。
 自分がやらなければ、他に一体誰が、サスムがあんな風に殺されたことを憤ってくれるというのか。自分が仕方がなかったと思ってしまったら、一体誰が。

 サスムには家族がいない。山人の仲間に、彼の死を知らせるすべもない。サスムは確かに、この世界で生きていたのに、まるでそれが夢のように全て消えてしまいそうな気がした。自分の中で、この痛みが和らいでしまったら、なかったことになってしまいそうで、許せなかった。

──お前はレイに勝つよ
──それって予言?
──いや、俺の希望だ
──なんだ
──まず望まなければ始まらないだろう
──そうだけど

 たった三月(みつき)ほど前の話だ。

 あの頃はまだ、そんな風にサスムと笑っていたのだ。でも、もう、どれだけ待っても、サスムは戻ってこない。

(僕は、レイに勝つよ。負けても、絶対に勝つ)



 数日後、レイから誓約(ファーン)の申し出を受けると、返答があった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み