第25話 BUNGEE GIRL

文字数 11,027文字

 19時を少し過ぎた頃、麗桜はとあるジムを訪ねていた。約束とは言ったがそれは約束という程のものではなく、麗桜は完全に飛びこみで来ていた。その目当ての相手がこのジムにいる。

 麗桜はいつもはセットして立てている鮮やかな髪を珍しく全て下ろしていた。

 その人物に会う為だ。

『邪魔するぜ』

 麗桜が中に入っていくとジムの女たちが不審そうに見ていた。その奥であの哉原樹が夢中になってサンドバッグに拳や蹴りを叩きこんでいた。突然の客に哉原も気づいたが、それが麗桜と分かるのには数秒かかったようだ。

『あれ?お前は…』

『よう。俺とタイマンはれ』

『なんだ?欲求不満か?』

 哉原は全く麗桜の目的が分からなかった。

『負けたら俺の隊に入れ』

『…は?いきなり来てオメー何言ってんか分かってんのか?』

『あぁ。俺が勝ったら1日だけでいい。俺と一緒に戦ってほしい』

『あぁ~。あっはっはっは!なーんだ、そっかそっか。テメーで売ったケンカさばききれねぇから急遽きびだんご持って仲間集めか。なっさけねぇなぁ、おい。もう諦めてみんなでどっか飛んじまえよ』

『グローブこれ借りるぞ』

 哉原は嫌味ったらしく冷やかすが麗桜は準備運動を始めた。話がしたけりゃリングに来いと言わんばかりだ。哉原は舌打ちをした。

『ちっ、まぁいーや。この前の借りはあるからな。お前となら丁度暇潰しによさそうだしな』

 そう言って哉原は自分もグローブを持ってリングに上がった。

『ここは足もありだぞ?』

『構わない。それでいい』

 問題ではないとでも言いたげな麗桜を見て哉原もグローブをはめた。

 万が一負けるようなことがあっても手など貸すつもりはなかったが、リング中央で向き合うと互いに拳を出し合った。

 そもそも今日はこの前とはコンディションが違う。麗桜に負ける気など一切ない。

『行くぜ』





 同じ頃、風雅は横浜にいた。賑やかな飲み屋街を1人歩いている。ある店を目指して。

 風雅は大きな看板の前で立ち止まった。clubKというキャバクラらしい。彼女の用事はそこにある。風雅は迷わず店へと入っていった。

『いらっしゃいませ。ご指名はございますか?』

 中に入ると店を案内したのはスーツの女だった。ボーイというやつか?風雅は飲み屋のことなどよく知らないが、それでも普通スーツを着ているのは男性なのではないかと疑問を持った。だが見た感じ男性は1人もいないらしい。歳もまだ若そうに見える。

『ママさんはいるかな?』

『あっ、もう来ると思いますけど。失礼ですがお名前よろしいですか?』

『鞘真です』

『サヤマ様ですね。どうぞ、奥の席でお待ち下さい。今呼んできますので』

 女は風雅を案内すると店の裏の方へ行ってしまった。

 ここは覇女の総長、神楽絆が経営する店だ。風雅は神楽に会う為ここに来た。何を言うかもまだ決まってないが、会わなければならなかった。

 しばらくするとヒールの音が聞こえてきた。メイクと髪のセットが終わり艶やかな黒いドレスに身を包んで、この店のママでもある神楽がやってきた。

『あれ?なんだ、あんただったのかい。サヤマっていうからそんな客いたっけと思ってさ。よく来たね。おい雪絵、ちょっと準備中にしてカギ閉めといで』

『あ、はーい』

 言われて先程のスーツの女がドアを閉めにいき、神楽は風雅の隣に座った。

『へぇ、あんたはそれでなかなか綺麗な顔して、いい女にもいい男にも見えるねぇ。嫌いじゃないよ、付き合ってみてもいい位だ。ふっふ。ごめんね、独り言がすぎたよ』

 神楽はタバコを取り出すと口にくわえ、店の名前が書いてあるライターで火をつけた。大きく煙を吐くと神楽の方から話を始めた。

『ずいぶん派手にやられてるみたいだねぇ。なんとなくは聞いてるよ。おいビール!あんたはなんか飲むかい?』

 風雅は首を横に振った。

『あたしゃ勝手に飲むからね。そんで、来たからには話があるんだろう?話してごらんよ』

 神楽がビールを勢いよく飲む中、風雅はここ何日かで起こったことの全てを話した。

『…それで今週の土曜日、僕たちはそれぞれベイブリッジと大黒パーキングに来るように言われてる…』

 あまりの内容に周りで聞いていた店の女たちも空気が重くなってしまった。神楽はまたタバコに火をつけると軽い感じで言った。

『じゃあしょうがないじゃないか。もう2人も犠牲者が出てるんだから、みんな仲良くぶちのめされてくりゃいいんじゃないのかい?』

『…もしも僕1人で済むなら、それでも構わないさ。でも僕たちが蘭菜や蓮華のようにやられた後、愛羽は確実に死ぬ道を選んでしまうと思う。死んでも最後まで抵抗して僕たちの仇を取ろうとすると思うんだ。今すでに、もう解散して1人で戦おうとしている』

『そんな中先にお前らが呼び出されたと』

 風雅はゆっくりとうなずいた。

『それで、なんだい?』

『相談できる人が、あなたしか思い浮かばなくて…』

『だからあたしたちに一緒に戦ってくれって言うのかい?』

 風雅は何も言わなかったが神楽と目を合わせた。

『おいおい。おいおいって。ジョーダンだろ?いくらなんでもみすみす自分のチームを殺させにいくようなことできる訳ないだろ。勘弁しておくれよ。悪いこと言わねぇからさ、バックレて逃げちまいなよ』

 神楽はだいぶめんどくさそうにしている。風雅としては分かっていた答えだった。

『あんたさぁ、大したもんだとは思うけどね、なんでそんなにしてまであのチビを守ろうと思うんだい?大切なのは分かるよ?でも死んじまったら終わりじゃないか』

 風雅はこの時、この質問にどういう意図があるのか知らなかった。話の途中、自然な流れだったから。だが神楽がこの風雅とゆっくり話してみたかったのは実はそこだった。

 風雅は話すべきことかは分からなかったし、今の仲間以外には自分から話したこともなかったので迷い、しばらく考えた。

『…あたしには、双子の弟がいて…いや、いたんだ。美雷って言って、いつも隣にいた大切な相棒だったんだけど、小5の時に病気で、一緒に生きることができなくなった。あたしはあいつに何もしてやれなかった』

 風雅の口から出た言葉は神楽の胸を刺した。

(ん?今、あたしって言ったのか?)

『だけどね、愛羽はもう存在さえないあたしの弟のことも、守ってくれようとするんだ。すごいでしょ?あたし、ずっと弟の死を越えられなかったよ。忘れたくなんてないし、この悲しみを死ぬまで背負って生きてくんだって思ってた。でも、なんて言うか、あの子のおかげで越えないでもいいんだって思えたっていうか、越えなくても前に進むことはできるんだって思えて、それは愛羽が一緒に美雷を思ってくれるからなんだ』

 風雅は、愛羽が一緒に美雷の墓に行ってくれた時のことを思い出していた。

 美雷が死んでから風雅は泣いたことがなかった。葬式でも火葬場でも、美雷のことを思い出す時でも、風雅は泣かなかった。

 納得がいかなかったり、悔しかったり、認めたくなくて無意識に悲しみから目をそらせるようになってしまっていた。

 でもあの日愛羽が笑って、初めて風雅は涙を流した。

『上手く言えないけど、だからあたしはあの子を守りたいの。そう思ってるのにあの子を守れなかったら、きっとあいつに怒られちゃうから。…だから僕は愛羽を守ると決めた。他のみんなも一緒だと思う。結局僕たちを1番守ろうとしてくれるのは愛羽なんだ。そんな彼女が僕らは好きなのさ。愛羽が命をかけてくれようとするのと同じように、僕らも命をかけて愛羽をなんとか守りたいんだ』

 神楽は今の話の中でとても奇妙な感覚を覚えた。確かに言葉遣いが女のものへと変わり、かと思えばまた僕という風雅に戻っていった。二重人格というのとは違う。この少女はおそらく半分ずつ生きている。自分と弟の分を半分ずつ自分の人生で生きている。

 弟の話になり姉の自分が強く出てしまい今のようなことになったんだろうと、神楽はそれがふざけのレベルでやっていることではないのをその目で確認し、そのことは胸におさめた。

 だが風雅の話を聞いても神楽の意思は変わらなかった。

『じゃあ守ってみせろよ…』

『え?』

『仲間を思う気持ちだけで人が守れるなら守ってみせりゃいいじゃないかって言ったんだ』

 その言葉は特別とげとげしさがあった。少し怒りすら感じられた。神楽に手を借りるなんて、そもそも無理な話だったのだ。風雅はそう思い諦めることにした。

『…そうだね。ありがとう』

 風雅は席を立った。

『おい、土曜の何時にどこだって?』

『12時に玲璃はベイブリッジ、僕らは大黒に行く』

『じゃあ、その前に1回顔見せにきな』

 風雅はそれが何故か分からなかった。

『いいから寄ってきな。どうせ横浜じゃないか』

『…分かった』

 風雅は言うと店を出ていった。





 一方その頃。哉原のジムで行われていた麗桜対哉原のタイマン試合だったが、この前とは動きが違いすぎる麗桜に哉原は一方的に打ちこんでいくが、あまりにもひどいので哉原がストップした。

『おい、お前ふざけてんのか?』

 哉原にすれば手の程を知るだけに、なんならおちょくられてる気分だ。

『てめータイマンはれとか言っといて全然攻めてこねーじゃねーか!あ?腹でも減ってんのかコノヤロー』

 哉原はそもそも気になっていた。麗桜を押し倒すと無理矢理ヒートテックをめくり驚いた。明らかに今ついたものではない痛々しい痣が何ヵ所もある。腹だけではない。腕も、よく見れば顔もだ。

『てめー。なんだこりゃ』

 麗桜はばつが悪そうだ。

『おいコラてめー、今日どっかでやり合った帰りか?舐めてんのかよ本当に。ダメだ、やめやめ!どおりで変だと思ったよ。てめーで言っといてお互い万全の状態でやらねーで何が試合だよ。くそが』

 哉原はグローブを投げ捨てた。

『帰れ!』

 麗桜に目もくれず再びサンドバッグの方に向かっていく。

『…あんた、七条琉花って知らねぇか?』

 麗桜がその名前を出した途端、ジムの中の空気が急に変わった。

『…あ?もう1度言ってみろ。誰だって?』

 哉原の目つきが完全に変わっていた。

『七条琉花』

『お前…まさかそれ、そいつにやられたのか?』

『あぁ。知ってるのか?』

『知ってるも何も、忘れもしねぇよ!あのくそ女ぁ!』

「ズダァンッ!」

 哉原は強烈なミドルキックをサンドバッグに叩きつけた。かなり興奮していて今にも暴れだしそうだ。

『あの野郎が全国チャンピオンになってから少しして、奴はここに殴りこみにきたんだ。たった1人でな。噂じゃ聞いてた、七条がジム潰して回ってるってな。その頃あたしもここらじゃ負けなしでかなり言わしてたんだがよ、そん時ゃあいつには歯が立たなかった。全く通用しなかったよ。パンチはそこまで重かねーが、なにせ速くて上手かった。ムカつくが完敗だった。その後すぐあいつは格闘技の世界から姿を消したんだ。このあたしをあそこまでコケにしといてな!今でも覚えてるぜ、あいつの生意気な態度と面はよぉ!!』

 哉原はサンドバッグに当たり散らした。

 そんなことがあったのもそうだが、麗桜はこの女がそこまでやられたという事実に驚いていた。確かに七条は恐ろしく強いが、この女も決してひけをとらない実力なのはやり合った麗桜がよく分かっている。

『おい待て。ってことは何か?東京連合のあのクソの仲間が七条だっつーのか?』

『あぁ。七条と龍とかいう女がウチの蓮華を2人で囲みやがって、今日その2人がウチの学校まで来て、俺と風雅がやり合ったんだ』

『龍?龍って、龍千歌とかっつー女か?』

 麗桜は黙ってうなずいた。

『確か龍って奴は頭イカれた中国人だ。人刺すことなんてなんとも思わないような奴で女でありながら中国系のマフィアに声かけられてるとかっつったかな?…お前らとうとうどうにもならねーな。如月たち夜叉猫が助けに入ってもまぁまず無理だな。そもそもが力も数も違いすぎる。如月だってみすみす死ににいくの分かってて一緒に行くとは言わねーだろ』

 麗桜は坊主頭の不気味な笑いを思い出した。

『それからこれは打倒雪ノ瀬に向けて誰にも言うつもりはなかったんだけどよ、まぁついでだ。ちょっと場所変えるぜ』

『え?』

 哉原はそのままの格好で出ていった。

『ついてこいよ』

 麗桜はうなずき後に続いた。

 哉原のジムはビルの2階にある。階段を下りると1階にある店に入っていく。

 連れてこられたのはBARだった。ダーツやビリヤードがあり、いくつかあるテーブルに麻雀、トランプ、花札などが置いてある。いかにもたまり場として使われそうな感じだった。現に若い女たちがたまっている。

『あたしんちだ』

『は!?マジで!?』

 店の従業員らしき女が2人、哉原に顔を向けた。

『お帰りー!』

『お疲れ~』

 この2人も鬼音姫のメンバーだろうか?というより客として来てる女、全員そうか?哉原の方を見て、みんな挨拶したりハイタッチしたり寄っていく。

『樹ちゃん聞いてよー!』

『樹さんお疲れ様っす!』

 10数人いる女が次々に名を呼び、かなり慕われているのが分かった。

 一通り女たちと喋り終えると店の女に言った。

『ちょっとあのDVD流してくれよ』

 店の中にいくつかあるモニターで洋楽が流れていたのが止まり、違う映像が始まった。

『まぁ見てろよ』

 麗桜は言われて映像を見た。映っていたのはリングだった。観客が大勢いるが会場としては少しせこい感じがした。これから試合が始まるみたいだが一体何の大会で何の格闘技か分からなかった。

 まず入場してきたのは柔道かレスリングをやっていそうな体格の大きい女だった。体も鍛えてあるのが見てよく分かる。

 そしてグローブを見て、どうやら総合格闘技らしいことに気づいた。

 続いて入ってきたのは比べたらかなり小柄な女だった。

『こいつがこのでかいのとやるのか?』

『何言ってんだオメー。こいつが雪ノ瀬じゃねーか』

『こいつが!?』

『なんだ。顔知らなかったのか?』

『あぁ。雪ノ瀬本人にはまだ会ったことないんだ』

『じゃあ尚更よく見とくんだな』

 雪ノ瀬が体格でまず劣っているのは一目瞭然だった。身長で20センチは差がある。

 雪ノ瀬がリングに上がると試合が始まった。大女の方は体の割りに動きが軽く、おそらくKー1やRAIZINよりの選手であることが分かる。対する雪ノ瀬は相手に比べればヒョロヒョロに見えてしまうが、よく見るとその筋肉は女とは思えない程見事なものだった。

 大女は開始早々先手を取り積極的に攻めていく。1分程見て麗桜はすでにあることに気がついた。おそらく体重にして20kg近く違うであろうその差が、全く感じられないのだ。

 大女のパンチは軽々と弾かれ、なんとかヒットさせても見た感じほとんどダメージを与えられていない。相手の顔にも明らかな驚きと焦りが見える。雪ノ瀬はそれを見て楽しんでさえいるようだ。

 次は雪ノ瀬が反撃していく。まず1発くらうと大女は目を見開き後ずさった。おそらく目で見えている以上に打撃が重いのだろう。次々に冷静に攻撃を叩きこんでいくとコーナーへ相手を追いこみ一気にラッシュをかけた。雪ノ瀬より一回り大きい女がかなり厳しい顔をしている。

 そして側頭部を右から強打されると倒れ、起き上がることはなく呆気なく試合は終わってしまった。今日の七条と比べると、例えば単純にボクシング的な速さや上手さは七条の方が上かもしれない。だがそれを超える圧倒的な威圧感と信じられないような重さが映像で見ていてもビシビシと伝わってきた。

『これは?』

『地下格闘技ってやつさ。あいつはよくここで遊んでるらしい。ちなみに相手はプロな。ここのチャンピオンとプロがやるっつーイベントだったみてーだが、ご覧の通りよ』

『ずいぶん、不自然な試合だったな』

『そうだろ?なんでか分かるか?それがこいつの強さの秘密さ』

『…』

 ボクシングで階級分けがされているように、本来格闘技で重量とは勝敗を大きく左右するポイントだ。それだけにとてもうるさく厳しい。しかしこの雪ノ瀬にはあれだけの体重差を感じさせない何かとそれ以上の秘密がある。そうでなければさっきのような試合は考えられない。まずありえない。

『あたしも最初は分からなかった。だが何回も何回も見て、ある答えにたどり着いたのさ』

 麗桜は確信は持てなかったがぼんやりとその正体が見えてきた。

『ドーピングか』

『お!さすが鋭いねぇ!そうさ。こいつは極上の力を薬で手に入れたんだ。どんな薬でどれだけの効果があんのかは知らねぇが、こいつは試合やケンカの度にそいつを使ってやがるんだと思うぜ。とんでもねぇバケモンの完成って訳だ。すげぇだろ?』

 麗桜は肩を落とす思いだった。そんな…ただでさえ敵は巨大なのに七条や龍に加え、そんな奴とどうやって戦えというのだ。

『まぁ、これを知った所でどうにもならねぇとは思うけどよ。一応教えといてやるぜ』

 麗桜は頭を下げた。

『頼む!俺と一緒に戦ってくれ!俺たちだけじゃどうやってもあいつらには勝てねぇ。無理言ってんのは分かってる。でも、どうしても負けられねぇんだ!このままじゃ愛羽は死んじまう。あいつを守る為には、俺はあの七条に負ける訳にはいかねぇんだ!』

『ふざけんなよ。なんであたしらがてめーらのケンカの尻ぬぐいしてやんなきゃなんねぇんだよ。だからもう逃げちゃえって』

『…どうしてもダメか?』

『あぁ。あたしはあたしで作戦考えてやるつもりだからよ。諦めな』

『そうか…そりゃ、そうだよな…』

「バンッ!」

『あ?』

 麗桜は左手を卓に押しつけると同時に、右手でポケットからナイフを出し、それを振り上げた。

『おいっ!!』

『ごめん…愛羽』

 麗桜は歯を食いしばると一気にナイフを左手めがけて振り落とした。

 しかしナイフが直撃するのより一瞬早く、哉原が麗桜を間一髪蹴り飛ばし麗桜は勢いよく転がっていった。手はなんとか無事のようだ。哉原は肩で息をしている。

『バッカヤロウ!何…してやがんだ、てめぇは…早まってんじゃねーぞボケこら。おい!そのナイフ捨てとけ!』

 言われた女が麗桜の手から放れたナイフを拾うと店の奥に持っていった。

 呆然とする麗桜に哉原はまだ油断できなかった。

『ちょっと落ち着けよ。な?何いきなり昔のヤクザのケジメみてーなことしてんだよ。勘弁してくれよ、ったく。ちょっと座れよ、いいから』

 麗桜は再び哉原の目の前に座り直した。哉原はめんどくさそうな顔をして溜め息をついたが、次に呆れて苦笑いした。

『麗桜っつったな。お前、今あたしが止めなかったらどうしてたんだよ』

『…指を、落とした』

『そんなもんであたしが首を縦に振るとでも思ったのか?』

『…それは分からない』

 哉原はとても迷惑そうにまた溜め息をついた。

『つーかおい。ごめん愛羽ってのはどーゆー意味だよ』

 麗桜は自分の手を見て、澪やバンドの仲間、そして愛羽を思い出した。

『…俺のこの手は、愛羽が守ってくれた大切な夢なんだ。』

『夢?』

『高校入ってすぐの頃、こんなだから地元のチーマーに目つけられちゃってさ。俺、バンドやってんだけど、他のメンバー人質に取られて20人位に袋にされてたんだよ。終いにはそいつら俺の手にブロック叩きつけようとしやがって、それでも助けてくれなんて言いたくなくてさ。やべぇって思ったよ。でも、あぁ終わったなって思った時に、あいつその20人の中に1人で飛びこんできてくれたんだ。まだ仲間でも何でもなかった。むしろ俺はウザったくて変な奴だって思ってて…』

 麗桜は結局何もできないでいる自分に呆れていた。七条に敗れ、哉原にも勝てず、指すら落とせなかった。

 でもあの日のことを思い出すと何故か分からないが前を向いてしまう自分がいる。

 こんな絶望の中でも、まだ希望を探してしまう。

『バンドのみんなはさ、俺の手を夢だなんて言ってくれるんだけど、あいつ誰かがそうやって言ってくれるその手、大事にしなきゃダメだよって言って笑ったんだ。あいつがいなかったら今頃この手はとっくに使えてなかったんだ。だから、あいつを守る為なら指の1本や2本安いもんだと思った。でも、あいつの気持ち裏切っちまう気がして、だから…』

 だからごめんということらしいのが分かると哉原は言った。

『聞かせろよ』

『…え?』

 哉原はカラオケステージの方を指差した。

『あそこにギターやらなんやらあんから聴かせてみろよ。その、夢ってやつをよ』

 あごでうながされ麗桜は立ち上がると、ギターとアンプにエフェクターをセットしてステージに上がりマイクスタンドの前に立った。そしていつも愛羽が好きだと言ってくれる曲を披露した。
『BUNGEE GIRL…』

『幼い少女だった あの頃は
 黒も灰色さえも 知らなかった
 あの空を飛んでみたいなんて言って
 何も疑わず 手を広げていた

 世界の大半が 汚れてると知って
 何が正しいのかは分からなくなった
 あたしは この背中の翼を
 何色に塗れば よかったの?

 蹴っ飛ばして ぶっ壊して
 今 走りだしていく
 highになって 目見開いて
「ほら 覚悟決める時だよ」

 飛んでゆけ この悲鳴を聞いたのなら
 君ができる その何かで
 誰かの明日が変わる

 その場所はまだ スタートラインだから
 下は見ない 前しか見えない
 だから その夢を広げてごらんよ



 幼い少女だった あの頃は
 真っ白い心で 青い夢を見てた
 恋をして 愛を知りたくて
 そんな日が来るのを 待っていた

 心を魅る為 体を汚して
 泪という羽を 集めていた
 結局その翼は ずっと 自分を
 守る為だけに 造ってたの

 蹴っ飛ばして サヨナラして
 ここに 飛び出してきて
 助走つけて 踏みこんだら
「ソンナモノイラナイカラ」

 もう2度と 自分を殺したりしないで
 君が1人で 苦しいなら
 あたしが手伝うから

 どうしても 心が零れそうな時は
 上を向いて ただ叫んで
 我慢なんてしなくていいんだよ



 この声を 聞いてほしいの
 あたしの声を
 それであなたが 綺麗事だって
 笑ってもいいから
 世界が変わっても 回れ右しても
 逃げたくないの
 いつだってそうだよ 損な女なの
 でもだって もっともっと 笑いたいから


 涙なんて 昨日だって
 全部超える為にある
 羽開いて 風感じて
「ほら 耳を澄ましてみなよ」

 飛んでゆけ この悲鳴が聞こえたなら
 君ができる その何かで
 誰かの未来が変わる

 その場所がまた スタートラインだから
 下は見ない 上を向いて
 前しか見えないでしょ?
 夢広げて 風つかんで
 暁の空 飛んでみせるの… 』

 イントロのギターが鳴り始め、哉原は一瞬で目が覚め鳥肌が立った。

「夢」と言われて聴きたくなったのはある。だが軽い気持ちだったのだ。とりあえずこの目の前の何をしでかすか分からないピンク頭を落ち着かせたかっただけだ。しかしそれがどうだろう。もう魅せられてしまっている。

 最初理解ができなかった。自分が殴り合ったあの女と同一人物に思えなかったからだ。別人か、何かトリックで演奏し歌っているように見せてるのか、そこまで勘ぐったが間違いなく本人が弾き声を出している。イメージと合わないからなのか何故そんなに綺麗な声で女らしく歌えるのか不思議だった。

 そして間奏、ギターソロになればそれはそれで目を見張るテクニックで音を弾き出していく。

 哉原は予想を大幅に超えるパフォーマンスに胸が熱くなるのを抑えられなかった。そしてそれは彼女1人ではなく、その場にいた全ての人間が麗桜に釘づけになり胸を打たれていた。

 曲が終わると盛大な拍手が送られた。もちろん哉原も手を叩いていた。拍手が鳴りやむと哉原はステージに向かって喋り始めた。

『お前の話は分かったよ。そいつを守りてぇ気持ちもな。それでもよ、おめー誰が悲しくておめーらの為に東京連合とやり合わなきゃならねーんだよ。なぁ、お前ら。お前らはどう思うよ』

 哉原は周りのメンバーを見回した。だが答えは分かりきっている。同じチームの仲間でもないのに何故自分たちの為に総員1000人という軍隊のような東京連合とケンカなんてしなければならないのか。そんな、たった6人のチームの為に…

『樹さん』

『おう唯、どーした?』

 唯と呼ばれたのは店の従業員の女の1人だ。

『いくらなんでも、まともにやり合ったって勝てないと思うけど』

『そりゃそうだわなぁ。ベイブリッジと大黒に別れたとしても、ざっと500人はいる訳だからなぁ。普通に考えたらまず無理だろうな』

『でもあたしは行ってもいいよ』

『は?おめー本気か?』

『樹』

『はい静火』

 静火と呼ばれたのはもう1人の従業員だ。

『あたしは麗桜ちゃんとこの頭の子と同じ気持ち。この子の夢、守ってあげたいんだけど』

『ははは!お前は物好きな奴だからなぁ~。他はどうだ?』

『自分はむしろ一緒に行くべきだと思います。この辺で東京の奴らに一泡吹かせてやらないと奴らゆくゆくは神奈川全部潰すつもりなんだろうから』

『この子の話聞いてても許せないしね』

『ほお。いいのか?相手は東京連合だぞ?分かってると思うけどよ、中にはそういうバケモンだっているんだ。次半殺しにされんのは自分たちかもしれねーんだぞ?』

 だが周りの女たちは次々に声を上げた。

『私は麗桜ちゃん好きになっちゃったから樹がダメって言っても行くよ』

『ウチも』

『行こうよ樹ちゃん!』

『大丈夫、樹さんマジ強ぇーから』

『こいつの覚悟マジしびれたよね!?』

『歌超うまかったよ~。ちょっとファンになるかも~』

 そして静火が女たちを代表するように言った。

『樹。あんたの言う通りだよ。きっとあたしたちも同じ目に合わされる。この子たちと一緒に行かなかったらね』

 麗桜は信じられなかった。ここにいる鬼音姫の面々が全員、自分と一緒に戦ってくれると言っている。まだ会って何時間も一緒にいない自分とである。

『おい麗桜。聞いたか?こいつら一緒に行きてーらしいぞ。よかったなぁ、全員同じ意見だ。…あたしを含めて全員な』

 麗桜は耳を疑った。

『みんな聞けぇ!こいつらはたった1人でもあの東京連合にビビらず向かっていく奴らだ!大したもんじゃねぇか、たった6人で1000人とやり合おうとしてやがる。こいつらをそれで死なせてみな?あたしら一生神奈川の恥背負って生きることになるぜ。焔狼?雪ノ瀬だぁ?あたしらは超過激派武闘派集団、ストリートファイトガールズクラブだ。この神奈川で1番強いのは誰で1番強いチームがどこか、おもいしらせてやろうじゃねぇか!手始めに、七条の野郎をぶっ殺してからな!』

 鬼音姫のメンバーは声をあげ麗桜の背中を叩いたり握手したりして騒ぎ始めた。

『そいつになんか飲ませてやれ!あたしはハイボールだ!』

 麗桜はこの光景を見てもまだ信じられずにいた。

『ほ、本当にいいのか?』

 2人に運ばれてきたジョッキを哉原が持ち、麗桜に向かって差し出した。

『おめーの夢、守ってやろうじゃねーか』

 哉原はあごで麗桜にジョッキをうながした。麗桜は熱いものをこらえジョッキを持つと哉原と同じように構えた。

『ありがとう。樹さん』

『バーカ!誰が名前で呼んでいいって言ったよ、ジャングル大帝!』

 2人のジョッキが音を鳴らした。

『土曜日、そうだな。11時に東名横浜町田で降りて保土ヶ谷バイパスに来い。そこで合流だ』
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