第1話 プロローグ  

文字数 10,842文字

プロローグ

『三代続いた商家の後継ぎで、早寝早起きが身に沁み付いてしまっている俺は、日曜は朝八時になると、もうなんにもすることがなくなってしまう。後は完璧に身支度をした手持ち無沙汰の体を隣村のたあちゃんの家へ運ぶだけだ。
 たあちゃんの家は細いどぶ川沿いの竹田さんの家の裏にある。三軒向こうの路地までぐるっと回っても、入り口にたどり着けるのだが、面倒なので、いつも竹田さんの家の中を通って行くことにしている。都合のいいことに、玄関から裏口までずっと土間なので靴を脱がずに行けるのだ。
 竹田さんはたあちゃんとこと親類らしいが、これは親類だから許されているというわけではない。例えば、たあちゃんの家のもう一つ奥の家を越えて広い原っぱに出ることができるのだけど、その時は靴を持って座敷を越えて行くことになる。しかし、その家は決して親類なんかではないんだ。
「たあちゃん、いるかー」
と呼ぶと、後ろの小屋――と言っても一メートル四方ほどの広さしかない。そこで、たあちゃんのお父さんが一日中靴の内職をしている――からおっちゃんが、
「寝てるでー」と答えてくれる。
 狭い二間と流しだけのたあちゃんの家の入り口を入ったすぐ左の部屋で、たあちゃんは一人寝ている。もう九時を回っている。俺は九時までなんて寝ていたことがない。「スースー」と気持ちのいい寝息を立てて、団子鼻をふくらませたりすぼめたりしているところをじっと見ていると、俺はいつもなんと言うか「幸せ」という言葉を思い浮かべてしまう。
 たあちゃんの二本の前歯は五ミリほど隙間が空いていて、分厚い唇の間からそれが覗いている。虫歯の多いたあちゃんは、小学生には珍しく金歯にしている。おまけにその二本の歯は中心部だけ白く削られていて、それがアーチ型の出窓に見えなくもない。だからたあちゃんは自分のことを「笑うと窓のある男」と粋がったりする。
 ぷくっとふくれる小鼻の動きを見ていたら、やっとたあちゃんは薄目を開けてくれた。まだ声をかけてはいけない。・・・たあちゃんはまた目を閉じる。そして、「スースー」と気持ちのいい音を立て始めた。
 俺はそおっと部屋に上がり、隅にある机の前に座った。たくさん目の前に積んである漫画を見ながら起きるのを待つのだ。たあちゃんのように小遣いをもらえない俺は、ここで漫画を読むことにしていた。漫画だけではない、たあちゃんと一緒にいると他にもいろいろいい目に会えるのだ。
 俺がたあちゃんの家に来るようになってもう二年になる。気が小さいくせに手が早くて、低学年の頃から学級のボスの子分たちと血を見るような喧嘩ばかりしてきた一人ぽっちの俺が、どうしてこんなふうになったのか。全く不思議だ。 
 俺は完全に孤立していたし、たあちゃんもボスと仲が悪かったわけではない。それに俺は一人が嫌いではなかった。部屋でそして青空の下で、ぽつねんときままな空想に耽ることは無上の喜びであった。頭の中では全ては美しく、俺は最強だった。
 とにかく小学四年のある日、俺とたあちゃんは激しい喧嘩をし、そしてその次の日から、俺は友達という奴を初めて一人持ったというわけなのだ。
「おっ、来てたんか」
やっとたあちゃんが目を覚ました。もっそりと起きたたあちゃんは、ゆっくりと動きだす。身支度するのにもたっぷりと時間をかける。何事もてきぱきと片付けるようにしつけられている俺はいらいらするのだが、じっと我慢をする。
 ついに歯磨きが始まった。歯ブラシにたっぷりと練り歯磨きを付けて、口の中を泡だらけにして磨く。生クリームみたいでおいしそうだ。俺の家のは本物の粉で、ざらざらしていて泡も立たない。おまけに味もつまらないんだ。たあちゃんとこのはペパーミントが入っているから、そばにいる俺にもいい香りが届いてくる。
 口の中の泡が落ちそうになると、おもむろにたあちゃんは歩きだす。竹田さんの家を通って表に出るのだ。
 前のどぶ川で泡を吐く。川は水量が少なく、濃い緑色の苔がたっぷりと生えている。ぼとりと落ちた泡の塊が苔の中にとぼりと潜り込んで姿を消す。しかし、しばらくするとぼわーっと浮き上がってくるんだ。そして、薄い虹色をした膜が静かな水面を波紋のように広がっていく。たあちゃんはそれを二回やるんだ。
 爽やかな光が射し込んできて、苔の色が鮮やかな薄緑色に変わる。人生がこんなにも豊かだと知ったのは、たあちゃんのおかげである。
「腹減ったな、お好みでも食べに行こか」 ゆっくりと口を漱いだたあちゃんが言った。
「うん」
「金、もらってくるわ」
たっぷりソースをかけたお好みを二枚食べたので、腹がくちくなっている。とても満ち足りたいい気分で村の路地を歩く。路地はとても入り組んでいて、所々子供二人でも肩を擦りそうになる狭い所がある。でも俺はこの路地を歩くのが好きなんだ。
 秋になったとはいえ昼間のこの時刻になるといつも結構暑いのだが、今日はソ連の方から寒気団が南下しているとかで珍しく涼しい。おまけにさっきから雲が出てきて少しうっとうしい。お日様も高い所にいるのだが、少ししょぼくれてしまったようだ。
 しばらく歩くと、村外れに小屋があった。四畳半の部屋が一つきりしか取れないような広さである。小さな窓があるが板戸で閉めてあるので、中の様子がわからない。不気味な感じがする。たあちゃんは立ち止まってじっと見ている。俺もじっとしていた。
 突然一つしかない戸が開いて男が出てきた。うつむいて何やらごそごそしていると思ったら、おもむろに立ち小便を始めた。しょぼくれた光の中で、その男の小便は少しくすんだオレンジ色に光った。それは普通のよりも粘っこいように思えた。
 男の皮膚は黒ずんでいて、目が黄色く濁っている。髪の毛は油気がなくぼさぼさで、ごみかふけか分からない白いものが一面にくっ付いていた。ズボンの裾が無造作に膝までたくし上げられ、黒い剛毛が熊のようにびっしりと生えているのが見える。そう言えば体つきもぼってりとしていて熊に似ている。
 白い大きな犬がやって来て男に吠える。犬の癇を立てる臭いでもするのか、吠え方が激しい。しかし男は少しも動じる様子がなく、長い小便を続ける。本当に長い。
 やっと済ました男は、まだ吠えている犬に向かってこう怒鳴った。
「いっぺん鳴いたら分かったるわい」
そして、たあちゃんの方を見てにやっと笑った。
俺はたあちゃんの表情はと見てみたが、変化はなかった。
 男は小屋に戻った。戸を開けた時、福引きを回すような音がした。
「マージャン?」
そう思った俺は、ある噂話を思いだした。たあちゃんのお父さんは若い時は名の通った博奕打ちで、天才的な記憶力で、特にマージャンでは右にでる者がなかったらしい。でもある時、いかさまのトラブルに巻き込まれ大きな負けを背負い込んだ。だから今でもたあちゃんのお母さんは、たあちゃんがトランプをするのでさえとても嫌がっているという話である。
「賭けマージャンしてんのかな?」
「さあ、知らん」
たあちゃんは、どうでもいいという感じで答える。そして歩き始めた。
 ここで俺は話をやめるべきだったのだ。たあちゃんのどうでもいい感じというのはもう喋るなということだったのだ。
 でも俺はいつものいちびりの虫を起こしてしまった。思っていることをみんな喋らないと気が済まなくなるのだ。まるでそうすることが正しいことでもあるかのように。
「さっきの知ってる人か?」
「・・・」
「たあちゃんの方向いて笑ってたでー」
余計なことを言ってしまった。
 たあちゃんは返事をしない。離れていくたあちゃんの背中が「来るな」と言っているようだった。またやってしまった。いつもの後悔がやって来る。
 たあちゃんは突然消えてしまうことがある。確かに俺の前にいるのだけれど、それはいつもの「たあちゃん」ではない。別の人かと思うことだってある。人が変わるというのは、こんなことを言うのかと思う。たあちゃんは深い深い井戸の底に降りてしまうのだ。そんな時俺は本当に寂しくなる。でも、悪いのは俺なんだ、いつも。そして今日も突然、素晴らしい秋の半日が終わってしまった。
 バス通りの道を一人帰った。塀を巡らせた大きな農家のお屋敷がそこいらに見える。後は見渡す限り、たわわに実った稲穂だけである。その黄金色の上を風が渡っていく様子がはっきりとわかった。もう祭りが近い。
 小さな犬が寄って来た。首輪がしてある。俺が座ると、頭を下げる。人なつっこい犬だ。俺は首輪の辺りをさすってやりながら、
「いっぺん鳴いたらわかったるわ」
と小さな声でつぶやいた』

 これはNが見せてくれた『たあちゃん』と題された彼の小説の冒頭の部分である。読んだのは今から40年程前のことだ。ところで、僕がNと初めて会ったのは50年以上前である。
 今や、僕もNも還暦を過ぎてしまった。ここ十数年は、顔を合わせることもなく、年賀状さえやり取りしていない。ところが先日久しぶりに再会した。いや再会などとは言えない。僕にとっては、そんなふうに穏やかで尋常なものではなかったのである。

 僕がNと初めて会ったのは小学校五年の時のような気がする。これは実におかしな言い方で、僕とNは田舎の小学校――各学年は単学級、だがクラスには子供が50人もいた――の一年生以来の同級生だったのだ。つまり僕が言いたいのは、初めて僕がNを身近に意識したのが小五だったということなのだ。Nは意外にもその前からだったらしい。それが判明したのは共に中年のおじさんになってからのことである。
 ある日気づくとNが隣に座っていた。席替えで同じ席になってしまったのだ。僕らの学校の机は二人用だった。うちのクラスは今から思うととても変なクラスで、唯一絶対のボスが君臨していて、席替えもボスの意見で「好きな者同士」となっていた。担任の先生も異存はないようで、女の子たちもそのように座っていた。Nはいつもは席に一人だったような気がするのだが、その時は僕がボスの機嫌を損ね、いわば罰としてNと同じ席に並んで座る破目になったのである。
 Nはとても怖い子だった。いつも一人でいて、薮にらみのように、冷たく鋭い視線を左右に飛ばしていた。「そばへ来るな!」そんな声がどこからともなく聞こえてくるような気がしていた。ところが、時にボスの子分はその禁を破る命を受けることになる。当然激しい喧嘩が起こる。そして子分はいつも怪我をする破目に陥ったのである。幸いなことに、臆病な僕はそのような命は受けずに済んでいた。僕はできるだけNと目を合わさないように、知らんぷりするようにしていた。
 そんなNと同じ席になる。これは極めて有効な罰だった。ボスのこのような思いつきは全く天才的なものだ。僕は参ってしまった。今でいう登校拒否になりかけた。しかし当時そんなことはありえないこと。家の仕事の手伝いで欠席したりすることはあっても、友人との関係で学校を休むことなど、てんから皆の頭の中には思い浮かばなかったのだ。それにおっかない僕の父親がそんなことを許すはずもない。僕は、家では眼光炯々たる父親に、そして学校ではNにびくびくしながら暮らすことになったのである。
 そんな僕が、Nの隣にいてちょっと面白いなと思ったのは、席替えから一週間程過ぎたころだったろうか。確か音楽の時間だったような気がする。音楽担当の優しい女の先生がオルガンを弾いて、僕らが大きな声で唄を歌っていた時だった。楽しい外国の唄だったようで、歌うのが大好きな僕は、父もNもボスも忘れて、声を張り上げていた。
 席に着いてふと隣を見ると、Nが自分の太ももに手刀を振り当てている。真剣な表情を浮かべ、先生の話は全く聞いていないようだ。そして次に太ももに何かを突き立てた。・・・といってもNは何も手に持ってはいない。持っているようなふりをしていたまでのこと。僕はNのようすを盗み見しつつ、「どうもこれはパントマイムのようだぞ」と思い始めた。
やはりそうだった。Nはむしゃむしゃと「フォーク」に突き刺した自分の太ももを食べ出したのである。肉汁らしいのが口の横について、それを手で拭うところまでちゃんとやりきっている。本当に美味しそうで、僕は思わず唾を飲み込んだ。
 先生の話は終わり、皆は再び立ち上がる。しかし、Nは相変わらず一人の世界にいる。先生もクラスメイトもいないかのように。顔には微笑みが浮かんでいる。おいしい「肉」を食べて幸せそのものだというふうに。
 僕は異星人に出会った気がした。そして、少し前に父親から聞いた「超然」という難しい言葉を思い出した。Nは一人ぽっちだったが、自由そのものだった。逆に僕はと言えば、いつも周りを見、誰かに気を使ってばかりいる。そのくせいざとなれば、ペラペラの濡れた紙のようにすぐ皆に破り捨てられるのだ。苦い思いがこみ上げてくる。
 だんだんと、僕はNと同じ席にいることが楽しくなってきた。Nは「パントマイム」以外にもいろいろ「面白いもの」を見せてくれるのである。勿論Nはそんな僕の思いなど夢にも知らないだろう。ただしたいことをしたいようにやっているだけである。例を挙げると、Nはしょっちゅうメモを取っている。小さな手帳に細かな字をたくさん並べている。僕は初め連絡帳か?と思っていたのだが、どうもそうではない。とんでもない時に一生懸命、一心不乱に何かを書き綴っているのである。気になった僕は、時々顔は前を向きつつ、斜め下のメモ帳を覗こうとしたのだが、さすがのNもこの時はすぐメモ帳を隠した。全く変な子だ。それに考えてみると、この当時連絡帳などという粋なものを持っている者なんぞどこにもいなかった。そもそも教科書さえ持っていないという子もいたくらいなのである。そんな時代に余分なノートまで持っていたNは、本当に変わっていたと言わざるを得ない。
 密かな楽しみを見つけて、学校が少し面白くなっていたのだが、そんな日は突然断ち切られてしまった。席替えが行われ、Nはまた席に一人になってしまったのである。僕はこれはボスのせいだと確信した。ある日僕とNが互いの太ももを切って「フォーク」を突き刺し、「火」で炙りながら食べっこをしているところを、ボスの冷たい視線が横切ったのを確かに感じたのだ。
 その後僕らの間には、楽しいことも辛いことも起こらなかった。相変わらず、僕は時々ボスの陰険な楽しみの餌食となった。一例を挙げておこう。それは予防注射の時のことである。何の予防注射であったのかは覚えていない。ある日、接種を希望した者が別棟の保健室に集められた。少人数だった。でも僕もボスもその中に入っていた。保健室は一階にあるガラス窓に囲まれた六畳ほどの部屋である。そして頑丈な鉄製の網で覆われていた。窓の外には怖いもの見たさなのか、金網をつかんだ野次馬が鈴なりになっていた。やがて白衣を着たお医者さんがやって来て、部屋に緊張感が走る。その時、突然ボスが僕の袖を取り部屋の隅へと引っ張った。そこで僕は命令を受けたのである。どんな命令であったのかは、結果を見てもらえれば明らかだ。
 予防接種の順番がいよいよ僕のところにきた時、僕は精一杯の大きな声で、
「助けて―助けて―、おかあちゃん――」と叫んだのである。まずお医者さんがびっくりした。少しどもって、「な、なんやこの子は―、もうおっきなってるのに・・・こんな子初めてや!」と言った時の、目を大きく見張った顔は忘れられない。それに、窓の外の思いっきり口を開けてゲラゲラ笑っている多くの顔も。
 片やNは、相変わらず喧嘩に明け暮れていた。ただ全くの孤立ということはなくなったようだ。冒頭のNの小説に出てくるたあちゃんと時々一緒にいる姿が見られるようになっていたのだ。

 さてここまで、Nの作品と、僕とNとの出会いについて書いてきた。で、ここからはなぜ僕がこの『N君のこと』を書くことにしたのかということについて述べていきたい。ただ焦らすようで申しわけないが、その直接の原因ともいえる僕とNとの先日の『再会』――その中身については最後に残しておきたい。

 最初に僕が『N君のこと』を書こうと思ったのは大学四回生の時である。当時僕らは、「ボヘミアンライフ後期」(後で詳しく述べます)で、Nが遠くの大学から帰省した折には、僕はNの実家に入り浸っていた。小学校時代に誰が僕らがこんなに親しくなると予想したろう。僕らの親密さは故郷でかなり目立つレベルに達しており、後年僕が教師になった時、そのことを知っていた教え子が、僕とNとのことをわざわざ職員室まで伝えに来た程であった。僕らは共に実の弟がいたけれども、まさに兄弟以上の関係となっていたのである。
 ところで、Nはそのころいくつかの文集作りに関わっており、僕もそのうちの一つに参加していた。それは、Nが小学校のころから愛用していた家の謄写版を使って出していたもので、同級生などの伝手で結構多くの頒布数になっていた。僕も高校生くらいからは、そこに下手な詩などを載せていた。
 さて、妙に冷え込んだある秋の夜、Nの部屋で僕はかなり分厚い原稿用紙の束を手渡された。その時、たばこの煙に目をひそめたNの顔には自信のようなものが伺われた。僕は「新しい作品!」と、期待で心臓が波打つのを感じた。しかし、その最初のページに書かれていたタイトルを目にした時、僕は全ての血管から血液が消えてしまったような気がした。(そうです。冒頭のあのNの小説です)
『たあちゃん』とある、なぜ、たあちゃんなのだ。――確かに小学校から中学校にかけては、Nはたあちゃんと親しくつき合っていた。僕は羨ましい思いで二人のようすを見ていたこともあった。いやハッキリ言おう。僕はたあちゃんに対する嫉妬心からずっと卒業できずにいる。Nと親しくなって以来、このことではいつも苦しんでいた。本音は、僕はNの随一の友だちでいたかったのである。
 だが・・・それにしても、ここは『たあちゃん』ではないだろう。ここ数年の僕とNとのつき合いの深さは、誰にも凌駕(りょうが)できるものではない。それはNにとっても明白で自明なことのはずだ。僕とNは暇さえあれば共に山野をさまよい、昼夜を分かたずビートルズやボブ・ディランの曲について語り合い、歌い、アンジェイ・ワイダの映画に夢中になり、ダリやビュッフェの絵を批評し合ったものだ。そういった諸々の時間がなければ僕らはお互い空中分解していただろう。まさしく疾風怒濤の中にいた僕らは、特にNは、アイデンティティーの根拠をそこに求めていたのだ。そのことははっきり言える。悪く言うのではないが、たあちゃんはそういったものへの関心は薄く、また当時女のことで忙しくしていた。「ボヘミアンライフ後期」の実質は僕とNのものだったのだ。
 その晩から僕は眠れなくなってしまった。もともと僕は胃炎持ちで、痛みのせいで熟睡できることは少なかったのだが、父に説教された日の夜の如く、爾来(じらい)呻吟しつつ朝を迎えるという最悪の状態になってしまったのである。何よりも辛かったのは原稿を手渡した時のNのあっけらかんとした邪気のない顔つきで、「いったいNは僕のことをどう思っているのだろう?」と結論の出ない堂々巡りの煩悶(はんもん)に身を焼き続けた。
 思い当たることがないわけではない。Nは大学に入って苦しみ悩むことが多くなった。中学高校では自信たっぷりで、一人スイスイと世を渡っているような印象があり、周りの者は羨ましく思ったり、中には、「もっと慎ましくしろ」と忠告する者さえあったのである。しかし、特に大学の三回生のころには、失恋や友人の事故死などNにとって辛いことが重なり、その顔色は昼夜逆転の生活故か青白く、かつての飄々とした面影は全く消えてしまっていた。闊達(かったつ)
だった口も重く、ぶつぶつと喋るときも、視線を外しがちだった。
 片や、僕の大学生活は概ね順調に過ぎ、最近では人に「順風満帆ではないか」と思われていたとしても、自分としてはそれほど不思議ではなかったのである。教員採用試験に合格し、大阪の著名な英語科の教授から「うちに来ないか」と誘いを受け、彼女との関係も良好だった僕を友人たちはそんな風に見ていたと思う。
 そんな時、「ひょっとしてNは僕のことをけなるく(羨ましく)思っているのでは・・・」という気持ちが僕の心を掠めたことがあった。それにいつのころからか、Nが帰省後、僕より先にたあちゃんに会うようになっていた。それまでは帰省するやいなや僕に連絡をくれていたのにである。僕は、初めてこのことに気づいた時大いに取り乱した。それは僕にとってはまごうことなき「事件」であったのである。
 しかしそれでも、僕は内心の動揺を隠し、そのことでNを責めることはなかった。こんなに弱々しいNは僕にとってあり得ない存在で、本当のところどう対応していいのか分からなかったのである。それに、たあちゃんには遅れるものの、Nはすぐ僕にも連絡を取ってくれたし、二人はいつものように散歩もし、よく話もしたのである。僕は何より好調で、そして十分に強かったのだ。
 Nがやっと暗いトンネルを抜け、構想していた卒業論文を一歩ずつ具体化させ始めたと言ってきたのは四回生の初夏のことだった。そのNからの手紙には、そのため留年せざるを得なくなり、そのことによる家族との軋轢(あつれき)は必然とも書いてあった。しっかりとした字であった。僕はNの回復を喜んだ。しかし一方少し呆れる思いもあった。Nはその時期、僕の周りでよく見聞きした友人たちの進路についてのあれこれと全く乖離(かいり)していたからである。しかしともかくも良かった。あのまま、三回生のあの時期のままNがおれば、早晩最悪の事態が起こったこともあり得たのである。Nについて、僕とて思うことはいろいろあったが、何より暗く沈んだNを見ることが辛かったのである。そしてこれで、とにかくまだまだいろいろあるだろうが、僕らの「ボヘミアンライフ後期」はなんとか今後も前を向いてゆけるという僕なりの期待も持つことができたのだ。だのに・・・だのにである。
 僕はベッドでのた打ち回った。Nに対する怒りが湧いてきた。これは裏切りだ。僕の脳裏にNの姿が、卒論に向き合いつつ、この『たあちゃん』にも取り組む姿が鮮明に映る。鬼気迫る顔がある。かつての逞しいNがいる。悔しい。
 なぜ『たあちゃん』なのだ。かつて「たあちゃんは重い」とNは言った。僕は軽いのだろうか?大学で実学に生真面目に取り組んでいる匂いが、Nにはそぐわないのか?・・・どうしてたあちゃんであって、僕ではないのだ!
「くそっ!」大きな声が出てしまった。思わずドアの方を見る。父に聞こえなかったろうか、例によって、くよくよと父のことを案じる。おまけに辛かった小学校時代のことまで思い出されてきた。嫌なことの何もかもが一緒になって僕に襲いかかってくる。「悔しい。どうして僕ではないんだ!」何度も何度もそのフレーズが押し寄せてくる。

 やっと気持ちに一区切りがついて、多少とも眠れるようになったのは、それから半月ほども経ってからのことだった。その日の夜、僕はNに「僕の嫉妬はトニオ・クレーガー的なんだ!」と告白したのである。そして同時に、「僕は『N君のこと』を書く」と宣言した。
 その思い切った告白や宣言が僕の眠りをかもしたのかどうか、今では定かではない。激しい葛藤の記憶は薄れてしまった。誰かに、「トーマス・マンの名前を借りて、自分は傷ついた芸術家だと気取り、『たあちゃん』の向こうを張って『N君のこと』を書こうとしたのだ」と知ったかぶりされても、あるいは、「Nを何とか自分に振り向かそうと媚を売ったのだ」と穿(うが)ったことを言われても、僕には強く否定することはできない。ただその当時僕がコンプレックス――この言葉のもともとの意味においての錯綜した感情に陥っていたことは間違いない。・・・とにかく僕は、『N君のこと』を書くとアナウンスし、そのことでやっと落ち着くことができたのである。 
 ・・・でも、ところがである。この大学時代の僕の決意表明は、随分無残な結末を迎えてしまった。まずそれは、僕の気持ちを込めた告白に、必死な表明に、Nは鼻白んだようすで口を半分開けたまま僕の顔を見つめ、「ふーん」と言うのみだったことである。Nは僕の言ったことが理解できなかったのだろうか?・・・そして、僕も偉そうなことは言えない。つまり結論として、僕の執筆宣言は早々に淡雪のごとく溶け、一行の成果も上げることはできなかったのである。僕は一ヶ月後、地獄の季節に突入した。

 今、『再会』の時を迎えて、僕はやっと約束のこの『N君のこと』を書き始める。Nの『たあちゃん』に遅れること42年である。長い長い時間が過ぎてしまった。夢のように青春世界を生きていた僕たち。今やっとそういったことの意味が掴めてきた気もするこの時期に、老年のこの時期に、触れればすぐに変色する生き物のようなかつての時のことをどう綴ればいいのか?正直僕には分からない。おまけに身体にも問題を抱えている。それに、42年間の互いの生活の乖離はあまりに深くあまりに大きく、それ故知らないことが多く、まず初めの爪を立てることさえ難しい。そして、42年前に書こうとした時の、何がしかの僕の気負いはいくら探してみても、もう捕まらないだろうし、もし書き上げたとしても、Nに見せる気はない。つまり、あの時書けなかったという負い目は残るというわけだ。
 いったいなぜ書くのか――不明である。「いったい僕は何をしようとしているのか?」――表現者としての熱情も技量ももはや枯渇(こかつ)していると言っていい今の僕、一応定年を過ぎ、ある程度の余裕が生まれたとはいえ、相変わらず大学の英語科の教授として、多くの機関、人々からの要請に応え、アルファベットの世界で身を擦り減らせているこの身にとって、このような文を書くことは正直狂気の沙汰でさえある。人に見せることなど考えられぬ。僕は42年前と同じコンプレックスの中にいる。
 しかし、僕は書くことに決めた。どこからか「書け!」という地響きのような声が突き上げてくる。Nに『再会』したあの日から、僕のよって立つ地面は揺れ動いている。下では熱いドロドロとしたマグマが沸騰しているのだ。
 ふらふらと書き始めた文の青臭さは、約束を反故にしてきた罰だと諦め、その匂いに耐え、行先も分からぬままに綴っていくことにした。幸い資料は山程ある。二人の間の手紙・葉書・書きなぐりの類である。だが、資料に目を通すことも苦痛となるであろう。しかし、僕は書くことに決めたのだ。そしてそれは僕のいつもの「義務感」によるものでは決してない。 













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