第6話 第5章

文字数 6,806文字

第五章

 いよいよ僕の話も最終章である。つまり、Nとの『再会』の日に至るのである。それは突然のことであった、あまりにも。そして意外にも、その場所は市役所の広い会議室であったのである。
 その日そこでは、僕の職場の労働組合もその一員となっている市の合同協議会の対市長交渉が、まさに始まろうとしていた。会議室の前面には、長机が四つ横に一列に並べられ、そこに市長を中心に左右に公室長や各部長が居並び、そこから少し間を空け、驚く程多くの長机が対面する形に並べられていた。そしてなんとその最前列中央には、僕がいたのである。つまり、市長の真ん前である。僕は本協議会の会長であったのだ。
 ところで、僕が会長になってから今日は二度目の交渉なのであるが、一度目は結構前のことになる。現市長が初めての当選を果たし、その圧倒的な支持を背景にか、交渉の場がなかなか設定されない状況が続いていたのだが、何度かの折衝を経て、やっと初めての交渉を持つことができたのである。それにここ20年ばかりは、かつて盛んだった様々な団体による対市長交渉はもはや影もない状態で、我らが協議会も厳しい状況は変わらず、前回の交渉も当方の一般参加者が十名にも満たず、場所も狭い応接室で行われたのである。
 もともとNに比べても余程ノンポリティカルな僕が、労働組合の会長職を務めているというのも、甚だ合点のいかない話であると思われるであろう故、そのことについて少し話をさせて頂く。
 まず第一に、僕自身が多少ともポリティカルになったということがある。仕事に就くまで、全くそのようなことに関わることがなかった僕も、職場での組合活動や次々生起してくる政治的な問題に「関知しません」と納まってはいられなかったのである。
 そして、直接的には、誰も会長を引き受けない中、現書記長(別の勤務先)に「実務は全て自分が引き受ける。名前だけ貸してほしい」と泣きつかれ、そんなに甘くはないと思いつつも、僕にしては珍しく男気のようなものを出して、「では、一年だけ引き受ける」と言って承諾したというのがことの顛末である。しかし打ち明け話をすると、実は僕にとって、いずれにしてもあと一年で職を辞するというのが既定路線であって、来年にはいよいよ僕もあの素晴らしい第二の人生というものを手に入れるということになっていたのである。それにしても、僕のような年の者、立場の者がこのような仕事を引き受けるというのは極めて稀なことであって、そこのところは「僕の男気云々」も少しは認めて頂きたいものである。実際僕のこの行為は、年長者の中の一部に眉をひそめる者がいたものの、若い助教授連からは結構称賛も浴びたのである。
 さて、そんなわけで一回目の交渉に臨んだのであるが、書記長は約束を守り、挨拶の文面まで作ってくれ、僕は本当に名前だけの会長として、無事最初のそして最後にもなるはずの「大仕事」を終えたのである。僕は正直なところ、ほっと安心した。
 だのになぜ、再び交渉が行われるのか、なぜ今回の交渉は大会議室で行われるのか、そして、参加者も既に百名を超え、かつまだ増えているのか――その理由はひとえに市長のスキャンダルにある。
 スキャンダルが明らかになった時期は、今回の市長選挙の四ヶ月程前であった。このスキャンダルを巡っては、様々な噂が飛び交ったものだが、とりわけその時期故に、反市長グループが意図的に流したなどとか、逆に市長派の中の不満分子がそうしたのなどとかの政治的なものが猛威を振るった。
 いずれにしても市長にとって、身から出た錆であり、次期市長選は無投票当選となるという大方の見通しは崩れ、大いなる痛手となったことは歴然としていた。事実、半年程前に行われた市長による市政報告会は市民会館に数百名もの参加者を集め、中央からのゲストも訪れたというのに、スキャンダル発覚後、最近行われた励ます会の参加者はわずか数十名であったと聞く。ここだけの話であるが、我が書記長も対抗馬として参戦するという目論見をいよいよ確固たるものにしつつあるようだ。
 さて市長にとって針のむしろとなる交渉がいよいよ始まった。僕は書記長に促され、今回は自分で用意した挨拶文を静かに読み始めた。僕としては、市長に対していわば武士の情け的な気持ちもあり、その内容もスキャンダルとは一線を画するように随分控えたつもりであった。しかし心中はこの後修羅場になるに違いない交渉のことで一杯で、心臓も激しく脈打っていたのである。正直僕は会長になったことを後悔していた。こんなスポットライトの当たる政治的な舞台は僕には刺激が強すぎるのである。後ろからの視線が首に痛い。
 展開は予想通りであった。先陣を切って書記長が、もともとのテーマを外し、市長のスキャンダルにピントを合わせた口撃を敢行したのである。我が方は実に血気盛ん、立ち見が出る程の人がつめかけ、次から次へと弁士になり、厳しいヤジも切れ目なく、交渉はそれこそ往年の団交を彷彿とさせるものとなったのである。僕はさすがの政治的巧者の、そして極めて弁の立つ市長も早々に匙を投げてしまうのではないかと思った。
「これは、おかしい」僕の予想がずれ始めていると感じたのは、交渉が始まって一時間になろうかというころであった。市長が思いの外強気なのである。というより、前回には感じなかった粘りのようなものが出ているのだ。初対面の者にも分かるカミソリのような鋭い印象は影を潜め、下を見ながら答弁を繰り返しつつ、時にこちらを観察するような視線を送る姿に、大きな牛のようなイメージを初めて持ったのである。書記長などの厳しい質問を掻い潜りながら、もともとのテーマに話を戻し、的確な答えを出す。「なかなかしぶとい。皆苦戦している」というムードが我が方に漂い始めた。こんなはずではなかった。聞くところによると、最近の市長はかなり落ち込んでいて、顔つきにも精彩がなくなってきたということであったのだが・・・
「どこを見ている?」先程から、市長が時々視線をずらすのである。一瞬のことではあるのだが、いったい何を見ているのだろう?誰も気づかないのか?ほんのちょっとした首と目の動きなのだが・・・いつも同じ動きだ。
 いや間違いない。市長は明らかに何かを見ている、それも同じものを。僕はタイミングを見計らかって、注意深く左後方を振り向いた。それが市長の視線の先だったのである。そして、その時僕は見たのだ。そして背中がゾクッとした。素早く、何も見なかったように首を戻す。Nだ。Nが会場の左隅で、腕組みをしつつ、まるで会場全体を睥睨(へいげい)するかのように立っていた。そしてその目は、あの小学校時代と同じ、薮にらみのような鋭い目だ。僕をまっすぐに見ていた。
 それからの僕は全くの上の空であった。いったいなぜここにNがいる?・・・どう考えても、ここにNがいる理由が思いつかない。つららのような鋭い視線に曝されながら、僕の頭はそのことばかりをへめぐり続けた。「なぜ?」「なぜ?」・・・そしてやっときた中休みの時間に、書記長に聞いてみた。勿論それとなくである。書記長は、そんなことは全く気にもしていない風で、
「彼ですか?彼は時々見ますなあ。多分、最初の市長選の時にスタッフとして、市長を支えたグループの中にいたんとちゃいますか。ようは知りませんけど、そんなに・・・何か?」
 僕は、最初の市長選と聞いて、四年前のことを振り返った。確か新しい保守系のグループが手持ち弁当で現市長を支え、旧保守と革新の厚い岩盤に挑んでいたように思う。結果は大差で新しいグループが勝利した。
「Nはあの時、市長を応援していたのか・・・」
それにしてもNはどうしたというのだ?Nはもともと直接政治にコミットするタイプではなかった。大学の初めのころの厳しい政治状況の中でも、セクトに入ったり、直接行動に打って出ることはなく、己の関心や思いをじっと、そう倫理的に突き詰めようとしていた。それなのになぜ?「どうしてこんなところにいるのだ?」
 
 家の書斎にいる。夕食も食べず、帰ってからずっと今日の出来事について考えている。それに、Nのこと、そして自分自身のことも考えている。どういう経緯かは知らぬが、Nは現実の政治に関わっていた。それも泥水のような・・・離れていった市長の多くの取り巻きとは異なり、今も市長を支え続けている。肩書があるわけではなく、表舞台に立つわけでもない。だが、気弱になった市長を裏から、いわば精神的に支えていることは間違いがない。それは僕にはよく分かる。そういったNの力強さは、僕が一番よく知っているのだ。それが証拠に、今日は市長が「勝った」。激しい我らが攻撃を耐え忍び、これからの市政に堅実に取り組んでいくとアピールすることができた。僕らの目論見は完全に外れ、次回の交渉の日時も確定できなかった。書記長の落胆ぶりは深刻で、二人だけになった時、市長選に出ることは厳しくなったと、告白した。
 それにしても、僕に刺さったNの視線はとても痛いものだった。あの広い会議室にいた多くの者の中で、Nの最大の敵はまごうことなく僕だった。Nの攻撃のシビアであることは僕の子供時代のトラウマである。Nは今でも、もうこんな年になっても、昔のように敵(僕)に対するのだろうか?これからのことを考えると、胃がキリキリと痛む。できることならもう会いたくない――これが本音だ。しかし会わないわけにはいかないだろう。その時僕はどうすればいい?どんな顔をしたらいいのだろう?僕はNの顔を見なくなったここ十数年の年月がやたらと長いものだったんだなとつくづく思った。そんな今さらどうしようもない僕らの空白が、これからの僕に祟ってくるのだろうか。
 僕は、自分自身のことを考える。今日のNの姿は、僕にとって衝撃であった。今日Nに会うまでは、あのNの目を見るまでは、僕はいわば第二の羊水の中で漂っているようなものであった。家庭的にもようやく落ち着き、仕事(協議会も含め)もあと僅かで終わり、待っているのは、あの聞かされていた悠々自適の余生だと期待していたのである。そして、この人生の晩年にあって、もうバタバタすることなく、それなりの成果を上げた我が人生に静謐(せいひつ)で満ち足りた時間をと思っていたのである。しかし今、僕はそのことが足もとで揺れだしたことを認めないわけにはいかない。手強い敵としてのNの突然の出現と僕自身のうちの誤魔化しきれない思いによって・・・「僕はこのまま死んでいっていいのだろうか?」
 僕は、思い出していた、思い出したくないことを。蓋をし続けたかったことを、思い出してしまった。・・・あれは、いつだったろう?本当に久しぶりにNと飲み屋で顔を合わしたのである。会おうと約束したわけではない、全くの偶然であった。本当は会いたくなかった。僕は新たな職場で嫌なことがあってヤケ酒を飲みに・・・片やNは散歩の途中とかで、短パンをはいて、「ビールを飲みに」とさっぱりとした顔で言った。酔う程に、僕は自分に勇気がないことをこぼした。愚痴った。Nに対していろいろの思いはあったが、やはりこんなことを言えるのは、僕にはNだけであった。僕はこれまで幾度Nに自分の不甲斐なさをこぼしてきたことだろう。
「僕には反抗期がなかった。なんでも父の言う通りとなってきた。父を愛するが故に、父の思いに沿うこと、それが僕の『義務感』だ。正月には必ず父の前に顔を出す。家族揃ってお節を囲む。仲間と信州にスキーに行っていた時も、大みそかには一旦家へと戻った。とんでもない時間のロスだったけれど・・・無断外泊もしたことがない。お前やたあちゃんが好きなようにほっつき歩いていたのに・・・」
 その時Nは、僕に何かがあったことを察したのであろう。僕の言ったことには直接答えず、昔話を始めた。そしてそれは、激しく僕を揺さ振ったのである。
「お前が、小学校の低学年やった時、あの小学校の古い講堂の舞台で、みんなを集め、漫談みたいなことをやっていたことを覚えてる。お前は古ぼけたピアノカバーを引き剥がして、身体に巻きつけ、口にはなにか知らんが、真っ赤な塗料を塗りたくってた。講堂の入口にいた俺にはよう聞こえんかったけど、お前の言うことに、車座に座っていた連中はいちいち大喝采やった。お前はカバーの裏地の赤いネルを(ひるがえ)し、また、ボロボロになった表地の黒サテンを振り回し、えらい埃の中にいた。でも、あの時、お前は生きていた。生き生きしていた。あれが、俺が初めてお前という人間を意識した時やった・・・きっと、ドラキュラの話やったんやろ?みんなほんまに喜んでいた。お前は得意げに次から次へ話を繰り出してたけど、俺は仲間外れやったから、よう聞こえへんかった。ほんまに残念やった」
 もう一つNは話した。それは高校に就職して一年近くの時が経っていたころのことで、僕もNもよく知っている中学校時代の知人がヨシモトに入ったというニュースを聞いた日のことであった。僕もNも23になっていた。二人は例の如く夜の散歩をしながら、互いの近況について話していた。Nはいつものように、そのころ読んでいた本の話をしていたが、それに対して僕は突然声を荒げ、「お前も勇気がない。何をうじうじ言うてる。あいつが勇気を振り絞って、新しいところに飛び込んでいったのに、なんやお前は・・・ほんまにやりたいことがあるんやったら、飛び込んでいかんかい!」と叫んだのである。Nはなんのことか全くわけが分からず、ポケーっとしていた。
 Nは、僕に酒を注ぎながら、「あの時はわけが分からんで・・・呆然としてしもて、お前になんも言えんとそのままになってしもうたけど、あれは、ほんまは自分に言うてたんやなあ。あいつがヨシモトへ行ったんがショックやったんやろ」と言った。
 図星だった。僕はあの時、自分がやりたかったことをやる友人に嫉妬して、思わずNに、本当は自分に言うべきことを叫んだのだ。
 僕は心の動揺を隠すかのように酒を胃に流し込んだ。Nの昔話は隠していた僕の苦悩のど真ん中を打っていたのである。激しい後悔の念が津波のように押し寄せてくる。「僕は、本当は芸人になりたかった」と大声で叫びたかった。僕は幼い時から、人を笑わせることが心底好きで、そんな道へ勇気を出して飛び込んでいった知人が羨ましくて羨ましくて仕方がなかったのだ。
 そして今日にいたっても、その後悔の念が消え去ってしまうことはない。マグマが突然噴き出すように、時にふつふつと湧き出し僕を焼く。いくら隠そうとしても・・・しかし、お見通しであろう⁈――僕は幾度も押し寄せたそんな激しい後悔ののちに、また再び「義務感」を身に纏い生きてきたのだ。誤魔化してきたのだ。その上密かにちゃっかりと、それによって己が得たものを自負してもいたのだ。
 立派な書斎だ。ボヘミアンライフのあのころに、僕がこんな書斎に座っていることを誰が予想しただろう。亡くなった父が目にしたら、「よくやった」と褒めてくれるだろうか。僕は幼いころ、あの苦手だった父の跡を立派に引き継いだのだろうか。マホガニーの本棚にしっかりした装丁の洋書が並び、僕を取り巻いている。椅子は快適なヴィンテージレザー、ソファーセットの向こうの壁にはイギリスで求めたジョンの特大のポスターが貼ってある。ビートルズが解散してからのものだ。卓上のフォトフレームを覗く。大学より表彰を受けた時にプレゼントされたものだ。誤魔化しようのない六十の爺さんの顔が写っている。でも、カメラマンはそれなりの威厳を出してくれたようだ。しかし、その中身を人が知れば・・・
 ふと、ちょっとした思いが湧いた。それは初め冗談のように、かくれんぼをする子供のように、捉えどころのない、霞じみたものだった。だが、だんだんと固まり始め、ついには捨てたくても捨てられないものとなり、固定観念の如く頑固に僕の心に定着した。
『N君のこと』を書く――そう思ったのである。
借りは返しておかなくては・・・という僕の意地なのか、あるいはそれをしないとNに対峙できないという恐れなのか、もしくは、それこそ括弧の取れた義務感なのか・・・
 そもそも22の時、初めて、『N君のこと』を書こうとした原因もわけの分からないものだった。この度も、64の今も、同じように自分ながら不可解である。だがそれ以外に今の僕を、とにかく前へと進めさせるものはなさそうであった。そして、少なくともそれを書いている間は、ラグビーのアドバンテージのように僕は生きていけるという打算じみた思いもあった。
 外が白々としてきた。僕はやっと書斎を出て寝室に向かうことができた。腹も空いているが、とにかく横になりたい。




























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