第2話 第1章

文字数 15,010文字

第一章

――書き始めるに当たって、一言二言お断りいたしておきます。まず、文中の僕らとか皆(みな)、みんなの中身についてであります。最大で六人がそれに当たります。勿論、場面によりそれより少ない場合もあります。次に、書き綴っている時点での僕(ら)の年齢についてですが、その都度明確にするということに(こだわ)りませんでした。以上斟酌(しんしゃく)の程よろしくお願い申し上げます――

 僕がNと再び交渉を持ったのは中三の時だ。つまり、あの小五の席替えから丸三年以上没交渉だったわけである。それに中三の初めのころも、話さえしなかった。実を言うと僕はそれどころではなかったのである。隆二という奴がいた。とんでもないワルで、ついには県下の番長連のトップに納まった男だ。そいつが中二から僕と同じクラスとなった。そしてどういうわけか僕から離れないのである。脅されたり殴られたりする散々な日々が続いた。そして、中三も同じクラスになると分かった時、僕は本当に目の前が暗くなった。中一のたった一年間だけが、僕のこれまでの学校生活における唯一安穏な日々だった。
 ところが不思議なことに、中三も夏休みを過ぎるとクラスの雰囲気が変わってきた。何より隆二がおとなしくなってきた。今思うと、同じクラスにいた生徒会長の満君と隆二といとこになる正巳の存在が大きかった気がする。それにやはり僕を含めて高校受験の重圧は無視できない。個人的な暴力は、その重圧の前では漂白されたような感じだった。そして僕がNとくっついたのも、原因はそれである。
 隆二から離れ、自由になった僕に受験勉強が迫ってきていた。いや、やっとそれに気づく余裕ができたと言うべきだろう。今まではあまり深刻に考えていなかった学力テストの結果が気になりだした。僕の父親は一流の外国語大学を出て、戦後すぐGHQに勤め、その後政府機関で英語の教授を務めた自他ともに認める英語のエキスパートだったのだが、僕の進学については不思議に淡白で、僕は受験勉強を強要されることがなかった。それでも学力テストの結果は上から二割くらいのところにいた。
 当時の高校受験のシステムは一回限りの筆記試験だけで、15歳の少年少女にとってはかなりのプレッシャーであった。僕は一応進学校と呼ばれている高校には入りたいと思っていたので、今の成績では不安があった。成績のいい連中が気になり始めた。同じクラスで最も成績の良かったのがNと満君であった。
 二人は三年生全体のトップクラスに属していて、共に上位の進学校希望だった。満君は別の小学校出身だったので僕には全く馴染みがなかったが、Nはいつの間にか親しくしていた。このころにはNが孤立することはなくなり、自信みたいなものも自然に身についていたようだ。
 同じクラスでは、正巳や僕と同じ村の久臣君とよくつるんでいた。正巳は先に述べたように隆二のいとこで、これもまたとっても喧嘩っ早く、そして学年一大柄だった。久臣君は野球一辺倒で成績はふるわなかったが、穏やかで誠実な人柄で、男の子にも女の子にもとっても人気があった。休み時間にはこの四人に別のクラスではあったがあのたあちゃんが加わり、よく五人でだべったり、猫の子のようにふざけ合っていた。僕は羨ましかった。そしてある日僕は見たのである。
 それは夜の十時ごろ、たあちゃんの家のそばから引っ越した久臣君の新しい家の前を通った時のことである。Nの声がした。まだ生乾きのコンクリの匂いがする塀の向こうから、「ピタゴラスの定理」という言葉が聞こえてきたのだ。僕は明かりの漏れるブロックの透かしに近づき、声のする方を覗き込んだ。Nと久臣君がそのころはまだ珍しかったシャンデリアの下で勉強をしているのが見えた。蒸す夜で、開け放された窓から二人の真面目なやりとりの声が聞こえた。幾何の問題をNが久臣君に教えているようである。Nは小学校時分算数が好きだった。僕は小五の時、休み時間に一人、「鶴亀算」や「旅人算」とかいう文章問題に挑戦しているNの姿を覚えている。それは僕にとって驚異以外の何物でもなかったが、のちに僕はなぜそんなにNが算数が好きなのかを知ることになる。そして、それがまた僕にとって大いなる驚異となったのである。
 僕は、はっきり言うが、算数も数学も大嫌いである。というか、数字を見ると頭が痛くなるのである。つまり拒否反応なのだ。僕は還暦を超えたこんな年になっても、数学のできる人に会うと心が折れてしまう。その人の前にひれ伏す思いなのである。そんな僕の一学期の模擬試験の点数は、当然数学が極端に悪く、英語等の点数でその穴埋めをすることなど全く不可能だったのである。僕は熱望した、何とかしてこの「勉強会」に参加したいと。少しでも数学の点数が上がれば、僕が志望校へ入れる確率は確実にアップするのだ。
 次の日、一大決心をした僕は実に久しぶりに一対一でNに対面した。休み時間のことである。ドキドキしていた。
「バタン、ちょっと頼みがあるねけど・・・」
 ところでバタンというのは、Nの愛称である。意外なことに当時Nの綽名(あだな)は数多くあり、(小学校の時とはえらい違いである)僕はその中の割とポピュラーなのを使ったのである。分かってほしい、その時の僕の卑屈なまでの必死な心の内を。
 Nはこちらの複雑な思いを当然のことながら気づかず、
「なんやー」と大楊に答える。
 僕は思い切って、夕べの久光君の家でのことから、「数学分からへん」とか、「一緒に勉強したい」とか、必死にしどろもどろになって訴えた。それに対してNは、
「うん、ええで」と、なんの(てら)いもない。久臣君もそばに来て、にこにこしながら、「今日の晩も俺の家でやるから来て」と言ってくれた。僕はこの時初めて友だちっていいなと心から思った。胸に温かいものが湧き上がってくるのを感じた。僕の心は期待と緊張でパンパンに(ふく)れあがった。
 ところがである。僕の期待は裏切られたのである。いや裏切られたというより、予想外の方へ転がったと言うべきだ。
 午後八時、三人は久臣君ちの真新しい洋間に集合した。あのシャンデリアの部屋である。ここで僕も勉強できるのだと思うと自然に笑みがこみ上げてくる。同じ部屋におられた久臣君のお父さんもお母さんもとってもフランクで、僕はゆったりとした気持ちで過ごすことができた。
 しばらくして僕らは三人だけになったので、僕はおもむろに用意してきたものをテーブルの上に出した。一応主要五教科と呼ばれていたものの参考書や何やかやである。ところが、Nも久臣君もそれにはちらっと眼をやっただけで、すぐに大きなステレオの方に行ってしまった。それはとても値の張りそうな木目のモジュラータイプのもので、僕は本物を見るのが初めてだった。
 そして僕はそこから流れてきた音にいかれてしまったのである。それはビートルズだった。震える大きなスピーカーからぞくぞくする音が飛び出してくる。僕は小さい時から音楽が好きで、ビートルズの名前を知ったのも随分早かった。父親の短波ラジオからたまにその曲が流れてくると、身体の芯が震えるようだった。しかし今夜のこの音は圧倒的だった。今まで聞いたこともない低音が直接肌から沁み込んでくる。ビートが骨にまで響く。僕は久臣君がいとこから借りたこのEPレコードを何度も何度もターンテーブルの上でひっくり返した。そしてついに呆れたNと久臣君が・・・待て待て、つい自分に入れ込んで話が膨らんでしまう。この話はここで終わっておくとしよう。(自戒!自戒⁉)
 とにかく僕は久臣君の家で新しい自分に出会うことになった。今までの辛い学校生活を覆す楽しい経験や目から鱗の体験をいろいろした。週に三度程の「勉強会」は予想を外れて、人生勉強の趣きを持ったのである。特にNの存在は僕にとって自由の風に吹かれるが如きもので、家で父のそばにいる時の重っ苦しさを吹き飛ばしてくれた。息が楽にできたのである。
 勿論勉強もした。それもまた楽しいものだった。こんなことを覚えている。地理の勉強で、ソ連の炭田の名を覚える必要があった。ドネツ・クズネック・カラガンダ炭田である。するとNが突然鉛筆を叩きながら、
「ドネツ、クズネック、鼻かんだ――♬」と歌い始めたのである。すぐに二人があとを追う。そして忽ち三人の合唱だ。「ドネツ、クズネック、鼻かんだー―♬」「ドネツ、クズネック、鼻かんだ――♬」僕らの「お経」はいつまでも続いた。
 Nとの「再会」(中学時代)は僕にとってとても好ましいものとなった。成績は上がり、学力テストでは上から一割位の順位となった。つき合う友だちについて異常ともいえる関心を示し、いろいろ干渉してくる父も、Nと会うことには全く文句を言わなかった。むしろ、一緒に勉強するのを勧めるようすさえ見受けられた。Nの成績のいいことを知っていたのだろう。本当のNの姿を知らなかったことは、最高にラッキーだった。勿論僕にとって、自分を変に飾ることなく過ごせるということが、何よりの「成果」であったのは言うまでもない。しかし、Nにとってはどうだったのか?僕には気懸りなことがあった。
 本人はそんなことは口にしないが、彼の成績が下がっていることは公然の事実であった。何人かの先生が、Nを呼んで話をしているのを目撃したことがある。数学の先生は廊下でNに、
「今回は成績が下がるけど、あんまり気にしなや」と言っていた。
 それに僕自身一度Nの勉強部屋を覗いたことがあったのだが、そこには異様な雰囲気が漂っていた。床の上に分解途中のバイクのエンジンが二・三個転がっていたのである。新聞紙が敷いてあったものの、オイル染みが広がり、鼻を衝く匂いが充満していた。とても勉強に励める環境ではない。
 時々「変なことを言う」という声を聞くようにもなった。もともと変な子というのがNの評判ではあったのだが、今までとは次元が違ってきたようだ。僕にも「無限を二で割ったら答えは無限か?」と問うてきて、「柄にもないことを聞くなよ、全く!」と思いつつ、「二分の無限や」と答えにならないことを言ったら、「ふーん」と感心してみせたことがあった。知り合いのO君には、突然登校途中に「人は何のために生きている?」と問い、O君がとっさに「生活のためや」と答えたら、冷たい笑みを浮かべたらしい。O君は憤慨(ふんがい)していた。
 確かにNの中で何かが起こっていたのだ。ただ僕らはまだお互いに、それぞれの内面に踏み込むようなことはなかった。僕らはシャボン玉がくっつき合うように互いに接触して、そこに映る虹色の変化にうっとりしていたのだ。シャボン玉の中の空気にまで思いは至らなかったし、「所詮おんなじようなものだろう」と高を括っていたのである。次にはそんな接触のいくつかを書くことにしたい。
 秋も深まってきたころ、僕にとって大きな出来事があった。満君が僕らの勉強仲間に入ってきたのだ。僕は驚いたが、あとで考えてみるとこれはなるべくしてなったことであった。いつどんな経緯でそうなったのかは僕には不明だが、Nと満君は以前から親しくしていた。そして二人の親しみがまず自然に久臣君を包み込んだ。久臣君を嫌う子はいないし、久臣君も例えその子が嫌な子だと思っていたとしても、決して冷たくするようなことはしない。つまり「勉強会」に四人が集うことは、時の流れであったのだ。さて、満君を苦手にしていたのはこの僕である。久光君の家では何とか四人のまとまりを取り繕ってはいたが、学校ではなんとなく仲間内へ入り辛かった。
 生徒会長の選挙で全校生徒から圧倒的な支持を得た満君は、絵に描いたような優等生であった。男前だし、成績は抜群。そして偉そばったところなどないから、女の子たちにもよくモテていた。ただちょっと拗ねたような奴ら(「不良少年」ではない。ごく少数)からは嫌われていた。満君は自転車通学なのだが、その背筋をピンと伸ばした颯爽(さっそう)とした姿勢が、彼らには鼻持ちならなかったようだ。実は僕もそう思った一人なのである。しかし、そんな気持ちは封印した。僕はまだこのグループでは新参者だし、Nの気持ちに逆らうことなど考えられなかったのだ。
 満君が勉強会にやって来る時、必ずお菓子を持って来た。自転車で街のお店に立ち寄ってから来るのである。当時まだ珍しかったカスタードクリームの入ったものであることが多く、Nはとっても喜んでいた。僕は甘いものは苦手で、久臣君はお菓子に不自由など全くしていなかったが、共に律儀な満君への応対には気を使った。僕は新しい文化がきたと思った。
 満君が来る日、Nはいつもより積極的に村の中へ入ろうとしているように僕には思えた。このころ、外から僕の村に入ろうとする子はほとんどいなかった。ずっとあとになって僕は知るのだが、ほかの村の多くの家では、子供たちに僕らの村に行かないようにという「教育」がなされていたのだ。小さい時からたあちゃんと親しく僕らの村の路地をうろついていたNは全くの例外扱いであったが、村の子供たちの方も外からやってきた者に無関心でいることはできなかった。お互いに自然な振る舞いができなかったのである。
 初めて満君が村風呂(共同浴場)に姿を見せた時にも、村の中学生たちに風が吹いたようなざわめきが起こった。生徒会長という「肩書」も(あずか)ってより影響力があったようだ。満君にとっても結構勇気がいったことだと思うが、薄い緑色のペンキが塗られた結構お洒落な建物の前で、Nが少し意気がって「さあ、入ろう!」と満君を引っ張るので仕方がなかったのだろう。
 でも、なんと言っても人徳者の久臣君の存在感は圧倒的で、その上たあちゃんもやって来たので、だんだんと皆の緊張が解け、なんの問題も起こらなかった。風呂から帰るときには、何もかもがいつも通り、当たり前のような気がしていたのを覚えている。
 勉強の面では、ぞんざいなNと違って、満君の教え方は優しく、とっても丁寧だったので、僕もずいぶん助かったし、久臣君もよく勉強した。また満君は英語が好きで、僕が持っている父から貰ったアメリカの品々にとても興味を持ってくれ、おかげで僕らは随分打ち解けることができた。受験が迫るこの時期になってもクラブに忙しい久臣君をおいて、三人野外で過ごすことも多くなった。
 そんなある日。
「なあ、将来何になる?」とNが不意に切り出した。廃校になってしまった母校の小学校の校庭で三人遊んでいた時のことである。そこはNの家に隣接しており、今でも残っているジャングルジムからは、校庭より子供の背丈ほど低い地所にあるNの家の裏庭がよく見えた。
「そんなの、今、分かるわけない!」ジャングルジムの頂上から身を乗り出して、満君が即座に答えた。決然としている。
「そうかー、俺はな、俺は哲人になりたいね。哲学者やなくて・・・」とN。しみじみとした顔をしている。ちょっと満君のようすに驚いたよう。
 満君は、それを聞いてきっぱりと言う。怒ったような顔をしている。
「哲人⁉N!お前、この間から変なことばっかり言ってるけど、いい加減にしろや!」
「・・・」
「今の年でそんなことばっかり、今は受験勉強する時や。お前このごろ勉強もしゃんと・・・エンジン分解したり、わけの分からんこと言ったり・・・僕ら勉強するために集まったんや!」
「・・・」
「こないだ井伊先生に言われたんやけど、いっぺん先生と話してみたら・・・僕たちもつき合うから」
 僕はびっくりした。Nの言った哲人を、初め鉄人と思ったこと、そして漫画の鉄人28号を思い浮かべたこと――それだけじゃない。満君が心配をして、Nの成績が急降下していることを気遣っていること、そのことについて担任の先生と話をしていたことにである。僕が、のんべんだらりと何もしていないのに、満君はしっかり考えて、やるべきことをやっている。僕は恥ずかしかった。
 黙り込んでしまったNをおいて、満君が僕の方へやって来た。明るい声で、ビッグとラージの違いとか未来形についての英語の話題を振ってくる。僕は適当に相槌を打ってはいたけれど、本当は上の空だった。満君は立派だった。いや、僕には立派すぎるとさえ言えた。
 それにNにしても、やはりそれなりにしっかり考えている。このあいだNが、英語が嫌いなわけを僕に教えてくれた。それは、「いくら頑張っても、極めることが不可能だから」ということであった。日本語を母語としているNにとって、極めることができないと分かっている英語に時間を費やすのはもったいない、ほかにやるべきことがあるというわけである。父親が英語のプロで、幼い時からそれなりの薫陶(くんとう)を受け、いわば空気を吸うように英語に接していた僕は、それこそ何も考えずに英語に親しんでいた。極めるも極めないもなかったのである。そして、続けてNは数学についてはこう語った。「自分は小さい時から算数が好きだったが、その理由はただ好きだということではない。普遍的な真理があるとすれば(あると信じているが)、数学しかそこに到達することはできないと考えるからだ。だから、専心する」と。
 僕は「英語が嫌い」についても、「数学が好き」についても、そのNの理由づけに本当に驚いた。僕なんかただ目の前にあるからやっている、ただただ嫌いだから駄々をこねるというだけのことであるのに・・・ものごとの初めに、まるで高みから見下ろすように、その行き先を見極めようとするNの姿勢は僕には不気味でさえあった。(のちにNより、「自分はものごとを後ろから考える人間だ。例えば人生についてなら、死から考え始める」との言質を得た)Nと満君は僕にとって普通の中学生という範疇(はんちゅう)を超えていた。そして、二人に挟まれた自分を小さく感じた。      
 
 この後数日して、僕ら三人は担任の井伊先生のお宅を訪問した。電車で三駅、着くともう暗くなっていた。旧家という感じの大きなお家から、先生とは全く逆の小柄な奥さんが出てこられ、奥に案内してくださった。
 先生は予想に反して、とてもにこやかだった。尋常でないNの成績の下降ぶりをとても心配されていると満君から聞いていたので、僕は自分まで叱られそうだと電車の中にいる時からびくついていたのだ。そして話の中身も、意外や意外、実に非現実的なものであった。というか、先生が幼い時に経験したり聞いたりした「狐憑(きつねつ)き」や「降霊術」の類のまるで小さい子が喜ぶようなお化けの話がほとんどだったのである。僕は正直言って、真面目な顔をして聞いているのが辛かったくらいである。満君はこの訪問を段取りした手前、一番熱心に、時に相槌を打ったりして聞いていたが、その目には落ち着きのなさが表れていた。やはり先生の話は、満君にとっても予想に外れたものだったのであろう。一方Nはただただ静かであった。
 先生は僕らのために随分時間を取ってくださり、奥さんは途中でコーヒーとケーキ、そしてまた果物を運んでくださった。僕と満君は恐縮しつつ美味しく頂いたが、Nは珍しく横にある立派な茶箪笥の方に目を向けたままだった。いつもだったら一番最初にケーキに貪りついているはずなのにである。すると先生が茶箪笥の中に立ててあったジョニ黒のビンをおもむろに手に取り、「遠慮しゃんと飲め、うまいぞ」と言いながら、コーヒーの入っているNのカップに注がれる。先生もNもにやにやしている。僕は知らんぷりしてケーキに集中した。Nはあっさり口をつけたが、その顔はとても珍妙なものであった。
 帰りの電車の中で僕は、先生は「若い者の非現実的なことへの興味はいずれ治まるもんだ」ということを言いたかったんだろうなと考えていた。そして「今Nが、無限とかいうものに鷲掴みにされてしまっているのは、目の前の現実から逃避するためでは・・・」という思いを抱かれているような気もした。向かいの通路側に座っている満君を見ると、穏やかな顔つきで、「Nがとにかく先生の気持ちを害することはなかった」とほっとしているようだった。隣の窓際のNは何を思っていたのだろう。列車の室内ライトに照らされた青白い顔をずっと窓に当て、遠くに流れる景色ばかりを見ていた。僕は数日前、Nが僕に、「俺は凡人になりたくない。非凡な人生を送りたい!」と赤い顔をして、叫ぶように言ったことを思い出した。
 電車は街を過ぎて、暗い中にぽつっと点いた遠くの家の明かりが流れていくだけという景色になった。次にくるそんな明かりも随分間遠い。ふと僕は、皆本当は何を考えているのだろう?という思いに捉われた。そして、そんなことは分かるわけがないとすぐに納得した。でも、普段は厳しい先生で通っている井伊先生が、場合によっては軽薄にさえ受け取られかねない話を、真面目に一生懸命に僕らに話して下さったことへの感謝の気持ちは三人に共通のものだと思った。

 しかし残念ながら、極めて不忠なことであるが、Nと僕は先生を裏切ることになった。つまり、Nと僕は、結果的には久臣君も含め三人、先生宅訪問の十日ばかりあと、二学期末の定期試験を丸一日すっぽかしたのである。言い出したのはNである。勉強会が終わって何やらほっとした気分の時である。そして、僕と久臣君はその申し出にスルッと同意した。満君は先に帰宅してもういなかった。当然Nには強いわだかまりがあってこんなことを言い出したのだろうが、僕らを道連れにすることについては、結構忸怩(じくじ)たる思いもあったようだ。そして、僕らがあまりに気安く同盟したので、かえってどぎまぎしたようでもあった。
 当日朝、僕らは久臣君の部屋に集合した。離れの二階にある極端に細長い部屋で、家の人は誰も来ないとのことである。僕は久臣君は本当に大事にされているんだなあと羨ましく思った。随分遅れてNがやって来た。僕と久臣君は、インスタントコーヒーを飲んでくつろいでいた。
「ど、どうやって出てきたん?」とNが僕に聞いた。顔が白い。
「別に・・・今日は休んで、久臣君と勉強するって言っただけや」
「誰に?」
「お母さんや」淡々という僕に、Nは愕然(がくぜん)とした顔。
「ええなあ、お父さんにばれてもええの?」
「うん、そういうことには意外と寛大や」と言いつつ僕は改めて父親の顔を思い浮かべた。厳格な顔が浮かんできた。というかそれ以外の顔が思い浮かばない。
「久ちゃんは?」(すが)りつくようなNの声。
「今日休むって言うただけや」久臣君は全く問題にしていない。Nは、何とも言いようのない羨ましそうな顔をした。そしてこのあと、僕らは、ここに来るまでのNの涙ぐましい苦労話を聞くことになった。
 Nはまず普段より随分早く起きた。これは家族には全く怪しまれない。何しろテスト前はよく徹夜もしたので、皆慣れっこになっていたのだ。そして妹たちが学校へ行く前に家を出た。しかしこれは事実ではない。実はNは出るふりをして、玄関横の部屋の押し入れにそっと潜り込んだのだ。そして、皆が家を出るのをじっと待った。そこには商売物が入れてあるので、身動きができず苦しかったようである。この時間が思っていたよりも随分長く、ばれてはいけないという不安と相まってかなり消耗したと言う。そしてやっと静かになったので、そろりと押し入れから出ようとした時、お祖母さんの足音がした。
 Nによるとこのお祖母さんは、まだ20歳になる前に故郷の能登を家出し、一人大阪で働き、そこで知り合ったお祖父さんと一緒になった。そして、小商いをしていたお祖父さんを大いに叱咤し、小さなお店を大きな問屋にまでした。Nの父親が結核の長期療養のため家を不在にしていた時も、そして七十近い今でも店も家も切り回し、近所でも遣り手と評判らしい。いわゆる土性骨の太い明治女である。Nもその薫陶(くんとう)を随分受けているようだ。そしてどんな細かなこともお座なりにはしない性格なので、さすがのNも、「祖母ちゃんにばれると大ごとになる」ととても緊張し、変な格好のまま押し入れの中で固まってしまったとのことである。
 結局幸いなことにお祖母さんは部屋には入らなかった。しかしNは極めて辛い時間をより長く耐え忍ばなくてはならなくなったのである。そして何とかことなく家を抜け出し、できるだけ目立たぬ道を選んでここへ辿り着いた時には、Nはまさしくよれよれの古着のようであったのだ。
 僕は不思議だった。あのものに動じない男がこれほどまでに気を揉んで家を出なければならないという事実。それは僕にNの資質に対する疑念を(かも)し出させつつ、Nの家と僕らの家との違いへの一種気持ちの悪い違和感をも湧き立たせた。僕はあれ程口喧しい父親でさえ、僕が学校をサボったりすることには割と寛容である事実について考えざるを得なかった。今になって思うのだが、僕と久臣君の家はNの家に比べて、学校や教育というものを重んずる意識が低かったようだ。これは学校が好きだとか嫌いだとかいうこととは全く違うことである。
 ところで僕らは結局勉強らしい勉強もせず、だらだらと半日を送った。次の日はテストの最終日だった。井伊先生からきっと叱られると覚悟して二日ぶりの道を歩いた。だが、学校では何もなかった。いつものようにテストを受け、終わってさっさと帰っただけである。久臣君も同じで、Nにも聞いてみたが、「なんにもなかった」と言って終わりだった。
 随分あとになって、Nの妹に井伊先生から「どうしていたの?」との問いがあったと聞いた。妹さんはそれこそ何も知らないのだから答えようもなかったであろう。このちょっとした事件は結局のところ、無視されたような終わりを告げた。周りの者も誰かに何か言われたのか、そうではないのか、満君でさえ触れることはなかったし、こちらも当然口にすることはなかった。成績についても特段なことはなかった。
 何十年もたってから、あれはいったいどういうことだったのかと考えることがあった。はっきり言えたのは、Nが言い出さなかったら僕らは決してテストをボイコットすることはなかったということ。そしてNがいたからこそ僕らはお咎めを受けなかったということである。Nがどうしてあんなことを言い出したのかについて僕は遂に知りえなかった。これも今になって思うことなのだが、サボったその日のテスト科目にNの苦手なのがあったのではないかという案外つまらないことなのである。

 年が明けて、僕らはますますの「重圧」を受けるようになった。当時の僕らの意識では、大学浪人は珍しくもないが、高校浪人は悲惨なものだというのが一般的であったのだ。ただ現実、周りにそんな人はいなかったし、いたとしても、中学で学業からおさらばした者もいたので、高校浪人かどうかを見極めることは難しいことであった。そんな中、満君が「勉強会」に来ることが減ってきた。決して僕らの仲が悪くなったのではない。勿論、テストボイコットが影響したわけでもない。学校ではNと相変わらずよく喋っていたし、僕らへの態度に変化らしいものは見受けられなかった。相変わらず女の子にもよくモテて、休み時間にはいつも数人の子が近くにいた。
 でも、参考書や問題集を手から離すことはなかったように思う。生徒会の仕事も終わり、一人で必死に受験勉強に励んでいたのだろう。それはかく言う僕も同様のことであった。そもそも「勉強会」が開かれることも間遠くなっていた。「勉強会」は楽しいけれど、どうしても勉強が脇にどけられがちであった。表だってそのことを言う者はいなかったけれど、それぞれもうそんな時期じゃないと感じていたのだ。高校全入とか言われる現在の状況とは、随分違っていたのである。幸い成績は皆順調に上がっていた。Nも狐が落ちたような勉強ぶりで、新年初の学力テストでは再びトップクラスに返り咲いた。
 そんな時また事件が起こった。「(いたち)の最後っ屁」と僕は密かに呼んでいたのだが、隆二がまた暴れ始めたのである。ただ暴力の矛先は最初教師に向かってであった。クラスメイトは暴力自体に鈍くなっていた。面の皮が厚くなっていた。つまり、隆二どころではないというのが本当のところだったのだろう。そして隆二は先鋭化し、数人の子分を徹底的に痛めつけ自分の手足とし、教師に歯向かった。教師たちは全く無力だった。
 そしてそれが一巡すると、ついに隆二はNに目を向けた。年が明け、もう卒業が眼前に迫ってきた時期に、最後を飾るような暴力事件が立て続けに起こった。残念なことに、いや、幸運にも、僕は満君や久臣君たちも関わったこの事件の当事者ではなかった。これから書くことは全てそれぞれの事件のあとで、Nから聞いたことを基にしている。全部で三段それに序段がつく。
 序段は未遂であった。寒い二月の夕刻、Nの家の玄関に隆二の使者が立った。Nは奥の部屋で勉強をしていて、何も知らなかった。口上は幼稚園の園庭まで来てくれと言うことだった。取り次いだのは妹さんである。しばらくしてNが園庭にのんびりとしたようすでやってきた。隆二と十人くらいの子分が待っていた。Nは皆遊びに来たんだと勘違いしていたようで、何の屈託もなく、滑り台を逆さに上りながら、知り合いに声をかけていた。このあたりのとんでもなさはまさしくNの真骨頂で、それまで随分と待たされていた隆二たちはなおのこと毒気を抜かれただろう。(のちにお祖母さんの才覚があったと聞いた。つまり、妹さんから事情を聴いたお祖母さんが、不審に思ってNに知らせるのを遅らせたようなのである)
 しかしついにNに焼きを入れる潮時がきて、子分たちが動こうとしたまさにその時、園庭の向こうに妹さんの姿が現れた。(これもお祖母さんが「ちょっと見てき」と妹さんを(つか)わしたものだ)これでいよいよやる気を削がれた隆二は、皆を引き上げさせた。最後にNの横を通った奴が、「良かったな」としみじみ言うのを聞いて、やっとNもこの集まりの真の意味に気づいたらしい。
 一段目は、隆二と満君との決闘であった。ほかにその場にいたのはNと久臣君である。隆二の乱暴に全く打つ手の無かった教師から、満君に話があった。「なんとか隆二に友達として接してほしい。少しでもささくれた気持ちが治まれば・・・」ということだったらしい。当然満君はそのために動く。そして、隆二はそんなことにはとても敏感な男である。どんな経緯があったのか分からないが、満君に差しの勝負を申し込んできた。
 満君は受ける。放課後の教室に四人が集まった。机、椅子を周りにどけて、真ん中に二人が立つ。体格は満君の方が大きい。しかし、勝負はあっけなかった。ボクシングのスタイルで、的確なパンチが満君の顔面に突き刺さる、何度も。鮮血が床に飛び散る。鋭い目で獲物を見つめる隆二は冷たく計算をして、再び爪を獲物に突き立てる。また血が飛ぶ。どうしたのか。満君の手が一向に出ない。ピタッと手に収まった黒の皮手袋は下がったままだ。隆二の目から力が抜けた。
 久臣君は、満君は優しいから人を殴ることなんかできないと言った。「決闘なんて無理!」と。Nが保健室から薬を手に入れてきた。久臣君が血を拭きながら、隆二に「な、そうやろ」と念を押す。隆二は微かに(うなず)いて部屋を出て行った。
 二段目は、正巳との決闘であった。純粋な力の対決という意味ではこれが考えられる最強の組み合わせである。しかしこの対決は「近くの親戚」という二人には、今まであり得ないことであった。つまり、これは隆二が腹を括ったということだし、追い込まれているともいえることだった。隆二はこのころ、県下の所謂荒れている中学校のボスたちに喧嘩を売り歩いていた。そして頂上に立つ日が近づいているようであった。そうなると子分の手前、自らの中学校で、並び立つような存在を許すわけにはいかないのだ。
 決闘は体育館の裏手で行われた。集まったのは、隆二とその子分数人。正巳とN、久臣君であった。結論だけ言おう。決着はつかなかった。隆二は離れて戦うスタイル、正巳はそれをできなくした。力で圧倒していた正巳は隆二を組み止めてしまった。ちょうど相撲のようなスタイルになったらしい。かなりの時間がたったが、隆二はパンチを一つも出せず、正巳も相手を投げ飛ばすところまではいかなかった。隆二は何とか離れようと、口八丁手八丁を繰り出したらしいが、正巳は動じなかった。そしてついに二人はフラフラになり、どちらからともなく離れた。やはり親戚同士、離れたあとはすっきりとしていたらしい。
 しかし、この出来事は隆二にとっては痛手であった。とにかく母校の頂点に立つことができなかったのであるから。そしてついに三段目となる。これは隆二とN、そしてたあちゃんとの闘いであった。なぜNとたあちゃんだったのか?多分二人が学校で最も自由であったからだと僕は思っている。
 この闘いのようすは、再びあのNの『たあちゃん』から抜粋することにしよう。

『体育館の裏へ行くともう番長の取り巻きが大勢集まっていた。皆黒い服なので、カラスの巣のようだった。カラス達は捨ててある古タイヤや錆びたローラーの上に乗っかかっていた。そして、呆けたような表情を強い北風にさらしていた。厚い雲が次々に押し寄せて来ていた。
 俺は震えている足を隠すのに苦労していた。たあちゃんはと見ると、いつもと同じ顔だった。ぶすっとしている。どうしてこんなときにこんな顔をしていられるのか・・・俺は本当にうらやましかった。
 取り巻きの一人がごちゃごちゃ言ってくる。結局俺の思った通りだ。「無視された」とか言っている。俺は「無視なんかしてへん」と叫びそうになったが、相変わらずぶすっとしているたあちゃんを見てこらえた。
 番長は、上背は俺たちほどないが、ボクシングで鍛えたバネの利いた体で、色黒で精悍だった。そして、やーさんと付き合っているというのが箔となっていた。俺はたまらなくそれが疎ましかった。
 少し猫背になって、両手をわずかに揺らしながら俺たちの前に出てくると、
「誰からや」と言う。
 変な格好だが蛇のように不気味だった。唇の両端がわずかに、切れ上がっているように引きつっている。
 俺はすっと前に出た。勇敢だからではない。俺のおっちょこちょいでいちびりなところは、こんな時でも治らないのだ。
 番長はすっと跳び出すと、横からパンチを出した。思わず顔を後ろにのけ反らせると、とたんに腹にずんときた。下半身の力が抜けて膝から崩れ落ちた。崩れ落ちしなアッパーが入った。血の臭いが口に広がる。ひんやりとした土に顔を突っ込んだ。立てない。
 攻撃がたあちゃんに向かった気配がした。首をねじ曲げて茫然と見上げる。俺へのと同じようにへらへらした感じで番長が近付いて行く。今度はストレートだった。たあちゃんは避けなかった。鈍い音がした。しかし、たあちゃんの頬が少し白っぽくなっただけだった。そして、左手で番長の胸ぐらをつかんだ。素早い動きだ。ぐいぐい押し、ついに番長の背中が体育館の壁に付く。たあちゃんはそのままじっとしている。変な感じだった。後で聞くと、取っ組み合いのけんかしかやったことがなくて、何をしていいか分からなかったらしい。
 周りの取り巻きがもぞもぞと動く。俺は立ち上がった。そして、たあちゃんとの間に入った。何回か喋ったりした奴もいたが、こっちを見ようとしない。番長に殴られ続けてすっかり覇気をなくしている。結局誰も番長を助けようとしない。
 番長は目をくるくる動かしていたが、突然たあちゃんの急所を握った。そして思いっきり力を入れた。
 たあちゃんの顔が変わる。あの顔だ。全てを拒否するあの顔だ。
 たあちゃんは左手を素早くほどき、右腕を曲げ、番長の首へそれを滑らせた。そして力強く壁の上へ突き上げる。凄まじい力だ。番長の手が急所から外れ、腕を解こうともがく。顔が真っ赤だ。ついに足が地面から浮き始める。
 俺はたあちゃんに飛び付き、番長から引きはがした。
 番長は「ぜーぜー」言っていたが、さすがに倒れずに立っていた。そして、かすれた声で、
「今日はこれ位にしといたる」と言う。俺は、
「まるでヨシモトやな」と笑いかけたが、押さえた。
 潮が引くように番長と取り巻きが消えた。たあちゃんはぼんやりとしていた。
「死んでしまうとこやったで」と言うと、
「せやな」とつぶやいた。
 全く吹きっさらしの場所だった。日が陰って、冷たい風がますます強く吹く。誰もいなくなった校庭を二人横切って帰った。切れた口が痛み、胃は鉛を飲み込んだように重かった』

 その後は穏やかに日が過ぎ、僕らは無事中学校を卒業することができた。隆二がおとなしく授業を受けるようになったのだ。多分授業の中身はほとんど分からなかったと思うが、隣席の満君がよく世話を焼いてくれていた。専属の先生のように問題をかみ砕いて説明したり、簡単な課題に変更したりしていた。全く頭が下がる。
 入学試験の直前はさすがに緊張した。だが、「勉強会」のメンバー、そしてたあちゃん、正巳、皆それぞれ希望通りの高校へ進むことができた。










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