(慶應ペンマークの)先端恐怖症 Vol.1

文字数 3,228文字

 以前勤務していた化粧品会社のワンマン社長は中等部から慶應義塾に進み、そのことを誇りに思っていて、骨の髄まで染み込んだ慶應ボーイ臭を(免税店購入の)ハイブランドの香水のようにぷんぷん周囲に振り撒いて(本人としては実にさりげないつもり!)、あの私立学校の出身者の大多数がそうであるように、鋼鉄のタペストリーさながら縦糸の繋がり横糸の繋がりをやたら強調する獣性は社長のDNAにも脈々と受け継がれていて、何かにつけ愛校心という牙を剥き出して無関係の社員まで威嚇するために、度々敬遠されていたのだが、それもそのはず、あの私大の雄が誇る秘密結社“三田会”の役員なのであった。
 繁忙期のある日、同僚のデザイナーがネイビータオルの試作品を矯めつ眇めつしていたので、あら、新商品かしら?と思い声を掛けたところ(その化粧品会社では雑貨も取り扱っており、とりわけタオルはオーガニックコットンを原料として、今治の有名なメーカーへ製作委託している人気商品であった)、「違う。あの三田会が発足何周年とかで、メンバーに記念品を進呈するんだと。このクソ忙しいときによ」と愚痴をこぼすので、へえ記念品ねえと呆れつつ柔らかなタオルを撫でていると、学問のすゝめのエッセンスなどとうの昔に忘却した(あるいは原文で読むこともままならない)OB・OGたちが、この上質なオーガニックコットンで世俗の汗を拭くのかしらと想像すれば可笑しくなり、デザイナーと二人で恒例の三田会コント(あくまでも私たちの妄想甚だしい即興劇である:帝国ホテルあたりの地下バーで、日本経済を牽引しているのはワレワレダ!という自負の塊の紳士淑女が喧々諤々議論を交わすというもので、最近の議題は専ら、『我が国の最高額紙幣の象徴から福沢諭吉先生を外すなどとんでもない、慶應ブランドの人脈実績をフル稼働させて渋沢栄一のネガティブキャンペーンを展開しちゃおう』という設定)を演じては、ヒーヒー腹を抱えて笑い転げていたら、タオルに刻印されたロゴマークが目に留まって硬直してしまった。そう、KOブランドのシンボル、あのペンマークである。先端部分を凝視していると、昔日の忌まわしい記憶が甦ってきたのであった。
 
 今思えば、女の子らしく育てたいという両親の切なる願いだったのかもしれない。小学校入学前年、ある日私は母親にピアノ教室が運営するリトミック体験コースへと強制連行された。昼は野山を駆け回って近所の男の子らを指揮命令し女王のように君臨しながら、金曜日には必殺仕事人を鑑賞して興奮のあまり目が爛爛と輝き、幼稚園の将来の夢ボードに「中条きよしに弟子入りして必殺仕事人になりたい」と堂々書いて家の者の頭を抱えさせたし、「みんなのうた」や「おかあさんといっしょ」の平和で単純なメロディーには耳を傾けず、なぜかしら中島みゆきの「わかれうた」に執心し、歌詞の意味すら把握できないのにエンドレスに口ずさむ子であったから、将来を不安視したのも無理はない。音楽の情操教育を通じて、歪に曲がりつつある熱い鉄を早期矯正し、あわよくばピアノに興味を向かせて習い事にさせようとの親の、涙ぐましい魂胆なのであった。狂犬病の予防注射のため保健所に拉致される野犬のように、私は激烈な抵抗を示し、裏山の廃寺に逃げ込んで一晩潜伏したのだったが、父親が所属する地元の青年消防団一行が捜索を展開し、さすがに屈強な大人の男たちには頭脳も腕力も及ばず御用となったのであった。
 さて、連行されてみれば、リトミック教室の授業はとても面白くて気に入った。何より先生が小柄でふんわりとしていて、春の花のような香りを漂わせ、小鳥のような可憐な声で歌い踊り、野生児のような私にもうっとりとするほど優しく接してくれるので、私は大人しくピアニカを奏でたりリコーダーを吹いたり、カスタネットやタンバリンでリズムを取ったりして、クラシック音楽の萌芽を先生と一緒に摘み取ることに夢中になれたのである。
 だが、その教室には(私とは別種のタイプの)問題児がいた。まことちゃん、という男の子であった。狙ったはずはないと思うのだが、楳図かずおの「まことちゃん」そっくりの顔、髪形をしていた(ただし、ぐわしのポーズは一度も取らなかったと記憶している)。確か父親が商社重役だったか、とにかく資産家の子息で、トマトのような形状の、一見愚鈍そうな顔つきをしているくせに、いつもラルフローレンの子供服をまとい、俺様的傲岸不遜な態度を悪びれもせず示していた。先生が小首を傾げて、音楽的な優しい声で音階の間違いか何かをやんわり指摘したときは、「そういうおまえはなにさまだッ」と激昂し、私は先生が可哀相で堪らず、駆け寄って胸倉を掴みあわやリコーダーで頭をたたき割る寸前だったのだが、「だめよ、女の子がそんなことしちゃ。ね?」と先生に窘められ、不本意ながらも自席に戻った。まことちゃんは早いうちから平均以上にお金をかけて英才教育を施されていたせいか、近所では神童と呼ばれており、ピアノの技術などは他の子供たちに圧倒的な差を見せつけていた。
 看過できぬレベルの傲慢さや尊大さの他に、まことちゃんには異常さの兆しともとれる習癖があった。それは、同年代の女の子の中で眼鏡にかなった対象がいるとストレートに好意を提示する、といえば幼い子供が異性に示す可愛らしいシーンを彷彿とさせるが、まことちゃんの場合微笑ましさは皆無で、というのも、関心の対象となる女の子にぐいぐいと迫っていき、一方的な思慕を告白するだけで終始するならまだしも、それでは飽き足らず「しょうらいぼくとけっこんするんだぞ。やくそくしろ」と強要するといったもので、相手が無関心だったり、いやいやをしたりすると憤激し教室の隅に追い詰め、椅子や机を動員しては退路を塞ぎ、再度同じ約束を強迫するといった、大人であれば社会生活から即退場の行動を、先生や父兄が監視していない瞬間を狙って、度々繰り返していたのである。繰り返す、というのは、同人物に対してではなく、お気に入りは何人か見繕っており、その女の子たちを順繰りに狙いを定め婚約を迫っていたのであり、神童と持て囃されている割には重婚の禁止という道徳概念が欠如していて、一人勝手にポリガミーを企図していたのだから始末に負えない。大抵の子は、じわりじわりと四隅に追い詰められ万事休すとなった時点で泣き出し、「わかったあ!まことくんとけっこんする!もうゆるしてえ!」と投降するのであるが、中には余程この我儘傲慢不細工ボンボンが生理的に受け付けないようで、恐怖に脅えながらも首肯しない子がいて、そうなるとまことちゃんはポケットから最終兵器を取り出すのである。それは、未就学児には到底そぐわない、見た目にも高価な外国製の万年筆であった。ニヤリと不敵な笑みを浮かべてキャップを外し、「さすぞ!さすぞ!どうだ、ぼくとけっこんするっていえ!」と叫びながら、ペン先を女の子の眼球すれすれに振りかざすという凶行に打って出るのである。ここまでされるともう堪らない、無残にも全員が陥落し、ひとり勝手に一夫多妻制を企む神童の手中へ落ちていくのである。そういえば、好みという点では審査に厳格というわけではなく、お気に入りはたくさんいて(あるいは都度変わり)、異性の嗜好は比較的緩やかではあったのだが、私には一度も求婚しなかったことを思い出した。当然無下に拒絶すること間違いなし、なのだが、そこは複雑怪奇な女心で、今私は記憶を振り返っていて、選ばれなかったという敗北感が遠い昔日から甦り、屈辱に打ち震えている(自然にキーボードを叩く指圧が高まり、ENTERキーは崩壊寸前である、一旦深呼吸して平静さを取り戻したいと思う)。                            
                                       つづく
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み