タケコプター殺人未遂事件 vol.1

文字数 2,265文字

 知人より喜田屋の黒糖どら焼きをおみやに戴いた。小振り、というわけでは決してなく、生地に練りこんだ黒糖のコクと上品な甘さの小豆餡により、一つ頬張れば十分満足なこの名品を、三つもペロリした。咎めるのはまだ早い。食い意地が張っているわけではないのだ。好物であっても摂取量くらい制御できる。ではなぜそんな愚行に走ったのか。それはどら焼きを、盗み食い、から死守するためである。誰がそんなことをするのか。ドラえもん(以下「ドラ」と定義する)に決まっているではないか!そう、私の家には成人女性の親指くらいのドラが住み着いているのだ。居候に至った経緯については追々説明するとして、ドラは私が愛してやまないどら焼きを虎視眈々と狙っており、食器棚の奥に隠しても、冷蔵庫に入れても、床下収納に鍵をかけておいても必ずや見つけ出し、食い尽くしてしまうのである(床下収納の鍵は破壊されてしまった。退去時に管理会社から修繕費を請求されるだろう。許せない)。したがって、どら焼きは当日中に私の腹に納めなければならない、というわけだ。翌日の愉しみにと大切に保管しておいたうさぎやのどら焼きをやられたときには、頭にクワッと血が上り、解体してやるとばかり家中を追っ掛け回したのだが、隣の老婦人宅に駆け込み泣きつかれ、逆に私の虐待疑惑が持ち上がり危うく通報されそうになった。加えて腹立たしいのは、スーパーやコンビニに陳列されている安物のどら焼きには目もくれず、名店のものばかり付け狙う、その、舌の肥え具合である。猫型のルンバみたいな風貌のくせに生意気だ。ほら、今も扉の陰に半身を隠して、黒糖どら焼きを全て平らげた私を恨めしそうに睨んでいる。
 そもそも、ドラとの同棲をこちらから望んだわけではない。私に復讐するために奴は私の鞄に潜伏しこの家に乗り込んできたのである。きっかけは松坂桃李似の元彼との修羅場であった。元彼は生粋のドラファンで(そういえば松坂桃李は、あの系統は、いかにもドラ好きそうな顔をしている。偏見かもしれないが、あの特徴的なはにかみや穏やかな声音、立ち居振る舞いからドラ好きが匂う。このことを早く学ぶべきであった。相変わらず私には男の本質を見抜く眼力が、ない)、部屋にはドラのコミックスは勿論、アニメや映画のDVD、フィギュアが所狭しと並べられ、根っからのドラ嫌いの私にしてみれば、軽い精神的拷問に苛まれているようだった。断っておくが、ドラは日本が誇る国民的漫画であることは否むべくもない。そして藤子・F・不二雄は偉大なマエストロであり、子供のみならず、彼の漫画やアニメを観て育った大人たちにも多くの夢と感動をもたらし続け、その功績は計り知れないものがある。しかしそれはそれ。ひとはひと、わたしはわたし。私はドラアレルギーを公言して憚らない。マイノリティでも構わない、苦手なのだ。大人たちの「子供はみんなドラが好き」という思い込みや短慮を非難したい。
 まず、あいつは可愛くないではないか。未来から彷徨ってきたくせに二頭身で奇形だし、猫型ルンバのくせして人間様の召し上がるどら焼きが好物だなどと僭越に過ぎる。そんなドラに依存しているのび太にも苛々する。申し訳ないけれど、私が同級生だったら確実に虐めていることだろう(だがジャイアンやスネ夫には加担しない。別のやり口で私は、やる)。そういえば、妻夫木聡がCMだか実写ドラマだかでのび太を演じてからは、異性としての興味が失せた(なにしろ、元のび太、だから。だがしかし、あの泣き虫のび太が成人して妻夫木聡へと華麗な変身を遂げ、颯爽と現れたら、ものの弾みで結婚してしまう可能性はある。私は結局そういう女だ)。
 子供の頃、親戚宅や友人宅で夕食の御相伴に預かることになってそれが運悪くドラの放送日であったりすると、大人が「ほうら、ドラえもんだよお」と、馬鹿の一つ覚えみたいに鑑賞を半強制してきて辛かった。また、親が一度良かれと思って、東映だか東宝だかのドラメインの子供向け映画祭りへ私を連行したことがあったが、途中で気分が悪くなり「二度と連れて来ないで!」と言い放ち親を憤慨させた記憶がある。その後は巧みにドラとは無縁の生活を送ってきたのであったが(たびたび、映画を観ろ、大人でも感動するからと勧められ、観たことはあったが、開始5分で舟を漕いだ。目覚めたときには登場キャラクターたちがさめざめ泣いていて、何故か恐竜がいたが、意味不明だったのでまた、寝た)、松坂桃李似のせいで、久しぶりの望まぬ邂逅となったのだった。
 初めて彼の部屋を訪れたとき、緊張を解そうとしてか、ドラのジェンガで遊ぼうと血迷った提案をしてきて、え?とたじろいだが、拒絶のための合理的理由を見付けられず、付き合い始めのぎこちない雰囲気の中、成人女性の親指くらいのドラを積んだり崩したりして、一生涯の中でも指折りの虚しい時間を耐え忍び、やがて初Hへと持ち込まれたのだが、部屋中のドラ監視の中まぐわうというのは、いやなんとも奇妙で居心地の悪い体験であった。ドラの覗き見には次第に馴化したものの、元彼がSNSでドラのスタンプを好んで使用してくる暴挙にはいつまでも適応することができず、特に私が見当違いの発言や言い間違いをしたりすると、のび太が石化してガクンと崩れ落ちるスタンプを投下してきて、神経を逆撫ですることしばしばであった(あののび太に馬鹿にされるという、屈辱)。 
                                       つづく
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