タケコプター殺人未遂事件 vol.2

文字数 2,072文字

 男の浮気が原因で、元彼との恋は幕引きとなったのだが、浮気相手と睦び合う様子をこの部屋のドラ達も知っていたのだと思えば何やら共犯めいてきて堪らず、別れ際、手近にあったジェンガセットを床にぶちまけ部屋を飛び出した。おそらくその弾みで入り込んだのだろう、帰途立ち寄ったスーパーで鞄の中に潜む成人女性の親指くらいのドラ一体を発見したのだった。店の床に叩きつけたい衝動を辛うじて抑え、駐車してあった親子連れの自転車の籠の中にそっと放置したのだが、帰宅してみればなんとこれが先回りしていて、玄関からリビングへと続くフローリングの上に仁王立ちで腕を組み、鬼の形相をして待ち受けていたのである。そこから先は既述の通り、どら焼きをめぐって策を弄しつつ両者激しい攻防の歴史が展開される。
 ところでドラは、うだつの上がらないのび太を救済すべく数々の道具を腹のポケットから取り出すようだが、まるで興味をそそられずにいたところ、ある一つのアイテムだけは幼少の私の目を引いた。それが全道具の中で最もポピュラーといえる(私が知っているくらいだから)、タケコプターである。初めてキャラクター達がタケコプターを装着して空を周回しているシーンを見たとき強烈な違和感に襲われ、一緒に鑑賞していた従兄弟に「これ変じゃない?なんだか怖いわ」と問いかけたものの、取り合ってもらえず判然としない不気味さを暫く抱えていたのだが、高校生くらいになって突然閃いた。私は理系専攻ではないし、特に物理は苦手科目であるからして、力学や航空学等の基礎知識すら欠如しているが、タケコプターの飛行原理はおかしいと思う。仮に頭頂部にプロペラ部分が付着した、透明で堅牢なカプセル状のものがあって、その内に入った状態で身体ごと飛翔するのならばまだ分かる。ヘリコプター同様の仕組みだからだ。しかしあの代物は、プロペラを頭部にくっつけた、ただそれだけの状態で身体を持ち上げ飛ぶのである。有り得ないではないか。人間の肉体など脆弱なもので、そんな空へ飛び上がろうとする強大な力が局所的に作用した場合、確実に首だけが胴体からもぎ取られ、飛翔していくだろう。私は想像した。ギャア、と絶叫してのび太やしずかの首が引き千切られ、血の雨を滴らせて空へと飛び立っていく様を。ヒヒヒとほくそ笑んで悦に入っているドラの残忍な本性を。そんな刺激的なアニメなら毎週欠かさず観るのにと惜しんだ(私は病んでいるのだろうか)。
 或る朝、出勤前に通り掛かったマンションの駐車場で、隣家の老婦人が雀に餌を撒いていた。チュンチュンと群がる小鳥たちに擬態し、居候のドラが餌を啄んでいた。私を認めると、「おまえがどら焼きをくれないから俺はこんな貧相な食事を余儀なくされている」と言わんばかりの、恨めしい目つきで睨んでくる。理不尽な要求とはこのことで、鼻を鳴らして通り過ぎようとすると、老婦人に袖を引かれた。「ドラちゃんが可哀想じゃないの。満足に食事を与えないのも虐待だよ」と責め立てるので、「奴が勝手に居候しているんです。どうして私が面倒見なきゃならないんですか」と切り返すと、憮然とする私の耳に老婦人はそっと囁いた。「あんた、ドラちゃんなめてると、今に寝首掻かれるよ」
 当初は怒りに任せて、上等よ、そんな脅しには乗らないわと売られた喧嘩は買うつもりでいたものの、冷静さを取り戻してみれば、老婦人の最後の不穏な予言が、松任谷由美の「リフレインが叫んでる」のラスサビ直前の閃光のようなBGMを引き連れて、曲名通り私の脳内で「寝首を掻かれるよ寝首を掻かれるよ寝首を掻かれるよ」とリフレインが叫び始め、通勤電車を降りる頃には夏目漱石著「それから」の代助みたいに発狂寸前になったがなんとか会社まで持ちこたえ、午前中は忙しさに紛れて失念していたところ、休憩時間中の夢とも現とも分からないまどろみの中で再びリフレインが叫び出し、「寝首を掻かれるよ寝首を掻かれる・・・寝首?」と、首のイメージがとあるシーンを想起させた。

 ―丑三つ時に私は熟睡している。枕元に立ったドラが私の無防備な頭頂部にタケコプターを装着する。忍び笑いを洩らしつつ、駆動させる。するとギャアと叫んで私の寝首がもがれ、紅い雨を降らせるとともに部屋中をあちこちぶつかりながらぶおんぶおん飛び回る―

 私は飛び起きると、顔にハンカチを載せ鼾をかいている上司のところへ駆け寄り、「午後休いただきます。このままでは寝首を掻かれますので!」と宣告し、切羽詰まって会社を後にした。帰路、清寿軒のどら焼きを購いドラのご機嫌を取ったのだったが、爾来毎月朔日は名店のどら焼きを神棚に供えてから、ドラのためにダイニングテーブルに置く習慣となった。私の完全なる敗北である。実に情けない。タケコプターという未来凶器への有効な対抗手段をご存知の方はいるだろうか。いらっしゃれば、人間の尊厳を奪回するため、是非ともご指南いただきたい今日この頃である。
                                      おわり
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み