お金をちょうだい

文字数 2,438文字

 某月某日土曜夕方、路上にて職務質問を受ける。年に数回は決まって捕まるうえ、数分の問答で無罪放免となることも分かっているから、もはや心乱されることもない。だがしかし、子供の頃は補導されなかったのに、妙齢になって以降度々標的にされるのは未だ納得がいかない。一輪車で買物する女がそんなに怪しいのだろうか。背中のリュックサックに大根やネギを突っ込んだ状態で絶妙にバランスを図りつつ、宵の口を一輪車で疾走する女の、何がいけないというのだろう。呼び止めた警察官は、私が(多少は変でも)危険人物ではないと判断すると妙に打ち解けて、必ずと言っていいほど余計な忠告を与えてくる。
「自転車に乗ればいいのにね。一輪車より便利だよ」
私は無表情で答える。
「自転車には乗れないんです」
すると立ち去り際に(せせら笑いながら)こう言い放ってくる。
「いやいや乗れるでしょ。実際一輪車には乗れているんだから」
 何度同じことを言わせれば気が済むのか分からないのだが、私は自転車には乗れない。しかし一輪車には乗れる。これは揺るぎない真理だ。それゆえ、日用品や食料の買い出しは一輪車で済ませているのだし、リュックサックに入る程度の買物と予め分かっている場合は銀ブラだって一輪車で軽々こなす。ただ、警察官のみならず、周囲からも不躾に奇異な視線を投げかけられ、こっそり隠し撮りもされたりするのであるから(最近とあるサイトにて、顔にモザイクをかけられた私が渋谷の公園通りを一輪車で爆走している動画がアップロードされていた。発見したときは愕然とした。盗撮による肖像権の侵害などと堅苦しいことを主張するつもりはない。バズっているにもかかわらずノーギャラであることが納得いかないだけだ)、もしかしたら私の感覚が世間一般のそれと微妙にずれているのかもしれないと不安になり、なぜ一輪車に乗れて、自転車に乗れないのか、過去を振り返りながら原因を探ることにした。
 自転車に興味を持ち始めるのは、大抵、小学校に上がったくらいからと思われるが、ちょうどその年頃私の学区では、保護者会より「小学校卒業まで自転車禁止」令が発布されたのである。私の生家は、山岳地帯の国道沿いにあって道幅が狭いうえに急カーブが多く、自転車に乗った子供と車の事故が多発し死亡者まで出てしまったことがその理由である。したがって小学校時代は必然的に自転車に乗る機会を奪われてしまった。一方、通学していた小学校へ、あるとき遊具の一環として一輪車が数十台導入されることとなった。いきおい休み時間や放課後に一輪車で遊ぶことに夢中となり、取り憑かれたように乗り回していた結果、飛躍的に技術が向上していった。後進や坂道での走行、回転なども自在にこなせるほど、目覚ましい進歩を遂げたのである。さて、中学校に進むと、自転車通学が解禁となり、周囲の「あんなに一輪車に乗れるのだから自転車なんてすぐ乗り回せるよ」という唆しを盲目的に信じ込み、そして見事騙された。同級生の自転車を借りて乗車を試みたのだが、1、2メートル進んでバタンと横倒しになったのである。まずハンドルの存在意義が分からず動揺した。車輪がなぜ2つも必要なのか飲み込めず「やだこれなんなの」と乗車の瞬間にはや恐怖を感じたら案の定、転倒したのだった。ハンドルについてはいわゆる舵取りなのだろうが、進行方向なら腰の捻りで司れるし、バランスなら両手を駆使した平衡感覚で十分図れる。なぜにあのような複雑な構造になっているのか今もって分からない。自転車に有って一輪車に無いものの中で羨望を覚えるのは籠、夜間ライト、そしてチリンチリンだけである。
 級友たちは「練習すればすぐ乗れるから」とけしかけてきたが、中学生にもなって無駄に怪我をしたくないし、自転車に乗れない醜態をガキどもに晒したくない。それに何より、私の中の美川憲一が「やめときなさいよ」と愚行を制止してくれたことが大きかった。どういうことかというと、その昔美川さんも自転車に乗れなかったのだが、40代になりコロッケのお陰で再ブレイクを果たしたとき、防虫剤のCM出演を打診され、それは自転車に乗った美川さんが商店街の真ん中を歩くちあきなおみに向かって「あんた、もっと端っこ歩きなさいよ」と言い放つ内容で、そのために苦心惨憺練習したという話が記憶の片隅に残っていたのか、私の脳内に美川さんが現れ、
「痛い思いして自転車練習するなんて馬鹿げているわよ。私みたいにCM出演の話が舞い込んだら練習すればいいじゃない。全てはお金のためよ」
と正論を振りかざして私を説得にかかったのだが、それだけに収まらず、美川さんの興奮は私を差し置いて勝手に助長されていき、
「そうよお金よ。お金。お金をちょうだい~♪」
と自身のヒット曲まで披露するというサービス精神ぶりであった。
 だから私は今でも自転車に乗れない。もちろん、美川さんの忠告通り、CMへの出演話が浮上すれば死に物狂いで練習する覚悟でいる。慾を言わせてもらえば、ディーンフジオカ(あるいは竹財輝之助)あたりと夫婦の設定でキャスティングしてもらえないだろうか。効果のほどがいまいちよく分からない液体歯磨きか、やたら香りのしつこい柔軟剤等のCMはどうであろう。空の蒼さが目に染みる新緑の季節、爽やかな林道を二人でサイクリングする、そんな一見無意味に思えるシーンだろうと、多額の契約金そして人気俳優と疑似夫婦を演じるためとあらば、多少の打ち身擦り傷覚悟のうえで猛練習する所存である。ぶら下がる人参は複数あった方がより上達は早いと思うのだが、各スポンサー企業広報部ならびに大手広告代理店の関係者様、ここはひとつ、全くの素人をキャスティングするという奇策に打って出てはいかがだろうか。とはいえ、妄想は果て無く拡がりをみせるものの、おそらく私は自転車に乗れないまま、ひたすら一輪車で爆走し続ける生涯をひっそり閉じることになるのだろう、と半ば諦めはついている。
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