(慶應ペンマークの)先端恐怖症 Vol.2

文字数 2,927文字

 さて、数カ月間に及ぶ、リストの愛の夢の旋律のように優美で幸福なリトミック教室(まことちゃんという不協和音はあったが)は終わりを告げ、私はピアノコースにもヴァイオリンコースにも進むことなく野生児に戻った。というのも、先生が寿退社することを聞かされてがっかりし、途端にクラシック音楽への関心が失せてしまったからである。ちなみに同じ教室に通っていた生徒たちはみな、同じ学区の公立小学校へ就学したが、まことちゃんだけはどのクラスにも見当たらなかった。強烈なキャラクターではあったけれど、小学校入学直後の慌ただしくも期待に満ち溢れた日々を過ごすうち、次第に忘れていったのだが、数カ月経ったある日の夕食時、母がまことちゃんって覚えてる?と聞いてきたので、あー覚えてるよあのカエルみたいな顔の生意気な子でしょと答えたら、私の批判はスルーして父に向い「まことちゃん、すごいわよ、慶應幼稚舎に入ったんですって」と感心しているので、「けーおーってなにさ?」と聞くと「とっても頭のいい学校でね、お金持ちのお家の優秀な子しか行けないのよ、女子高もあるから、将来あんたが頑張って入ったらお父さんお母さん何とかお金工面するけれど、まずあんたの頭じゃ無理ね」と嫌味をかましてきたので「ふーん、だから?」と鼻で笑って受け流してやった。
 さらに一年ほど経った頃だろうか。私たちは遠足か何かでターミナル駅のホームに集合していた。そのときあのまことちゃんと久し振りに再会したのだった。純情な子供のことで、彼の乱暴狼藉、不遜な振る舞いは一瞬で水に流して、久しぶり、けーおーに行ったんでしょすごいねえ、と取り囲んだったのだが、奴の本質は相変わらず、というよりむしろ有名校に入学した自負で助長されたのか、私たちを、下層の洗練されていない生き物と明らかに軽侮した様子で一瞥し、ふんと鼻を鳴らして「そうだよ!けーおーだよ!」とだけ言い放った。確かに私たちは遠足ということもあり、ジャージ姿がほとんどで田舎芋の煮っころがしそのままであったが、まことちゃんは肌触り良さそうなフェルト地の制帽に糊のぴんと利いた真っ白なワイシャツ、ぴかぴかに磨き上げられた革靴、牛革100%の高級そうなランドセルといった装いで、その対比はあたかも資本主義社会と学歴社会の格差という陰湿な影が、残酷にも無垢な子供たちに暗く兆し始めているかのようであった。奴に旧交を温めるといった素振りは一切なく、くるりと踵を返すと、別れの挨拶すら残さず、特急列車の指定席車両に向かって駆け出して行った(彼の父親世代にあたるくたびれたサラリーマンたちは、異常繁殖したタガメのごとく自由車両内でひしめきあい、身も心も摩耗しているというのに!)。まさにそのときである。ランドセル中央下部に堂々と刻印されたペンマークが、朝陽を受けピカリと不気味に輝き、私たちの幼く澄んだ眼を射た。それは、万年筆が二つ斜めに重なったもので、私たち全員共通して、まことちゃんの、あの、好意を寄せた異性に婚約を無理強いするときの脅迫道具を連想してフリーズしてしまったのだ。狩猟対象に選ばれなかった私でさえペンマーク先端にくぎ付けとなって言葉を失ったくらいであるから、被害者の女の子らはというと、明らかにPTSDと思われる拒絶反応を示しており、蒼褪め小刻みに震えていた。「あれ、まことちゃんの万年筆だよねえ・・・」と囁き合う私たちの間に広がった不穏なざわざわは、当分の間収束することがなかったのである。
 それ以来、慶應と聞けばまことちゃんに具現化された慶應ボーイ像が反射的に思い浮かび、ついで交差した万年筆のシンボルが脳内でニューロンのように発光し出しては、「さすぞ!さすぞ!」と異性に迫る慶應ボーイの狂気(凶器)をも連想するようになってしまった。そういえば、近頃下半身の暴発を抑制できない困ったボーイたちを量産・輩出して世間からやや白い眼を向けられつつ慶應であるが、まさかとは思うけれど、女性たちを屈服させるのに高級万年筆を振りかざしているのではないかとまで邪推してしまい、その狂態を想像すると不謹慎にも噴き出してしまう。さらに、ニュースで慶應ボーイたちによる不祥事が報道されるたび、「ひょっとしてまことちゃんでは?」と実名を確認する妙な癖も付いてしまった。現時点ではまだ性犯罪者やDV加害者等に堕してはいないようだが、いつかそのうちやらかすのではないかと危惧していて、というのも三つ子の魂なんとやらではないが、人間の本性などそう簡単に矯正されるはずもなく(私だってリトミック教育の効果は絶無で、そのまま“変わった女”の人生街道を爆走している)、浮気を疑ってダイニングの片隅へ妻を追い詰めておき、万年筆の先端で難詰するエリート夫を妄想しては、女たちはどうかペンマークをラベリングされたブランド製品というだけで安易に足を広げてしまわず、内奥に隠された男の本質を見抜く眼力くらい早いうちから養成して欲しいと願うばかりである。それというのも、私の女子高の同級生の中には女子大へ進み、男に対する免疫力が発育不全のまま、婿選びの必要条件の上位に学歴を据えている母親たちの教唆もあってか、慶應のインカレサークルに尻尾を振って飛び込んでいき、ぜひともバージンは慶應ボーイに奪って欲しいと切望する程に、脳味噌が遠い惑星のお花畑に打ち上げられたままのような女たちも実在していて(実際に、子犬のように懇願し、ペンマークの先端で処女膜を突き破ってもらったはいいが、ついに恋人には格上げされることなくそれでも情婦(セフレ)同然の立場を甘受して、あるときなどシーフードカレーを調理し家庭的な側面をアピールするも、そのせいでゴキブリが出たと責められ棄てられた馬鹿女もいる)、そういった無条件の媚びへつらいがボーイたちの選民意識を刺激し、本来は学業の象徴であるべき2本のペンは同時に雄としての魅力と優性の証であると勘違いさせてしまうのではないか。性犯罪1件を例に取ってみても、加害者(ここでは仮に男性とする)を中心として、その共犯者や近親者、友人知人など放射線状に関連人物を辿っていけば、犯罪形成の遠因として(既述したような)同性(=女性)の消極的加担/関与が浮かび上がってくるのもこれまた嘆かわしい事実なのである。まあ、私としては慶應ボーイに個人的怨恨はないし、昨今の大学“性”事情を分析して社会批評を加える柄でもなければ、犯罪学の知識もないのでどーでもいいのだが、『秘密結社三田会の構成員たちがようやく危機感を持ち、若い陸の覇者たちの性の緊縮政策を本腰入れて議論し始めたはいいが、次第に本筋は逸れていき、各構成員の人脈を濫用してマスコミ各社に(慶應ボーイが引き起こした醜聞の)報道の自粛を隠密裏に求めようと暗躍し始める』といった下品な三田会コントを、元同僚のデザイナーと実は制作中である。しかし内輪だけの密かな愉しみに留めておくつもりだ。私だって、ペン先の報復がたまらなく怖いのである。                   
                                       おわり
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