第1話

文字数 1,039文字

 オムツ交換も終わり、ホールで紅白を見ていた利用者たちも、眠気に負けて居室に入った。
 これで、やっと落ち着くことができそうだ。

 (夜勤で年越しそばを食うことになろうとはね)

 ひっそりとした通路を歩く。ほとんどの居室は消灯されているが、自室にテレビを持っている人は、寝ながら年末番組を見ているようだ。微かに賑やかなの音が耳に届いた。
 暖房が入っていても、夜は底冷えがする。この施設は古いから、温もりが隅々まで行き届かない。
 介護ステーションの中に入り、ホールの明かりを操作する。これで良し。ひっそりと暗い、夜の時間をようやく迎えることができる。
 年寄りはみんな紅白が好きだ。だから、いつもは八時に寝る人でも、テレビの前で粘った。しかし、もうじき十一時というところで、うたた寝を始めた。風邪を引きますから休みましょうね、赤が勝つか白が勝つか、明日わかるから。そう言うと、利用者たちはみんな、目をこすりながら布団に入っていった。思っていたよりもあっさりとしたものだった。

 
 照明を落としたホールで、テレビの紅白だけが華やかな光線を放っている。
 わたしはテレビの電源を切った。持参のカップそばにお湯を入れてホールに戻ってくると、やはりぞくりと寒かった。熱いインスタント麺をテーブルに置くと、そっと自分のパーカーをはおった。

 今頃自宅では、幼い子供はパパの布団で一緒に寝ているだろう。
 本来はわたしの夜勤の日ではなかったが、直前になって体調不良の職員が出たからシフト交代してほしいと言われ、こんなことになってしまった。
 2019年、例年以上に過酷な仕事の年だったが、最後の締めが年越し夜勤だったとは。

 (せめて、何事もなければいい)

 三分を待たずに蓋を開いてそばを啜る。
 そうだ、何事もなければいい。遅い夕食を摂りながら、居室に入らず、ぽつんとホールに出ている一台のベッドを眺める。
 
 一人、呼吸状態が変わってきた利用者がいる。
 夜勤入りの時、看護師からの申し送りで念押しするように言われた言葉が蘇る。
 「肩呼吸が出てきています。ご家族は日中に一度来られましたが、泊ってゆくことができないそうで。下顎呼吸に変わった段階で、すぐにご家族に連絡してください」

 (すぐにって言われてもさあ)
 
 ずるずる。そばを啜ると、熱い汁が飛び散る。
 今、件の利用者は、呼吸状態の変化を見逃さないために、ホールに出たまま、ひっそりと眠り続けている。
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