16 アウトノミアと自由ラジオ

文字数 5,697文字

 日の丸って、聖徳太子が隋の皇帝煬帝へ送った「日出処の天子、書を日没処の天子へ致す。恙無きや」という書に由来してんでしょ?そんで、それを外国に卑屈にならず、強気に出て、痛快にもハッタリをかましたと信じてる人が多いけれど、むしろ、隋の側は「ずいぶんと礼儀を知らんもんですなあ。馬鹿につける薬はないと言いますからなあ」と呆れてたわけ。向こうは余裕よ。ユーモアとして、日の丸を国の旗にしたってなら、面白いんだけどね。考えてみれば、江戸時代だって、主権在民はともかく、天皇は象徴制だったようなものです。天皇は政治参加することなく、象徴的な存在として京都にいたわけです。むしろ、明治に入ってから、欧米に負けない国家になるべく、元首として政治権力を発揮したのであって、観念右翼は江戸時代を批判して明示態勢を規定しますね。地方分権は江戸時代的だとか。戦後、伝統的な天皇制に回帰したように思えます。日本では、天皇は、多くの場合、口実です。それは東アジアの中心があくまでも中国であり、日本は辺境ということから生じているんですね。中国は東アジア文化圏の中心として振舞わなければならないため、本音と建前は一致して示さなければなりませんが、日本は所詮田舎ですんで、その辺が曖昧でも誰も気にしないんですわ。

 「太陽の代わりに音楽を、そして青空の代わりに夢を」。知ってる?伝説的なDJ糸居五郎さんのセリフ。「パーソナリティ」という名称を拒否し続け、「DJ」に誇りを持っていて、オランダの海賊放送局の船、メボ2000号から生放送したこともある偉大な、偉大なDJです。”Go Go Go and Goes On!”戦時中も、武田泰淳さんばりのほめ殺しで、敵性音楽のジャズをかけたって、気骨の人。「ディスク・ジョッキー(Disc Jockey)」という呼び名はレコード盤、ディスクをターン・テーブルに載せる姿が競馬のジョッキーに似ていることから、あるいはレコード盤を交換しながら次々に曲を掛ける姿がディスクを乗りこなすジョッキーになぞらえたことから、生まれています。ラジオ番組では、音楽よりトークを重視する番組の場合、パーソナリティと呼ばれるのね。他に、東京のFM局J-WAVEの「ナビゲーター(Navigator)」、神戸のFM局Kiss-FMの「サウンドクルー(Sound Crew)」というように独自呼称を使っている局もあります。あの方がリクエストに応えたのは、知られている限り、ただの一回だけ。ヘルメット姿の学生が元気だった頃、バリケードの中の学生からそれを包囲する警察へ映画『刑事(Un Maledetto Imbroglio)』のラストに流れる『死ぬほど愛して(Sinno Me Moro)』をリクエストしたとき。学生たちのユーモアに微笑んだというわけ。DJに必要なのはユーモア。ユーモアを忘れずにしなきぃけません。

 『刑事』のラスト。忘れられないなあ。殺人に関係のない人たちがお互いに相手が殺したと思っている。そこにパトカー。ニーノ・カステルヌオーヴォ(Nino Castelnuovo)が扮した女中の許婚の電気屋ディオメデ(Diomede)が逃げる。捕まって、パトカーで連れて行かれる。怖いね。一九五九年のイタリア映画。監督・主演はピエトロ・ジェルミ(Pietro Germi)。『鉄道員(Il Ferroviere)』のあのピエトロ・ジェルミ。無骨で、サッカー選手のクリスチャン・ヴィエリ(Christian Vieri)みたいね。共演がクラウディア・カルディナーレ(Claudia Cardinale)。デビューしたばかり。まあきれいだこと。彼女はこの映画からスターになっていくのね。そんなわけで、『死ぬほど愛して』をかけましょうね。

Amore amore amore
Amore mio
IN braccio a te me scordo ogni dolore
Voglio restare con te sinno" me moro
Voglio restare con te sinno" me moro
Voglio restare con te sinno" me moro

Nun piagne amore
Nun piagne amore mio
Nun piagne e state zitto su sto cuore
Ma si te fa soffrire, dimmelo pure
Quello che mai da dire, dimmelo pure
Quello che mai da dire, dimmelo pure

 フランスの「自由ラジオ放送(la radio du livre)」は海賊放送としてフランス中に拡散・浸透したけど、フランソワ・ミッテランの社会党政権が成立すると、この電波法違反を黙認し、国営放送局によって独占されていたFM放送帯に、民放、自治体の放送局、各種運動・趣味の私設放送局が参加し始めています。一九八一年の政権成立後の数ヵ月間だけで、パリなどの都市に放送設備を売る店がオープンし、五〇〇〇フランもあれば──当時の為替レートはいくらだろう?多分一フランス・フランが一〇〇円もしないはずだから、五〇万円以下──送信機材を手にできるようになったから、その七月には、パリだけでも二五〇〇以上の自由ラジオ局が生まれている。通信相ジョルジュ・フィリウが新しい電波法の草案を提出して、翌年の春、国家による電波の独占が撤廃される。ただ、このとき、フェリックスは電波の自由化がその商業化ないし道具化になりかねない危険性を警告している。自由化はしばしばまやかしの多様化になってしまう。非線形的な自己組織化ではなく、線形的な支配。自由ラジオは電波の民主化、すなわち受信者がいつでも送信者になるこの絶え間ない反転において意義がある。電波のゲリラというわけ。

 ラジオは放送が、狭い地域だけなら、わりに簡単。社会的に排除されてる集団ってあるでしょ?外国語しかわからない移民や定住外国人とか。そういう人たちに情報提供するのにラジオはすごく効果的なんです。災害の時に、外国語による情報は少ない。ラジオがそういう時に本当に役立つ。コミュニティFMが結構日本にもありますね。また、STVラジ、札幌テレビ放送のラジオで、アイヌ語講座を放送してます。恥ずかしい話ですが、近代日本はアイヌ語を事実上の死語にしています。日常会話で使われることがほぼないのです。一つの言語を旧土人法とか政策によって滅ぼしてしまったというのはあまりに罪深い。近代日本の犯した罪の一つです。”Ku=yayapapu”.毎週日曜日の七時から一五分、土曜日の夜11時から再放送されています。ラジオが言語多様性に貢献しようとしているのです。あと、日本では刑務所内で専用のラジオ放送が行われてる。DJは宗教関係者とかがやってる。社会的排除にラジオは取り組んでいるんだよ。

 また、イタリアでは、一九七六年以降、電波の到達距離が一五kmを超えず、一〇万人以内の視聴者の放送局であれば、所轄の警察に登録するだけで誰でも開設できるように規制が緩和される。自由ラジオのみならず、自由テレビも出現して、翌年にはテレビ局が一〇〇局ぐらい、ラジオ局に至っては、一〇〇〇局も誕生している。これって、CATVでも、デジタル放送でもないよ。出力が弱いだろうけど、それにしたって、夜の中波は混信状態だよね。その中に、ボローニャのラディオ・アリチェ(Radio Alice)というのがあるんだけど、これは代表的なアウトノミア運動の放送局。アリチェは英語のアリスのこと。こう名乗る自由ラジオ局は、日本ではバンドの名前だけど、「ありがっとう」、ヨーロッパに少なくない。アイルランドにもありますですね。こうした電波の自由化は、たんにラジオやテレビの視聴者を受け手から送り手に変えるだけでなく、分子的な群れの出現、自己組織性の顕在化。一九七四年に始まり、一九七七年にピークに達した工場や都市、学校などで起ったイタリアのアウトノミアは、一つの組織ではないし、むしろ、自己組織性を持ったアンサンブル。今のホームページのように、いろんな組織が変動しつつ、ある種の総体を構成していて、これを可能にしていたのが自由放送局というわけ。自由放送はアウトノミアの性格を具体的に表現しているんで、それをめぐる人間関係やコミュニケーションのモデルになっているんです。

 アウトノミアの革新性は、それらが連帯してなかったこと。つまり、ネットワークでさえなかったてわけ。お互いに共鳴しあっていただけで、手をつないで連帯してはいないのね。都市におけるゲリラ活動の非線形的な引き込み現象。そうねえ、invisibleなネットワークと言えなくもない。最近、反米的な抵抗運動やイスラム主義者によるテロが世界規模で行われているけど、手法は別にして、ある意味で、彼らはアウトノミアのスタイルを知らずに復活させている。非線形的引き込み現象。世界各地で、「アルカイダ」を名乗る団体、下手をすれば個人なのかも、殺される前のウサマも著作権や商標、特許権を要求してもいないから、まったく関係のないのも無数にある。もっとも、それはモダニズムですでに見られます。モダニズムでは世界中の各都市で、ベルリンやパリ、ニューヨーク、東京、上海みたいに、芸術家や作家たちにシンクロニシティが起きています。ポストモダニズムはモダニズムのパロディみたいなところがあるんです。そう考えると、「カオスモダン」が最適ですね。よし、決定! 「カオスモダン」。「決定!全日本歌謡~選抜」。小川哲哉さんなら、「『カオカオ』って呼ぼうかな」って感じ。

 アルカイダもアルカイダ主義ちゅうようになったんじゃないかのお。そげなことからイスラム国も出てきたんじゃろ?組織んこと考えたら、寄らば大樹たからのお。破門されちょるけどのお。イスラム国にはアルカイダの看板も要らんけんのお。

 これから聞いてもらう曲は、内戦前のシリアで、毎週金曜日の朝にラジオから流れてくる歌です。歌ってるのはファイルーズ(Fairuz)、フェイルーズとも言いますが、レバノンの女性歌手です。はっきりいます。アラブで知らない人いません!大御所中の大御所で、日本で言うと、美空ひばりという感じかなあ。歌のタイトルは『アルクドス(Al-Quds)』です。これはアラビア語でエルサレムのことです。エルサレムはユダヤ教やキリスト教だけでなく、イスラムでも聖地なんです。ムハンマドが昇天した土地とされていて、今はメッカ、正確にはマッカですけど、メッカの方向に向かってお祈りしてますが、その前はエルサレムに向かってたんですよ。「クドス」の「ク」は喉で「ク」と出す音ですので、ご注意。金曜日はイスラムの金曜礼拝の日。エルサレムを取り戻せ、アラブの大義を忘れるなという呼びかけですね。五分以上ありますので、覚悟してお聞きください。では、ファイルーズで、『アルクドス(Al-Quds)』。

مريت بالشوارع ... شوارع القدس العتيقة
قدام الدكاكين ... الي بقيت من فلسطين
حكينا سوى الخبرية ... وعطيوني مزهرية
قالوا لي هيدي هدية ... من الناس الناطرين

ومشيت بالشوارع ... شوارع القدس العتيقة
أوقف عباب بواب ... صارت وصرنا صحاب
وعينيهن الحزينة ... من طاقة المدينة
تاخدني وتوديني ... بغربة العذاب

كان في أرض وكان ... في إيدين عم بتعمّر
عم بتعمّر تحت الشمس وتحت الريح
وصار في بيوت وصار ... في شبابيك عم بتزهّر
وصار في ولاد وبإيديهن في كتاب

وبليل كلّو ليل سال الحقد بفيّة البيوت
و الإيدين السودا خلّعت البواب وصارت البيوت بلا صحاب
بينن وبين بيوتن فاصل الشوك والنار والإيدين السودا

عم صرّخ بالشوارع ... شوارع القدس العتيقة
خَلِّ الغنية تصير ... عواصف وهدير
يا صوتي ضلّك طاير ... زوبع بهالضماير

 シリアのダマスカスにあるウマイヤード・モスクはアザーンが独特。アザーンは礼拝の時刻を知らせる声ね。あれ、普通は読誦なんだけど、ウマイヤード・モスクは複数でするんですよ。あれ聞くと、ダマスカスな感じがする。

 あとね、シリアにマアルーラという村がある。ダマスカスから北東に六〇キロくらいかなあ。ここ、アラム語の村。アラム語はイエスが話していた言語とされていてね。ここの住民はほとんどがキリスト教徒で、儀式をこのアラム語でするんだよ。二〇〇〇年前にイエスが話していた言葉が聞けるわけ。まあ、当時とは変化してるとこもあるとおうけど。感激だよ!タイム・カプセルを開けたみたいでさ。でさ、神父がワイン買わないかって言って来てね。フルで四ドル、ハーフなら二ドル、どう?重いなと思って、アラム語のテープ買って勘弁してもらったけど、買えばよかったなあ。どうしてるかな?あの神父。ニュースじゃ、住民はほとんど逃げたらしいけど、アラム語が消えてしまうのかな。二〇〇〇年も生き残ってきたのに、自分たちの生きている時代に死語にしてしまうなんて、情けないね。申し訳ないよな。
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