21 Adieu

文字数 6,396文字

 こうやって曲をかけてるけど、実は使用料払ってない。ごめんなさーい!でも、払う気がないんじゃない。払ってもいいと思ってる。創作の苦労は理解してる。ただ、とりこないもの。そうだ、楽曲の印税ってさ、作詞家と作曲家の比率が高いんだよ。歌手や演奏者は安い。何でかと言うと、営業やコンサートで稼げるから。ギャラは、理論的には、青天井じゃない?だから。使用料払ってもいいけどさ、でも、かけてるのは古い曲ばかりよ。宣伝ってことになんないかね。ワタシ、ハッピー、アナタ、ハッピー、ミンナ、ハッピー!ウィン・ウィン。

 いかんいかん。グローバリゼーションというエントロピーが増大し、平衡に達するべく均質化へと向かっている。それは閉じられた系を前提にしているんです。だから、フェリックスは非均質的な開いた系における非平衡の生成としてカオスモーズを提起する。「非(Non)」は対抗概念じゃないのです。むしろ、それが先にあるんですなあ。自由ラジオのようなアウトノミアはエントロピー増大に従わないリポゾームであり、「自律」は「自己組織化」を意味する。人はそれぞれ思惑や立脚点が違うから、そこに目を向けなきゃ行けない。政治的・社会的な変革ってのはさ、その上で、意思決定過程の改定と人民のエンパワーメント(Empowerment)をするってこと。アウトノミアはそのための場。自己組織的な生成による非平衡革命がフェリックスの言う分子革命であって、それこそが長く冷たい革命として世界を変える小さな革命。

 あら、あなた、デジタル放送って知ってる?いやだ、知らないの?だめよ、あなた、無知ねえ。未来のラジオよ。知っておいたほうがいいわよ。でないと、馬鹿にされちゃうわ。二〇〇六年から、日本じゃ、東京と大阪で始まってるのよ、あなた、地上波デジタル・ラジオ。それを聴くには、専用の受信機が要るから、ま、知らない人が多くても仕方がないわね。いずれ、今のデジタル家電や携帯電話に内蔵されるようになるでしょうよ。ほら、あなた、ビジネス・チャンスだから、金儲けするのよ。音質は今の音楽CD並みで、ちょっとした画像や動画も見れるから、専門チャンネル番組の放送やデータ放送が考えられてるわ。デジタル・ラジオは、その意味じゃ、ラジオと言えるかどうかわからないわよねえ。でもね、あなた、ペット向けの放送まで実験しているらしいのよ。びっくりしちゃうわねえ。メディアの世界は、あなた、驚きよ、驚きが大切なのよ。びっくりしたなあモウよ。ユリイカよ。わかる、あなた、驚きってユリイカって言うのよ。知らないの?いやだ、教養ないわねえ。恥ずかしいと思わないの?あなた、しわとりしすぎて脳みそのしわまでとっちゃったんじゃないの。アルキメデスはアルキメデスの原理を見つけた時、そう言って、湯船から飛び出して、街中を走り回ったのよ。スッポンポンでよ、あなた、スッポンポン。どんなのしてたのかしらね。きっと立派よ。折りたたみ傘みたいのよ。あら、ちょっと顔が赤らんじゃうわ。いろんなジャンルの音楽番組や映画情報番組、スポーツ中継専門番組、ニュース、株価、天気、交通情報、外国語の番組もいっぱい始まっちゃうわ。外国語のほうが得意な人も大勢住んでるから、その人たちにも便利になるわ。そしたら、あなた、誰かオカマの番組、始めないかしら。女向けの番組なんか今でもあるけど、こっちの組合のがないわ。そこで、オカマ俳句なんか募集するのよ。「あらあなた 驚いちゃうわ まあいやね」。どうかしら。季語がない?いいのよ、ちょっとくらいおまけしなさい。季語がお通しじゃないのよ。地球温暖化で、季節もおかしくなっちゃってて、あなた、秋に、赤とんぼと蝶々が一緒に飛んでんのよ、てふてふがよ、季語なんかどうにもなんないじゃないのよ、あなた、世も末よねえ。

 障害者に向けた番組だってできちゃう。障害者は数が少ない、健常者よりはね。マイノリティ。でも、その人たちがはまれば確実、固定支持層。浮気しない。ラジオは今でも病院や施設、作業所でも聴かれているし、視力の出ない人たちにとって情報収集や娯楽には欠かせないメディア。データ放送が始まれば見えるラジオになって、聴力が今ひとつの人にも楽しんでもらえるかも。フェリックスは精神病院改革に取り組んでた。彼はともかく、ある時期まで、いや今でもいるのかな、ノーマライゼーションを脱施設化と短絡的に捉える傾向があったんです、施設か市井かというような二項対立。でもさ、知的障害者、精神障害者、まあ、そこまで重くない不登校とか引きこもりでも、現実社会に対していろいろときついことがあるじゃない。さしあたり、その人たちが気楽にできるようになってもらえるほうがいいわけで、そのためには施設やサークルつうかグループつうかを有効活用するのも手だよね。やっぱ、そういうところって、ノウハウの蓄積があるから。大切なのはライフ・スタイルじゃない?ねえ。もちろん、アホらしい偏見とか差別とかを解消していくために、世の中の人と接する機会をつくることは不可欠。それは、むしろ、世間にとって必要、♪な~んでかっ、な~んでかっていうと、ものの見方を広げるため。同じ方向ばかり向いている社会はたまらんぞ~。それにさ、誰だって障害を持つことになる可能性だってあるんだよ。社会に対してああいう人たちが居直れるような場所が必要だよ。そんな放送がありゃいいね。

 でもさ、メディアが前衛の役割をする時代はいいもんじゃない?そんなの線形的すぎる。でも、これもメディアか。自己言及性のパラドックス?ハハ。フェリックスの非平衡革命は流動モザイクモデルなんだからさ。二〇世紀初頭、革命における前衛党の意義が説かれているんです。無線もないため、司令部からの連絡手段が限定的だった時代において、前衛が重視されたども、通信手段が発展し、司令部が後方に下がると、むしろ、後方が戦闘の全体像を把握できるだべさ。第二次世界大戦には、後方の重要性が認識され、輸送船や輸送機が標的になっている。さらに、ベトナム戦争では、前線が存在せず、前衛と後方の区別が決定不能になっている。戦闘が非対称になればなるほど、すべてが戦場になる。今、世界はイラクでそれを実感してる。それは軍事的衝突から心理戦への変容を意味します。イラクの都市部で実戦経験を積んだテロリストあるいは聖戦戦士が世界規模で拡散し、爆弾テロを実行する可能性もあるのです。これは余談ですけど、イラクって最も古くから文明が発達していたことは知られてますが、古代メソポタミアの遺跡で発見されたバグダッドの電池は一九世紀の電池とほぼ同じ能力を有しているんですよ。古代人はこの一Vの電池を金メッキに使ったと推測されてるんです。なんかさあ、そんなところにさあ、アメリカとか日本とかさあ、偉そうだよねえ。イラクは、事実上、都市型テロの演習場と化しているんです。最終的には、ソフト・ターゲットを狙ったテロリズムが展開されてます。

 イスラム国なんか、ネットでどんな手を使ってもいいから、欧米人を殺せと酔先導してるでしょ?映画の『ファイト・クラブ』だよな、まるで。誰でもいいから喧嘩を売って、わざと負けろ!アルカイダがマクロテロリズムなら、イスラム国はミクロテロリズムだよね。そこが新しさだけど、ターゲットが無差別。戦場に来れないなら、そこでやれ!どこでも戦場だ!戦争は戦闘で勝たなくてもいい。政治的に勝てばいい。どこでも、いつでも、誰でもテロの被害に遭う。もちろん、やった奴は射殺されたりしちゃうわけで。それがマスメディアやネットで瞬時に伝えられる。これは恐怖だよね。実際にはテロリストは人類の全人口に比べればほんのわずか。でも、その少数派が世界に影響を与える。極端だよな。

 レジスタンスの活動家は、歴史的に、ゲリラであり、テロリスト。歴史的にそうなんだけど、よくよく考えるとさ、レジスタンスって極論との闘いだよね。近代は自由で平等、自立した個人が理念じゃない?選択の自由がある。でもさ、それって人間関係を選べることだから、気の合う人や考えが同じ人とのつきあいだけを選んで、他と接触しないってことにもなるよな。社会は多様化しても、似たような人だけが詰まる。そうなると、修正が効かないから、極端な考えが増幅されかねないよな。前近代は生まれ育ったところで顔見知りの人間関係じゃない、たいていは。農業にしろ、商業にしろ、経験が知恵じゃない?偏ったことを口にすると、年寄りから諭されるから、極論が生まれにくい。だから、近代ってのは極論が生まれやすい。ナチズムは近代の思想なんだよ。

 おまけにさ、社会が複雑化してくるからさ、自分が有用なのかわかんなくなるじゃない?社会全体が見えないから、自分って役に立ってるのかなって疑問に思うじゃない?貧しくても豊かでも、生きがいがあるかどうかってのはそれだけで決まらないじゃん?コミュニケーションが偏っていて、生きがいが感じられないとなるとさ。極論に憑りつかれる危険性が高いよな。自分が有用だって極論が感じさせてくれたら、自分は正義なことをしてるって極論に吹きこまれたらやばいいよな。暴力に生きがいを見つけるんだから。鉄砲や爆弾だけじゃねーぞ、ヘイトスピーチのような弾誹謗中傷や罵倒だって暴力の一種だぜ。特に、ネットは偏ったコミュニケーションをさらに偏らせる危険性がある。テロ集団に加わるのもそうだけど、極論に国も支配されたりするわけだと。世界から孤立するような極論なのにさ、そんな勢力が民主的選挙によって統治担当に選ばれたりするんだよ。極論ってのは自分中心で、他を利用する対象としか見てねーんだよ。

 現代のレジスタンスは極論との闘いさ。極論を見つけたら、おもしろがったり、放置したりしないでさ、多様なコミュニケーションを問いかける。ケース・バイ・ケースだけど、とにかく白黒はっきりってのは世の中にはないんだよって考えるようにすることだよな。非平衡の革命ってそういうことじゃねーかな。ラジオも多様なコミュニケーションを語りかけるために働けると思うし、そうしなきゃいかんとね。生きがいを見出せない人もそうだけど、社会から排除されている人、つまり社会的アクセス権が守られていない人にもラジオは多様なコミュニケーションの関係を提供できる。ラジオは人と人のつんがりを強くするだけじゃなく、橋渡しにもなる。そう思ってラジオやってるけどね。ただ、抽象的なこともずいぶん言ったから、「それではちんぷんかんぷんです」と池上彰さんからが諭されそうだね。これでも雑かなと思うくらいに簡略化してんだけどね。非平衡の革命のため、この点から、今日の活動家は前衛ではなく、ゲリラたらねばならない。それは非平衡的なリボソーム。散開!

 ああ、早いなあ、もう終わりの時間だ。用意した曲、ほとんどかけられてなーいい。アイヌや沖縄のいい曲もあったんだけど、しゃべろうとした話もまだまだあったし、う~ん、残念、次回かあ。♪一週間に十日来い。そう言われたいもんだねえ、DJとして。それじゃ、お名残惜しいけど、これが最後の曲。えー、フェリックスにふさわしく、ラストはスタイル・カウンシル(Style Council)、『シャウト・トゥ・ザ・トップ(Shout To The Top!)』。また、いつか、どこかで。「カオスモダン」だよ。Adieu, la revolution!

I was half in mind - I was half in need,
And as the rain came down - I dropped to my knees and prayed
I said "oh Heavenly thing - please cleanse my soul,
I've seen all on offer and I'm not impressed at all".
I was halfway home - I was half insane,
And every shop window I looked in just looked the same
I said send me a sign to save my life
'Cause at this moment in time there is nothing certain in
these day's of mine

Y'see it's a frightening thing when it dawns upon you
That I know as much as the day I was born
And though I wasn't asked (I might as well stay)
And promise myself each and every day - that -

When you're knocked on your back - an' your life's a flop
And when you're down on the bottom there's nothing else
But to shout to the top - shout!
〈了〉
参照文献
フェリックス・ガタリ、『分子革命―欲望社会のミクロ分析』、杉村昌昭訳、法政大学出版局、一九八八年
『機械状無意識―スキゾ分析』、高岡幸一訳、法政大学出版局、一九九〇年
同、『三つのエコロジー』、杉村昌昭訳、大村書店、一九九一年
同、『精神分析と横断性―制度分析の試み』、杉村昌昭・毬藻充訳、法政大学出版局、一九九四年
同、『闘走機械』、杉村昌昭監訳、松籟社、一九九六年
同、『精神と記号』、杉村昌昭訳、法政大学出版局、一九九六年
同、『分裂分析的地図作成法』、宇波彰・吉沢順訳、紀伊國屋書店、一九九八年
同、『カオスモーズ』、宮林寛・小沢秋広訳、河出書房新社、二〇〇四年
同、『アンチ・オイディプス草稿』、國分功一郎他訳、みすず書房、二〇一〇年
同、『精神病院と社会のはざまで―分析的実践と社会的実践の交差路』、杉村昌昭訳、水声社、二〇一二年
同、『人はなぜ記号に従属するのか―新たな世界の可能性を求めて』、杉村昌昭訳、青土社、二〇一四年

フェリックス・ガタリ=ジル・ドゥルーズ、『カフカ―マイナー文学のために』、宇波彰他訳、法政大学出版局、一九七八年
同、『政治と精神分析』、杉村昌昭訳、法政大学出版局、一九九四年
同、『アンチ・オイディプス―資本主義と分裂症』、宇野邦一訳、河出文庫、二〇〇六年
同、『哲学とは何か』、財津理訳、河出書房新社、二〇〇七年
同、『千のプラトー―資本主義と分裂症』、宇野邦一他訳、河出文庫、二〇一〇年
フェリックス・ガタリ=アントニオ・ネグリ、『自由の新たな空間』、丹生谷貴志訳、朝日出版社、一九八六年

合原一幸、『カオス学入門』、放送大学教育振興会、二〇〇一年
石丸昌彦、『精神医学特論』、放送大学教育振興会、二〇一〇年
笠原潔他、『音楽理論の基礎』、放送大学教育振興会、二〇〇七年
柏倉康夫他、『日本のマスメディア』、放送大学教育振興会、二〇〇八年
佐藤卓巳他、『ことばとメディア』、放送大学教育振興会、二〇一三年
二河成男、『生命分子と細胞の科学』、放送大学教育振興会、二〇一三年
平井玄他、『東京劇場 ガタリ、東京を行く』、ユー・ピー・ユー、一九八六年
粉川哲夫他、『政治から記号まで―思想の発生現場から』、インパクト出版会、二〇〇〇年
エドゥアール・グリッサン他、『フェリックス・ガタリの思想圏―からへ』、杉村昌昭編訳、大村書店、二〇〇一年
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