8 途上国を考える

文字数 3,537文字

 余談ばっかりだな。アントナン・アルトーを援用し、フェリックスはジルと共に「器官なき身体(Corps Sans Organe)」を提起する。これは、あらかじめ与えられた「有機体(organisme)」を前提とした統一的な身体ではなく、それぞれの部分が先に存在している身体のこと。この部分は、有機体に閉じこめられ、全体に奉仕する一定の役割しか果たさないのではなく、他の部分とリゾーム的に結びついている。新しい生成を形成し、また他の部分との結合を切り離して、別の部分と結合することもできる。別に抽象的な話じゃない。植物は、枝や根、葉が示している通り、多種多様なパターンによって複雑に構成されてます。でも、その内部には器官がなく、単純だ。生殖細胞はなく、未分化の細胞、すなわちカルスからでさえ増殖できる。接木も挿木も可能。フランスのワイン用のブドウのほとんどは接木して育てているし、「ポマト」なんてのもありましたねえ。「器官なき身体」ってのは、植物的な生成のことなんだ。でも、植物にも、フェリックスは、ジルと一緒に、二種類あると言ってます。「リゾーム(Rhizome)」と「ツリー」。ツリー、つまり樹木は、生物学で用いられる系統樹のように、根・幹・枝・葉という秩序・ヒエラルキーを表現している。樹木が西洋の伝統的なコスモスの思考を示す比喩であるのに対して、リゾームはカオスな関係の比喩。リゾームが相互に関係のない異質なものが上下ではなく、横断的に結びつくものなんて、それを言っちゃあおしまいだよ。結構。似てるでしょ。寅さんの物真似のコツは表情豊かに口を開けて、ため息をつくように、摩擦音で声を出すこと。ゆっくりと柔らかく息をのどから出すと、寅さんが久しぶりに柴又に帰ってきておばちゃんに挨拶をしている感じになる。感情が高ぶってくると、寅さんは摩擦音からはりのある音に変わるので、要注意。リゾームは無秩序に見えて、自己組織的な秩序がある。それは、非線形性を持っている点で、ロゴス中心主義を否定する。リゾームは、だからさ、ノマドとも深い関係にあるのね。

 東浩紀みてえに、ポストモダンを動物に譬える意見もあるけど、それって、アニマル・スピリットのことだから、モダンだぜ。ケインズ、そうJ・M・Kが『一般理論』で何かしてないと落ち着かない連中をアニマル・スピリットとを書いてるけど、あの本はモダニズムの時代だろ?ポストモダン論ってさ、モダンと実はごっちゃになってるのが多いね。

 ツリーとリゾームの寓話は壁と膜に置き換えられる。ツリーが象徴するのは膜、より正確には、細胞壁。それは浸透しない。東西冷戦構造は、ベルリンの壁を思い起こすまでもなく、壁の世界。"Ich bin ein Berliner".完全に閉じられた系で、全体として見れば、平衡状態に達している。

 一方、リゾームは膜、細胞膜です。それは半透で、通すものと通さないものがある。九〇年以降は膜の世界と言っていいんじゃないんすかねえ。移民や難民はこの膜を通り抜けるようとして、浸透圧が生じている。現代の発展した都市は、輸送手段と情報通信の高速化・大容量化に伴い、巨大化が促進されると同時に、コミュニケーション空間は縮小している。ここで注意が要る。カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスは。『ドイツ・イデオロギー』の中で、「交通」という概念を提起してっけど、コミュニケーションの拡大には輸送・通信手段の発達が不可欠。グーテンベルク革命が起きても、印刷物はそれほど広まっていなかったけれども、輸送手段の拡大によって書籍・新聞・雑誌等が印刷所から遠隔地にも運ぶことができるようになった一九世紀に入って、印刷メディアはその意義を発揮している。

 近年、交通がメガ化し、しかも、都市の内外部における貧富の格差が拡大している。人件費の安さを求めて、資本が途上国に流入していく一方で、先進国は移民や難民への入国制限を強化している。彼らは国民の仕事を奪い、われわれの社会への同化を拒み、犯罪さえ厭わない堕落した連中だというわけです。インフラには補修・修繕が欠かせないんですけど、アフリカを筆頭にした途上国への援助にはその側面が脆弱なんです。かりに発展途上国に援助して、時速60kmで走行してもまったく揺れない舗装道路を敷いたとしても、補修・修繕を怠れば、穴だらけになってしまいます。この補修・修繕の教育は、想像できる通り、手間がかかります。アフリカのお粗末なインフラの現状はこの補修・修繕教育へまだまだ力が回らないためでもある。でもね、先進国の日本だって、老朽化問題が起きてるでしょ?いくら経済援助をしても、人が育たないと、その効果は長続きしません。途上国にあった援助をしないと、産業革命もできず、経済成長もないから、生活水準も向上しない。不満が人々にたまってるから、デモが暴動や殺し合いに発展してしまいます。これでは人は逃げ出したくなります。

 途上国は国民国家として未発達。だから、まととまりが悪い。国民国家は問題があるけど、途上国はそれが発達できるように国際社会が支援した方がいい。相互不信があるからね。それを減らしてまとまれるようにした方がいい。国民国家だろうな、途上国は。殺し合いをするよりもましだ。モデルが要るんだよ。目標となるさ。国民国家の克服はその後だよ。

 いろいろ言うでしょう?途上国がうまくいかないのは識字率が低いからだとか乳児死亡率が高いからだとか。その通りなんだけど、そうしたことが起きる根本原因はまとまりがなくて相互不信が根強いことだと思うよ。この不信感があるから、どんなにいい政策であっても、うまくいかない。政権が転覆して、比較的平和裏に政権が移行するケースと内戦に発展するケースとあるけど、その違いは国民統合の度合い。エジプトと違って、シリアが内戦に突入したのは国民の結束の差。

 途上国の根本的問題を最も理解していた政治指導者の一人が南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領です。マディバと敬意をこめて呼ばれています。途上国に必要なのは、まず第一に一致団結すること、つまり国民統合です。そうマディバは考えています。相互不信が負の連鎖を生み出している。この不信感を取り除くこと。それが優先課題だとマディバは努力しています。これは卓見です。

 マディバの信念を最も表わしているものの一つが南アフリカの国家です。タイトルはo『ンコシシケレリ・アフリカ (Nkosi Sikelel' iAfrika)』と言います。 意味は「ゴッド・ブレス・アフリカ」です。ズール語とも呼ばれるコサ語、セソト語とも呼ばれるセツワナ語、アフリカーンス、英語の四つの言葉で歌われます。

 実は、この曲は二つの曲を合せたものなんです。 一九九四年、全人種参加の総選挙が行われ、マディバが新大統領に選ばれます。その年の四月二〇日に神性南アフリカの国歌が制定されます。その際、反アパルトヘイト運動のなかで歌い継がれてきた”Nkoshi sikelel'iAfrika”と九四年以前の国歌”Die Stem”の二曲共に認められます。二つの国歌体制ですね。その後九六年にこの二つの曲を一つに編曲しています。国歌の上でも国民統合、民族和解が謳われているのです。

 それでは聞いていただきましょう。南アフリカ共和国国歌『ンコシシケレリ・アフリカ』。

Nkosi sikelel' iAfrika
Maluphakanyisw' uphondo lwayo,
Yizwa imithandazo yethu,
Nkosi sikelela, thina lusapho lwayo.

Morena boloka setjhaba sa heso,
O fedise dintwa la matshwenyeho,
O se boloke, O se boloke setjhaba sa heso,
Setjhaba sa South Afrika - South Afrika.

Uit die blou van onse hemel
Uit die diepte van ons see
Oor ons ewige gebergtes
Waar die kranse antwoord gee,

Sounds the call to come together
And united we shall stand
Let us live and strive for freedom
In South Africa our land.

 本当に感動的な歌です。この歌の持つ背景がそうさせるんです。

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