7 自発的服従

文字数 5,689文字

 さて、権力は関係概念で、権力を支えているのは自発的服従ってこと。こんな説明はあんま好きじゃないんだけど、俗っぽい言い方をすれば、脱原発と河野太郎が意見を述べたとしても、それに反対するのは既得権益を握っている官庁だけじゃないでしょ。そういったことで食っている業者も文句を言うじゃない?組合だって、既得権益を奪われる規制緩和に、賛同なんかしない。社会党が一九九二年からアスベスト製品の製造、販売などを原則禁止にする「石綿規制法」の成立を目指してたんですけど、石綿建材メーカー八社の労働組合が反対し、連合も事実上反対したため、九四年秋に法制化を断念してるんです。組合も、連合も、「急な規制は雇用不安を招く」と考え、アスベストの危険性を軽視していたんですね。権力は自発的服従を再生産し続けるってわけ。もちろん、不当な抑圧に対しては抵抗を続けなきゃいけません。障害や病気、出自、セクシャリティ、性別、年齢によって差別を受けていることはまったく許しがたい。大切なのは共生するってことだ。でも、そこに支配=服従があっちゃあおしまいだ。権力は支配=服従の関係をさまざまな組織・機関・制度を通じて無意識に訴える。分子的レベルに訴えるんです。無意識ってのは、フェリックスには、分子的と同意語。

 こういう話があると、組合は誰のためにと言うだけでなく、ラジオは誰のためにあるのかとも考えますね。ラジオは、視覚障碍者や高齢者、視覚に固有の事情を抱えている人にとっては重要な情報源だと思うんです。ラジオはそういう人たちに寄り添うことを忘れちゃいけない。

 ちょっと考えてみて、自粛ってあるじゃない?あれだって、自己検閲。自発的服従の典型。ラジオにもそういう歴史があります。忌野清志郎さんのプロテスト・ソングをかけなかったり。まあ、自粛では似てるね、日本と韓国。日本もすぐ起きるけど、韓国はもっとすごいね。船の事故でね、GDP下げちゃうくらいだから。韓国をソフィストケーとしたのが日本って感じだね、自粛では。日本のことは日本だけで考えてはダメだね。韓国のことを考えに入れると、わかってくることがあるね。朝鮮半島なくして日本の歴史や文化はないんだから。素朴に、関係を断ち切って、自給自足になればいいってもんでもない。クメール・ルージュはどうですか、お客さん?

 東西冷戦はマクロ的視点において平衡状態だったから、必ずしも、こうした自主管理の思想は生かされていない。アウトノミアは非平衡の試みと言っていい。化学反応で、反応する分子が単位時間内に減少し、生成する物質の量は増大していくと、ある一定のエネルギー以上のエネルギーを持つ粒子間で一度エネルギーの高い不安定な状態の活性錯体がつくられて、活性錯体を形成した粒子のみが生成物に変化します。正反応の活性化エネルギーと反応熱が逆反応の活性化エネルギーに相当するってこと。化学平衡は密閉した容器内で可逆反応が起こり、十分に時間が経過すると、容器内の反応物質と生成物質のモル濃度や容器内の温度や圧力が一定となり、見かけ上、反応が停止した状態になること指す。この場合、正反応と逆反応の速度は等しくなりますね。これが平衡と呼ばれる状態。

 一九七〇年代のアウトノミア運動は東西冷戦構造の中でのミクロ的非平衡にすぎない。見かけ上は。反応が停止してんだからさ。分子的変化がマクロ的な平衡状態によって見えにくくなっていたもの。一九五五年七月九日、核兵器による力の均衡を非難するラッセル=アインシュタイン宣言が出されたけど、もともとこの均衡論は蒸気船を発明したジェームズ・フルトンが唱えたもの。最終兵器が開発されれば、どの政府も怖がって使わなくなるから、均衡が保たれて、戦争をしなくなるという考え方。熱力学的認識から導き出している。象徴的でしょ。アウトノミアは、むしろ、九・一一以降において有効じゃない?東西冷戦構造が崩壊して、グローバリゼーションに代表されるエントロピーが増大しているわけだから、まだ平衡には達していない。あくまで、エントロピー増大は閉じられた系に見られる現象。東西冷戦構造が崩壊しても、閉じられた系であることには違いはない。フェリックスには開かれた系こそ大切。だから、それは運動じゃなくて、現象。アウトノミア現象。グローバリゼーションというエントロピー増大に従わない非平衡的な自己組織化的な現象。でも、システム全体がエントロピー増大しても、相互作用が働くサブシステムじゃあ、エントロピーは増大しない。宇宙は膨張しても、太陽系は膨張しないでしょ?フェリックスはミクロ的な活動を重視します。人間関係の橋渡し。あくまでもそれはグローバルな動きと無縁ではない。両者は、フェリックスによると、フラクタルな関係にあるというんだけど、まあ、その共通点は非平衡に見出されるんですね。相互作用があって、それが人々を橋渡して結びつけるけど、あまりに強く縛りつけない。それがフェリックスの目指す運動じゃネーかな。

 「グローバル」ちゅうたら、イヤーな思い出があるんだがや。一九八四年の大学の面接試験の時に、「グローバル」って言いましたんや。ほなら、面接官はん、「グローバル」いうのはどないな意味や聞きますのや。「地球規模」いう意味ですからと答えもうしたら、若いーもんはカタカナ語が好きで困るすら。なんばいうちょとか!今じゃみな使ーちょろうが!見る目なかっただけやないか!だーらー!なめたらいけんぜよー!

 エントロピーとか非平衡とか話してきたんで、ここいらでそれをイメージできる曲を紹介します。誰かと一緒に歌う時ってさ、普通は、同じ曲歌うじゃない?混声合唱とか輪唱とかあるけどさ。ところがね、一緒にいる人が別々の歌を歌う習慣も世界にはあるんだよそれが日本にもあるんです。岩手県の遠野、遠野は知ってるでしょ?『遠野物語』の遠野。その遠野の水口地区に「ごいわい」という伝承があるんだわ。「ごいわい」は「御祝」のこと。漢字も同じ。これなっは、お祝い事の時に披露すんだおね。宴会ではな、これすねばは、飲んだり食ったりさいねもなっは。おどこ衆とおなご衆に左右に分かれて座るのさ。男だぢが歌っこまんず始めで、、途中から女だぢが別の歌っこ合せるのっす。んでなっは、一緒に終わるの。なんぼが種類あるのっす。今日は、男が『高砂』、女が『萬鶴亀節』のを聴いてくなっせ。

ところは高砂の尾の上の松も年ふりて、老いの波もよりくるや、木の下蔭の落葉かくなるまで、命ながらへて、尚いつまでか生の松、それも久しき名所かな。

酒の肴になに又よかろサー、まがき肴で、三つあがれヨー、サアードォエイヨ―。

 結構、驚くでしょ?でもね、世界は広い。もっと極端なのがある。首狩りで知られるアマゾンのヒバロ族、最近はシュアールって言うんですけど、彼らは集まって全員で違う歌を同時に謳うんです。10人いたら10人べつの歌を歌うん尾よ。つまり、合わせるって一緒にその場にいるってことなんだよな。音楽の原点かもよ。

 非平衡にあっても、平衡に至らなくとも、ある種の秩序が生まれうる。ベルギーの物理学者イリヤ・プリゴジン(Ilya Prigogine)は、与えられた条件下で、熱伝導や拡散、化学反応などが進行している非平衡系において、単位時間当たりに生成するエントロピーの量が最小になるように定常状態が決定されるという定理を発見している。これは画期的。と言うのも、それまで非平衡状態では予想可能な秩序が生じることはないと考えられていたから。エントロピーは増大し、エネルギーは散逸する。安定状態が分岐し、新たな状態に転移して形成されます。熱平衡に到達していない系では、系の安定状態に関与する変数が変化すると、別な安定状態になるが、プリゴジンはこうした非平衡系に特有な散逸構造を見つけたってわけ。溶液が平衡状態にあるときは、温度や圧力などの物理学的性質は変化せず、また系への物質やエネルギーの出入りもないはず。実際には溶液中では恒常的に変化が起こっているにもかかわらず、系としてある程度の秩序は保たれているんです。溶液の温度を低温から急に上昇させると、溶液の小さいセルが秩序を維持しながら全体の中を動くだけじゃなく、この現象が不可逆であり、溶液を冷却しても逆の現象は生じないことまで発見し照る。ボーっとしてじゃだめだよ~。好奇心を持たなきゃ。Curiosity kill the cat?好奇心の結果、独創的なことができるだけ。こうした非平衡系における秩序の仕組みとして「散逸構造(Dis-sipative Structure)」という概念を提唱する。周囲の環境と共存した状態で存在する散逸系があり、物質とエネルギーが互いに作用しあってより秩序性の高い状態になる現象がありうるのです。なんか、今の国際社会みたいね。どうよ?

 エントロピーは閉じられた系で増大します。開かれた系ではありえません。世界はグローバリゼーションというエントロピー増大によって均一化しつつある。フェリックスはその増大に従わない方法論をアウトノミアに見てとっていますね。けれども、彼の理論ならびに実践を抵抗運動と捉えちゃだめだよね。運動は力の方向を意味するんだから。グローバリゼーションは拡散現象であり、その分子レベルの方向は不規則であり、それに対する抵抗運動などブラウン運動性をより強固にするだけ。ブラウン運動は分子の熱運動による不規則な衝突によって生じてんのね。ルドルフ・ユリウス・エマヌエル・クラウジウス(Rudolf Julius Emmanuel Clausius)は、一八六五年、世界のエネルギーは一定であり、そのエントロピーは極大値へ向かうと発表している。つまり、世界は閉じられているってわけ。でも、このエントロピーという発想は環境問題に直結します。反応が不可逆だから、二酸化炭素やダイオキシンが地球に蓄積するんです。フェリックスは自然環境だけを問題にする古典的なエコロジーには、テクノクラートに対して同様、反対している。世界はそれほど素朴ではない。「分子的変化」を考慮しなきゃいけない。分子的レベルから見れば、環境の変化と社会ならびに精神のそれは切り離せないんで、環境のエコロジーは社会・精神のエコロジーと関連させた三つのエコロジー、エコゾフィーをフェリックスは提唱してます。環境問題が従来の社会的問題と違うのは、それが空間的・時間的にinvisibleな人たちに向けて解決策を講じなければいけないってこと。エコロジーは持続可能性を考えるために広まったわけじゃない?エコって言う時は持続可能性が大事。未来に関しては伝統的な社会においては線的に把握されていたのね。ネイティヴ・アメリカンやアイヌの知恵なんかそうだし、学ぶとこあるよね。でも、昔の人はさ、たぶん、南極のことは考えてないよね。もっとも、すべての変化に疎い人もいる。ジョージ・W・ブッシュ前大統領は記者に「大統領、エコロジーについてどう思いますか?」と尋ねられて、こう答えたらしい。「エコロジー?そんなNFLの選手いたかなあ?」

 エントロピーついでに、悪乗りすっか。速攻で。次の曲は貴重だよ。吉幾三の『俺ら東京さ行くだ』は知ってるでしょ?あのヒップホップ・ヴァージョン。これね、NHK・FMでかつて『サウンドストリート』という番組が放送されていてね、夜10時からだったかな、パーソナリティが佐野元春とかのミュージシャンや渋谷陽一なんか音楽評論家が務めてて日替わりでね、今回紹介するのは坂本龍一さんの番組で、メモによると、1985年11月12日 の第187回となってるね。レコード番号まで決まってたんだけど、結局、発禁になったっていう曲です。 「ギターも無ェ」のところでギターの音が挿入されたりします。エアチェックの音源なんで、音質は悪いですが、聞いてください。『俺ら東京さ行ぐだ ヒップホップ・ヴァージョン』。

ハァ テレヒも無ェ ラジオも無ェ
自動車もそれほど走って無ェ
ピアノも無ェ バーも無ェ
おまわり 毎日ぐ-るぐるぐーるぐるぐーるぐる
朝起きで 牛連れで
二時間ちょっとの散歩道
電話も無ェ 瓦斯も無ェ
ハスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら
銭コァ貯めで 東京でベコ飼うだェ

ギターも無ェ ステレオ無ェ
生まれてこのかた 見だごどァ無ェ
喫茶も無ェ 集いも無ェ
まったぐわけぇものァ 俺一人
婆さんと 爺さんと
数珠を握って空拝む
薬屋無ェ 映画も無ェ
たまに来るのは 紙芝居
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら
銭コァ貯めで 東京で馬車引くだェ

ガァ~
ティスコも無ェ のぞきも無ェ
レーザー・ティスクは 何者だ
カラオケはあるけれど
かける機械を見だごとァ無ェ
新聞無ェ 雑誌も無ェ
たまに来るのは 回覧板
信号無ェ ある訳無ェ
俺らの村には 電気か無ェ
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら
銭コァ貯めで 銀座に山買うだ

俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら
銭コァ貯めで 東京でベコ飼うだ

ガァ~

 かえって今の若い人も「レーザー。ディスク」知らないんじゃないかな?見たことない人多いかも。LPレコードのサイズの光ディスク。容量が小さくて、裏表で、一時間のテレビ・ドラマが二本。やっぱりCDが出た後に、あのサイズじゃねえ。抵抗感あるよ。な、もっとも、時々見てるけどね、『俺たちは天使だ』。全部そろえたから、もったいないし。まさか、渡辺篤史が建築おじさんになるとは思わなかったねー。「結局、薬局、放送局」。このネタ暗記してるの、日本全国に何院いるだろ?他にも、ビデオCDってあって、これはその名の通り、CDサイズで動画が見れるんだけど、画質がVHSの三倍速並みでね。まあ、DVDに駆逐されたね、過渡期のメディアだったね。
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