5 小さな革命

文字数 3,722文字

 二〇世紀は革命という現象が世界規模で拡大したけど、それは、必ずしも、ソ連やキューバ、イラン、チェコ、チュニジア、エジプトといった国家レベルだけではなく、公民権運動や女性解放、エスニックの権利獲得も含まれる。前者が大きな革命、熱い革命だとすれば、後者は小さな革命、冷たい革命。最近の同性婚をめぐる動きもそうした革命の一種と言っていいだろうな。オルタナティブ志向もその現われ。革命の温度は時代と共に下がり続け、と同時に、その規模は小さくなっていく。企業合併が相次いで規模の経済に向かってる一方で、ソフトバンクみたいな範囲の経済志向も生まれて、大きさが追求されてるけど、小ささの重要性を忘れちゃいけません。

 一昔前になるかな。こんなニュースが流れてますね。レストラン「ルカ・カルトン(Lucas Carton)」のオーナー兼シェフのアラン・サンドラン(Alain Senderens)は二八年間維持してきた『ミシュラン(Le Michelin)』の三ツ星(ses trois étoiles)を返上し、夏季休業後から、同店をより低価格で気楽に入れるブラッスリー(brasserie)に改装すると公表している。ブラッスリーって言うのは、カフェ・レストランのこと。この三ツ星返上は、パリじゃ、九六年にラ・トゥール・ダルジャン(La tour dÕArgent)の降格以来の事件と見なされています。アラン・サンドランって、すごい人で、かつてフランス料理を変えた大物。古典的なフランス料理を革新した巨匠だから、それだけに、時代というものを適確につかんでいるのかも。

 今、「C世代」って、フランス料理の革新を志向する若手シェフのグループもあるけど、日本料理もとり入れたりしてんのよ、彼らからも一目置かれてる。メニューの単価を現在の半分以下の一〇〇ユーロ程度に想定している。それでも、ちょっとまだ高くない?えー、だいたい一万五〇〇〇円くらい?すぐに計算なんてできないよ。AFP通信に対して、「時代は変わっている。三ツ星のサービスは無理でも、同じ味をよりやすく楽しんでもらいたい」と答えている。ミシュランの評価には、食材や味、調理設備以外にも、内外装、テーブルの間隔、客一人当たりの従業員数なども考慮されるため、必要経費がかさみ、メニューの価格が高くならざるを得ない。

 何でもそうだけど、維持費ってのは、結構、馬鹿にならない。売りに出たネバー・ランドを買えても、その維持には何倍もの金がかかる。でも、あれ、何か売れたみたいね。物好きな金持ちっているもんだよなあ。三ツ星レストランの客層はね、実のところ、社用族や観光客が多くて、パリっぽい雰囲気ってちょっとなくなりつつあるのね。かえってビストロのほうがいい感じなわけよ。高い店にさ、地元の人間、行けないじゃん。お得な店、安くてうまい店にそういう人は集まるよね。三ツ星の支持者も、反対者も、それは認めてんのね。おまけに、このガイドの格付けを気にしすぎて、オーナーやシェフが神経をすり減らし、自殺してしまうケースさえある。『フィガロ(Le Figaro)』紙は、♪Fiiigaro, Fiiigaro, Fiiiiigaro、二〇〇五年五月二〇日付の紙面で、六五歳の偉大な料理人の決断を「小さな革命(une petite révolution)」と命名している。店の名前も「サンドラン」に変えるそうです。

 日本も同じ。自腹で飲み食いしない政治家や財界人、官僚、マスコミの連中がいるでしょ?ありゃただの俗物。高級レストランに行ってることなんて羨ましいとも思わないね。自分で食材を選び、料理したこともろくになければ、味なんかわからんものよ。絵要理の理論を理解していない連中は値段をありがたがってるだけ、味じゃなくてね。料理のリテラシーばなければ、豚に真珠。

 革命は今の時代じゃスイッチング・コストが大きすぎるよな。リセットって、チャラにするってことだから、蓄積されてきた物事もあるじゃん?もったいないわな、その初期化は。革命政権が前よりよかったってあんましねーし。だから、「小さな」なんだよ。

 ま、革命リスクがねーと、恣意的な統治すっかもしんねーから、ジョン・ロックが言ったように、抵抗権としてあり得るよくらいはないとな。革命のスイッチング・コストを支払ってでもやらざるを得なくなるような統治はいかんだろ?ロックはそう考えてたんじゃねーかな。

 この「小さな」というのは九〇年代以降のキーワード。♪進め進め、われら月光町ちっちゃいものクラブ。ちっちゃいのってさ、「カワイイ」よね?そうそう、「カワイイ」が世界的に流行ってんでしょ?タイヤロシア、アメリカ、フランスとかで、「カワイイ」で通じるんだって?「カワイイ」は、グエン・ステファニーは「スーパー・キュート」って言い表わしてる。ただ、やっぱ、「スイート」の方が本質がわかるよ。あ、「スイート」ってのは、幼い子どもに対して使う表現。「カワイイ」は見た目じゃなく、主観的感情の表現。攻撃性がなくて、自分のテリトリーに入れてもいいってことだから。田中康夫の『なんとなく、クリスタル』って、読んだことある?あの主人公はさ、「気分」がすべての基準なんだよ。あれって、日本文学の保守本流の私小説なわけ。私小説って、主人公の気分気分しか書かれていないよ。この図式自体は「カワイイ」も同じで、それが道徳基準になってんだよねえ。

 「カワイイ」って、主観性だから、それが極端になれば社会にとっては一種のノイズ。そう考えると、「カワイイ」文化は刺激的だってことになる。だから、驚いたんじゃない、世界は?例えば、ジャン・レノと広末が出てた映画『WASABI』なんか、それをノイズとして使ってた。逆に、日本の方がそれに気がついてなくて、『こち亀』くらいかな。ただ、「カワイイ」は体系性はないから、本質的なながれにはならないだろうけどね。

 「カワイイ」と言えば~、これじゃない~?O-Zoneで『恋のマイアヒ(Dragostea din tei)』。

Ma ia hii
Ma ia huu
Ma ia hoo
Ma ia haha

Alo, salut, sunt eu, un haiduc
si te rog, iubirea mea, primeste fericirea. Alo, alo, sunt eu, Picasso
ti-am dat beep si sunt voinic
Dar sa stii, nu-ti cer nimic.

Vrei sa pleci dar nu-mă, nu-mă iei
Nu-mă, nu-ma iei, nu-mă, nu-mă, nu-mă iei
Chipul tău si dragostea din tei
Mi-amintesc de ochii tăi.

Vrei să pleci dar nu-mă, nu-mă iei
Nu-mă, nu-mă iei, nu-mă, nu-mă, nu-mă iei
Chipul tău si dragostea din tei
Mi-amintesc de ochii tăi.

Te sun, să-ti spun, ce simt, acum
Alo, iubirea mea sunt eu, fericirea.
Alo, alo, sunt iarasi eu, Picasso
ti-am dat beep si sunt voinic
Dar să stii, nu-ti cer nimic.

Vrei să pleci dar nu-mă, nu-ma iei
Nu-mă, nu-mă iei, nu-mă, nu-mă, nu-mă iei
Chipul tău si dragostea din tei
Mi-amintesc de ochii tăi.

Vrei să pleci dar nu-mă, nu-ma iei
Nu-mă, nu-mă iei, nu-mă, nu-mă, nu-mă iei
Chipul tău si dragostea din tei
Mi-amintesc de ochii tăi.

Mai ah hee
Mai ah hoo
Mai ah ha
Mai ah haha (x4)

Vrei să pleci dar nu-mă, nu-ma iei
Nu-mă, nu-mă iei, nu-mă, nu-mă, nu-mă iei
Chipul tău si dragostea din tei
Mi-amintesc de ochii tăi.

Vrei să pleci dar nu-mă, nu-ma iei
Nu-mă, nu-mă iei, nu-mă, nu-mă, nu-mă iei
Chipul tău si dragostea din tei
Mi-amintesc de ochii tăi.

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