萌芽

文字数 8,203文字

 トミーは高校時代の同級生。
 高校は進学校だったが、自由度の高い高校で、長髪は当たり前。学生服も詰襟の高い学ラン、マンボズボンやラッパズボンを着用している者も多かった。
 この自由度に油断して、宿題などの勉強を一切せず授業に臨んでいたら、入学したての4月だけで廊下に3回、教室の後ろに4回、都合7回立たされたのには閉口した。
 学年で2クラスしかない男子クラスの一つだった。どちらの男子クラスの連中も明るい奴が多く、廊下でも遠慮なく大声で話すので、教室は離れていても自然と行き来ができて、最初は中学時代の同級生を通じてだったが、次第に仲間の枠が広がった。
 トミーは別の男子クラスの一員だった。多弁なトミーはクラスでも目立っていたし、誰に対しても友達のように話すので、たまに顔を合わせるだけでも自然と打ち解けた。
 2年生で同じクラスになり、JRCというクラブでもいっしょになった。JRCは日本赤十字青年団と連携して、福祉施設の慰問、共同募金のボランティア、長良川で行われる花火大会の翌日の清掃などを活動内容としていた。
 俺は1年から3年間クラスが同じの悪友ヨシに誘われて入った。ヨシはトミーとは通学で使う電車が同じだったからか、すでに親しかったようだ。
 毎日のようにクラスや部室で顔を合わせ、行動をともにし、語り合うなかで親しくなった。
 俺が勉強をしないのは相変わらずだったが、トミーもヨシも勉強しているようには見えなかった。「宿題やってきたか」と時々は確認するが、いつも返事は「やってない」だった。
 家に帰った俺は、自分ではどうにも制御できないほど怠惰だった。心のどこかで(勉強しなくては)という声がしているが、どうにも机に向かう力が湧いてこなかった。だから、ヨシやトミーに確認するたびに、安堵感が広がっていたのだろう。授業中も大半睡眠時間になっていた。トミーに至っては、体操の服装を入れた薄手のバッグを机の上に置いて枕代わりにしていた。俺はと言えば、一番前の席でも腕を枕に寝ていたことがあって、倫社の教師から終了時刻のベルのタイミングで、「ジョージ、起きろよ」と声を掛けられたことがあった。
 顔を合わせては、他愛のない話が続くのだが、クラスやクラブでの人間模様や恋バナにも花を咲かせた。俺とトミーは、互いに女の子にもてないタイプだと自覚していて、その劣等感を癒し合うような会話も多かった。よくもてたヨシに向かい、思いついたようにトミーが口にしたのは、「オメエはええよ。もてるから」だ。「トミーの僻みが出たぞ」と、みんなで笑った。
 家庭での悩み、他の同級生の考え方や性格についての話もした記憶がある。部室では当時流行っていた歌を、ギターを弾きながらいっしょに歌ったこともある。
 3年になるとクラスは再び別れた。
 トミーは相変わらずクラスの中心的な役割を果たしているように見えた。部室でいっしょになったときも、その自信に満ちた言動に感心した。ただ、波があって、好きな女の子に振られた時などは、極端に落ち込むときもあった。
 おおかたトミーが言い出したに決まっているが、可愛い女の子を写真に撮ってブロマイドにしようと、トミー、ヨシ、俺の三人で、写真同好会もつくり、トミーが会長になった。トミーはセンスのいい写真をたくさん撮ったが、ブロマイドにした記憶はない。
 新入生に向けたクラブ紹介の際に、トミーがJRCの活動について熱弁を振るったおかげで、思いのほか女の子が多く入部してきた。特に、福祉施設への慰問活動に興味を持った子が増えた。
 トミーの舌は自信に満ち、益々滑らかになった。クラブに顔を出すのがさらに楽しくなったようだった。
 夏休みには、3年生のクラブ活動への参加は少なくなる。志望校を絞り込み、受験に向けて、各自が計画的に勉強を進めていくための準備をする重要な時期だ。
 しかし、俺たちは夏休みも毎日のように集まった。
 2回の花火大会あとの清掃や、筋ジストロフィー症の子供たちが入所する療養所への慰問活動があった。なにより、可愛い後輩たちと顔を合わせ、話をするのが楽しみだったからだ。
 トミーはその後輩の一人に恋をしていたが、後輩はトミーを一先輩としてしか見ていないようだった。

 長良川での花火大会は、夏休みに入って間もない時期に2回あり、地元の新聞社2社が週を跨いでそれぞれを主催していた。
 トミー、ヨシ、ケン、俺と数名の後輩は、どちらの花火大会でも、部室に集まってひとしきり話したのち、夕方現地に向かった。
 打ち上げ場所に近い堤防道路に着いて、歩きながら花火の打ち上げを待っていると、やがてドンという爆音とともに始まった。堤外に広がる河川敷は、日中にブルーシートなどを敷き詰め、座って席を確保していた観覧客で立錐の余地もない。舗装された堤防道路には、所狭しと露店が並んでいた。そこに客が群がるなかを、隙間を縫うように歩きながら観賞した。
 奥行きを見通せない黒の背景に、次から次へと広がる花の環の一瞬の光が、川に群がる賑わいを映し出していた。爆音は少し遅れて響く。大規模な音響機器を持ち込んで録音している人もいた。人々は一瞬にして咲き、爆音とともに消える花の連続と、それが降り注ぐ、絶えることない清流とのコントラストに酔いしれた。
 ただ、2回目の大会では突然雷が聞こえ、雨も少し降り出して、早めの切り上げとなった。
 翌日の河川敷の清掃に集まった同級生は、トミー、ヨシ、ケン、カワと1回目だけムラトが参加した。
 朝7時に、草が刈り込まれた斜面下の広い河川敷に集合した。
 堤防、河川敷周辺では、すでに大勢の人たちが作業を始めていた。
 係員からゴミ袋を受け取り、すぐに周りのゴミ拾いを始めた。
 集まった人の多くはボランティアだろうが、そのなかに混じって、財布や現金など貴重品だけを漁っている人もいる。日の出前から探している人もいるそうだ。拾ったあとどうしたかは分からない。
 封の切られていない缶ビールやジュース類なども多く落ちていた。ヨシ、トミー、カワは、二回の清掃でかなりの数の缶ビールを拾っていて、これはゴミにはしなかった。
 2回目の清掃の日だった。
 2時間ほどでいくつものゴミ袋をいっぱいにして、所定の場所に持ち込んだあと、全体の状況を見定めて終了し、ヨシ、トミー、カワ、ケン、俺で近くの氷屋に行った。
 氷を食べながら、誰かが言った。
 「カワの家で拾ったビールを飲もう」
 カワの家は、そこからほど近い場所にあった。父親が経営している会社と自宅がいっしょになった大きな家だ。親に顔を合わせず部屋に行けるとのことだった。前回拾ったビールもそこに保管してある。全員でカワの家に向かった。もちろん、未成年の飲酒が許される時代ではなかったが、煙草も含め、高校3年くらいになると試している同級生は多かった。
 俺とケンは飲めなかったが、トミー、ヨシ、カワは慣れていたのか、平気で何杯も飲んでいた。飲んで管を巻いたり、陽気になったり、泣いたりと、忙しく表情を変えながら、笑いが絶えない会話と悪ふざけを続けていた。
 一度その解放感を味わうと癖になるものだ。連日のようにカワの家に集まっては、酒を飲んで騒いだ。ときには、酔っぱらって足取りがふらつくほど飲んだあと、酔い醒ましに長良川の堤防へ出て歩いた。背後では、堂々たる金華山が見下ろしていた。河原に降りて、ところどころに停泊している鵜飼いの船に近づくと、心地よい川の流れが耳に響いた。立ち止まって、爽やかな風を受けながら休んでいたときに、誰かが少し吐いたこともあった。
 「オメエなあ。せっかくきれいな川を汚すんじゃねえよ」
 酔っぱらったトミーが叫んだ。みんな大声で笑った。
 拾ったビールはすぐになくなったので、俺がこっそり家から酒を持ち出して提供した。家業が魚屋で、仕出しや少人数の会席料理も営んでいたから、酒類は豊富にあったからだ。

 夏休み中の療養所の慰問活動で部室に集まったのは、トミーと俺と後輩の女の子4人だったが、実際に向かったのはさらに少なく、トミーと俺と後輩二人だった。
 路線バスで長良川からかなり北へ向かった先の、山の裾野に療養所はあった。もう何度も通った見慣れた風景だ。
 療養所の子たちは、症状の重い子から比較的軽い子までさまざまだった。
 重症の子がいる部屋では寝たきりの子が多く、比較的良くても半身起こして食事したりできる程度だった。なかにはベッドに掛けた布団の上に置かれた足の付いた小さなテーブルを、意味もなく敲き続けている子もいた。
 本の読み聞かせや、俺たちとの会話を楽しみにしている子もいた。
 そうした子に寄り添って、絵本を読んだり、話をしたりした。
 比較的軽い子たちのなかには、下半身は動かせないが、上半身を使って遊べる子もいて、そうした子たちと座った姿勢でプラスチックのボールやバットを使って野球をしたりもした。俺はこの野球がとても好きだった。子どもたちのはしゃぐ姿が嬉しかった。
 看護士から聞いた話では、両親さえもまったく尋ねて来ない寂しい子もいるという。
 トミーに「国立療養所を訪ねて」と断り書きして、つくった詩が三編ある。
     ********************
            きみの手は

 きみの手は 細くねじれて
 ため息まじりに
 ことばにならないことばをつぶやく

 きみには 昨日と今日の区別はなく
 今日と明日の区別もない
 不思議そうに 窓の外を見るが
 きみの住む世界は
 そのベッドの上から
 ながめられるだけの世界

 足よ
 きみの足よ
 よみがえれ
 きみの足として

        春

 きみには春はあるのか
 あの
 ときめくような きらめきが
 あの
 胸のうずくような 興奮が あるのか

 目の中にあるのは 空ばかり
 冬のくもった 空ばかり

 いつまでたっても
 きみには どんより くもった
 冬空ばかり

       けんちゃん

 けんちゃん
 君のさみしさ 少しわかる
 母さん 来てくれるの
 父さん 来てくれるの
 誰か相手が欲しいんだね
 少しでも多くの 愛が欲しいだね

 いつも たったひとりで
 しょんぼりしてる君を思うと
 今すぐ行ってあげて
 あそんであげたいけど

 部屋はあったかいけど
 君のこころは さむいんだね

 涙をふいて もう泣かないで
 もう泣かないで
      ********************
 
 当時、俺に語って聞かせることはなかったが、あとになってこんなことを思っていたのかと驚いた。
 トミーには詩にしたいほどの溢れる思いがあった。いったい俺は何を感じていたんだろう。

 同じ夏休みに、大阪に住む同い年の従姉が訪ねてきた。ほかの従兄とともに、幼いころから兄弟のように親しくしていた。
 彼女の家は大きな旧家で、父方の祖母が育った家でもある。広い日本庭園には池があり、錦鯉がたくさん泳いでいた。風呂は泳げるほど広かった。夏休みに年の近い従兄のいる三家族が集合し、いっしょに遊んだことも何度かある。
 俺はトミーはじめ親しい友達に彼女を紹介した。そして、彼女には、とりわけトミーのことを熱心に語った。従姉も次第にトミーに関心を寄せたようだった。
 その後、トミーと彼女が付き合い始めた。トミーは従姉のことを「フーミン」と呼んでいた。幼いころからの呼び方とは違うが、トミーといっしょのときはフーミンと呼ぶことにした。
 付き合うといっても遠距離なので、手紙などを通じて互いの思いを温め合ったようだ。大胆にもフーミンが、親に断りもせず会いに来たこともあったようだ。彼女の大胆な行動に対して、トミーは勇気が足りなくて、気持ちうえで十分に応えられなかったことを大いに悔やんでいた。

 その夏休みが開け、すぐの休日だった。
 フォーク好きの仲間が、空き家になっている別宅に集まった。
 魚屋からは境川を隔てて、歩いて10分ほどの三宅という農村にあった。若いころから苦労を重ねてきた父母が初めて持つことができた小さな家だ。家が面する狭い地道に出て、北の方角を見上げると、連なる山を従えるようにして金華山が聳えていた。
 俺は5歳から小学4年生の2学期までそこで育った。祖父が亡くなり、そのあとを父母が継ぐことになって、一家は魚屋に引っ越すことになった。祖母が三宅に移った。
 魚屋は居住スペースが狭かったので、中学2年になった俺だけが、家族での夕食を済ませたあと、自転車で祖母が暮らす三宅に向かった。高校2年までそこで寝泊まりした。
 魚屋が建て替えられ、俺も祖母もそちらに引っ越してからは、三宅は空き家になっていた。
 6人でバンドの真似事をするのに、大きな音を立てても問題がない場所だったので、俺が提案した。
 トミー、ヨシ、ケンもメンバーだった。
 そのとき驚いたのは、トミーの音楽センスだ。
 メンバーは、ヨシを除き、フォークやエレキやベースギターが弾けた。俺はメンバーのなかでは一番下手だったので、結局、ヴォーカル担当になってしまった。唯一、弾き語りが許されたのは、一生懸命に練習を重ねてきた井上陽水の「あどけない君のしぐさ」だけだった。楽器も歌も苦手なヨシは、トミーから「迷惑かけんようにシンバルでも敲いとれ」と言われ、少し離れたところから参加した。
 陽水の曲を中心に何曲か演奏し歌ったあとで、トミーが「俺にもベース弾かせてくれ」と、ベースを演奏していた者から借りて、なんの曲だったか、他のメンバーが弾いている曲に乗せて演奏し始めた。
 それがとてもさまになっていたし、実際、曲にもマッチしていた。
 「ベースやったことあるの?」とトミーに聞くと、「初めてさ」という。俺が歌っているときも、即興でハモッてきたりした。
 (器用な奴だなあ)と、心底思ったのを覚えている。
 そのあと魚屋の二階の座敷に移動し、母が用意した鰻丼やエビフライなどをみんなで食べた。
 食事後、座敷の客に提供するビールや酒類を勝手に出して振る舞い、コーヒー好きの俺がサイフォンで淹れたコーヒーも飲んだ。
 フォークソングやロックを語り、ふざけて大騒ぎもしたあと、広くない風呂にいっしょに入った。そして泊っていった。
 母が「受験生なのにみんな呑気ね」と言ったが、怒ればすぐに平手打ちの父は何も言わなかった。

 10月には文化祭が高校の体育館で開催された。
 トミーの多才ぶりを疲労する場でもあった。
 7月の夏休み前あたりから、トミーの演出により、クラスで練習を重ねてきた演劇を披露したのだ。クラスが違うので練習過程は見ていない。井上ひさし原作の『表裏源内蛙合戦』をクラスでできるように、トミーがアレンジしたものだった。
 反響はよかった。トミーは大満足だったことだろう。
 文化祭でほかに記憶に残っているのは、フィナーレに全員で、五つの赤い風船の『遠い世界に』を合唱したことだ。高校生活を象徴する曲の一つとして、いまでもときどき思い出す。
 受験間近の12月になって、JRCの後輩たちと療養所へ慰問活動に行った。3年生の参加は俺だけだった。
 そのことをついクラスのある女の子に話してしまった。
 「受験生なのに偉いのね」
 彼女のことなので、素直な気持ちで褒めたに違いない。
 俺はその言葉に衝撃を受けた。
 (俺は同級生から、この言葉が聞きたいから慰問活動をしているようだ。自分は受験より療養所の子たちの喜びを大切に感じている。そういう印象を与えたいだけなんだ。療養所の子の存在を勉強しない理由にしている偽善者に過ぎない)
 ある日、トミーに、「俺は偽善者のレッテルを貼って生きているようだ」と相談した。
 トミーは厳しい口調で答えた。
 「お前の行為が善意だろうが偽善だろうが、療養所の子にはいっしょに遊べる相手が必要なんだ。お前はそれを分かっているのに屁理屈つけて、悩んだ振りして、周りの誰もが藻掻いている困難から、逃げ出そうといているだけだ。必要なことしてるのに、善も偽善もないじゃないか。悩んでる暇あったら勉強すりゃいいじゃないか」
 トミーの詩のなかに、そのころのことを書いたものがある。
 俺に対する気持ちを書いたのか、自身の悩みを詩に託したのかは分からない。
      ********************
              偽善

  偽善だこれは!
  だが
  それでもやるべきだ

  やらないよりはやるべきだ

  そう思うなら
  すでに
  それは偽善ではない
     ********************
 
 三学期が始まる前日の夜だった。
 寺で修行でもしないと自分の怠惰は治らないと、家出を決意し、夜中、父母に宛てた手紙を書いた。
 始発電車までの時間がかなりあり、ベッドで横になった。そして、寝過ごした。
 慌てて階下に降りた。
 ちょうどトイレに向かう父が立っていた。
 「早いなあ」
 珍しく父が声を掛けてきた。
 部屋に戻って手紙を破り、家出は諦めた。
 悔悟というより失望、失望というより、絶望に苛まれた。

 結局、俺は予備校生となり、トミーは関西のある大学に入学した。フーミンの存在も影響したことだろう。
 俺の相変わらずの荒んだ生活を聞きつけたトミーが、春の連休を待たずに帰ってきた。
 俺は予備校の授業をサボって、覚えたての麻雀やパチンコに夢中になっていた。
 それを知ったトミーは、咎めるでもなく、説教するでもなく、ただこう言った。
 「日記でも書いて、自分を見つめ直す機会を持ったらどうだ。俺は高校生のときからずっと書いている」
 そして、B5版の薄いノートを2冊くれた。全体がそれぞれ黄一色とピンク一色の厚紙で覆われていた。大学生協で購入したものだそうだ。
 思い起こせば、高校に入学したてのころ、どの授業でも宿題を忘れ、廊下や教室のうしろに立たされていた俺を、見かねたクラス担任が、「毎日、家に帰ってからの生活を日記に書いて提出しなさい」と命じて、仕方なく書くことになった日記以来だ。10日ほど続いたが、生活態度が変わるわけでもない。先生に断りもせず止めた。
 トミーがくれた黄色のノートの表紙に、「青春」とタイトルを入れて、その裏側にこう記した。
      ********************
           〝最愛の友 トミー様

 このノートくれてありがとう。
 君の友情、あったかく感じます。
 やっと青春の門の扉をたたきました。
 しかし開きません。
 誰も開けてはくれません。
 俺が開けるんです。
 自分の手で。いや身体で。
 取手なんかついてません。
 身体をぶつけて、思いっ切り押すんです。
  ドカーン。
 俺はよろめきます。
 しかし倒れません。俺は必ず開ける。
 開けなけりゃ、青春に入ることさえ
できないじゃないですか〟
     ********************
 
 以来、俺はその日の出来事や思ったこと、友人の言動で気付いたこと、志望大学、恋などについて書きなぐった。
 そのなかで、毎日のように繰り返されるフレーズがあった。
 「今日も勉強はゼロだった」、「こんなことでは駄目だ」、「なぜ、俺はこうなってしまうのか」。
 後悔と反省を繰り返しながら、どうにも制御できない自分がいた。中学生のころから変わることのできない自分がいた。
 8月半ばで中断したが、心が荒んで来ると、日記に向かっていた。12月、1月に書いた内容を読み返すと、この人は自殺しているかも知れないと思うほどだ。
 トミーは夏休みに実家に帰り、その後、大学を休学して、翌年に東京の大学を受け直す決意をした。フーミンと別れたことも影響したようだ。
 そして、毎日のように友達が集まってくる図書館に通うようになった。
 トミーは懸命に勉強した。
 俺は図書館に着くや否や、いっしょに予備校に通っているはずの友達、とりわけウノとヒビとはほぼ毎日のように顔を合わせ、パチンコ店に行ったり、雀荘で卓を囲んだりした。
 トミーはそういう俺の姿を見ては、厳しい視線を向けていた。
 (浪人生がパチンコや麻雀なんかしてて、いいんか!)
 心にトミーの声が届いていた。俺は無視した。
 ウノとヒビの存在が俺の慰めだった。
 日記もそのころから書かなくなった。
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