終活

文字数 3,623文字

 「そろそろ終活しなきゃと思ってな」
 そう言って、携帯電話に連絡してきたのは、互いに60歳を超えた年の師走の直前だった。同窓会で顔を合わせて、ちょうど1年が過ぎていた。
 トミーは、この団地にある住宅を訪れる人以外、決して登ることのない小高い山を車で登り、片隅にある我が家を初めて訪ねてきた。
 俺はまず家全体を案内しようかと思ったが、トミーは興味なさそうだったので、玄関から入って右手側にあるリビング・ダイニングに入り、ソファーに座るよう勧めた。背面に台所が見通せるカップボードがある。
 俺は台所に立ってドリップ珈琲を淹れ、妻が茶菓子を用意した。
 「遠いのによく来たな。場所も聞かずに、道がよく分かったな」
 「住所が分かってりゃ、いまはナビがあるからな。ジョージんとこは開発されたとこやで、区画がすっきりしてて分かりやすいわ。意外と早く来れたで。俺、糖尿病でなあ。そう長く生きれんかも知れんで、死ぬまでに会っておきたい奴を順に訪ねようと思ってな。最初にジョージのとこへ来たわけや」
 トミーは、我が家や周囲の環境などには触れず、終活の趣旨らしきことを話し始めた。
 「いくらなんでも終活は早いやろ。親父のすぐ上の伯父が50代から糖尿病でインスリン注射もしとったけど、80代まで生きたぞ。注射も打っとるんか?」
 「いや。薬飲んどるだけや。血圧の薬も飲んどる。170以上になったんでな。飲んでも150以上ある。もっとも、かかりつけの女医には極端に下げるような薬は止めてくれと言ってあって、医者も俺の考えを理解してくれてるからやけど。135を超えたら高血圧だなんてのは、町医者を儲けさせるための基準やと分かっとるから、思うようにはさせたくないが、あんまり高いのは心配やからな。俺は年齢プラス90という昔の基準が正しいと思っとるから、薬飲んで標準くらいというところや」
 「俺も東京に単身赴任してたとき、血圧が高くなって薬飲んでたな。一生飲まんといかんかと思ってたら、2年半ほど前に盲腸の膿が破裂して腹の中に溢れて、開腹手術でやっと生き延びたってことがあってな。それ以降は血圧が下がったんや。ジョギングしとることもあって、あんまり高くならんようになったわ。いまんとこ薬は飲まずに済んどるわ。死にかけたおかげで、却って健康になったってわけや。まあ、互いに気い付けんといかんことは確かや」
 トミーは話題を変えた。
 「同窓会で会えたのはよかったわ。あんまり話せんかったけどなあ。俺は同窓会なんて、出世した奴が『こんなに偉くなりました』と見せびらかすだけの品評会のようなもんだと思ってたけど、懐かしい友達と会ってみると、やっぱ楽しいわ。カズが幹事やなかったら、行っとらんかったやろうから、カズのお陰かな。クラスの奴らとは何年ぶりやったやろ。男は会ってる奴もいたけど、女の子とは、ほんと卒業以来という子も多いからな。話せたのはよかった。みんなあんまり変わっとらんかったわ」
 「そうか。俺は逆にみんな変わったなあと思ったよ。確かに面影はあるし、呼び方が昔のまんまやから、始めはそんな印象受けるけど、じっくり眺めながら話してると、あれ?こいつこんな風やったっけって思える奴は結構いたなあ」
 「なるほどなあ。言われてみりゃ、確かに変わったと思える奴もいたなあ。仕事上の立場なんかも影響があるんかも知れんが、昔そんな印象なかったのに、どっか威張っとるように見える奴がいたよ。自分の名刺を出したいからか、やたら名刺交換を求めるのもいたな。俺は名刺なんか持っとらんと断ったけど。サラリーマンというのは面倒なもんやな。名刺ないと安心できんのやろな。その点、女の子はええで。そういうこと言わんから。ほんと昔のまんまやったわ」
 「高校のころは、当然誰にも同じ時間が過ぎてるように感じてたけど、卒業して離れ離れになってみると、それぞれに流れた時間は違うように思えるんだよな。と言うより、変化の仕方と言った方がいいのかな。そう言えば、学生のころ、時間なんてほんとにあるんかと思って、その類いの本を読んだことがあったな。遠い昔のことで忘れちゃってるけど。ただ、いまでも思うのは、科学は時間と空間によって語られるけど、人や生き物の一生は、生まれてから死ぬまでの変化と場所によって語られるべきもので、時間や空間じゃないということなんだ」
 「お前は昔からややこしいこと考えるなあ。同窓会の面白い話から脱線するけど、仏教じゃあ時間のこと劫と言うらしい。未来永劫とか言うやろ。まあ、それはとてつもなく長い単位らしいけど、その捉え方は、衆生によって異なると言うことなんや。だからお前の話はどっか仏教的な感じがするなあ」
 「俺は仏教のことは分からんけど、ずっと日本で生きてきた以上、考え方に影響はあるかも知れんなあ」
 「まあ、そうやろうと思う」
 そのあと、個々の同級生の名前を挙げて変わり様を語ったり、最初に話題にした健康談義にも戻ったりした。
 トミーとなら、いつでも途切れることなく会話が続く。
 「ジョージは、仕事忙しいんか」
 「去年話したか忘れたけど、まだ観光の仕事やっとるわ。観光と言ったって、ちゃんとスペシャリストがおって、俺の役割はマネジメントなんで、多少の気苦労はあってもたいして忙しいわけじゃない。あちこち出張もあるけど、お膳立てして貰って動くだけやからな。もうちょっとで定年退職やから、気張ってもしょうがないしな。退職して時間ができりゃ、いつでも会って話ができるさ」
 「俺に定年はないからな。まあ、仕事はかなり暇になってきて、おかげで収入は減ってるけどな。退職後はどうするんや」
 「俺は昔からの夢があって、その実現に向けてしばらく修行したいと思うけど、無収入では嫁さんが不安になるんでな。しばらくは再就職せんといかんかなと思っとるわ」
 そばにある食卓の椅子に座って聞いている妻が、頷いていることだろう。
 「夢ってなんやったっけ?」
 「高校時代から文才のあるお前に言うのは恥ずかしいけど、作家になりたいとずっと思ってきたんや。小説なんて俺には書けんけど、なんでもいいんで、書いたもので収入を得られるようになりたいというのが俺の夢さ。都合9年間、東京に住んでたんで、そのときに書き続けたエッセイを、『東京の知恵』というタイトルで自費出版したこともあるんや。あとで渡すんで、いっぺん読んでみてくれ」
 「へえ、お前が書いとるんか。あまり向いとるようには思えんがなあ。作家はなかなか難しいぞ。食ってくのは無理やな」
 「まあ、そうやろうな。でも若いころからの夢やから。とりあえず挑戦してみるさ。トミーはもう書いとらんのか」
 「塾の講師も案外忙しいからな。あの数学嫌いやった俺が、数学も面白いと思って勉強したり、最近は地学にも興味があって、たくさん本を読んだりしとるわ」
 「3年で唯一の私立文系志望者のクラスにいたお前が、理系科目を口にするとわな。変われば変わるもんや」
 「仕事といやあ、同級生に歯医者やっとる奴たくさんいたよな。最近、歯が悪なってきたんやけど、ジョージは、歯医者どこに行っとるんや。家の近くか?どうせ診てもらうんなら、友達んとこがええわなと思って」
 俺は小、中、高といっしょだった気心の知れた幼友達キカタの診療所に、車や電車で一時間以上かけて通っている。小学5年以来、ずっと頼りにし、身内同様に親しくしている友達だ。郷里にあって、妻の実家も弟の家も近い。もう何十年にもなるだろう。そう話した。
 「じゃ、俺もキカタのとこにしよ」
 トミーの家からでも、車で1時間以上の道のりになるだろう。もっと近い所にほかの友人の診療所もあるだろうが、そのことには触れなかった。
 ほかにも、塾経営の浮き沈みや家族の簡単な近況などで、会話は転々としながら、あっという間に数時間が過ぎた。
 夕食の時間を見越して、トミーが腰を上げた。
 「きょうは楽しかったわ。やっぱこうやって腰落ち着けて話すのはええな。次はケンのとこにでも行こうかと思っとるわ。いつになるか分からんけど」
 「わざわざ来てくれてありがとな」
 先に話した本を取りに二階に上がり、トミーに渡した。
 「時間あったら読んでみてくれ」
 LINEで「友達」になって、気軽に連絡が取り合えるようにと思い、携帯電話について尋ねてみた。
 「ジョージはスマホなんか。俺はガラケーで通すぞ」
 相変わらずの頑固な面も覗かせた。
 家に寄せて道路に止められた車まで3人で行き、そこで少し会話して見送った。妻も手を振っていた。
 それ以来、久しく連絡を取り合うことはなかった。
 言葉どおり、キカタのところに通い始めたようだ。
 年に3、4回だが検診に行った際に、話の断片が伝わった。
 トミーは俺の本を読んでいた。
 「ジョージは小説家にはなれんわ」
 簡単な感想を残していったようだ。

 
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