残照

文字数 4,716文字

 翌週の木曜日、5人の仲間で下呂温泉に集合した。
 俺は当初電車で行く予定だったが、仲間の一人ヒビノの提案で、高山線の途中駅になる美濃加茂で待ち合わせ、ヒビの車で宿に向かった。全員が4時に遅れることなく、宿に集合した。
 新型コロナの感染者が再び急増し始めていたので、1泊とはいえ宿泊は少し気がひけたが、1か月前から予定していたのと、全員が3度のワクチン接種を終えているということで互いに納得した。
 まずはトミーの病状を報告した。みんな奇跡を祈る以外にないことを悟った。
 ホテルでは、それぞれがマスクや消毒などを徹底したが、ホテル側でも万全な感染対策が取られていた。夕食はビュッフェスタイルだったが、どの料理もケースのなかにあり、皿に取るためのトングは各自が料理ごとに取り替えるように用意されていた。盛った皿の料理を平らげ、もう一度取りに行こうと席を離れようとした客がマスクをし忘れていたら、係員が着用を促していた。気楽には旅行できないことを痛感した。
 酒が好きなタカ、ガオ、ヒビは、夜遅くまでホテル内の居酒屋で飲んでいたが、飲めない俺とカナヤは、早々に寝床に就いた。
 翌朝、日課としている朝の運動を終え、温泉に浸かったあと、みんなで朝食を済ませた。そして高山へと向かった。
 タカが、高山に赴任していたころに通ったというラーメン店で昼食を取り、そのあと街歩きを楽しんだ。観光客はまばらで、閉店している店もあった。
 しばらく街並みを散策してから、駐車場に戻り、めいめいの車で帰途に就いた。俺はヒビの車に乗り込んで、行きと同じく美濃加茂まで送ってもらった。
 トミーのことをときどき思い出しながらも、久しぶりに仲間とじっくり話し、笑い合う、楽しいひとときを過ごした。
 「この歳になると、昔の友達が一番やな。なんの気遣いもいらん。また旅行しような」
 誰ともなく繰り返した。

 旅行後、体調に問題なく1週間が過ぎた。
 その間に、カズがトミーを訪ねていた。
 かなり弱っていて、少し話すと寝てしまうようで、あまり話せなかったと、LINEで伝えてきた。
 7月21日、翌日訪問したい旨をトミーに連絡しようと考えていた日だった。ヨシからメールが届いた。トミーに訪問できるか尋ねようとメールしたところ、意識がかなり朦朧としてきていて、会うことはできそうにない旨の丁寧なメールが、奥さんから届いたとのことだった。
 慌ててトミーの携帯にメールした。
 「元気出せよ。明日お邪魔したいと思ってるけど、難しいか?」
 2時間半後に返信が届いた。
 「妻です。意識がだいぶ朦朧としており、申しわけないですが、お会いできる状態ではなさそうです。連絡がきたことは伝えておきます。ありがとうございます」
 長い闘病生活を支えている奥さんも、さぞ慌てていることだろう。
 しばらく経ってから返信した。
 「なんとか頑張ってくれることを祈っています。奥さんもお体を大切に看護にあたってください」
 すぐに奥さんからお礼メールが届いた。

 翌日の夕方、ケンから電話が入った。
 直接奥さんから連絡があったと前置きして、トミーが深夜に亡くなったことを伝えた。
 葬儀の日程と場所、家族葬だが親しかった友人にはお見送りいただければ有り難いとの内容だったようだ。
 言葉では表現できない無念さと悔しさの入り混じった、悲しい気持ちが広がった。
 あとで聞いた話では、その日の午前2時ころに亡くなったようだ。
 (ちょっと早過ぎたじゃないか。まだ話し足りないぞ)
 すぐにLINE仲間に、ケンから伝えられた内容を知らせた。
 それぞれが哀悼の意を寄せた。

 7月24日は青空が広がっていた。
 葬儀はトミーの地元のセレモニーホールで行われた。
 家族や親戚など身内の方以外に、ケン、カズ、ヒビなど5人の親しかった友人が駆け付けた。みな高校時代の同級生だ。
 葬儀場に到着し、受付で所定の用紙に名前や関係などを記入し終えた。懐かしい同級生がいて挨拶し終えると、ほどなくトミーの息子さん、娘さんと奥さんが近寄ってきた。
 長男を見た瞬間に、トミーの顔が重なった。その彼が大きな紙袋を掲げて、話し掛けてきた。
 「父から預かりました。友達が小説のネタにするので渡すようにということでした。たくさんあるようなので、ざっと見ていただいて必要な物があれば、持っていっていただけますか」
 「お父さんから聞いていますが、ほんとにいいでしょうか。預かってゆっくり読みたいとは思いますが、小説は書けないと思いますよ。お父さんのような文才はないので。それでよろしければ。ただ、思っていたより多そうですが」
 奥さんが息子さんの言葉を継いだ。
 「私が主人から聞いています。ご迷惑でなければ全部持っていってくださればと思います」
 「じゃあ、預からせていただきます。ありがとうございます」
 丈夫な紙袋の中身はとても重かった。持ち続けることはできないと思い、すぐに車へ運んだ。

 車から戻ると、祭壇の奥にスクリーンがあって、在りし日のトミーの姿の写真をつないだビデオが流れていた。家族や友達といっしょの写真が、次々に映し出されていた。
 トミーの心にあっただろう場所の一部だ。
 いっしょに写っている人の心にも、その場所はある。
 祭壇とトミーが眠る棺を写真に撮って、LINEでグループに送信した。それぞれが写真に向かって手を合わせていることだろう。
 棺に眠るトミーは、苦しい闘病生活をよそに、穏やかそうに見えた。
 同級生5人は、準備された位置に並んで腰かけた。
 僧侶が着席し、読経を始めた。なるほど浄土真宗だ。トミーの遺族、親族の方々などに次いで我々も焼香した。別れ花の儀式の際に、トミーの母親と思しき高齢の方が、棺に縋り付いて泣き叫んでいた。俺は当初別れは告げないと思っていたが、言葉では表現できない強い感情が込み上げていた。
 「なんでや!なんでや!」
 母の葬儀の日にも、同じように叫んでいたのを思い出した。
 葬儀・告別式を終え、トミー、家族、親族が火葬場へと移動するため慌ただしくしているなか、家族の方々は俺たちに礼をし、そのあと奥さんがお供えのお裾分けを渡してくれた。
 トミーの乗った車が、太陽の照らし出す風景から厳かに消えた。

 自宅に戻って、トミーが遺した幾種類かの書類に目を通した。
 すでに目を通したことのある日記や詩集のほかに、学生時代の金銭出納帳や写真、就職後に使用していたと思われるスケジュール帳などもあった。書きかけのノートや、使用されず赤茶けたノートも数冊あった。すべてを預かっていいものか迷ったが、返されても家族の方も困るだろうと思い直した。
 冊子や書類を眺めながら改めて思った。
 トミーは逝った。しかし、俺にあるトミーという場所は、なお存在している。ただ、もはや相互作用することのないその場所は死によって変化を終えるはずだった。これからはその場所を振り返ることで、俺という存在を見つめ直すことになるだろうと思っていた。
 ところが、トミーの遺した日記や詩を読み始めると、トミーという場所が変化していくように感じられる。
 俺は返事をしないトミー、いや返事を遺していったトミーと、もう一度向き合うことになった。
 詩集の中に、この前のやり取りを続けたくなる詩を見つけた。
     ********************
            おれ

 すぎてしまった時間の
 なごりを ふところにかかえて

 思い出という 自分の影を

 寒さ知らずのおれが
 いつのまにか 寒さをしるようになって

 思い出という 自分の影さえ
 うっとおしくなり 重くなり
 だけど
 影を切り離したいと思うのは
 他でもない
 自分を 非存在にすることだ

 思い出や
 おれの存在した証明や
 そういうものを 
 すべての人の記憶の中から消し去って

 ただ
 雪がとけるように
 いや それよりも 涙が かわくように
 誰に 知られることなく
 消えてしまったら・・・
     ********************

 高校生のトミーにも深く悩む日々があった。
 それは分かる。
 しかし、そのトミーよ。存在はつながりと関係性の相互作用の総体なんだ。トミーという場所を共有した人々にとって、その場所はその人にとっての場所だ。
 相互作用の有様によって、つながりに濃淡はあるかも知れんが、すでにその場所はその人の一部なんだ。影じゃないんだ。
 もっと言えば、その場所に溶け込んでいるものは、人だけじゃない。鳥や、木々や、風のような自然もあれば、赤い鳥のCDのようなモノもあって、言葉で表現できないものも無数にある。
 雪が解けるのは、目に見えない太陽の力があるからだ。
 涙が乾くのは、悲しい感情が静まり、涙を流す指令が止んだあと、流れていたところを空気が通り過ぎるからさ。
 それぞれがつながりと関係性の相互作用によって起こっている。
 相互作用である以上、独りよがりでは済まない。
 思い出や出来事の記憶と呼んでいるものなんて、なにかのきっかけで、脳神経が活性化して場所の一部が掘り起こされ、中核となる記憶を維持しながらも、その場の感情や言葉のつながりに合ったように、作り直された物語に過ぎないんじゃないかな。 

 俺はこの詩を書いたトミーにそう言ってやりたかった。
 しかし、病床にあったお前は、この詩を書いたときのトミーではなかった。
 昨年12月に末期癌と分かり、6か月永らえたのちに、俺に連絡した。もっと早く連絡をくれれば、話す機会も増えただろう。だがお前はそうしなかった。その6か月の苦悩を思い遣ってみた。
 おそらく、お前は死を前にして日記や詩を読み返すなかで、積み重なった場所を辿り直していったのだろう。
 お前の状況を高校時代の仲間に伝えていいかと聞いたら、「うん、伝えといて」と素直な返事が返ってきた。俺はその言葉にトミーの変化を読み取った。
 お前は自分の残りを、「もって10月までかな」と冷静に分析していた。そして、「もう助からんと思えば気楽なもんや」と言い、「ただ時の流れに任せるだけや」と締めくくった。
 さらには、俺が「痛みはあるんか」と聞いたときには、辛いとしながらも、「生きとるだけ有難い」と答えた。
 そうしたときのお前は、それまで見たことのない穏やかなトミーだった。親鸞の教えに従い、すでに「後生の一大事」を悟り、大きな船に乗っていたとでも言えるのだろうか。
 俺はそうは考えない。
 お前は『竹田の子守唄』を聴きながら、「この5人でないといかんのや」とか、「正確には二人と三人かな」と語った。俺にその意味するところは理解できなかったが、おそらくそれは、この唄によってできたトミーにある場所、この唄を聴くたびに感情の流れをつくる場所への気付きだったんじゃないか。そして、その場所に存在していたのは赤い鳥のメンバーではなく、もっと身近な誰かだったのではないだろうか。
 トミーに起こった変化、それは死を受け入れて後生での蘇りを悟ったというよりは、積み重なった場所の有様を方向付けてきた「己」に対する気付きを教えているように感じるんだ。その気付きがいまの変化を受け入れ、心穏やかなトミーを生んだ。そう思えてきたんだ。

 まだまだ変化を続けるこの俺が、積み重なった場所を貫き通す「己」を死ぬ前に見出せるかは分からない。でも、それを求めていくのが、場所としてこの世に生まれた者の意義なのじゃないか。
 苦難を超越したお前の姿を思い出しながら、俺はそう思い始めた。
 トミーはどう思う?

        了
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み