悪魔が唖然とした話。
文字数 3,293文字
今の人間は強欲で、そして頭が悪い。
つまらない見栄のために、簡単に魂を差し出す。
こちらとしては好都合だ。
今日も簡単に命を捨てそうなヤツを見かけて、悪魔は声をかけた。
「お前が望むなら、魂と引き換えに何でも願いを叶えてやろう。」
皆、この言葉に飛びつく。
単純で考え無しで後先考えずに強欲だ。
そして願いを叶えられ満ち足りたところで約束通りにしようとすると泣き叫ぶ。
やっと満足のいく人生になったのに、と。
みっともなく泣きわめく様もとても気持ちがいい。
しかし、今日、声をかけた男はじっと値踏みするように悪魔を見つめた。
それから小さく息を吐くと少し考え込み始めた。
悪魔は少し気を悪くした。
こんなしみったれ、疲れきった人生の負け犬みたいな人間にそんな顔をされるとは思わなかったのだ。
「……嫌ならいい。別にオレはお前でなくてもいいんだからな。」
そう吐き捨てて、その場を去ろうとする。
そいつは「そうですか」と呟くだけだった。
悪魔はイラッとした。
「お前、その歳で、何の野望もないのか?つまらない人間だな。」
「あ、はい。つまらない人間です。よく言われます。」
「そいつらを見返してやりたいと思わないのか?!」
「特には……。人それぞれ、価値観が違いますから。」
悪魔は呆れてため息をついた。
やけっぱちになっていて、すぐに魂を差出してくるかと思ったが、どうやらもう、生きる気力すらすり減らしているようだ。
そこまで行くと、悪魔より死神の領域だ。
奴らもノルマがあるからな。
冬になるとノルマを終えていないヤツが慌てて適当なヤツを狩るが、去年の年末はすり抜けたんだろうな、この人間。
そんな事を悪魔は思う。
死神とは持ちつ持たれつな部分がある。
ならわざわざ無理をして自分がこの人間を狩る事もないだろうと結論づけた。
「わかったわかった。なら、オレはもう行く。」
「……あ、はい。」
「何だよ?なんか叶えたい事があるなら聞いてやるぞ?ただし、魂と引き換えだけどな。」
「魂は別に良いんですけど、これと言って叶えたい事が思い浮かばなくて……。」
「……は??」
何だコイツは、と悪魔は呆れる。
だが、魂は構わないという事は、やはり生きる気力がないのだ。
だとしたらそんな生きの悪い魂を狩っても仕方がない。
やはり死神たちに残しておくべきだろう。
「……あっ!!」
「何だよ、なんかあんのかよ?!」
「あ~、でも……。」
「何だよ?!言うだけ言ってみろ?!」
「いや~、わざわざ悪魔さんに叶えて頂くほどの事でもないので……。」
「いいから言え!!聞くだけ聞かなきゃ!時間を浪費した意味がねぇ!!」
「でも、本当につまらない事でして……。」
「いいから言え!叶えるかどうかはオレが判断する!!」
苛々しながら悪魔が急かすと、その人間は申し訳なさそうに小さな声で呟いた。
「胃を……。」
「……胃??」
「胃を……二十代ぐらいの、何でも美味しくたくさん食べられる頃に戻してもらえたらなぁ……なんて……。」
悪魔は絶句した。
魂と引き換えに叶えたい事が、胃である。
人間は危機感が希薄になり馬鹿になったとは思っていたが、ここまでアホになったとは知らなかった。
「……お前……魂と引き換えだって、わかってるか??」
「わかってます!わかってます!!つまり、叶えてもらって少ししたら、悪魔さんが魂を取る。つまり死ぬんですよね??」
呆れ果てながら思わず説明してしまう悪魔。
しかし思いの外、その人間は状況を正確に理解していた。
ん??
だとすると、この人間は、理解した上で魂と引き換えに胃を健康にしてくれと言っているのか??
悪魔は憐れむような眼差しで人間を見つめる。
けれど当の人間は、キラキラした目で悪魔を見つめている。
「ど、どうでしょう?!叶えて頂けますか?!」
悪魔は考えた。
これは、取引をすると見せかけて、こちらを罠にはめようとしているのではなかろうか?
昨今、そういう知恵の回る人間にはとんと出会っていなかったが、人間は本来、知恵の実を宿している厄介な生き物だ。
昔はよく出し抜かれて同族が痛い目に合わされてきた。
「……何でそんな事に魂を使う?」
「え??どうせ死ぬなら、美味しいものをたくさん食べて死にたいじゃないですか??」
「まぁ、一理あるが……?」
「でもですね?今の時代、ペーペーの一般庶民は皆、たくさんのストレスと、たくさんの重圧に耐えながら生きているんです。そうするとね、当たり前ですけど体を壊すんです。」
「……だろうな?」
「そして自分をケアする時間もお金もなく歳をとるんです。そうすると、当たり前ですけど、各臓器、年を取れば取るほど悪くなるというか、悪かならなくても不調続きになるんです。」
「はぁ。」
「で、思うんです。まだ体が健康だった若いうちに、あれをやっておけばよかった、これをやっておけばよかったって。」
「まあよく聞く話だな。」
「で、私は。死ぬ前に、食べたいものを食べたいだけ食べて、温泉にでも浸かって、ぐっすり眠るような時間を過ごしたいんです。でも、温泉に浸かる事も寝る事も何とかやろうと思えばできますが……胃だけは私の意思ではどうにもできません……。昔のように、食べたいものを食べたいだけ食べる事を、体が受け付けないのです。」
そこまで聞いて、悪魔は本当にこの人間が、魂と引き換えに健康な胃を欲しがっているのだと理解した。
なので叶えてやる事にしたのだが……。
「……本当にそれだけで良いのか??少しぐらい金とか出してやっても良いぞ?」
「いや、死ぬとわかっていれば、使えるお金はありますから大丈夫ですよ。それにあまり身の丈にあっていない贅沢をすると、かえってリラックスできないものです。」
そして悪魔は一週間と期限を決めて、人間の胃を健康にしてやった。
こっそりオプションで他の部分も健康にしておいた。
人間は有給を取って、好きなものを食べ、温泉に浸かり、寝坊しながら、また食べたいものをたくさん食べると言う生活をした。
声をかけた時は辛気臭かった人間の魂が、生き生きと輝いている。
悪魔は複雑な気分でそれを眺めていた。
「ありがとうございました!悪魔さん!!」
一週間後。
人間はとても生き生きとしながら悪魔に微笑んだ。
お礼を言われる筋合いはないと跳ね除ける。
多くの人間が、願いを叶えた後、死にたくないと逃げたり、悪魔祓いをしようとしたりした。
そんな事が悪魔との契約に通じる訳もなく、皆、最期は泣いて縋ってきた。
それを見るのが好きなのだ。
なのにこの人間は、とてもにこにこ笑って清々しい。
「……お前、オレに魂を取られるんだぞ?わかっているか?」
「はい!そういうご契約ですから!!」
「………………。」
「本当にありがとうございました!好きなものを好きなだけ食べ、温泉に浸かって、寝たいだけ寝る!!悪魔さんのお陰で、人生の最後にとても幸せな時間が過ごせました。」
「……そうかよ。」
悪魔はそう言って、その人間の魂を抜いた。
それはとても綺麗に輝いていて、悪魔は複雑な気持ちになった。
最期にとても生き生きと過ごした人間。
たった胃を健康にするというつまらない願い。
けれど、今まで願いを聞いてきたどの人間よりもその魂は澄んでいた。
はじめにその願いを聞いた時は唖然とした。
だが、この人間は馬鹿じゃなかった。
それはその人間を幸せにする何よりの価値ある願いだった。
瓶に詰めた魂を見つめ、そして蟻のように地面をはい回る無数の人間たちを見つめる。
悪魔は人間は馬鹿になったのだと思っていた。
でも、多分そうじゃない。
人間は今、頭を悪くしていなければ、生きていけないのだ。
今の時代、多くの人間は、生きる為に時間も健康も楽しみも犠牲にしている。
だからそれに気づいてしまっては生きていけないのだ。
気づいてしまえばこの魂の人間のように、ストレスと重圧に押しつぶされ、やがて生きていく事ができなくなる。
人間は、今、生き残る為に馬鹿にならざる負えないのだ。
知恵があるからこそ、その方法を見出した。
そして単純な欲望で目先の満足を得て生きていく。
「何の為に得た知恵なのだろうな……。」
人間という生き物の歴史と生き様。
悪魔には理解できず、恐ろしいと思った。
つまらない見栄のために、簡単に魂を差し出す。
こちらとしては好都合だ。
今日も簡単に命を捨てそうなヤツを見かけて、悪魔は声をかけた。
「お前が望むなら、魂と引き換えに何でも願いを叶えてやろう。」
皆、この言葉に飛びつく。
単純で考え無しで後先考えずに強欲だ。
そして願いを叶えられ満ち足りたところで約束通りにしようとすると泣き叫ぶ。
やっと満足のいく人生になったのに、と。
みっともなく泣きわめく様もとても気持ちがいい。
しかし、今日、声をかけた男はじっと値踏みするように悪魔を見つめた。
それから小さく息を吐くと少し考え込み始めた。
悪魔は少し気を悪くした。
こんなしみったれ、疲れきった人生の負け犬みたいな人間にそんな顔をされるとは思わなかったのだ。
「……嫌ならいい。別にオレはお前でなくてもいいんだからな。」
そう吐き捨てて、その場を去ろうとする。
そいつは「そうですか」と呟くだけだった。
悪魔はイラッとした。
「お前、その歳で、何の野望もないのか?つまらない人間だな。」
「あ、はい。つまらない人間です。よく言われます。」
「そいつらを見返してやりたいと思わないのか?!」
「特には……。人それぞれ、価値観が違いますから。」
悪魔は呆れてため息をついた。
やけっぱちになっていて、すぐに魂を差出してくるかと思ったが、どうやらもう、生きる気力すらすり減らしているようだ。
そこまで行くと、悪魔より死神の領域だ。
奴らもノルマがあるからな。
冬になるとノルマを終えていないヤツが慌てて適当なヤツを狩るが、去年の年末はすり抜けたんだろうな、この人間。
そんな事を悪魔は思う。
死神とは持ちつ持たれつな部分がある。
ならわざわざ無理をして自分がこの人間を狩る事もないだろうと結論づけた。
「わかったわかった。なら、オレはもう行く。」
「……あ、はい。」
「何だよ?なんか叶えたい事があるなら聞いてやるぞ?ただし、魂と引き換えだけどな。」
「魂は別に良いんですけど、これと言って叶えたい事が思い浮かばなくて……。」
「……は??」
何だコイツは、と悪魔は呆れる。
だが、魂は構わないという事は、やはり生きる気力がないのだ。
だとしたらそんな生きの悪い魂を狩っても仕方がない。
やはり死神たちに残しておくべきだろう。
「……あっ!!」
「何だよ、なんかあんのかよ?!」
「あ~、でも……。」
「何だよ?!言うだけ言ってみろ?!」
「いや~、わざわざ悪魔さんに叶えて頂くほどの事でもないので……。」
「いいから言え!!聞くだけ聞かなきゃ!時間を浪費した意味がねぇ!!」
「でも、本当につまらない事でして……。」
「いいから言え!叶えるかどうかはオレが判断する!!」
苛々しながら悪魔が急かすと、その人間は申し訳なさそうに小さな声で呟いた。
「胃を……。」
「……胃??」
「胃を……二十代ぐらいの、何でも美味しくたくさん食べられる頃に戻してもらえたらなぁ……なんて……。」
悪魔は絶句した。
魂と引き換えに叶えたい事が、胃である。
人間は危機感が希薄になり馬鹿になったとは思っていたが、ここまでアホになったとは知らなかった。
「……お前……魂と引き換えだって、わかってるか??」
「わかってます!わかってます!!つまり、叶えてもらって少ししたら、悪魔さんが魂を取る。つまり死ぬんですよね??」
呆れ果てながら思わず説明してしまう悪魔。
しかし思いの外、その人間は状況を正確に理解していた。
ん??
だとすると、この人間は、理解した上で魂と引き換えに胃を健康にしてくれと言っているのか??
悪魔は憐れむような眼差しで人間を見つめる。
けれど当の人間は、キラキラした目で悪魔を見つめている。
「ど、どうでしょう?!叶えて頂けますか?!」
悪魔は考えた。
これは、取引をすると見せかけて、こちらを罠にはめようとしているのではなかろうか?
昨今、そういう知恵の回る人間にはとんと出会っていなかったが、人間は本来、知恵の実を宿している厄介な生き物だ。
昔はよく出し抜かれて同族が痛い目に合わされてきた。
「……何でそんな事に魂を使う?」
「え??どうせ死ぬなら、美味しいものをたくさん食べて死にたいじゃないですか??」
「まぁ、一理あるが……?」
「でもですね?今の時代、ペーペーの一般庶民は皆、たくさんのストレスと、たくさんの重圧に耐えながら生きているんです。そうするとね、当たり前ですけど体を壊すんです。」
「……だろうな?」
「そして自分をケアする時間もお金もなく歳をとるんです。そうすると、当たり前ですけど、各臓器、年を取れば取るほど悪くなるというか、悪かならなくても不調続きになるんです。」
「はぁ。」
「で、思うんです。まだ体が健康だった若いうちに、あれをやっておけばよかった、これをやっておけばよかったって。」
「まあよく聞く話だな。」
「で、私は。死ぬ前に、食べたいものを食べたいだけ食べて、温泉にでも浸かって、ぐっすり眠るような時間を過ごしたいんです。でも、温泉に浸かる事も寝る事も何とかやろうと思えばできますが……胃だけは私の意思ではどうにもできません……。昔のように、食べたいものを食べたいだけ食べる事を、体が受け付けないのです。」
そこまで聞いて、悪魔は本当にこの人間が、魂と引き換えに健康な胃を欲しがっているのだと理解した。
なので叶えてやる事にしたのだが……。
「……本当にそれだけで良いのか??少しぐらい金とか出してやっても良いぞ?」
「いや、死ぬとわかっていれば、使えるお金はありますから大丈夫ですよ。それにあまり身の丈にあっていない贅沢をすると、かえってリラックスできないものです。」
そして悪魔は一週間と期限を決めて、人間の胃を健康にしてやった。
こっそりオプションで他の部分も健康にしておいた。
人間は有給を取って、好きなものを食べ、温泉に浸かり、寝坊しながら、また食べたいものをたくさん食べると言う生活をした。
声をかけた時は辛気臭かった人間の魂が、生き生きと輝いている。
悪魔は複雑な気分でそれを眺めていた。
「ありがとうございました!悪魔さん!!」
一週間後。
人間はとても生き生きとしながら悪魔に微笑んだ。
お礼を言われる筋合いはないと跳ね除ける。
多くの人間が、願いを叶えた後、死にたくないと逃げたり、悪魔祓いをしようとしたりした。
そんな事が悪魔との契約に通じる訳もなく、皆、最期は泣いて縋ってきた。
それを見るのが好きなのだ。
なのにこの人間は、とてもにこにこ笑って清々しい。
「……お前、オレに魂を取られるんだぞ?わかっているか?」
「はい!そういうご契約ですから!!」
「………………。」
「本当にありがとうございました!好きなものを好きなだけ食べ、温泉に浸かって、寝たいだけ寝る!!悪魔さんのお陰で、人生の最後にとても幸せな時間が過ごせました。」
「……そうかよ。」
悪魔はそう言って、その人間の魂を抜いた。
それはとても綺麗に輝いていて、悪魔は複雑な気持ちになった。
最期にとても生き生きと過ごした人間。
たった胃を健康にするというつまらない願い。
けれど、今まで願いを聞いてきたどの人間よりもその魂は澄んでいた。
はじめにその願いを聞いた時は唖然とした。
だが、この人間は馬鹿じゃなかった。
それはその人間を幸せにする何よりの価値ある願いだった。
瓶に詰めた魂を見つめ、そして蟻のように地面をはい回る無数の人間たちを見つめる。
悪魔は人間は馬鹿になったのだと思っていた。
でも、多分そうじゃない。
人間は今、頭を悪くしていなければ、生きていけないのだ。
今の時代、多くの人間は、生きる為に時間も健康も楽しみも犠牲にしている。
だからそれに気づいてしまっては生きていけないのだ。
気づいてしまえばこの魂の人間のように、ストレスと重圧に押しつぶされ、やがて生きていく事ができなくなる。
人間は、今、生き残る為に馬鹿にならざる負えないのだ。
知恵があるからこそ、その方法を見出した。
そして単純な欲望で目先の満足を得て生きていく。
「何の為に得た知恵なのだろうな……。」
人間という生き物の歴史と生き様。
悪魔には理解できず、恐ろしいと思った。