あの日のラジオ

文字数 4,145文字

 お母さんはラジオを持っている。部屋のサイドボードの上に品よく飾られたその古めかしいラジオは、アンティークっぽさを醸し出している。
「ねぇ、母さん。あのラジオって何かビンテージ物なの??」
子供の頃からそうやって置いてあるラジオ。昔は「変なの」とは思ったものの、特に気にも止めていなかった。だが大人になり、世の中の古い物には恐ろしい値段が付くものがあると知って思わず聞いた。
「いいえ??昔の大量生産品だけど??」
お母さんはそうめんのめんつゆを冷蔵庫からテーブルに置くと、薬味を忘れたとまた冷蔵庫を開ける。私はアンティークでもないただの古ぼけたラジオを見つめ、ふ~んと言った。
 それ以上は聞かなかった。だとしたら、あんな風に大事に飾ってある理由は一つしかないからだ。
 私は頂きますと言ってそうめんに箸を伸ばした。お盆だからなんて理由で帰省するのは、この期間は旅行運賃が高くまだまだルーキー社会人の私には遊び呆ける余裕がないからに過ぎない。
「ちゃんと食べてるの?」
「帰ってきたら滅茶苦茶太ってたってのより良くない??」
「確かにそうだけど、太ってた方がお母さんはまだ安心するわよ。少なくとも食べてるんだってわかるから。」
「私が痩せて見えるのは、仕事始めて運動しなくなったから!筋肉が落ちたのよ。見て?!筋肉落ちて!こんなにぷにぷにになってきてるの!!ヤバくない?!」
私がそう言うと、お母さんは笑った。そして負けてないわよと、ぷにぷにの二の腕を見せてきた。いや、比べる基準が何か違うから。
 「それにしても暑いわね、今年は。」
「どんぐりも伸びて動かないね。」
「どんぐりももうおじいちゃんなのよ。でも涼しくなったら、散歩に行ってあげてね?母さんだとあんまり長く歩いてあげられないから。」
名前を呼ばれたどんぐりは耳をピクリとさせ、目だけを開いてこちらを見た。でもそれだけでそのまままた寝てしまう。横着なやつだ。日本犬って忠義に厚いんじゃなかったのか?!コノヤロウ!せっかく久しぶりに帰ってきたのに、挨拶もそこそこにマイペースにしちゃって。柴犬は狼のDNAを一番持っていると聞いたけど、どんぐりを見ている限りただのお座敷犬だ。
「老けたよねぇ、どんぐり。マズルのところが真っ白だし、全身何か白っぽくなって色がぼんやりしてるし。」
「それだけ時間がたったのよ。あんただって、いつの間にやらいっぱしの社会人だし。」
「そっか。」
 クーラーの冷気が一番当たる所で伸びているどんぐりを眺めながら、そうめんを啜る。来た時は、両手の上に乗るんじゃないかってぐらい小さかったのに。でも、どんなにぐうたらしていても、この家にどんぐりがいてくれて良かったと思う。私がいなくなったこの家は、お母さん、一人だから。
 私のお父さんは、私が小さい時に仕事中の事故で亡くなった。それからお母さんは再婚もせずにずっと一人だ。
「ねぇ、いい人いないの??」
「それ、お母さんがアンタに聞きたいんだけど??」
藪蛇だった。誤魔化す為にテレビをつけた。そして適当にタレントの話をする。お母さんも気にせず合わせてくれた。

 だとすると、このラジオはお父さんの物、もしくは二人の思い出の品なのだろう。
 風呂上り、なんとなくサイドボードの上のラジオを触る。動くのかが気になって、弄くり回す。電池が入ってないようで、私はサイドボードの1番下の引き出しを開けた。昔と変わらず、そこには未使用の電池がいくつか置いてあった。それを取り出し、中に入れる。
「………ん??やっぱ、壊れてんのかな??」
スイッチをオンにすると、赤いランプがついたり消えたり頼りなく光る。音量を上げ、チューナーを弄り回していると、突然、ザザッと大きなノイズが入った。
「わっ!!」
びっくりしてボリュームを下げる。でも何か電波を拾っている。チューナーを弄ると何か人の声が聞こえたりする。ダイヤル式の回転チューナーは加減が難しく私は悪戦苦闘する。ほんのちょっと動かしたつもりでも凄くズレるのだ。このデジタルな時代に慣れきった私には物凄く面倒に思えた。
「お?!繋がった?!」
 四苦八苦して、何とか電波を捉えたらしい。ラジオからはノイズと共に、明るい音楽と陽気な声が響く。普段ラジオなんて聞いたことが無いから、そこから流れる雰囲気も音楽もパーソナリティの喋りも皆、時代錯誤な古めかしさを感じた。
 「って言うか、何?この曲?知らないんだけど??」
ラジオから流れる音楽がわからず、首をひねる。何だろ?懐メロ特集とかなのかな?
 「……あらやだ!!懐かしい!!」
そこに私の後にお風呂に入ったお母さんが、頭を拭きながらそんな声を上げていた。やっぱり懐メロなんだなぁと私は笑った。
「母さん、この曲、何ていうの??」
「それはお母さんがお父さんと付き合ってた頃に流行ってた曲でね……?!」
「うっそ、マジ?!」
 私は笑ったが、お母さんは物凄く驚いた顔で固まっていた。その目は私の手の中にあるラジオを凝視している。ヤバい、勝手に触ったから怒られるのかも。私は内心、焦った。
「そのラジオ……!!」
「ごめん、ちょっと気になって!!」
「違うの!!アンタ、直したの?!」
「え??電池入れただけだよ??」
 何か会話が成り立たない。どういう事?と聞こうとした時、ラジオから陽気な声が聞こえてきた。
 『それではここで!どうしてもこの声を伝えたい!のコーナーです!!今日は○○に住んでいる、ラジオネームどんぐり君と繋がっています!!はじめまして!どんぐり君!いつも聞いてくれてありがとう!!』
 どんぐり?うちの犬と同じ名前だったので思わず聴き入ってしまう。と言うか、ラジオだとラジオネームって言うんだ、ちょっと面白い。
「ねぇ!母さん!この人、どんぐりだって!!うちの犬と一緒!!……って、母さん?!」
 思わず面白くてそう声をかけたが、お母さんは手で口元を押さえ、わなわな震えている。その目には大粒の涙が光っている。
 何が起きたのかわからない。驚いて言葉を失う私の感情を無視して、ラジオからは明るい音楽と声が流れ続ける。
『今日はどんぐり君と彼女が付き合い始めた記念日だって?!』
『は、はい!!』
 パーソナリティの声とは違う、緊張気味の若い男の人の声。その声を聞いて、お母さんはガクリと膝から崩れ落ちた。
「母さん?!大丈夫?!」
「ラジオ!!ユカ!!ラジオ!!」
私の手からラジオをひったくると、お母さんはそれをギュッと握りしめて見つめている。
 わけがわからない私の脇に、やはり訳がわからなそうな犬のどんぐりがやってきて、私の顔色を伺った。何よその顔は?私がお母さんに何かしたと思ってるんでしょうけど、何もしてないからね?!
 そんな状況の中で、ラジオだけが無駄に明るい声を流し続ける。
『では!!今は仕事で遠くにいるどんぐり君から!彼女のまいまいにどうしても伝えたい事をどうぞ!!時間は30秒!!頑張れ!どんぐり!!』
そう言うと、まるでタイマーのような音とともに、そのどんぐりさんの言葉がラジオから流れ出す。

「ま、まいまい!!記念にいつも一緒にいれなくてごめん!でも!仕事で中々一緒にいる時間が取れない俺だけど!まいまいとはずっと一緒にいたいと思っています!だから!こんな俺ですが!!良かったら結婚して下さい!!時期が来たら!必ず迎えにいきます!!よろしくお願いします!!」

 ノイズと古臭い音楽と、時間制限のタイマーの音と共に、ラジオネーム、どんぐりさんの公開プロポーズが流される。その言葉が終わった瞬間、私でも聞き覚えのある昔のラブソングが大音量で流れ出した。
 「……はいって……返事したじゃない………30年も前に……っ!!バカ………っ!!」
 その軽快な音楽の中、お母さんがラジオを抱えて号泣した。私は隣で不思議そうにしている犬のどんぐりを抱きかかえる。どんぐりはよくわかっていなくて、ちょっと嬉しそうに尻尾を降って、ハッハッと生暖かい息を吐き続けていた。
 ラジオは次第に音を拾わなくなり、ノイズだけになって、ぷつりと切れた。

 「ちゃんと食べなさいよ?!」
「だから!食べてるって!運動してないだけ!!」
「何かあったら、すぐ、連絡しなさいよ?!」
「わかったわかった。」
 私が帰る日、お母さんはいつもと変わりなかった。私もあの日のラジオの事は何も聞かなかった。
 と言うか、自分の両親がラジオで公開プロポーズしてたとか、ちょっとどう捉えていいのかわからない。
 どんぐりは相変わらず暑いのか、クーラーの効いたリビングからこちらを見ているだけだった。薄情な奴め。お前なんか、お父さんのラジオネームから名前つけられてるんだからな?!どんぐり二世め!!
 「あ~あ、もう休みが終わりかぁ~。」
「ま、頑張んなさい。」
「冷たい!!」
私はブツブツ文句を言いながら、荷物を持った。
 あのラジオはあれ以降、何をどういじっても赤いランプを付ける事はなかった。たぶん、それでいいのだ。これからも物言わぬアンティークのフリをして、うちのサイドボードの上に飾られ続けるのだ。
 「じゃ、母さんも気をつけてね?」
「はいはい。あなたもね。」
そう言って玄関を閉める。駅までどんぐりと見送りに来てくれると言ったが、この暑さなので断った。倒れられたら帰るどころじゃなくなるし、何よりこの炎天下の日差しの中、どんぐりを歩かせたら肉球を火傷してしまう。
少し歩いただけで吹き出してきた汗を拭う。
 母さん、再婚はしないだろうな。一人、家に残すお母さん。誰かいてくれたらとも思うが、今のところはどんぐり二世がいるから大丈夫だろう。
 でも、まさか、2度目のプロポーズをしてくるとは……我が父ながら侮れない。あんな事言われたらお母さん他に行けないじゃん。パート先で何かいい感じの人でもいて、焦ったのかな?お父さん??でもお盆だからって好き勝手やり過ぎじゃない??まぁ時期が来たら迎えにくる気みたいだから、当人達に任せるけどさ。
 「は~、私にもいい人現れないかなぁ~。公開プロポーズは勘弁だけど。」
コロコロと荷物を引きながら、駅までの道のり。私はそんな事を考える。無駄に暑苦しい夏の空気の中、蝉の声が辺りに響いていた。
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