第7話 二番目の男

文字数 3,953文字

   十一月二十四日 月曜日
 沼津市の電話帳に“くりいむ”の名はなかった。所在地を探り当てると、既にそこは今流行の貸しレコード屋に変わっていた。店は約一年前につぶれていたそうだ。つい二ヵ月程前になって、やっと今のレコード屋が入ったらしい。オーナーは別人だった。
 村木店長は、借金を抱えて店をやめ、今は小さな印刷工場に勤めていることを聞いた。
 町外れにある工場に行ったが、今日は全国的に振替休日であった。やくざな商売をしていると、休みの感覚が世間とずれる。

 “くりいむ”の跡にできた貸しレコード屋を帰りにのぞいた。アラベスクが流れていた。
 今年の六月に東京の三鷹で大学生が始めたこの商売は、目から鱗の画期的なアイデアだ。今までLPレコード(アルバムの事を昔はこう呼んだ。Long Playの略。CDの時代になって死語に)を聴くためには、買うか友人に借りるしか手がなかった。2500円(昭和55年当時1枚物の相場)は学生でなくとも月に何枚も買える値段ではない。それを250円で借りられるのだから素晴らしい。業界人の立場からすれば、レコードセールスの敵として恐れ憎むべきかもしれないが、一音楽ファンとしては素直に喜びたい。



   十一月二十五日 火曜日
 その小さな印刷所は、無造作に積まれた紙の山とインキの匂いでいっぱいだった。印刷機の音の中、親切そうなおばさんを選んで大声で用件を伝えた。おばさんは気分良く案内してくれた。
 通された応接室に、人事担当者が入ってきた。四十くらいの黒眼鏡の男で、役場の窓口に愛想悪く座っているようなタイプだ。
「失礼ですけれど、ちょっと年がいかれてますね」
「自分で会社をやっていたんですが、しくじりまして」
「うちにもそういう人がいます。真面目に働いて下さるなら、まったく問題ありません。最近はなかなかいないんですよ、うちみたいに小さな印刷会社で働こうなんて人」
「あの、リフトくらいしかできないんですが」
 標的のセクションくらい下調べできている。
「いいですとも、大歓迎です。いつから働けますか」
「今日からでも」
 晴れて印刷工場の臨時社員となる。

 印刷された、又はこれから印刷される白い紙を、フォークリフトで上げ下ろししているのが、村木伸介だった。
 猫背の大男で、あごに髭をたくわえて浅黒い風体は熊を思わせる。元喫茶店の店長と聞いて、こういう男はちょっとイメージしにくい。だがこれが、間違いなく目指す人物であった。
 三白眼がこちらを睨む。ちょっとお話したくないタイプだ。
「村木さん、ちょっとすみません」
「いま忙しいんだ。昼休みまで待ってくれないか」
 手も休めず、ぶっきらぼうな答えが帰ってきた。
 人事課長はこちらを振り返り、肩をすくめてみせた。
 時計は十一時四十五分を指していた。

 十二時五分、黒熊が弁当をぶら下げて出て来た。左足を引きずっている。
「村木さん、こちら今日入社された桜屋さん。リフトやってもらうから、指導の方よろしくお願いします」
「桜屋です。よろしく」
 頭を下げる俺に、村木は三白眼で一瞥しただけで、あとは弁当を広げて食べ始めた。
 人事課長は去り、二人になる。
「この仕事、長いんですか」
「…‥…」
「僕は自分の会社をつぶして借金抱えてしまって、この歳じゃ再就職もなかなか見つからなくて」
「…‥…」
「まさか自分が印刷工場に勤める事になろうとは、思ったこともなかったです」
 村木は何も聞こえぬかのように人を無視して、黙々と弁当を食べ続けた。それから丸一日、黙秘権を行使し続けた。
 客商売をしていた男とは思えない。それよりも、あの直木マナとこの男が抱き合っている姿がどうしても想像できない。

 初めて乗るフォークリフトで、壁に五ヵ所ほど穴をあけた。
 ここの仕事は、商店街の肉屋や洋品店のせこい一色刷りの特売チラシや、きわどいピンク色のビラが大半だ。どう考えても、儲かってしょうがない会社ではない。
 仕事は定時に終わった。先に退社して、村木を待った。
 尾行は好きな仕事ではない。人を尾けている時、一番後ろめたさ、自己嫌悪を感じる。が、その卑屈な時間もわずかで終わった。
 村木は、工場のすぐ近くのコーポに住んでいた。
 近所の聞き込みによって、村木がひとりで春頃このコーポに引っ越して来たこと、その直前に妻子に逃げられたこと、喫茶店がつぶれて家も売って、今の工場に就職したこと、などを知った。足の悪い理由は誰も知らなかった。
 コーポを去る時、かすかに聞こえるエレキの音があった。聞き覚えのあるメロディはデレク&ドミノスの『いとしのレイラ』。村木の部屋からと直感した。
 そう、喫茶店の名前は“くりいむ”じゃないか。


 ホテルで見たテレビによると、今年の正月映画の目玉は山口百恵の引退記念作『古都』だが、松竹『男はつらいよ』のマドンナは伊藤蘭で、併映作品の主演は田中好子なのだそうだ。
 元キャンディーズ二本立てだ。結局みんな普通の女の子にはなれなかった。あるいは、なる気はなかったのかも。
 ところで、ピンクレディーはどこへ行った?解散という噂も聞くが。




   十一月二十六日 水曜日
 勤務二日目でリフトの運転もうまくなり、壁の穴も二ヵ所しかあけなくて済んだ。
 村木と弁当をともにした。食事の後というのは、思考力や集中力が鈍るので本音を引き出しやすい。一芝居打つことにした。
 ウォークマンをして、外からは聞こえない曲に合わせてギターを弾く真似をする。村木には聞こえるよう、流れている曲を鼻で唄う。案の定、そのメロディーに村木は反応した。
 振り返って、作り笑顔で尋ねる。
「知ってます?この曲」
「『サンシャイン・ラブ』だろ、クリームの」
 低くこもった声が帰って来た。初めて村木と会話が開ける。
「好きですか、クラプトン」
「ギターの神様だよ。若い頃はクリームに入れ込んだものさ」
 エリック・クラプトンは、ロックファンならば知らぬ者はいないギターの名手である。クリームは、クラプトンがかつて在籍していたバンドで、村木の店“くりいむ”はそこから名付けたものとにらんだわけだ。
「クリームの『サンシャイン・ラブ』や『クロスロード』もいいですけど、クラプトンはやっぱり『レイラ』でしょ」
「『いとしのレイラ』は人妻を恋する男の歌だ。知ってるか」
「いえ、歌詞まではちょっと」
「クラプトンは、ジョージ・ハリスンのかみさんに惚れたんだ。ジョージ・ハリスンわかるか」
「ビートルズの」
「そうだ。ところが、ハリスンは無二の親友だ。想いはつのり、クラプトンは胸を焦がして悩むんだ。その心の叫びが『いとしのレイラ』なんだ」
 もちろんそんなことは知っている。が、突然饒舌になった村木のペースを落とさぬように相づちを打つ。三白眼が細くなり、ひげの内側に黄ばんだ歯がのぞく。
「村木さん、人妻に恋したことなんかあるの」
「あるわけねえだろ」
「結婚してるんですか」
「してた。逃げられたんだ」
「え?離婚したんですか。実は僕もなんですよ」
「そうか」
「僕の場合、浮気がもとで逃げられた口なんですけれど、村木さんは?」
「いいじゃねえか、そんなこと」
「若い愛人が出来たとか」
「もうやめよう、その話は」
「絶対そうだな。相手は女子高生だとか‥」
「やめろってのがわからねえのか!」
 一瞬にして気まずい空気に引き戻す、村木の怒声だった。
 食べ終えたブリキの弁当箱が地面に叩きつけられ、耳に刺すような破裂音を響かせた。
 俺も年をとって、気が長くなったものだ。昔ならこんな奴すぐに胸倉をつかんでいる。
 地を蹴って、左足をかばいながら立ち去る村木の後ろ姿には、なぜか哀感があった。見送りながら俺がした事は、途方に暮れて自分の肩を落とすのがせいぜいだった。

 午後になって、俺は急な腹痛を訴えて、村木の鋭い視線をあとに早退をした。
 これ以上、熊のご機嫌をうかがっていても埒が明かない。いつまでもきつい労働を続ける趣味もない。次の行動に入らせてもらう。
 コーポの管理人を調べて電話する。
「105号室の村木伸介の弟なんですが、兄が倒れて今病院に運ばれました。着替えなどを取りに行きたいのだけれど、合鍵はありますか」
 十分後、コーポの前で体格のご立派な中年女と待ち合わせた。世話好きそうな、声のやたら大きいおばさんだ。
 帰りに鍵を届ける約束をして、ひとりで部屋へ入った。
 2DKの部屋は、彼の武骨な外見とは裏腹に、男一人身のものとしては異常なほどの片付きようだった。通う女は目撃されていないので、本人が几帳面なのか。床を指でなぞっても、埃が付かない。熊男が掃除機をかける姿を想像するとおかしい。
 店で使っていたのであろう、コーヒーカップが整然と並ぶ。いかにもこだわりを持った店長像をうかがわせる。
 クリームやツェッペリン、ピンク・フロイドなどのレコードが発表順に整理されて並んでいた。中にいしだあゆみと渚ゆう子のシングルが混じっているのは、ちょっと愛敬だ。
 そして、直木マナのデビュー曲『インスピレーション』がやはりあった。サンプル盤の文字が、関係者からもらったものと証明している。
 そう時間をかけることなく、本棚の奥に写真とネガが突っ込まれた封筒を見つけた。これも撮影順になっていて数も少ないので、程なく目当ての物につき当たった。
「ビンゴ!」
 桃色の部屋。見覚えのあるVサイン。堕ちた天使の笑顔。
 違うアングルの続き写真が数枚とそのネガ。逆にカメラを向けられて顔を手で隠す男、ひげの無い黒熊の姿も混じっている。
 今よりスリムで、別人のようにさっぱりした印象だ。これなら喫茶店のカウンターにも立てるだろう。
 こんな所で再会できるとは思わなかったよ、先輩。
 そして、われらがマドンナ。

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登場人物紹介

星ジョージ(35)  かつて一世を風靡したロックバンドのベーシスト。現在はオノプロ所属の探偵

直木マナ(19)    新人賞有力なアイドル歌手 本名 万藤真奈美

ミス小野(48)    オノ・プロダクションの女社長

風間(30)        マナの付き人

嶋  (40)    マナのチーフ・マネージャー

桑田(33)    フリーの芸能探偵

森元(42)    週刊誌『女性の友』編集長

三枝(29)    S社の雑誌記者

黒崎龍(19)      マナの中学時代のボーイフレンド

ひろみ(18)   リュウの新妻

村木伸介(39)    マナが高校時代アルバイトした喫茶店の店長

クミ(18)        デュオグループ『サファイア』の片割れ

岩井(20)        クミの恋人

MIE(25?)   トルコ嬢

藍智子(33)      ジョージが14年前結婚していたコーラスガール。当時19歳

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