第15話 遺書

文字数 6,137文字

   十二月三日 水曜日
 リュウに池袋まで送らせて、世間が目覚める時分にやっと眠った。
 夕方から起き出し、東武百貨店で食料品とビタミン剤の買い出しをし、それから本屋をのぞいた。
 今年はタレント本がよく売れた。山口百恵の『蒼い時』、漫才コンビ、ツービートの『わっ毒ガスだ!』。
 特に『蒼い時』は“生と性”をオブラードをかける事なく綴り、感動的だ。実父への憎悪、初潮から、夫となる人との初体験までが赤裸々に語られる。百恵は、これで永遠のカリスマとなった。


 村木の写真の焼き増しを引き取り、部屋へ戻った。
 事務所に電話をしてみたが、三回話し中だったのでやめた。夜も八時頃になって、もう一度かけてみた。電話に出たのは嶋チーフの声だった。
「いい加減にしろ!お前の言うなりには絶対ならないぞ」
 いきなりの怒声に飛び上がった。
「すみません、嶋さん」
「何だ、あんたか」
 何かあったのかと尋ねた。
「脅迫だよ。マナの写真を送ったヤツから、今日手紙が届いた。今すぐ淫乱女は引退せよ、さもなくば、もっと生き恥を曝すことになるってな。それで夕方からは男からの再三の電話だ」
 嶋によると、脅迫状は記者会見を見てから書かれたものと思われ、会見をくさい茶番劇だと嘲笑ったあと、こう続くらしい。
 直木マナは誰にでも股を開く雌豚だ、その証拠を自分はたくさん持っている、なぜなら自分はマナの○○○○を何百回とFACKした男だからだ、世間にこれを暴かれたくなければ、今すぐ芸能界から退け。
 そして付録が同封されていた。血のしみが付いた黄色いパンティーである。
「で、電話は何て」
「手紙を見たか、まず明日のベストテンをキャンセルしろ。あとは脅迫状の文面の繰り返しだ」
「ベストテンを?で、どうするの」
「そんなものに屈するわけにいくかよ。そもそもあんたがグズだから、こんな事になるんだ。犯人はどっちかの男だろ。シッポ掴むのに何日かかってるんだよ」
 エリートという連中は、他人の苦労を察する能力に欠ける。
「社長は業を煮やして桑田を雇ったよ。じき犯人が割れるだろ」
 桑田がアメリカから帰って来たのか。
「ママはいるのか」
「出かけてる」
「俺はもうクビなのか」
「代わりを採ったって事は、もう用なしって事じゃないか」
 こいつの言い草は、いちいち腹が立つ。
「でも、居たら居たで今なら頼める仕事はあるよ、電話番とか桑田の助手とかさ。やめるつもりなら給料も日割りで渡すから、とりあえず明日事務所に顔出したら」
 怒り心頭に発する。
「馬鹿にするなよ、嶋。桑田の助手なんか死んでもやるか。人を見下すのもいい加減にしろ、この子役くずれが!」
 嶋はかつて、東宝のゴジラ映画やテレビの『少年探偵団』に出ていた子役であった。クラブの女の子にはいつもこのネタで盛り上がるくせに、人から触れられるとえらく憤慨するのだ。
「バンドくずれの探偵ごときに、電話で怒鳴られる筋合いはないね。切るぞ」
 電話機に恨みはないが、思い切り受話器を叩きつけた。煮え返る胸の内で、明日仕事をもらうためでなく、辞表を持って事務所へ行こうと決意を固めた。

 長嶋監督が辞任し、王選手も引退した。百恵も去り、ピンクレディーも来年解散するらしい。今日はレッド・ツェッペリン解散のニュースを聞いた。米国の大統領はカーターから、元俳優のレーガンになる。時代は変わっているのだ。
 同時に思考回路は、マナへの脅迫について目まぐるしく思いを巡らせた。写真を送ったのが村木ならば、彼の目的は何なのだ。かつて愛した女をいったいどうしたいのだ。
 脅迫状や電話が、写真の送り主と同一人物とは限らない。週刊誌や記者会見を見た人間のいたずらかも知れない。パンティーだってマナ本人のものという証拠はない。
 それにしても、これらの行為と村木の性格がどうしても結びつかない。こんな時に桑田が動き出した。単純でない謎が、安易な方向へ結論付けられる危惧を抱いた。
 昨日の海岸が寒かったせいか、鼻水と頭痛があった。バファリンとビタミン剤を多目に飲んで、電気シーツにくるまって眠った。




   十二月四日 木曜日
 冷えた朝で、まずい事にのどまで痛くなってきた。浅い眠りは、またしても電話の音で遮られた。
 ミス小野と思って取った受話器から聞こえてきたのは、折り目正しい中年男の声だった。
「失礼ですが、星ジョージさんのお宅ですか」
 本人だと答えた。時計が目に入った。まだ七時半だった。
「こちらは三島警察署です。星さんは、村木伸介という方をご存じですか」
 知っている、と答えた。背筋に嫌なものが通った。
「恐れ入りますが、三島までご足労願えませんか」
 やぶさかではないが、その理由を早く教えろと言った。
「村木伸介さんは昨日死亡されました」
 瞬間に、狼の目をしたリュウの顔が浮かんだ。が、それはすぐに男の声が消した。
「自殺と思われます。唯一残された遺書があなた宛てになっています」
 事務所へ行く予定など、頭からふっ飛んだ。


 刑事という人種は、仕事柄何人も知っているが、およそ二通りに大別できる。まず、やくざと紙一重のこわもてタイプ。眼光鋭く人相も悪く、高校を出る時、組に入るかどうか悩んだ末にたまたま警察の試験に受かった、そう思えるような連中。もう一つは温厚で事務的な役人タイプ。役場や学校の先生同様、警察官も公務員なのだという事を改めて実感させる、そんな雰囲気を持つ人達だ。ドラマの『太陽にほえろ!』や『Gメン75』に出てくる、個性的で絵になるような刑事は現実にはお目にかからない。三島署の門木刑事は役人タイプだった。
「昨日の朝管理人がアパートを訪ねた折り、二日分たまった新聞と牛乳を不審に思って鍵を開けたところ、中に血まみれで倒れている村木さんを発見しました」
 俺は参考人というのにあたるそうで、取り調べ室で二人の刑事に囲まれて座っていた。門木刑事は俺と向き合い、黒い眼鏡の奥に細い目が笑みさえ浮かべ、村木の死体が転がっていた状況を話した。
「ホトケさんはのどを果物ナイフで突き刺す事で、自らの命を断とうとしたようです」
 それは一番手軽な道具で、一気に死ねる手段を選んだのであろう。村木は、畳にビニールシートを広げ大家への気遣いまで見せて死出の時に臨んだ。
 しかし、ナイフを持つ手にためらいがあったのか、のどへの刺さり具合が足りなかった。一瞬の痛みと同時に旅立つはずが、意識を残したまま死に切れない状態に陥ったのだ。
 血はとどめなく首を伝い、ビニールシートからみるみるあふれ、部屋一面を血の海に変える。中途半端に食い込んだナイフを首に立てたまま、村木は激痛にのたうち回った。ナイフを抜く事も、更に押し込んで自分にとどめを刺す事も出来ず、意識を失う事さえ出来ない時間が続いた。
 死に切れない苦痛。半死の状態で生き続ける情けなさ。それは村木の人生と奇しくも同じだった。最後の最後までツキに見放され、苦しみにもがき続けた。
 流す血も果てて遂に息が絶えるまで、どれだけの時間を送ったのだろう。彼の命が消えたのは、十二月一日の深夜から二日の早朝らしい。十二月一日といえば、マナの記者会見の夜である。
「身寄りが全くいない人のようでね、別れた奥さんさえ、もう再婚してるからってホトケの引き取りを拒んで来て。ホトケには中学生の娘さんもいるんですが、元妻子に対してはホトケ自身も何も残していません。で、机の上に一通だけ封筒に入った遺書らしきものがあった。その封筒に“星ジョージ様”と書かれていたんです」
 門木刑事は一枚のコピーを差し出した。
「状況と、遺書の内容からも、自殺はほぼ間違いないと思います」
 几帳面な文字の並ぶ遺書は短いものだった。

  星ジョージ殿
 自分が今まで、そしてこれから背負って生きていくであろう重荷に耐えられない。
 少し嘘をついた。だが、慈しんだ昔日を裏切る男ではない。
 迷惑を掛けた事を詫びる。
                         村木伸介


「ずいぶん抽象的な文面ですが、意味わかりますか」
 よくわかる、と答えた。夢を失くした人生はもう終わりだ、あの日の村木の台詞を、俺の口がくり返していた。死んだも同然の人生ならば早く降りた方が楽だ、そういうことだろ、先輩。
「あなたと村木さんの関係を教えていただけますか」
 友人だ、と答えた。
「しかし、アドレス帳にもあなたの名前はなかった。捜すのに苦労しましたよ。この名前は芸名というやつですか」
 職業について聞かれたが、仕事の説明がむずかしい。村木とのからみは、嘘八百を並べ立てた。
「ここで嘘をつくと、万が一殺しにでもなった時、あなた不利になるよ」
 門木刑事の口調が突然、こわもて刑事のそれに変わった。さっきまでの笑みも消えて、不機嫌な顔でこちらを睨んでいる。こういう二重人格を技にしている刑事も多い。
 俺は鼻声ながらも、きっぱりと言葉を返した。
「彼が死んで私も困っている。協力は惜しまないが、友人の秘密は守るつもりだ」


 村木の部屋を訪れた。壁いっぱい飛び散った血の痕が、壮絶な格闘を物語る。腐った血の臭いが感じられた。白いチョークが形取る巨体の最期の姿を見た。
 絶望とともに数年を過ごした孤独の巣。並ぶコーヒーカップが来客に使われた事があるのだろうか。唯一の友人は音楽だったのかも知れない。
「村木が何か音楽を聞きながら逝ったような形跡はなかったでしょうか」
 顔から笑みの消えた門木刑事に尋ねた。
「そう言えばレコード・プレイヤーの電源が入ったままだったね」
「何のレコードがかかっていたかわかりますか」
 もう一人の若い刑事がすかさず答えた。
「わかりますよ。直木マナの『インスピレーション』」
 『インスピレーション』!村木は最後のBGMにマナのレコードを選んだ。横たわり息絶える頃、村木の耳にマナの歌声はまだ聞こえていたのだろうか。
 慈しんだ昔日を裏切る男ではない――村木にとって、マナはやはり女神であったのだ。
 テーブルの下に『女性ナイン』を見つけた。これを目にして、村木は死への引き金を引いた。全てはこの写真から始まった。村木はそのネガまで持っていた。
 二日の朝には死んでいる村木が、三日に脅迫電話など出来るはずがない。当然脅迫状も違う。では誰が?
 単純に見える問題ほど、難解である事は多い。今年大流行したルービックキューブ・パズルのように、ひねっても回しても、謎はまだ一面さえ見えて来ていない。


 風邪を本格的に自覚して来た。頭痛を押して、夕方に事務所に立ち寄った。
 珍しい事にミス小野がいた。机の上の書類に目を落としているミス小野の前に立った。顔を上げ、老眼鏡を取る。
「おはよう、ジョージ。どうしたの、こんな時間」
 ミス小野は口許で微笑みながら俺を見た。決心した勢いがそがれ、最初の台詞を忘れた舞台俳優状態となった。
「ママ、桑田を雇ったんですって」
「ああ、マナについては桑田が最初に調べた事だから、最後まで責任をとってもらおうかと思ってね、ちょうど帰国したって聞いたから連絡とったのよ」
「俺じゃあ埒が明かないって事ですか」
「人間、向き不向きがあるのよ。小娘の尻拭いなんてあなた合わないわ。この件は桑田に片付けてもらうから、もう忘れて」
「俺だってプロだ、こういうやり方は屈辱です」
 ミス小野の唇が引き締まり、顔から笑みが消えた。
「無能な者はこぼれてくのよ。それがあなたの住む業界の常識のはずでしょ、違う?」
「やめさせてもらいます。辞表は改めて届けます。世話になりました」頭を下げて社長に背を向けた。
「また始まった。その三つの台詞を聞くのはこれで何度目?いい加減大人になりなさい、スクラップボーイ」
 二歩目の足が止まる。
「その呼び方はやめて下さい」
「いつもと同じ言葉をこちらも繰り返すけど、その短気があなたの人生半分つまらなくしてるのよ。いい?言うつもりなかったんだけど、いい事を教えてあげるからよく聞いて」
 振り返って社長を見た。
「先週の土曜日、桑田を雇ったの。日曜日、桑田はマナのあの写真を村木伸介の部屋から見つけたわ。そう、あなたが村木と会った次の日よ。桑田の事だから多少手荒な事もしたかもしれないけど、村木のせいで私たちが受けた痛手の方が大きいはずだわ。あんな事をして只で済むとは彼も思っていなかったでしょうしね」
 日曜日‥村木が死んだ前の日だ。
「村木を殺したんですか!」
 ミス小野はお釈迦様のように、にたりと笑った。
「今日はあなたも大変だったわね。気の毒な事になったけど、あれは正真正銘の自殺だわ。只じゃおかないったってヤクザじゃないのよ、殺すわけがないでしょ」
「村木に何をしたんです?直接手を下さなくとも、殺すも同然の仕打ちをしたんでしょ。ママ、あなたたちが彼を殺したんだ」
 大きな声を聞いた事務所の若い連中が、寄って来て俺を囲んだ。
「ずいぶん村木と気が合ったみたいね。でも彼はいつ自殺を図ってもおかしくない、人生の落伍者だったわ」
「村木は‥村木は写真の事を認めたんですか」
「動かぬ証拠があるわ」
「でも、死んだ村木に脅迫電話はかけられない」
「脅迫状や電話は別人のいたずらよ。今、桑田が調べてるからすぐ犯人は割れるはず。だからマナもベストテンに出すつもりなの。写真事件はこれで一件落着、めでたしめでたし」
「人がひとり死んだんだ、何がめでたい!」
 自分でも驚くほどの怒声に、ミス小野が椅子から飛び上がる。
 冷静な俺が、キレた俺を見下ろしているのだが、キレた俺は自分の今の怒り方にさらに興奮し、冷静な俺ももう手遅れと傍観の姿勢に入っている。
「社長、どうしましょうか」若い付き人の一人がそう言った。
「連れ出して。彼はもう社員じゃないのよ」
 数人の若い力に押さえられ、キレた俺が部屋から引きずり出されている。冷静な俺は、三十五になっても成長のない自分に呆れて笑っている。もう少しましに人生渡れないものか、そう思いながらどちらかの俺が、部屋を出る間際に社長に向かって怒鳴る。
「人がひとり死んだんだ!」


 四谷から池袋まで、いつものように地下鉄を乗り次いで帰って来たようだが、その間の記憶がなかった。頭の中が空白になっていた。失業した男は、どこかに一億円落ちていないかと下を向いて歩いた。どうすれば大貫さんみたいな幸運にあやかれるのだろう。
 電車の中吊り広告で見た女性誌の見出し『直木マナ涙の記者会見に拍手の嵐』『若い女性から圧倒的共感、マナちゃんガンバレ!』だけ憶えている。
 会見はマナをカマトトタレントから、恋に悩む等身大の女の子にイメージチェンジさせた。意外にも同世代の少女を引き込み、結果としてマナのファンは減るどころか増えた。
 脅迫は無視され、マナはベストテンに出るという。マンションに帰るまでには放送は終わっているだろう。家庭用VTRが早く普及すればいいのに。
 夜の池袋西口公園に集って騒ぐ人たちを見て、俺ほど気分のすさんだ奴はいないだろうと思ったりした。寒気を感じるのは風邪のせいか。珍しくからだにアルコールを入れたくなった。村木が一人で飲んでいたサントリー・オールドを買った。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

星ジョージ(35)  かつて一世を風靡したロックバンドのベーシスト。現在はオノプロ所属の探偵

直木マナ(19)    新人賞有力なアイドル歌手 本名 万藤真奈美

ミス小野(48)    オノ・プロダクションの女社長

風間(30)        マナの付き人

嶋  (40)    マナのチーフ・マネージャー

桑田(33)    フリーの芸能探偵

森元(42)    週刊誌『女性の友』編集長

三枝(29)    S社の雑誌記者

黒崎龍(19)      マナの中学時代のボーイフレンド

ひろみ(18)   リュウの新妻

村木伸介(39)    マナが高校時代アルバイトした喫茶店の店長

クミ(18)        デュオグループ『サファイア』の片割れ

岩井(20)        クミの恋人

MIE(25?)   トルコ嬢

藍智子(33)      ジョージが14年前結婚していたコーラスガール。当時19歳

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み