第13話 記者会見
文字数 3,458文字
十一月三十日 日曜日
東京に戻ったが、マンションには帰らず新宿をぶらついた。
南口のにっかつに行ったが、クミの映画はまだやっていなかった。乳首を立てて挑発するポスターだけ目に焼き付けた。
伊勢丹百貨店のそばにある、テアトル新宿という名画座で『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』と『スター・トレック』の二本立てがかかっていた。八百円で入ってみると、『帝国の逆襲』の途中だった。小さな仙人が、主人公に術を教えている所だった。
ハリソン・フォードと俺の顔に類似点があるとは思えなかった。俺はあんな意地の悪いツラじゃない。
ハリソンが捕まったまま映画は終わった。また続きも見ろ、ってことか。もう一本の『スター・トレック』は見ないで外に出た。
村木宅から拝借したネガをDPEに出した後、部屋に戻り少し昼寝をした。マナが二晩寝たベッドだ。記者会見はもう終わった頃だろうか。事務所からは何の連絡もない。そろそろ本当にクビか。
目が覚めた時、部屋は真っ暗だった。自分のいる場所がすぐに解らなかった。天井が、気の遠くなる高さにあった。
また、智子と夢で会った。夢の中の智子は、たいてい服を着ていない。
多くの男が抱く妄想のひとつ、ヌードにエプロンだけという格好で、智子はよくキッチンに立った。重みのあるヒップが、笑うように表情を変化させる後ろ姿を、ふとんに寝そべって堪能した。
外では堅物女に見られた智子だが、俺にはどんなエロティックな姿でも見せてくれた。相手へのサービスを惜しまず、自分でも貪欲にセックスを楽しんだ。常に新鮮な興奮を求めて、二人で工夫した。誰もいない海岸、レストランのトイレ、テレビ局の屋上、楽屋、舞台裏、どんな場所でも試してみた。「ここでやってみようか?」たいがいは智子がそう言った。
やり過ぎは妊娠のはじまり、という格言があったはずだが、先人はやはりいい事を言う。九月に智子は、婦人科の台の上で俺以外の男に足を開いた。おめでた、と医者は言った。
何がおめでたいのか。初めて智子と意見が分かれた。俺は、自分の遺伝子を持つ子供が世に送られる事を拒否した。智子は、というと…やはり、彼女は女であった。
親たちは猛反対だったが、すぐに入籍した。指環も買わず、二人きりの式を部屋で挙げた。こおろぎの鳴く静かな夜に、二人とも産まれたままの姿で、ジョンとヨーコのように。
俺二十一歳、智子は十九歳だった。
十二月一日 月曜日
マナの釈明記者会見。
「今回は、わたしのことで、ファンの皆様、関係者の方々に、大変ご心配をおかけしまして、申しわけありませんでした。三日間、お仕事を、お休みしまして、気持ちの整理もできましたので、明日より、また復帰させていただきたいと、思います」
フラッシュの嵐。
「マナちゃん、最初からズバリ聞きますけど、あの写真は男と女の行為の後のものと言われているんですが、どうなんでしょう?」
「はい…そうです」
場内騒然。止まらぬフラッシュ。詰め寄るレポーター。
「写真の場所はどこなんですか?」
「ホテルです」
「写真を撮った相手の方は、どなたですか?」
「詳しくは言えませんけど、高校時代好きだった人です」
「いくつくらいの方ですか?」「何をしてる人ですか?」「静岡の方ですか?」
「それ以上はお答えできません」
「今もお付き合いされてるんですか?」
「いいえ、してません」
「別れたという事ですね?」「別れられた理由は何ですか?」
「お互いの将来のためです」
「マナちゃんが歌手になるため、という事ですか?」
「それもあります」
「彼に妻子がいた、とかそういう訳ですか?」
「…‥違います」
「マナちゃん、写真は二人の秘密のものだったわけですよね?」
「はい」
「それがああいう風に雑誌に載ったのは、彼が他人に渡したからだと思うんですが、その事についてどう感じます?」
「残念に思います」
「愛していた人に裏切られたという思いですか?」
「裏切られたとか、憎いとか、そういう気持ちはありません。あの写真を撮った時の事はよく覚えてます。タバコは普段は吸いませんが、あの時初めていたずらで口にしました。面白がって撮った写真ですが、こういう騒ぎを起こす事になるなら、撮るべきじゃなかったと後悔しています。悪いのは、写真を撮らせたわたしだと思います。だから、相手の人を恨んだりはしていません」
「今も彼の事が好きなんですか?」
「…‥」
唇を噛み、絶句するマナ。うつむいた瞳から、こぼれるもの‥。またたくフラッシュ。
「わかりません‥」
涙声で首を振るマナ。うなだれて、長い髪で顔が隠れる。
「マナちゃん、ファンの方達に何かおっしゃる事ありますか?」
「はい…わたしを応援してくれてる皆さん、驚かせてごめんなさい。もしかしたら、あの写真はウソで偽物だってことを、みんな望んでいるかもしれない。でも、あれはわたしです。軽率な行為でしたけど、その時一番好きだった人と撮った写真です。もう終わった恋ですけど、とっても良い思い出です。わたしももう十九歳です。恋愛の経験がちょっとくらいあってもおかしくないでしょ。恋の歌を唄うお仕事ですから、これからもいっぱい恋愛して、早く大人の歌手になりたいと思ってます。わたしはウソをつくのも、自分を偽って見せるのも嫌いです。そういう人も嫌いだし、自分もしたくありません。これからもありのままの直木マナを見せていきますから、どうかみんなも、そういうマナを応援して下さい」
頭を下げるマナ。またフラッシュ。横に座った嶋マネージャーに促されて席を立つ。もう一度深く礼をする。目も眩みそうなフラッシュ、フラッシュ…
以上が、昨日午後五時より行われたマナの会見中継である。
脚本、演出、演技ともに完璧な、アカデミー賞ものの会見であった。ミス小野が中心に作ったと思われる筋書きは、泣く所まで計算されたものに違いない。
それを演じ切ったマナも、単なる馬鹿女ではない。一昨晩までここにいた小娘とは別人のような、堂々たるプロのスターぶりだ。
ごまかし様のない危機を前に、ミス小野は全てを認めて、事実を逆手に利用する作戦に出た。写真を偽物とか誤解だとシラを切るのには限界がある。仕事に差し支えない保証さえあれば、まず写真の存在は肯定した方が簡単だ。
十九歳で処女というのも珍しいほどの時代だ。男を知っていても、お菓子や化粧品のCMは出来る。スポンサーと代理店を押さえられれば、あとは写真の意味付けで、説得力のあるドラマを作れば良い。
マナが演じたのは、純粋な恋に裏切られた初な少女だ。その演技は同情と感動を誘うだけのインパクトが十分にあった。
しかし、無垢な清純さを支持していた大半の男性ファンは、やはり失望したのではないか。実は男を知っていた直木マナというのは、引き続き偶像視する価値があるのだろうか。
最善の会見ではあったが、結果としてファンが減るのは止められないだろうという気がした。
久しぶりに部屋を掃除した。タバコの吸い殻が押し込まれたビール缶。甘い匂いがまだ染み込んでいる枕カバー。ベッドやカーペットにからみ付いた長い髪の毛。『女性ナイン』と何部かのスポーツ紙。
残していったのは、さっきテレビで涙を流した大スターだ。天が不公平に美貌を与えた、人の羨望と憧憬を集めるのが定めの一少女だ。俺の胃を二日間ひねり回した恨めしいアマだ。
全て捨てた。会見を見て、自分の中でこの仕事は終わった。わずらわしい事からは早く手を引く主義だ。
わだかまる物が何かぶら下がっていたが、自分に嘘をつく主義が深く考える事を避けさせた。
毎週月曜日発行の業界紙『オリジナル・コンフィデンス』(通称オリコン)の本日十二月一日付けランキング。
1.『恋人よ』 五輪真弓
2.『ゆれる想い』 直木マナ
3.『ダンシング・シスター』 ノーランズ
4.『風は秋色』 松田聖子
5.『一恵』 山口百恵
十二月二日 火曜日
「その声だ。やっと見つけたぜ」
夕方四時頃、突然の電話はこう始まった。
「覚えてるかい、淀橋さんよ」
その偽名はいつ使っただろう。リーゼント頭のヤンキーの顔が間もなく浮かんだ。
「本名、星ジョージ。いや、それも芸名かい」
「芸名だよリュウ君、いや黒崎さん」
「リュウでいいよ」
「リュウ、どうしてここに電話してる」
「教えてやるから、どこかで会わねえか」
「名前と電話まで知られたんじゃ、会わないことには後が怖いだろ。どこにいるんだ」
「新宿のヨドバシカメラの前だ」
東京に戻ったが、マンションには帰らず新宿をぶらついた。
南口のにっかつに行ったが、クミの映画はまだやっていなかった。乳首を立てて挑発するポスターだけ目に焼き付けた。
伊勢丹百貨店のそばにある、テアトル新宿という名画座で『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』と『スター・トレック』の二本立てがかかっていた。八百円で入ってみると、『帝国の逆襲』の途中だった。小さな仙人が、主人公に術を教えている所だった。
ハリソン・フォードと俺の顔に類似点があるとは思えなかった。俺はあんな意地の悪いツラじゃない。
ハリソンが捕まったまま映画は終わった。また続きも見ろ、ってことか。もう一本の『スター・トレック』は見ないで外に出た。
村木宅から拝借したネガをDPEに出した後、部屋に戻り少し昼寝をした。マナが二晩寝たベッドだ。記者会見はもう終わった頃だろうか。事務所からは何の連絡もない。そろそろ本当にクビか。
目が覚めた時、部屋は真っ暗だった。自分のいる場所がすぐに解らなかった。天井が、気の遠くなる高さにあった。
また、智子と夢で会った。夢の中の智子は、たいてい服を着ていない。
多くの男が抱く妄想のひとつ、ヌードにエプロンだけという格好で、智子はよくキッチンに立った。重みのあるヒップが、笑うように表情を変化させる後ろ姿を、ふとんに寝そべって堪能した。
外では堅物女に見られた智子だが、俺にはどんなエロティックな姿でも見せてくれた。相手へのサービスを惜しまず、自分でも貪欲にセックスを楽しんだ。常に新鮮な興奮を求めて、二人で工夫した。誰もいない海岸、レストランのトイレ、テレビ局の屋上、楽屋、舞台裏、どんな場所でも試してみた。「ここでやってみようか?」たいがいは智子がそう言った。
やり過ぎは妊娠のはじまり、という格言があったはずだが、先人はやはりいい事を言う。九月に智子は、婦人科の台の上で俺以外の男に足を開いた。おめでた、と医者は言った。
何がおめでたいのか。初めて智子と意見が分かれた。俺は、自分の遺伝子を持つ子供が世に送られる事を拒否した。智子は、というと…やはり、彼女は女であった。
親たちは猛反対だったが、すぐに入籍した。指環も買わず、二人きりの式を部屋で挙げた。こおろぎの鳴く静かな夜に、二人とも産まれたままの姿で、ジョンとヨーコのように。
俺二十一歳、智子は十九歳だった。
十二月一日 月曜日
マナの釈明記者会見。
「今回は、わたしのことで、ファンの皆様、関係者の方々に、大変ご心配をおかけしまして、申しわけありませんでした。三日間、お仕事を、お休みしまして、気持ちの整理もできましたので、明日より、また復帰させていただきたいと、思います」
フラッシュの嵐。
「マナちゃん、最初からズバリ聞きますけど、あの写真は男と女の行為の後のものと言われているんですが、どうなんでしょう?」
「はい…そうです」
場内騒然。止まらぬフラッシュ。詰め寄るレポーター。
「写真の場所はどこなんですか?」
「ホテルです」
「写真を撮った相手の方は、どなたですか?」
「詳しくは言えませんけど、高校時代好きだった人です」
「いくつくらいの方ですか?」「何をしてる人ですか?」「静岡の方ですか?」
「それ以上はお答えできません」
「今もお付き合いされてるんですか?」
「いいえ、してません」
「別れたという事ですね?」「別れられた理由は何ですか?」
「お互いの将来のためです」
「マナちゃんが歌手になるため、という事ですか?」
「それもあります」
「彼に妻子がいた、とかそういう訳ですか?」
「…‥違います」
「マナちゃん、写真は二人の秘密のものだったわけですよね?」
「はい」
「それがああいう風に雑誌に載ったのは、彼が他人に渡したからだと思うんですが、その事についてどう感じます?」
「残念に思います」
「愛していた人に裏切られたという思いですか?」
「裏切られたとか、憎いとか、そういう気持ちはありません。あの写真を撮った時の事はよく覚えてます。タバコは普段は吸いませんが、あの時初めていたずらで口にしました。面白がって撮った写真ですが、こういう騒ぎを起こす事になるなら、撮るべきじゃなかったと後悔しています。悪いのは、写真を撮らせたわたしだと思います。だから、相手の人を恨んだりはしていません」
「今も彼の事が好きなんですか?」
「…‥」
唇を噛み、絶句するマナ。うつむいた瞳から、こぼれるもの‥。またたくフラッシュ。
「わかりません‥」
涙声で首を振るマナ。うなだれて、長い髪で顔が隠れる。
「マナちゃん、ファンの方達に何かおっしゃる事ありますか?」
「はい…わたしを応援してくれてる皆さん、驚かせてごめんなさい。もしかしたら、あの写真はウソで偽物だってことを、みんな望んでいるかもしれない。でも、あれはわたしです。軽率な行為でしたけど、その時一番好きだった人と撮った写真です。もう終わった恋ですけど、とっても良い思い出です。わたしももう十九歳です。恋愛の経験がちょっとくらいあってもおかしくないでしょ。恋の歌を唄うお仕事ですから、これからもいっぱい恋愛して、早く大人の歌手になりたいと思ってます。わたしはウソをつくのも、自分を偽って見せるのも嫌いです。そういう人も嫌いだし、自分もしたくありません。これからもありのままの直木マナを見せていきますから、どうかみんなも、そういうマナを応援して下さい」
頭を下げるマナ。またフラッシュ。横に座った嶋マネージャーに促されて席を立つ。もう一度深く礼をする。目も眩みそうなフラッシュ、フラッシュ…
以上が、昨日午後五時より行われたマナの会見中継である。
脚本、演出、演技ともに完璧な、アカデミー賞ものの会見であった。ミス小野が中心に作ったと思われる筋書きは、泣く所まで計算されたものに違いない。
それを演じ切ったマナも、単なる馬鹿女ではない。一昨晩までここにいた小娘とは別人のような、堂々たるプロのスターぶりだ。
ごまかし様のない危機を前に、ミス小野は全てを認めて、事実を逆手に利用する作戦に出た。写真を偽物とか誤解だとシラを切るのには限界がある。仕事に差し支えない保証さえあれば、まず写真の存在は肯定した方が簡単だ。
十九歳で処女というのも珍しいほどの時代だ。男を知っていても、お菓子や化粧品のCMは出来る。スポンサーと代理店を押さえられれば、あとは写真の意味付けで、説得力のあるドラマを作れば良い。
マナが演じたのは、純粋な恋に裏切られた初な少女だ。その演技は同情と感動を誘うだけのインパクトが十分にあった。
しかし、無垢な清純さを支持していた大半の男性ファンは、やはり失望したのではないか。実は男を知っていた直木マナというのは、引き続き偶像視する価値があるのだろうか。
最善の会見ではあったが、結果としてファンが減るのは止められないだろうという気がした。
久しぶりに部屋を掃除した。タバコの吸い殻が押し込まれたビール缶。甘い匂いがまだ染み込んでいる枕カバー。ベッドやカーペットにからみ付いた長い髪の毛。『女性ナイン』と何部かのスポーツ紙。
残していったのは、さっきテレビで涙を流した大スターだ。天が不公平に美貌を与えた、人の羨望と憧憬を集めるのが定めの一少女だ。俺の胃を二日間ひねり回した恨めしいアマだ。
全て捨てた。会見を見て、自分の中でこの仕事は終わった。わずらわしい事からは早く手を引く主義だ。
わだかまる物が何かぶら下がっていたが、自分に嘘をつく主義が深く考える事を避けさせた。
毎週月曜日発行の業界紙『オリジナル・コンフィデンス』(通称オリコン)の本日十二月一日付けランキング。
1.『恋人よ』 五輪真弓
2.『ゆれる想い』 直木マナ
3.『ダンシング・シスター』 ノーランズ
4.『風は秋色』 松田聖子
5.『一恵』 山口百恵
十二月二日 火曜日
「その声だ。やっと見つけたぜ」
夕方四時頃、突然の電話はこう始まった。
「覚えてるかい、淀橋さんよ」
その偽名はいつ使っただろう。リーゼント頭のヤンキーの顔が間もなく浮かんだ。
「本名、星ジョージ。いや、それも芸名かい」
「芸名だよリュウ君、いや黒崎さん」
「リュウでいいよ」
「リュウ、どうしてここに電話してる」
「教えてやるから、どこかで会わねえか」
「名前と電話まで知られたんじゃ、会わないことには後が怖いだろ。どこにいるんだ」
「新宿のヨドバシカメラの前だ」