つぐない
文字数 1,505文字
僕は神戸の病院に入院していた。神アニの窓から僕が吹き飛ばされた現象は、燃えているところに急激に空気が送りこまれると発生するもので、バックドラフトというらしい。
下半身は焼けただれ、包帯でぐるぐる巻きになっている。二階から落ちたときに、肩の骨と肋骨を折った。
病室のテレビでは、僕が火を付けた神アニのビルが燃え上がるさまが、何度も何度も繰り返されていた。
三十六名が死亡したらしい。神アニが再びアニメを作り始めるかどうかは、判らない。二度と作れないのかもしれない。
テレビで、インターネットで、神アニを失った悲憤と僕への憎悪が渦巻いていた。生きてしまった以上、この憎悪を受け止めなくてはならない。
死んでしまった方が、確かに楽だった。しかし、心残りを思い出してしまった。僕はあそこで死ぬべきだった。三十六人の命と神アニの未来を奪っておいて、どんな顔をして生きていけるというのか。
しかし、そんな生きる資格のない僕を、医師の先生や看護士の人たちは一生懸命に死なせないようにしてくれる。神アニのファンだった人もいるかもしれない。それなのに、瀕死だった僕を生かせてくれようとしている。
まともに話せるようになったら、警察の取り調べもあるのだろう。おそらくは裁判を受け死刑になるのだろう。もし僕がファンの前にのこのこと出ていったら、その場で叩き殺されてもおかしくないが、私刑に任せず裁判を受けさせてくれるのだ。
もう動けない、寝たきりの状態になって、はじめて僕は恵まれていることに気づいた。
父も母も、樋口先生にも、大変な迷惑をかけてしまった。もう誰にも会わせる顔がない。
命を拾ってしまった僕が、できることはなんだろう。何もできない。けれども、僕の命を救ってくれた人たちのために、自ら命を断つわけにはいかないのだ。
生きよう。報が僕に罰をくだすまで。
そのとき、病室のドアがすっと開いた。面会謝絶のはずだが、顔を向けると父が立っていた。
黒々としていた髪が、すべて白髪になっていて、水分もなくボサボサだ。眼の下には濃いくまができ、肌も土気色である。唇も肌も乾ききって、無精ひげがのび放題になっていた。
僕が入院してから一週間、父も母も来なかった。いや、来られなかったという方が正しいだろう。
警察。マスコミ。
父と母に何が起こったのか、顔を見れば判る。
父は何も言わず、魂が消えてなくなりそうな息をついた。
「……俺が悪かった」
「え……」
父は、ぼそりとつぶやいた。
「春樹をこんなふうに育てた、俺の責任だ」
ひとりごとのように、僕の方を見ない。
ごめん、と言おうとして、迷った。僕は、誰に謝ればいいのか。僕が奪ってしまったものは、あまりに多すぎる。
「母さんはな、昨日、首を吊った」
「えっ……!」
突然の告白に、心臓が止まりそうになる。
「母さんは、春樹を産んで育てた責任を取った。俺も、しなくてはな」
「ちょ、ちょっと……」
ゆらりと、父が僕の横にやってくる。懐から取りだしたのは、釣り用のナイフだった。奇しくも、僕が警備員を刺したものと同じだった。
「春樹……すまなかった。こんな父親で」
ずぶりと、ナイフの刃が僕の喉に潜りこんだ。熱いとか痛いとか、そういったことよりも、金属の刃がとても冷たかった。
ぎりぎりと、刃が僕の喉を横に切り裂いていく。
「がぶぶぶぶっ」
声が、血の泡と一緒に喉から出た。
ナイフを引き抜いた父の瞳は、悲しみに潤んでいた。
「父さん……母さん……ごめん……」
樋口先生、まで声が続かなかった。
黒く小さくなっていく視界の中で、僕が最期に見たのは、ナイフで自らの喉に刃を突き立てる父の姿だった。〈了〉
下半身は焼けただれ、包帯でぐるぐる巻きになっている。二階から落ちたときに、肩の骨と肋骨を折った。
病室のテレビでは、僕が火を付けた神アニのビルが燃え上がるさまが、何度も何度も繰り返されていた。
三十六名が死亡したらしい。神アニが再びアニメを作り始めるかどうかは、判らない。二度と作れないのかもしれない。
テレビで、インターネットで、神アニを失った悲憤と僕への憎悪が渦巻いていた。生きてしまった以上、この憎悪を受け止めなくてはならない。
死んでしまった方が、確かに楽だった。しかし、心残りを思い出してしまった。僕はあそこで死ぬべきだった。三十六人の命と神アニの未来を奪っておいて、どんな顔をして生きていけるというのか。
しかし、そんな生きる資格のない僕を、医師の先生や看護士の人たちは一生懸命に死なせないようにしてくれる。神アニのファンだった人もいるかもしれない。それなのに、瀕死だった僕を生かせてくれようとしている。
まともに話せるようになったら、警察の取り調べもあるのだろう。おそらくは裁判を受け死刑になるのだろう。もし僕がファンの前にのこのこと出ていったら、その場で叩き殺されてもおかしくないが、私刑に任せず裁判を受けさせてくれるのだ。
もう動けない、寝たきりの状態になって、はじめて僕は恵まれていることに気づいた。
父も母も、樋口先生にも、大変な迷惑をかけてしまった。もう誰にも会わせる顔がない。
命を拾ってしまった僕が、できることはなんだろう。何もできない。けれども、僕の命を救ってくれた人たちのために、自ら命を断つわけにはいかないのだ。
生きよう。報が僕に罰をくだすまで。
そのとき、病室のドアがすっと開いた。面会謝絶のはずだが、顔を向けると父が立っていた。
黒々としていた髪が、すべて白髪になっていて、水分もなくボサボサだ。眼の下には濃いくまができ、肌も土気色である。唇も肌も乾ききって、無精ひげがのび放題になっていた。
僕が入院してから一週間、父も母も来なかった。いや、来られなかったという方が正しいだろう。
警察。マスコミ。
父と母に何が起こったのか、顔を見れば判る。
父は何も言わず、魂が消えてなくなりそうな息をついた。
「……俺が悪かった」
「え……」
父は、ぼそりとつぶやいた。
「春樹をこんなふうに育てた、俺の責任だ」
ひとりごとのように、僕の方を見ない。
ごめん、と言おうとして、迷った。僕は、誰に謝ればいいのか。僕が奪ってしまったものは、あまりに多すぎる。
「母さんはな、昨日、首を吊った」
「えっ……!」
突然の告白に、心臓が止まりそうになる。
「母さんは、春樹を産んで育てた責任を取った。俺も、しなくてはな」
「ちょ、ちょっと……」
ゆらりと、父が僕の横にやってくる。懐から取りだしたのは、釣り用のナイフだった。奇しくも、僕が警備員を刺したものと同じだった。
「春樹……すまなかった。こんな父親で」
ずぶりと、ナイフの刃が僕の喉に潜りこんだ。熱いとか痛いとか、そういったことよりも、金属の刃がとても冷たかった。
ぎりぎりと、刃が僕の喉を横に切り裂いていく。
「がぶぶぶぶっ」
声が、血の泡と一緒に喉から出た。
ナイフを引き抜いた父の瞳は、悲しみに潤んでいた。
「父さん……母さん……ごめん……」
樋口先生、まで声が続かなかった。
黒く小さくなっていく視界の中で、僕が最期に見たのは、ナイフで自らの喉に刃を突き立てる父の姿だった。〈了〉