第5話
文字数 2,795文字
「水原くん、これの入力もお願いします」
「了解です」
と休日出勤の営業社員から書類を受け取る十夜。
学生の一人暮らし、家賃や食費、光熱費などをなるべく自分で賄 える様に、土日祝はアルバイトで働いている。
学費は母の仕事での貯蓄や、父の保険金で何とかなるから大丈夫と言われているが、自分の我儘で関西の大学に進ませてもらっているので、それ以外はなるべく自分で何とかしたい。
授業料も就職したら母に返して行こうと考えている。
アルバイト先は、最寄り駅から20分程電車に乗った所にある文房具の製造業者の工場兼事業所で、土日祝に発生した分の事務サポートと、商品のシール貼り、品出し、梱包などの作業の手伝いをしている。
通勤20分は学生には遠いと思われるだろうが、あまり近場だと同じ大学の誰かと一緒になっても面倒なのと、また勤務先の人に家の近くで会ったりするのもこれまた面倒なので、この位の距離が十夜には丁度良かった。
「水原くん。この後、伝票の入力を終わられたら、シール貼りの方をお手伝い頂けますか?」
人が絶えず出入りする事業所の事務室で、十夜にしごく丁寧な口調で話しかけて来たのは黒崎 だ。
「あっ、はい。大丈夫です。了解です」
と十夜もパソコンでの入力作業の手を止めて、一応自分なりに丁寧に返答した。
黒崎は30歳くらいで、常に顔色が悪く、やや頬がこけてげっそりしている様に見えるが、貧弱そうという感じでもなく、言うなれば吸血鬼みたいな雰囲気を醸し出している。
以前パートのおばちゃんから聞いた話によると、黒崎はお寺の次男坊で、長男である兄と一緒に修行をし、普段はお寺の仕事もしているとの事だ。
この会社は黒崎の親戚が経営しており、社会勉強のためにここで働いているそうだ。
ちなみにおばちゃん曰く、常に顔色が悪いので大丈夫かと心配する声が多かったが、本人曰く、いたって元気らしい。
と、なかなかに個性的な興味深い御仁 ではある。
雇用形態は不明であるが、シフトが被る時は無駄なくスマートに指示を出してくれるので、仕事がしやすくて助かる、というのが十夜の印象である。
そして、黒崎にはもう1つ噂があった。
「変な質問でしたらすみません。
黒崎さんが霊感があるという話を聞いた事があるのですが、本当なんでしょうか?」
シール貼り作業の休憩中に、十夜は黒崎が面食らうかもしれないような質問を投げかけてみた。
「ほお、珍しいですね。水原くんがそういう事を聞いてくるのは」
一瞬、黒崎は驚いた様に言った。
アルバイト先でも必要以上に他人と関わる気のなかった十夜は、これまで他人のプライベートなどを自分から聞くことは皆無であった。
仕事に関わる事はきちんと話したり聞いたりしている。仕事上の信用・信頼関係に関わるからだ。
「すみません…」
ヤバかったか?と十夜は焦った。
「いえいえ、構いませんよ」
と、黒崎は穏やかな口調で言った。しかし、
「ですが、それに関してはノーコメントという事で宜しいでしょうか」
と否定はしないものの、やんわりと返したきた。
「…ですよね。すみませんでした」
と、十夜は否定しないんだと思いながら、しかしそこは丁重に謝罪した。
「前に所長が黒崎さんは除霊とかお祓いの仕事もしている、ってのを聞いたことがあったので…」
と理由を伝えてさらに平伏する。
「いやはや、親族には口止めしたんですが、人の口に戸は立てられぬものですねぇ」
ははは、と黒崎は困ったように笑った。
「…ですが、こういうのは本当に困っている人が、その人からこちらに相談に来ない限りは、こちらからは一切何も言わないことを鉄則にしているのです」
と、質問の内容こそ否定しないが、きっぱりと伝えてきた。
「望んでもいない事を教えるのはただの自己満足ですし、不必要に怖がらせるのは一番やってはいけない事ですからねぇ」
と己にに言い聞かせる様に頷 きながら言った。
「なるほど」
十夜は、黒崎はやはりきちんとしているなという印象を持った。
噂では聞いていたものの、黒崎の霊感に関しては実際にその様子を自分の目で確認するまでは正直なところ半信半疑である。
何でもすぐに信じてしまうのは危険でもあり、疑うことが大事な時もある。
だが、もちろん十夜も茶化して聞いているのではない。
黒崎は嘘や騙しをする様な人間には見えないが、人間の本当の姿は一見したところでは分からない(初対面で直感でピンと来る例もあるが)。
だが、まずは黒崎の話を聞いてから判断してみようと考えたのだ。
そして、
「…そしたら、もし自分が本当にそういう現象に困った場合は、黒崎さんのお寺、どこか分かんないですけど、そこに正式に申込に行けば調べてもらえるんですか?」
と聞いてみた。
すると、
「そうですね。有事の際はそちらにご相談頂ければと思います。ですが…」
黒崎も一瞬考えて、
「水原くんは真面目にきちんと仕事をして下さる人ですし、今も私のことを茶化して聞いてきたのでは無いと思っています。もし何か困っている事があれば、伺いますよ」
と意外な申し出をしてきた。
「えっ、いいんですか?」
十夜は心底驚いて言った。
どこまで役に立てるかは分からないが、真面目な勤労学生への特別対応との事だ。
「あの、本当に変な話で、自分も寝ぼけてただけかもしれないんですけど。
てか、寝ぼけてただけっていう証明が欲しいくらいなんですが…」
十夜は歯切れが悪く話し始めた。
「事故にあった親族が、その…眠ってる間だけ幽体離脱?でこっちに来るなんて事、あるんでしょうか」
と聞いてみたところ、
「…お伝えしても大丈夫ですか?」
黒崎が真面目な顔つきでそう言ってきたので、十夜は身構えた。
が、
「お願いします」
そう言うと、
「お姉さん?妹さん?…ですか?」
黒崎からそう伝えられた瞬間、十夜は背筋が凍り絶句した。
(本当に分かるのか!? 当てずっぽうか?
もしかして、俺の入社時の書類を見て家族構成とか知ってた、とかじゃないよな…。
でも家族構成まで書いた記憶ないな…)
疑い深い十夜は、黒崎に申し訳ないと思いつつ、一瞬そんな考えが頭をかすめた。
「調べたりしてないから大丈夫ですよ」
心を読まれたかと思った。
「いや、実は少し前から、ご本人がお見えになっていたので」
と、十夜の後ろ側に手のひらを向けて案内をする。
「えっ…」
振り向くと、そこにまた榛名が立っていた。
「どーも」
榛名がしれっととぼけたように言う。
「な…なんで?い…いつから?」
(気付かなかった…)
動揺して言葉が上手く出てこない。
今朝、起きた時に榛名の姿はもうなかった。
きっと病室で目を覚ましたんだなと思った。
「ほんの、今さっきよ。仕事中だから気づかれないように後ろで静かにしてた」
榛名は微笑みながらそう言うと、
「こんにちは。姉の榛名です」
と黒崎に向かって挨拶をした。
「初めまして。ハルナさんですね。私は黒崎と言います」
どうやら視えるのは確かな実力のようだ。
「了解です」
と休日出勤の営業社員から書類を受け取る十夜。
学生の一人暮らし、家賃や食費、光熱費などをなるべく自分で
学費は母の仕事での貯蓄や、父の保険金で何とかなるから大丈夫と言われているが、自分の我儘で関西の大学に進ませてもらっているので、それ以外はなるべく自分で何とかしたい。
授業料も就職したら母に返して行こうと考えている。
アルバイト先は、最寄り駅から20分程電車に乗った所にある文房具の製造業者の工場兼事業所で、土日祝に発生した分の事務サポートと、商品のシール貼り、品出し、梱包などの作業の手伝いをしている。
通勤20分は学生には遠いと思われるだろうが、あまり近場だと同じ大学の誰かと一緒になっても面倒なのと、また勤務先の人に家の近くで会ったりするのもこれまた面倒なので、この位の距離が十夜には丁度良かった。
「水原くん。この後、伝票の入力を終わられたら、シール貼りの方をお手伝い頂けますか?」
人が絶えず出入りする事業所の事務室で、十夜にしごく丁寧な口調で話しかけて来たのは
「あっ、はい。大丈夫です。了解です」
と十夜もパソコンでの入力作業の手を止めて、一応自分なりに丁寧に返答した。
黒崎は30歳くらいで、常に顔色が悪く、やや頬がこけてげっそりしている様に見えるが、貧弱そうという感じでもなく、言うなれば吸血鬼みたいな雰囲気を醸し出している。
以前パートのおばちゃんから聞いた話によると、黒崎はお寺の次男坊で、長男である兄と一緒に修行をし、普段はお寺の仕事もしているとの事だ。
この会社は黒崎の親戚が経営しており、社会勉強のためにここで働いているそうだ。
ちなみにおばちゃん曰く、常に顔色が悪いので大丈夫かと心配する声が多かったが、本人曰く、いたって元気らしい。
と、なかなかに個性的な興味深い
雇用形態は不明であるが、シフトが被る時は無駄なくスマートに指示を出してくれるので、仕事がしやすくて助かる、というのが十夜の印象である。
そして、黒崎にはもう1つ噂があった。
「変な質問でしたらすみません。
黒崎さんが霊感があるという話を聞いた事があるのですが、本当なんでしょうか?」
シール貼り作業の休憩中に、十夜は黒崎が面食らうかもしれないような質問を投げかけてみた。
「ほお、珍しいですね。水原くんがそういう事を聞いてくるのは」
一瞬、黒崎は驚いた様に言った。
アルバイト先でも必要以上に他人と関わる気のなかった十夜は、これまで他人のプライベートなどを自分から聞くことは皆無であった。
仕事に関わる事はきちんと話したり聞いたりしている。仕事上の信用・信頼関係に関わるからだ。
「すみません…」
ヤバかったか?と十夜は焦った。
「いえいえ、構いませんよ」
と、黒崎は穏やかな口調で言った。しかし、
「ですが、それに関してはノーコメントという事で宜しいでしょうか」
と否定はしないものの、やんわりと返したきた。
「…ですよね。すみませんでした」
と、十夜は否定しないんだと思いながら、しかしそこは丁重に謝罪した。
「前に所長が黒崎さんは除霊とかお祓いの仕事もしている、ってのを聞いたことがあったので…」
と理由を伝えてさらに平伏する。
「いやはや、親族には口止めしたんですが、人の口に戸は立てられぬものですねぇ」
ははは、と黒崎は困ったように笑った。
「…ですが、こういうのは本当に困っている人が、その人からこちらに相談に来ない限りは、こちらからは一切何も言わないことを鉄則にしているのです」
と、質問の内容こそ否定しないが、きっぱりと伝えてきた。
「望んでもいない事を教えるのはただの自己満足ですし、不必要に怖がらせるのは一番やってはいけない事ですからねぇ」
と己にに言い聞かせる様に
「なるほど」
十夜は、黒崎はやはりきちんとしているなという印象を持った。
噂では聞いていたものの、黒崎の霊感に関しては実際にその様子を自分の目で確認するまでは正直なところ半信半疑である。
何でもすぐに信じてしまうのは危険でもあり、疑うことが大事な時もある。
だが、もちろん十夜も茶化して聞いているのではない。
黒崎は嘘や騙しをする様な人間には見えないが、人間の本当の姿は一見したところでは分からない(初対面で直感でピンと来る例もあるが)。
だが、まずは黒崎の話を聞いてから判断してみようと考えたのだ。
そして、
「…そしたら、もし自分が本当にそういう現象に困った場合は、黒崎さんのお寺、どこか分かんないですけど、そこに正式に申込に行けば調べてもらえるんですか?」
と聞いてみた。
すると、
「そうですね。有事の際はそちらにご相談頂ければと思います。ですが…」
黒崎も一瞬考えて、
「水原くんは真面目にきちんと仕事をして下さる人ですし、今も私のことを茶化して聞いてきたのでは無いと思っています。もし何か困っている事があれば、伺いますよ」
と意外な申し出をしてきた。
「えっ、いいんですか?」
十夜は心底驚いて言った。
どこまで役に立てるかは分からないが、真面目な勤労学生への特別対応との事だ。
「あの、本当に変な話で、自分も寝ぼけてただけかもしれないんですけど。
てか、寝ぼけてただけっていう証明が欲しいくらいなんですが…」
十夜は歯切れが悪く話し始めた。
「事故にあった親族が、その…眠ってる間だけ幽体離脱?でこっちに来るなんて事、あるんでしょうか」
と聞いてみたところ、
「…お伝えしても大丈夫ですか?」
黒崎が真面目な顔つきでそう言ってきたので、十夜は身構えた。
が、
「お願いします」
そう言うと、
「お姉さん?妹さん?…ですか?」
黒崎からそう伝えられた瞬間、十夜は背筋が凍り絶句した。
(本当に分かるのか!? 当てずっぽうか?
もしかして、俺の入社時の書類を見て家族構成とか知ってた、とかじゃないよな…。
でも家族構成まで書いた記憶ないな…)
疑い深い十夜は、黒崎に申し訳ないと思いつつ、一瞬そんな考えが頭をかすめた。
「調べたりしてないから大丈夫ですよ」
心を読まれたかと思った。
「いや、実は少し前から、ご本人がお見えになっていたので」
と、十夜の後ろ側に手のひらを向けて案内をする。
「えっ…」
振り向くと、そこにまた榛名が立っていた。
「どーも」
榛名がしれっととぼけたように言う。
「な…なんで?い…いつから?」
(気付かなかった…)
動揺して言葉が上手く出てこない。
今朝、起きた時に榛名の姿はもうなかった。
きっと病室で目を覚ましたんだなと思った。
「ほんの、今さっきよ。仕事中だから気づかれないように後ろで静かにしてた」
榛名は微笑みながらそう言うと、
「こんにちは。姉の榛名です」
と黒崎に向かって挨拶をした。
「初めまして。ハルナさんですね。私は黒崎と言います」
どうやら視えるのは確かな実力のようだ。