サメの一本釣り
文字数 3,424文字
深夜にうなされて目が覚める。とても怖い夢を見た。
首筋にまとわりつく汗を手でぬぐう。
恐ろしい夢だったのだが、目が覚めてみるとその内容を思い出せなかった。
「……おい、おい」
「ハッ!」
青年は親友に揺り動かされ目覚めた。成人している大学生なのだが、風貌も心も青臭い彼はまだ中学生に見えてもおかしくない男だった。
「大丈夫か? あんなに楽しみにしていたのに寝坊とか、相変わらずお調子者だな。お前は」
――彼の名は斉藤魁 。この親友と共に沖縄旅行へ来た、普通の大学生である。
「……わ、わりい。すぐ準備するわ」
彼らは今日、ビーチで泳ぐ予定を立てていた。――というのは、カイにとっては建前。彼には真の目的があった。
「うっひょー!!」
ビキニ姿の女性達を見て叫び駆け出す、浅ましい男。もっともその視線の中にはラッシュガードを着て日焼けを予防している者もいるが。地元住民はここの日差しの強さを知っているので、着ていない者は外から来た観光客である。
だが彼には彼女らが地元住民なのか、観光客なのかの区別はつかない。むしろそんな些細なことはどうでもよかった。
「……ああ、やっぱりそっちが目当てだったのねぇ」
海パン一丁で特攻するカイを見て、あきれ果てる親友。薄々予想していたみたいだが、ここまで予想通りになるとやっぱり驚いてしまうものだろう。
「まあいいや。あいつが寝坊したせいでもうお昼だし。飯にしよっと」
青と白の境界へ背中を向けて、海の家に歩く彼。シャツ姿で元より泳ぐような恰好ではなかったが、どうやら彼にとっては目に見えた親友の玉砕よりも庶民派な料理の方が大事みたいだ。
「……やっぱり中々上手くいかないなあ」
朝見た悪夢を忘れ、はしゃぐカイだが成果は未だにない。
もっとも彼は、タチの悪いことにこの過程も含めて楽しんでいるようである。これは中々折れることはないだろう。ターゲットにされる女性達から迷惑極まりないだろう。
それでも往生際悪くナンパを振り向く彼――そこに、奇跡が起こった。
「へーい、お姉ちゃーん」
また一人、ターゲットを見かけたのか声をかけたのは青がかかった銀髪の女性であった。
「……コンニチハ! ナンデスカ?」
元気よく振り向いた彼女は、独特のイントネーションで日本語を話した。間違いなく外国人の観光客である。
スラリとしながらもバランスよくついたバストと白い肌は見るからにも魅惑的で、カイのような男でなくても見とれるものは多いだろう。
「一人で海に来たなら一緒に遊ぼうよ!」
日本語で返事をされたから、調子に乗って誘いをかけるカイ。
「オォゥ、ホントォニ? イイデスヨ」
飛び出した言葉は、まさかの快諾であった。警戒心が薄いのか、それともカイのような男を待っていたのか、いずれにしても彼女は誘いを受けることに抵抗がないみたいだ。
「ええ、いいの? よーしっ、やったー!」
「ソレジャ、フタリデオヨギマショッ。ツイテキテ、クダッサイ」
かなりアクティブな女性なのか、自らカイの腕を引いて駆ける女性。どうやら場所を変えるらしい。二人きりといった通り、誰もいないところまで連れて行くようだ。
――カイが正常な警戒心を持っていたら、少しは怪しんだことだろう。しかし有頂天になった彼はそれに気づくことはなかった。
気が付くと彼は、岩陰に隠れた砂浜まで連れて来られていた。
「フタリキリ、デスネ」
「そうだねえ!」
美人と二人きりで遊ぶ、そんな楽園のような状況にカイの興奮はさらに高まっていく。
「サテット」
――準備体操を一通り終えた彼女。そのとたんに水着の上部をさわり始めた。
「――? 何を?」
カイの質問への答え――それは行動によってしめされた。魅惑のビキニ、その上部がはらりと落ちたのである。
「――!?」
あまりにも刺激的な出来事に対して、ナンパな彼ですら驚愕した。
――それをよそにして、彼女は下部にも手を回す。片足を上げて水着から抜き取ると、もう片足も同じように抜き取る。彼女を包むものはこれで何もなくなった。
「……ドウシマシタ? サア、アナタモ」
顔だけ振り向いた彼女。丸出しの背中とお尻で、カイにも脱ぐように促す。
「これって……二人だけの、ヌーディストビーチ……!?」
「ソウ、ソノタメニ、ココマデツレテキタノデスヨ?」
日本にはない文化を受けて育った彼女にとっては、裸で泳ぐことが習慣なのだ。だが規律に厳しいこの国においては、たとえ海に囲まれた沖縄であったとしても、そのような場所を作ることは容易ではない。
それを求めた彼女は、少人数ならバレずに楽しめるような場所を探し当てたみたいだ。
「ヒャッホォォー!!」
――彼は今、今までの人生で一番感動していた。低い学力で頑張って入学試験に合格した時のそれですら、目の前の景色に比べたら些細な感動に思える。
そんな彼はあっという間に、己の野性を示した彼。
「オォゥ、スゴクパワフルネ、カイ君」
彼の肉体を見て女性も、彼程ではないが確かに喜んでいた。
そのまま二人は、手をつなぎながら海へ駆け出した。
「ねえ、君。名前なんていうの?」
「ワタシ、アズールデス。豪 カラ、キマシタ」
「俺はカイ! 改めてよろしく!」
他愛のない会話と共に泳ぎ進んでいく二人。
「ソレニシテモ」
ふと、カイの方を見てアズールが笑った。見ていたのは顔ではない。そこより下の方に目線が向いている。
「スゴクマッシブデスネッカイ君」
どうやら水着の外にある、普段見えない筋肉の部分に目を回していたようだ。
「ええ、そうかなぁ?」
「ソウデストモ。ニホンデミタ、オトコデ、イチバン」
どうやら相対評価での賛辞だったらしい。もっとも日本人は世界的にも小柄な人種だから、故郷でもっとマッシブな男達を見てきた彼女から素晴らしいと言われただけでも飛び上がるほどの悦びだろう。
「そりゃそうさ、サークルで一番のミッドフィルダーだからな! ゴール決めるのも守るのもお手の物よ」
こう見えてもカイはスポーツが好きで、その中でも一番なのがサッカーであった。だから彼にとって自分の体は自慢の武器である。その中でも一番なのが他ならぬ脚であった。
体のデカさでは外国人の男達に負けるだろう。しかし無駄のないスリムな脚は、彼らのそれとはまた違う魅力を発しているようだ。
「オォゥ、ベリーアメイジング……」
――しかし、その時。
「トッテモ、オ・イ・シ・ソ・ウ」
ふと発せられた言葉。それにカイは寒気を感じた。
「……えっ」
彼女の顔を見ると、そこにはどこか、妖しい笑みがあった。
オイシソウーーその意味をカイは普遍的な意味で受け取った。彼は文字通りやんちゃな男で、女に甘い。だがその反面あまりにストレートでデリカシーがないから、残念ながらムードを作るための隠語に対しては、あまり知識がなかったのである。
――実を言うと、その言葉を上手に意訳できなかったことが、彼に与えられた最後のチャンスであった。
「――イッショニオヨゲテ、マンゾクデスカ? ソロソロオタノシミ、イタダキマス」
その時、アズールは意味深な言葉と共に手を離した。そして頭から、勢い良く海へ潜っていく。
「…………?」
カイはようやく、違和感の正体に気が付いた。これが今日、見た悪夢の景色の始まりだったのだと。
――次の瞬間、彼の脚に強烈な痛みが走った。
「!!??」
この一撃だけで、ショック死してしまいそうなほどの痛み。そして足元から漂ってくるのは、煙状に広がっていく己の血であった。
――その次に飛び出したもの、それは無数の牙 を持つ、三角形の頭であった。それが今度は、彼の腕に食らいつく。
「ッッッ――」
人間の発する音とは思えないものが、彼の喉から飛び出す。そのまま三角形の頭がのしかかり、彼を海へと沈めた……
「ふうぅ……so delicious (美味しかったわ)」
しばらく経って、アズールは海岸に戻ってきた。お腹はさっきよりも丸みを帯びており、笑顔からのぞかせる白かった歯は全て、ほのかな赤に染まっている。
――今、鮫は世界中で絶滅の危機に陥っている。現実とフィクションの区別がつかない大人達の過度な恐怖心が、乱獲という形で彼らを脅かすのだ。
それに対抗するために海神が作り出した力、それが彼女だ。そう、彼女は人間に変身する力を持った、最強の人食い鮫。多くの同胞の無念が眠るオーストラリアの海で、人知れず彼女は特別な鮫として生まれたのである。
首筋にまとわりつく汗を手でぬぐう。
恐ろしい夢だったのだが、目が覚めてみるとその内容を思い出せなかった。
「……おい、おい」
「ハッ!」
青年は親友に揺り動かされ目覚めた。成人している大学生なのだが、風貌も心も青臭い彼はまだ中学生に見えてもおかしくない男だった。
「大丈夫か? あんなに楽しみにしていたのに寝坊とか、相変わらずお調子者だな。お前は」
――彼の名は斉藤
「……わ、わりい。すぐ準備するわ」
彼らは今日、ビーチで泳ぐ予定を立てていた。――というのは、カイにとっては建前。彼には真の目的があった。
「うっひょー!!」
ビキニ姿の女性達を見て叫び駆け出す、浅ましい男。もっともその視線の中にはラッシュガードを着て日焼けを予防している者もいるが。地元住民はここの日差しの強さを知っているので、着ていない者は外から来た観光客である。
だが彼には彼女らが地元住民なのか、観光客なのかの区別はつかない。むしろそんな些細なことはどうでもよかった。
「……ああ、やっぱりそっちが目当てだったのねぇ」
海パン一丁で特攻するカイを見て、あきれ果てる親友。薄々予想していたみたいだが、ここまで予想通りになるとやっぱり驚いてしまうものだろう。
「まあいいや。あいつが寝坊したせいでもうお昼だし。飯にしよっと」
青と白の境界へ背中を向けて、海の家に歩く彼。シャツ姿で元より泳ぐような恰好ではなかったが、どうやら彼にとっては目に見えた親友の玉砕よりも庶民派な料理の方が大事みたいだ。
「……やっぱり中々上手くいかないなあ」
朝見た悪夢を忘れ、はしゃぐカイだが成果は未だにない。
もっとも彼は、タチの悪いことにこの過程も含めて楽しんでいるようである。これは中々折れることはないだろう。ターゲットにされる女性達から迷惑極まりないだろう。
それでも往生際悪くナンパを振り向く彼――そこに、奇跡が起こった。
「へーい、お姉ちゃーん」
また一人、ターゲットを見かけたのか声をかけたのは青がかかった銀髪の女性であった。
「……コンニチハ! ナンデスカ?」
元気よく振り向いた彼女は、独特のイントネーションで日本語を話した。間違いなく外国人の観光客である。
スラリとしながらもバランスよくついたバストと白い肌は見るからにも魅惑的で、カイのような男でなくても見とれるものは多いだろう。
「一人で海に来たなら一緒に遊ぼうよ!」
日本語で返事をされたから、調子に乗って誘いをかけるカイ。
「オォゥ、ホントォニ? イイデスヨ」
飛び出した言葉は、まさかの快諾であった。警戒心が薄いのか、それともカイのような男を待っていたのか、いずれにしても彼女は誘いを受けることに抵抗がないみたいだ。
「ええ、いいの? よーしっ、やったー!」
「ソレジャ、フタリデオヨギマショッ。ツイテキテ、クダッサイ」
かなりアクティブな女性なのか、自らカイの腕を引いて駆ける女性。どうやら場所を変えるらしい。二人きりといった通り、誰もいないところまで連れて行くようだ。
――カイが正常な警戒心を持っていたら、少しは怪しんだことだろう。しかし有頂天になった彼はそれに気づくことはなかった。
気が付くと彼は、岩陰に隠れた砂浜まで連れて来られていた。
「フタリキリ、デスネ」
「そうだねえ!」
美人と二人きりで遊ぶ、そんな楽園のような状況にカイの興奮はさらに高まっていく。
「サテット」
――準備体操を一通り終えた彼女。そのとたんに水着の上部をさわり始めた。
「――? 何を?」
カイの質問への答え――それは行動によってしめされた。魅惑のビキニ、その上部がはらりと落ちたのである。
「――!?」
あまりにも刺激的な出来事に対して、ナンパな彼ですら驚愕した。
――それをよそにして、彼女は下部にも手を回す。片足を上げて水着から抜き取ると、もう片足も同じように抜き取る。彼女を包むものはこれで何もなくなった。
「……ドウシマシタ? サア、アナタモ」
顔だけ振り向いた彼女。丸出しの背中とお尻で、カイにも脱ぐように促す。
「これって……二人だけの、ヌーディストビーチ……!?」
「ソウ、ソノタメニ、ココマデツレテキタノデスヨ?」
日本にはない文化を受けて育った彼女にとっては、裸で泳ぐことが習慣なのだ。だが規律に厳しいこの国においては、たとえ海に囲まれた沖縄であったとしても、そのような場所を作ることは容易ではない。
それを求めた彼女は、少人数ならバレずに楽しめるような場所を探し当てたみたいだ。
「ヒャッホォォー!!」
――彼は今、今までの人生で一番感動していた。低い学力で頑張って入学試験に合格した時のそれですら、目の前の景色に比べたら些細な感動に思える。
そんな彼はあっという間に、己の野性を示した彼。
「オォゥ、スゴクパワフルネ、カイ君」
彼の肉体を見て女性も、彼程ではないが確かに喜んでいた。
そのまま二人は、手をつなぎながら海へ駆け出した。
「ねえ、君。名前なんていうの?」
「ワタシ、アズールデス。
「俺はカイ! 改めてよろしく!」
他愛のない会話と共に泳ぎ進んでいく二人。
「ソレニシテモ」
ふと、カイの方を見てアズールが笑った。見ていたのは顔ではない。そこより下の方に目線が向いている。
「スゴクマッシブデスネッカイ君」
どうやら水着の外にある、普段見えない筋肉の部分に目を回していたようだ。
「ええ、そうかなぁ?」
「ソウデストモ。ニホンデミタ、オトコデ、イチバン」
どうやら相対評価での賛辞だったらしい。もっとも日本人は世界的にも小柄な人種だから、故郷でもっとマッシブな男達を見てきた彼女から素晴らしいと言われただけでも飛び上がるほどの悦びだろう。
「そりゃそうさ、サークルで一番のミッドフィルダーだからな! ゴール決めるのも守るのもお手の物よ」
こう見えてもカイはスポーツが好きで、その中でも一番なのがサッカーであった。だから彼にとって自分の体は自慢の武器である。その中でも一番なのが他ならぬ脚であった。
体のデカさでは外国人の男達に負けるだろう。しかし無駄のないスリムな脚は、彼らのそれとはまた違う魅力を発しているようだ。
「オォゥ、ベリーアメイジング……」
――しかし、その時。
「トッテモ、オ・イ・シ・ソ・ウ」
ふと発せられた言葉。それにカイは寒気を感じた。
「……えっ」
彼女の顔を見ると、そこにはどこか、妖しい笑みがあった。
オイシソウーーその意味をカイは普遍的な意味で受け取った。彼は文字通りやんちゃな男で、女に甘い。だがその反面あまりにストレートでデリカシーがないから、残念ながらムードを作るための隠語に対しては、あまり知識がなかったのである。
――実を言うと、その言葉を上手に意訳できなかったことが、彼に与えられた最後のチャンスであった。
「――イッショニオヨゲテ、マンゾクデスカ? ソロソロオタノシミ、イタダキマス」
その時、アズールは意味深な言葉と共に手を離した。そして頭から、勢い良く海へ潜っていく。
「…………?」
カイはようやく、違和感の正体に気が付いた。これが今日、見た悪夢の景色の始まりだったのだと。
――次の瞬間、彼の脚に強烈な痛みが走った。
「!!??」
この一撃だけで、ショック死してしまいそうなほどの痛み。そして足元から漂ってくるのは、煙状に広がっていく己の血であった。
――その次に飛び出したもの、それは
「ッッッ――」
人間の発する音とは思えないものが、彼の喉から飛び出す。そのまま三角形の頭がのしかかり、彼を海へと沈めた……
「ふうぅ……so delicious (美味しかったわ)」
しばらく経って、アズールは海岸に戻ってきた。お腹はさっきよりも丸みを帯びており、笑顔からのぞかせる白かった歯は全て、ほのかな赤に染まっている。
――今、鮫は世界中で絶滅の危機に陥っている。現実とフィクションの区別がつかない大人達の過度な恐怖心が、乱獲という形で彼らを脅かすのだ。
それに対抗するために海神が作り出した力、それが彼女だ。そう、彼女は人間に変身する力を持った、最強の人食い鮫。多くの同胞の無念が眠るオーストラリアの海で、人知れず彼女は特別な鮫として生まれたのである。