4.横浜発・新ストーリー

文字数 5,992文字

4.横浜発・新ストーリー

次は、湯河原、湯河原、と無機質なアナウンスが、広い車両に響き渡る。
「山しかねえなあ」
車窓から見える景色を見ながらつぶやく。
東海道線は、ガタゴトと音をたてて線路をひたすらに走る。
下り方面の東海道から見えるのは、いつも使う上りの景色――わが地元である、横浜などのビルが臨む景色とは、全くちがうものだった。
「まあ、箱根だしな」
隣に座る親友がそう返してきた。
「まあ、湯河原だしな〜」
ボケーっと外の山を見る。目の前は緑色しか見えない。しかし振り返って逆の景色を見てみると、打って変わって住宅街が広がっていた。しかも、その奥には青い海が見える。
「前後で景色が百八十度変わるなんてすごいな」
「な〜」
気の抜けた声だけが帰ってくる。
こんな調子の会話をボケーっとしながら、俺たちは伊豆へ向かう。
俺は今日、地元の横浜から旅立ち、生まれて初めて初めて静岡へ旅行へ行くのだ。しかも親友の男子高校生と、二人だけで。大人は誰も居ない。
純粋な男だけの時間だ。友達と二人きりで旅行だなんて初めてなので、これまでにないほどのワクワクを感じる。
マイペースなお隣さんは、不意に立ち上がる。
「おい、どうしたよ」
「いや。ドアの前に行こうと思ってね」
そう言ってすたすたドアの方へ歩いて行く。俺は慌てて荷物を抱えてあとを追う。
親友はドアの前に立つと、こう言った。
「こっちのほうが、より近く、よりきれいに見えるじゃん」
その言葉に首をかしげながらドアの窓から外を見てみる。すると
「……たしかに、こっちのほうがいいや」
さっきよりも近く、鮮明に山が目に映った。座って遠くの窓から見るそれとは、全く迫力が違う。木の緑はより深く移り、岩はその荒々しい肌をより強調している。
電車は湯河原に到着し、すぐに次の駅へと出発する。
『次は、熱海〜。熱海〜』
どうやら、次はもう終点らしい。そして、その終点は、俺らの目的地の一つでもある。
「もう静岡か〜」
目の前の新たな土地に、ワクワクが止まらなくなる。
「早いな」
親友はぼそっと呟いた。俺は微笑んで「そうだな」と返した。その後、ふたりとも黙り込む。
無言の空気の中、電車は熱海に着き、俺たちを静岡へ案内するのだった。

「……リゾート、なんて言っても、何もなかったな」
熱海の駅近くの海を眺めたあと、俺達はホテルのある伊豆多賀へと向かった。
伊豆多賀に着くと、田舎さを露出する、かなりキツイ坂が俺たちを出迎えた。暑い中坂を駆け下りると、海が目の前に見えた。
「ゲーセンも無いようじゃなあ〜」
ゲーセンによく通う男子高校生である俺はそうぼやく。
なんと、熱海駅周辺には基本ゲームセンターがなかった。熱海は静岡の中では都会だと思っていたのだが……ゲームセンターごときもないようじゃ、所詮静岡だったということだ。
横浜とは、大違い。
「まあ、海はきれいだからいいでしょ」
「ま、それもそうだな」
俺たちは旅館に荷物をおいてきて、水着に着替えて海に来ていた。
流石に目の前の海はマイホームの神奈川にある、湘南の相模湾や東京湾とは桁違いにきれいだ。まあ都会の海が汚れすぎているだけかもしれないが。
異常にさらさらした砂、透明感のある青い海。生まれて初めて、底が見える海に来たので、海に潜って見えた景色にとても感動した。
「彼女と来てえなあ」
年齢イコール彼女居ない歴である親友がそう海に吐き捨てる。ぷかぷかと立ち泳ぎをしながら、いぬかきのようなフォームで奥まで進んでいく。
「そうだなあ。憧れるよな、水着デート」
立ち泳ぎすらできない俺は遠ざかる親友の背中をみながらそう呟いた。
俺も彼女ができたことがないタチの人間であるため、ちょうど横方向にいる二人の水着の男女に憧れる。男よ、その位置を、俺と変われ。海の中で抱き合うカップルに、嫉妬の視線を飛ばす。
視線を親友の方に戻すと、やつは既に視界から消え、相当遠くまで行っていた。
「……どこ行ったんだ」
泳げない自分を呪いつつ、少し深場まで行って立ち泳ぎの練習をしてみる。しかし今までできなかったことが、すぐにできるわけもなく、一分も持たずに溺れかける。
急いで拙いクロールをして浅瀬に戻り、足を底につける。はぁ、はぁと細かく呼吸をしてどうにか全身へ酸素を届ける。心臓に関しては鼓動が耳に聞こえるくらい強くなっている。
再びカナヅチである自分を呪った。
今もなお遠くへ泳いでいるであろう親友のことを考え、自分と比較する。
方や遠くまで泳げて、方や立ち泳ぎすらできない。
俺に憧れの水着デート、とやらは無理だろうなと悟り苦笑する。
黒い胃酸が、腹の中でうごめいている。
いつもそうだ。なにをやっても、どこに行っても中途半端か、なにもできないか。そのどちらかで、特別になにかが上手であるなんてことはない。
そして……全力で一流になろうと思えるようなものは、俺にはない。
俺のトキメキはどこにもなかったのだ。
そんな何者でもない自分を見つめて、その場で立ち尽くしてしまう。
先程まで太陽に温められ、ぬるさをも感じた海水が、だんだん冷たくなっていく。
振り返ると、先程まで青かった空は、すでに雲に支配されていた。なるほど、それは海も冷たくなるわけで。
だんだん体温が海水に奪われていき、お腹も痛くなっていく。胃酸の流れが強くなる。
……俺は一体。どこに向かっていくのだろう。俺の将来に、目的地はあるのかな。
ネガティブなことばかり、頭に浮かんでくる。これではせっかく来た海が台無しである。
俺は頭を横に振り、なんとなく思いつきで背泳ぎの姿勢になってみる。海面に背を向け、力を向いて力を抜いて浮力に身を任せてみる。
すると気持ちいいくらい浮くことができた。全く沈まないし、呼吸も楽だ。手を動かして奥へ進んでみる。
……楽しい。すごく楽しい。こんな方法があったのか。発見した自分に感心する。
先程まで「立ち泳ぎ」にこだわっていたので、こんな方法で浮くことができると知って目からウロコが落ちた。
手を動かして方向を変え、海岸の方へ戻る。無事に足が着くところまで戻ってくることができた。
「……ぷかぷか浮くのも、楽しいな」
海面を見つめながらそう呟いた。
近くにいる子供が、浮き輪に乗って奥へと進んでいく。
……なるほど。浮き輪という手もあったのか。
「もってくれば良かったかな〜」
もう少し浅瀬に行き、座り込めるほどの場所へ移動する。そしてサラサラの砂の上に座り、遠くの海へたそがれる。
気づけば、どこからともなく戻ってきた親友がこちらへ歩いてきた。
「おつかれ。どこまで行ってたの?」
「え〜?適当に泳いでたよ」
こいつらしい適当な返事に思わず苦笑する。
「なんか魚とか居た?」
「え、クラゲなら居たよ」
「だろうな」
「刺されたし」
親友はさらっとそんなことをいう。一瞬刺されたのか〜、ふ〜んと反射で呟いたが、直後その言葉の意味を理解し仰天する。
「は?!刺されたの?!大丈夫?!」
慌てて駆け寄って、親友が差し出してきた、刺されたであろう右手の親指の付け根をみる。
案の定、直線上に腫れていた。
「もう痛くないし大丈夫じゃね?」
ケロッとする親友に唖然とする。俺はクラゲに刺されたことはないが、刺されてもこの程度なのだろうか?だとしても焦りの顔さえ見せない親友に、俺は心底驚いた。
「とりま休憩したらもっぺん泳ぐわ」
そういって親友は海から上がり、荷物をおいてある場所まで歩いていく。そんな親友の背中を眺めながら、俺は苦笑した。
なんというか、あいつらしいや。

その後一通り泳いだ俺たちは旅館の二階にある部屋で一泊し、朝を迎えていた。
早朝六時に起きた俺は宿の窓から、昨日泳いだ海を見つめる。
すると、オレンジ色の朝日が海を照らし、また海がその光を反射する。視界が一面、淡いオレンジに染まった。
初めて見た。こんな幻想的な光景は。
その景色はあまりに完璧すぎて――俺の目には、眩しすぎた。
数分幻想を見たあと、俺はふと思い立ってコンビニへ行くことにした。親友は隣で爆睡しており、起きる雰囲気もなかったのでそっと部屋を出る。
暖色の光に照らされながら、ただひたすらに歩く。歩いた先にあったコンビニに入って、エナジードリンクを一本買って外に出る。
外に出た瞬間、宿からはぼんやりと遠くにしか見えなかった海が、今度ははっきりと青く澄んだ状態で、俺の目に――目の前に、広々と映った。美しい風景は基本的に写真を撮る俺だが、今に限って。この伊豆の海に限って、写真を撮る気にはならず、ただひたすらに、その青さに見入っていた。
深い海は、俺を溺れさせていく。
数分間海を見続けたあと、まっすぐ宿に帰り、部屋に戻る。そっと買ってきたエナジードリンクを机に置き、再び窓の外から景色をみる。
オレンジ色に支配されていた海が、今度は淡いみかん色の日差しを反射しながらくっきり見えた。
机にあるエナジードリンクを開封し、窓の外を見つめながらちびちび飲む。
……「エナジー」であるはずのカフェインは、今の俺には効かなかった。
昨日の悩みが再び浮かんでくる。
不安、焦り、自己嫌悪……気分は、最悪だ。
また自分の目的地がないことに、ますます自分が嫌いになる。
それを飲みきった頃、親友が、のそっと起き上がった。
「おっは〜」
「おはよう……」
親友は伸びながらこちらに向かってくる。
「お、いい景色〜」
窓から見える世界をみると、親友はのんびりした声でそう感想をこぼした。
「な〜。こんな場所じゃなきゃ、見れないよ」
横浜じゃ見れない景色。
新しい、初めて見る世界に、俺は再び溺れていく。
「そういや今日目的地とかあるん?」
「あ〜?知らんよ、適当だよ適当」
いつも適当な男はそう返してくる。
そういえば俺はこいつと遠出とかするとき、目的地とかを全く伝えられたことがないな。
……わざと教えなかったのだと思っていたが、目的地がそもそも事前には決まってないということか。
適当にぶらつきながら決める……か。
こいつらしいや。
エナジードリンクの缶を、俺はノールックでゴミ箱に投げ捨てる。
カランと心地の良い音が響き渡った。

「……暑い」
その後朝食を食べ旅館をチェックアウトし、最終目的地――沼津に来ていた。
「にしてもすごいな沼津」
沼津駅を出ると、すぐさま驚きの光景が目に入る。
まだ駅構内だというのに、辺り一面に『ラブライブ!サンシャイン』のキャラクターが居る。
それも様々な形で。
ポスターだったり、ぬいぐるみだったり、グッズだったり。
もう……本当に様々だ。
駅を出ると、そのアニメの主人公が沼津の街を紹介している動画が、ビルのスクリーンで流されていた。
ラブライブ一色の街に、唖然とする。ここまで一つのアニメを推す街を、俺は見たことがなかった。
「すげえな〜。一面サンシャインだよ」
そしてそのアニメのファンである親友はいつも通りのんびりとデジカメで撮影していた。
俺もちょくちょく写真を取りながら、大きく存在感を放つ仲見世通りへと進んでいく。
仲見世通りもラブライブ一色。ここまでくると狂気すらも感じる。
やっぱり親友はパシャパシャと撮影しながら進んでいく。
「……マンホールもかよ」
東海道五十三次のようなノリで、マンホールにキャラが掘られている。そんな細かなところまで、沼津はラブライブを推していた。その熱量に、思わず苦笑する。
商店街を抜け、歩いてどんどん奥へ行く。
俺等は今、沼津港まで向かっている。
すると二つの看板が目に入った。
一つは車道に道なり方向で、矢印とともに沼津港と書かれていた。
そしてもう一つは右に曲がる看板。行き先は千本浜公園。沼津港とは別のようだ。
その看板を見て親友はこういった。
「右曲がってみるか〜」
目的地に向かう気があるのか疑うレベルの発言に思わずツッコんでしまう。
「いや沼津港は道なりに行けばあるぞ」
親友はうみゅ〜と唸りながらガン無視して横断歩道を渡って右折する。
「いや、俺こういう面白そうなところがあればいきたくなるんだよね」
「……」
なるほど、こいつは寄り道が大好きなのか。
気になる場所があれば、とことん行ってみる。ははは、マイペースなこいつらしいや
「なるほどな。まあいいでしょう」
微笑を浮かべて親友についていく。
そして千本浜公園に到着する。すると……
「どひゃー!すげえなこりゃ」
俺は親友についてきて正解だったらしい。
きれいな海が、辺り一面に広がったのだ。
熱海・伊豆の海岸とは違い、こっちは駿河湾で、少し奥をみるだけで、深い海特有のコバルトブルーが存在感を放っている。砂ではなく砂利が地面を支配しており、これも伊豆の海とは違って面白かった。
海岸だが、名前の通り「公園」らしく、遊泳者はおらず釣りをしている人ばかりだった。
「ここ遊泳禁止なんかな」
本当に釣り人しか居ないため、ここの海はそもそも泳げないんじゃないか?と思ってしまう。
「あ〜たぶんね」
こういう自然系に詳しい親友は俺の疑問に答えてくれる。
「駿河湾ってすぐ深くなるからさ。ほら、奥の方に、急に色がコバルトブルーになるところがあるだろ?」
そういって親友は海の向こうを指差す。
「ああ、あるな」
「そこら辺から一気に深くなるんだよ。だいたい岸から三十、四十メートル泳いだら深さ百メートルはあるんじゃないのかな」
「……まじかよ」
そんなに深い海があるなんて知らなかった俺は驚愕する。
海にも色んな種類があるんだな。
海に沿って前に進んでいく。
ふと振り返ると、視線の先には大きな山がある。
「……」
無言で見入ってしまった。
深い緑色の山が、視界の奥に連なっていた。
「……すげえな」
「あ?なにがよ」
「こう、さ。九十度視点を変えるだけで、見える景色がこんなにもガラッと変わるなんてさ」
「ああ、たしかにな」
「横浜じゃこんなことはありえないのに」
ふっと微笑む。
そして視線を前に戻す。すると、海岸の奥に何やら岬のようなものが映った。
「あ?もしかしてあれが沼津港か?」
驚いて少し叫び気味になってしまう。
「ああ、まあそうだろ」
そんな適当な親友の返答に思わず苦笑してしまう。
「……まあ、適当に行けば、いつかは着くか」
軽くスキップして、親友の前に出る。……ちょっと、俺らしくない事を言ったかな。
昨日の悩みを、だんだんと道においていきながら、前へ進む。
まあ、目的地なんて、いつか見つければいいか。
目的地さえ見つかれば、寄り道しても、そこにはいつかは必ずたどり着くんだから。
――目的地も……新たな世界に出てみれば、きっと見つかるさ。
誰かにそんなことを言われたような気がする。
こっちだ!と思えば、自然とゴールは見つかるし、見えてくる。
ふっと軽く笑い飛ばした。
立ち止まって振り返り、マイペースを具現化したような、一人で海の写真を取ってる親友の横顔を見つめて、顔をほころばせた。
……俺も新たなストーリーを、綴ってみたいな。そんなことを、ぼんやりと思いながら。

作:特急ランナー
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