8.六年生中学受験生に読んでほしい、「最後の夏までの中学受験体験記」

文字数 4,849文字

8.六年生中学受験生に読んでほしい、「最後の夏までの中学受験体験記」

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 これまでに無い喜びそしてこれまでにない悲しみを経験した出来事だった。これから僕が語るのは「中学受験」のことだ。
 
                 2 2019年 夏

 僕の塾には進級テストというシステムがあった。名前の通り、進級するためのテストだ。受験をする気でしっかり勉強している人なら、大抵の場合大丈夫だ。
母からは、僕が初めて合否の結果が出るテストを受けるということで、僕に何度も「だめだったらほんとに落ちるよ」と言い聞かせていた。多分この言葉の影響か、僕は本来よりものすごく大袈裟に捉えていたようだ。夏の対策講習に行き、家で必死に計算問題を解いていた。その頃の僕にとって、国語とは感覚が全てだった。
最も、まだ本格的にやっていなかった。
そして、難なくテストをパス。結果を詳しく教えられたわけではない。結果は個人面談で親だけに伝えられることとなっていた。
家に帰って来た母に、言葉を投げかける。
「どうだった?」
少し間をおいて
「うん、大丈夫だって、よく頑張ったね」
「そっか……やったー!」
単純な会話だが、僕が受験することにしたのはここが決め手だったと思う。ほんの一瞬の間をおいて、僕は人生で初めての「合格」の喜びを感じていた。
今思えば、とても無邪気な喜び方だった。テレビで見たような典型的な。といいあらわすのが適切だろう。
その日の夜からだった。両親が何やら僕のことについて話し合っていた。その時の僕に受験という概念はなかった。
約一ヶ月たったある日。妹が寝た後、3人で話しているとき、ふとこんな話題を両親は切り出した。
「あのね」
「ん?」
「これから話すことは大事なことだからよーく考えてね」
「何?」
「この間のテスト、よく頑張ったね。これで今までの塾に今まで通りに行ける。だけどね、4年生からの勉強って今までより少し、難しいんだって。」
「どのくらい?」
「時間がもっと長くなって、帰るのが今までより少し、遅くなる。あと宿題が結構増える。」
一瞬僕は、簡単に考えた。今までのが少し増えるだけだと。
「で、なんでそんなに勉強増えるかっていうと、小学校の終わりの方にね、またもう一回、テストがあるの」
母は、少しずつ言葉を選びながら話しているようだった。
「また合格とか出るの?」
「そう。」
父が言葉を挟む。
「そのテスト合格するってめっちゃ大変なんだけど、合格したら楽しい中学校に行けるんだよ」
「楽しいって?」
「今の小学校の友達とは別々の学校になるけど、皆んなが行くところより、大きくて、沢山の人がいる所」
そのとき、僕は前の席の人がすごい嫌なやつだった。今あのときの「あいつ」に対する僕の気持ちを言葉にするなら、「しつこい」なのだろう。
無理はなかった。元来お喋りなのと、塾にいってたので自分で言うのも何だが確かに他の人より、考えるのが早かった。
そこが重なると、他人からはどう映るのか。
答えは一択、「頭いいアピール」をしている、嫌な奴。それ以外に考えようがなかった。
そしてそうされることがわかってきていた僕は更に担任との折り合いが悪く、問題児扱いされる始末となってしまった。
無論、そんな事をよく感じるわけはない。
そんな情緒も加わって、そんなテストはプラス要素としか感じられなかった。
「わかった。頑張る」
「ほんと?」
「うん」
母は、僕が案外簡単にうなずいたことに驚いたのだろうか。目を丸くしていた。
「わかった。じゃあ頑張ろう」
3年生なのでなにかわかっているわけでもなく、メリットだけを考えた結果がこれだった。もちろん自分の判断に後悔はしていないものの、少し気安かったかもしれない。
                 3 2020年 冬

 ついにやってきた。
ここから、授業の時間・内容・宿題の量が変化することを、塾の先生、両親、さらに塾の友達からも伝えられていた。
これだけ大勢の人に聞くと、どうしても拡大解釈してしまう。本当に、地獄のような日々が来ることそしてもう「後戻りできない」こと。
知っていた。よく世間の人々は、「中学受験をする人は、あまり遊べてないので可愛そうだ」とか「受験のその後の人生が狂う」だとか、挙句の果てに「家族を壊す」とか、そんな事まで言っている。
確かに嘘じゃない。
そんな人もいるし、そう思っているという話もよく聞いたからよく分かる。
しかし、それはあくまで1例、しかも極端な話である。
そう自分が思えたのはただポジティブに過ごしていたからなのだろうか。
確かに受験を失敗すれば、そんな事があるかもしれない。
うまく行けばだめなときもある。成功を、合不合で分けてしまうのももったいない気がする。
だって、想像する通りにうまくいく受験なんて経験できるのは一握り。
ある意味、中学受験はギャンブルである。
そんなふうに冷静な思考を巡らせることができるのは、受験が終わった後だからだろう。そして、ちょうどこのくらいからだった。「知らないこと」の怖さを知ったのは。
それから、僕の学校生活は人間関係に重心をおいたものになっていった。
しかし、いきなり態度を変えるのも変だし…などと考えていた。
僕が思うに、受験は人間関係が上達するいい機会だろう。
塾の友達と学校の友達で、対応は違う。
学校の友達は、友達と言っても、所詮は級友だ。
僕はこんなことを言われたことがある。「クラスの人はみんな友達」だと。
しかし、そんな事を言っていたらろくに過ごしていけない。
なぜなら40人ほどの人と、友達として同じように接しなければいけないから。
一方、塾の友達。塾の友達は、友達であり、仲間であり、敵だ。
僕は多分小学生が経験できる友人関係の中で、最も難しい位置にあると思う。
「テストどうだった?」
「そこそこ」
こんな会話の中でも、慎重に言葉を選ぶ、こんなスリルある人間関係を経験できるのは、やはり塾の友達だった。そのため、態度を使い分ける技術と、言葉を選ぶ力は、かなり定着することになる。
 塾では、2月に学年が変わる。学年が変わると、不思議なもので、やる気が湧いて来る。
ここでうまく勢いを付けられる人もいれば、不発に終わってしまう人もいる。
この「謎のやる気」が湧くビックチャンスは、学年の節目と、六年の夏、そして六年の秋。
ここしか無いと、僕は思っている。
もちろんそうでない人だっているだろう。個人的な事情、何気ない会話、そんな所から覚醒する人だっている。
要は、いかにしてそうしたチャンスをものにするかだ。4年生になるのだからと受験に向けての発破がかけられた塾の帰りで4人でこんな会話をしたことがあった。
「4年生か」
「そうだな」
「はやいな」
「今までみたいに気楽に授業受けてらんない」
「そういうことだよね」
「これ、このまま5、6と学年上がってたら、まじで勉強尽くしになるのか」
「当たり前だろ」
「そりゃそうだ」
「知らんの?」
少し間をおいた後
「考えられるの?」
「自分たちが脇目も振らず勉強してる姿」
さっきも言った通り、僕の一番の恐怖は、「知らないこと」であった。もちろん、そんなことにはきづいている。
そんなこんなで、4年生は、「受験を意識する学年」でおわるのだ。

                   4 2021年 冬

 ここらへんだった。僕が初めて、模試を受けたのは。
基本的に外部の模試を受けることになっていたので、初めてのときは他塾の人達のリュックや、その人達の話声でものすごく緊張した。
結果は悪いわけではなかった。
しかし一番の負担は、精神にあった。神経がものすごくすり減った感じがした。
なんとか、模試を終えても、なれないところであるため帰るのに一苦労したり…とかなり疲れた出来事だった。帰って一段落したとき、母が話しかけてきた。
「どうだった?」
「いやーまじでめっちゃ疲れた」
「できた?」
「滅茶苦茶緊張したから、あんまできなかったかもしれない」
「そっか。まあ最初しょうがないか」
「何より、他塾の人がすごい多かった」
「ああーそうだよね。帰りもすごい見えたもん」
「うん」
会話を区切ってまた勉強を始める。
5年生になろうとしていた。
このときもまだ、まだ、時間があると思ってゆっくり、それでも最低限宿題と日々の勉強は続けていた。

                 5 2021年 春
 クラスわけが始まった。1・2軍に分かれて勉強するのだ。
最初は国語、算数ともに、2組始まりだった。
ここで、一番難しかったのは、やっぱり友人関係だった。
僕はなにか物事を隠すのがあまり上手ではなかった。
そのため、組分けテストの点数も毎回帰りの道で皆んなに言ってしまう。
メリットもあった。
自分が言うようになったことで、他の皆んなも点数を言ってくれるようになったことだった。
その何がメリットかというと、自分がどういう位置にいるのかわかることだ。
今回のテストは、できた・だめだったという情報は、メンタル的にもその後の支えとなった。
それでもまだ無邪気に、たまたまだめだった、と思っている自分もいたが。

                   6 2021年 秋

 この頃、ついに、やる気になった僕は、自分にはそんな意識はなかった。
しかし今思ってみれば、授業のテキストをその日に少し振り返ったり、なんて柄にもないことをしていた。
そんなことが実ったのか組分けテストの算数で満点を取った。
ここが僕の受験の算数の、最盛期だったと、後になって算数ができなくなったときに言っていた覚えがある。
国語は、算数の成績が下がるのに反比例するように、算数が終わると国語の第一次最盛期がやってきた。それも落ち着くと、冬にはまた低迷を始める僕の成績であった。

                    7 2022年 春

 この頃、僕の成績は絶不調だった。どうしても高得点が取れない。
しかし、国語は、第一次最盛期が終わっても、安定して、ある程度の高得点を取っていた。
また、気付いている人もいるだろうか。
僕は理社のことについてまだ語っていない。
あまり言いたくないが、6年の夏になるまで、僕の理社の成績は抜群に悪かった。
先生に言われたことは、理社共通でこうだった。
「基礎知識が全然出来上がってない」4年生の頃、確かにあまり授業に集中できていない時期があった。
理社の基礎知識ができないのは、そのためだろうと踏んだときには、もう遅い。

                    8 2022年 夏

 最後の夏。みんな「ここで、中学受験が決まる」という。
確かに、僕が最も成績が上がったのはこの時期だった。一番の要因は、理社の見直しだった。
夏休みを機会に、必死に、夏期講習テキストを3回繰り返し、知識をノートにまとめ、などしたことで、9月には、社会が全盛期に入り、国語の、第二次最盛期にも入った。空前絶後の、成績をはじき出した。

                    9 
 
 さて、僕はこの体験記を夏の終わりで一旦区切ろうと思う。何故か。
簡単に言うと中学受験には、数えきれないほどの、パターンがあるからだ。
今ここで、続きを書いても仕方がない。
受験終盤のコツは、他の人も書いている。
それ以上言えないほど完璧なことが知りたいのであれば、沢山の人が書いたものを読むことだ。
僕が書きたかったのは、そこじゃない。
「ここまでの軌跡」だ。
たまにはこんな、しがない中学生の浮かれた体験記でも読んで、こんな事があったな、などと思い出してみてほしい。
そして、これだけは、よく言われることかもしれないが、肝に銘じてほしい。
「環境への感謝」親にしろ、友達にしろ、先生にしろ、皆んな、自分のことを支えてくれている。例え、敵であろうと、味方であろうと、
「日常」を作ってくれているのはそんな人達だ。

作:maimai
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