第1話 なぜ休職?

文字数 2,117文字

「休職、ですか?」
 唐突な提案に若い男、リオンは目を丸くし、傾げた首の動きによりうなじで一本に縛られた男性にしてはやや長い髪は揺れた。
 そこは大きなデスクと重そうな本でいっぱいになった棚の並ぶ部屋の真ん中で、向かい側にある凝った装飾の椅子に座っているのは険しい顔の男だ。禿げあがった頭がキラリと光る一方、対照的にそこ表情は暗く険しかい。
「困った苦情が一つ入ってきてしまってね」
 そう言って眉間にしわを寄せに寄せながらレイモンドが差し出したのは一つの便箋。
 既に中は確かめられた後で開けられた跡がある。
 リオンは中の紙を開いてザっと目を通す。
「……このような事実はいっさいありませんよ」
 少しムッとした調子で答えると、レイモンドは「分かっている」と溜息を吐いた。
 書かれていたのは曰く、
 『リオンという若い男が教師という立場を利用して、とある令嬢に手を出している』
 というもので事実誤認も甚だしい。
 確かに親身に生徒の相談に乗る事は少なくないが、それも全ては勉学や広義における内容に限られており、プライベートに関しては基本的には触れないようにしていたはずだ。
「もちろん私たちは誰も君が下心を持って何かしているなんて思っていない。まあ、あまりにも無関心であるから少しばかり心配しているお節介もいるようだがな」
「しかし、どうしてこれで休職など求めるのですか? 素直にそのような事実は無いと突き返してしまえば良さそうですが」
「普段ならそうだ。だが今回は少しばかり相手が悪すぎる」
 レイモンドに促されて便箋をひっくり返し、差出人の名前を見てリオンは驚きに目を開く。
 そこに書かれていた名前は“フリッツ公爵”のもの。
 現国王の親類の一人であり、このリベリオ王立魔導学院の運営費においても多額の支援金を出している大貴族の名前である。
「そこの三男が、お前のところの女生徒と親密な関係にあるそうでな。正式に婚約などの発表を行うのは学院を卒業してからだが、親たちの方で既に話はついているらしい」
「はあ」
「それで、その女生徒がお前さんに相談しているのを見た嫉妬深い御子息様がゲスの勘繰りをして、未来の嫁さんを奪われまいと親にある事ない事を吹聴しちまったらしい」
 なんとも迷惑な話である。
 そもそも相談だって個人面談などという大層なものでもなく、講義の終わった後、次の講義までの短い時間に受け答えをしているのだから、現場を見れば勘違いであるというのは直ぐに分かりそうなものだ。
 恋は盲目と言うが、良い迷惑である。
「事情は分かりました。でもどうして休職なのですか?」
「そりゃ、停職とかだと何かやらかした事を証明したとに見る連中がいるからさ。でも休職は個人の都合って、それこそ都合の良い理由を持ち出せるから他に比べたら面倒な噂話も大きくなりにくいだろ?」
 確かに一理あるかもしれない。
 停職となると、どうしても罰則を与えられたイメージを抱かせてしまう部分はあるだろう。
 そうなれば、やはり後ろめたい事があったに違いないと考える者たちは必ず出てくるし、そういう声があまり広まると、公爵の子息様がまた嫉妬にかられて面倒な事を言いだしかねない。
 このまま仕事を続けるのが難しい以上は、これが最善に近い手といえるか。
「分かりました。では私は自主的に休職を願ったという事で」
「ああそうだ、理由もちゃんと考えて置いてくれよ? 適当なもんだと学院が押し付けたって気がつく奴らが少なからず出て来るからな」
「では研究の為という事にしましょう。最近は忙しくて全然フィールドワークの機会がなかったので、これを期に止まっていた研究をいくつか勧められますから丁度いい」
「つくづく熱心な奴だな。しかしまあ、他の教員連中はともかく、お前さんの性格なら確かにそれが一番自然かもしれないな」
 納得した様子で頷き、レイモンドは立ち上がると後ろの棚から二枚の紙を差し出してくる。
 一つは休職届の様式が綺麗に印字さたもの。空欄は名前と求職理由だけだ。
 そしてもう一つは――
「研究資金の特別支援申請?」
「研究名目なんだから、当然研究資金は必要だろ? 今回はコッチの都合が大きいからな、特別に優遇して申請を通してやるから好きな金額を書いてくれ」
「本当に好きな金額でいいんですか?」
「その金額に見合った成果を出してくれるなら国家予算レベルで書いてくれていいぞ」
 クククと笑うレイモンドだが目は笑っていなかった。
 元より、そこまでの資金を申請するつもりはまったくない。そもそも申請には資金の各種使用用途を細かく記述しなければいけないのだから、国家予算分の詳細な用途など考えるだけで何日掛かるか分かった物じゃないというものだ。
 それに、これには研究のための休職により説得力を持たせるという目的もあるのだろう。
「では後で書き出して休職届と一緒に持ってきます」
「ああ、よろしく頼む。……そうそう、これは独り言だが、今回の申請にはお詫びの側面もあるから多少の無理は聞いても良いって連中はすくなくないだろうな」
 ニヤリと、今度はちゃんと笑った顔でレイモンドは笑いかける。
 リオンはフッと肩の力を抜いて部屋をでるのだった。
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