第36話 一度目のテスト

文字数 3,750文字

 クリフは唐突に目を開き声を張り上げた。
「全員目を覚ましな! そろそろ円が壊れるよ!」
 始め、その言葉の意味が分かった者は一人しかいなかった。
 だがその一人、冒険者であるテルミスが集めた藁に布を敷いただけの寝床から飛び起きて出ていくと、それを追いかけるように寝ぼけた頭を振りながら守備隊の者たちも続いて行く。
 その中でクリフは一人、細長い包みを持って彼らとは逆方向に走っていった。
 村の中心部には女性や子供、怪我人や老人など戦えない者たちが集められている。
「イーファ、いるかい!」
 不安そうな顔でクリフを見つめる集団に大声で問うと、直ぐに「ここです!」と人混みの向こうで上げられた手を見つけた。
 人々が割れるようにして作られた道を通りクリフは直ぐに駆け寄っていく。
「時間切れ間際だ、直ぐに支度をしな」
「準備と言っても特に使うものはありませんよね」
「気持ちの準備をしておけってことさ。何しろ難しい癖に失敗の許されない面倒なのをやるからね」
 そう言ってクリフは先導するように歩き始める。
 歩みの先はリオンが連れ去られた忌むべき広場であり、今はイーファがクリフに頼まれた通りに刻まれた複雑怪奇な魔法陣に埋め尽くされていた。
 線を踏まないようにクリフは中へ中へと入っていき、イーファも慎重にその後に続く。
「アンタはそっち。私はこっちだ」
 広場の中央付近にある二つの円。
 クリフは大きな方を指してイーファに指示し、自分は小さな方の中へと入る。
「いいかい、合図をしたら私は井戸から水の力を引っ張り上げて壁まで届ける。アンタはその流れが余計なところに逸れないようコントロールするんだ」
「私に出来るでしょうか?」
「肩の力を抜いて気楽にやれば出来るさ。精霊石を作るよりは簡単だからね。……それに最悪失敗してもみんなで仲良く死ぬだけだから、そう緊張する必要はないさ」
 余計に緊張した様子のイーファを見てクリフはカカカと笑う。
 その笑う顔を見て冗談を言ったのだと思ったようで、フッとイーファの表情は軽くなった。
 ――少しは楽が出来そうだね。
 内心でクリフはホッとする。
 もしイーファが使い物にならないようなら、最悪自分一人で全ての作業を行う覚悟をしていた。しかし心配はいらなかったようである。
 包みを脇に置いてクリフはその場に座り、時が来るのを待つ。
 まだ円との繋がりは消失していない。それはまだ外の怪物たちを阻んでいる証拠である。だがその結び付きも消えかけの火種の如く弱々しいものへ変わり果ててしまっているから、いつ破られてもおかしくない状況なのは確実だ。
 じりじりと削られていく不快な感覚を耐えてクリフは集中を維持する。
「――行くよ!」
 “パリン”と薄い氷の割れるような感覚を受け、クリフは叫ぶと同時に一挙に魔力を魔法陣へと注ぎ込む。瞬く間に街中の井戸という井戸へ、イーファの描いた線の一つを通って魔力は流れ込み奥底の水の中に眠る精霊の力は溢れるように飛び出した。
 溢れ出した力はそのままもう一つの線を通って鉄砲水のような激烈な勢いの元、壁へと向かって猛烈に走っていく。
 イーファは魔力の流れに意識を集中させた。
 あまりに広範であり、些細な異常を見つけ出すことは砂漠の砂よりガラスの欠片を探しているような気持にさせるが、イーファはその仕事を全霊を上げてこなして見せる。
 多重魔法の経験がここで生きているとイーファは感じた。
 繊細な魔力の流れを完全に操るという事にかけては同じ事であり、むしろ編み込み折り重なった魔力に比べれば異常を正すことは容易い。しかし一方で発生する暴走の芽の数は膨大で、全方位に注意を払い一つ残さず見つけていくというのは苦しくなっていく。
 焦りが視野を狭め一つに意識が向いてしまい、気がつけば多数の新たな不具合が見つかる。
 それによりイーファはさらに焦ってしまう。
 これは自分の回路が杜撰であった証拠であり、未熟である証明を突き付けられているも同然。
 このままではクリフの描いたものまで力を送り届けられないかもしれない。
 不安が更なる焦りを呼び、焦りは視野を狭め、魔力の扱いが精細さを欠き、そして更に異常の数が増していく原因となる。
 目の前が暗くなる。意識が遠くなる。投げ出したくなる。
 もう十分頑張った。自分には才能が無いのだ。言い訳が諦観を呼び荒れ狂う流れを手放したくなる。
「息を吸いな!」
 クリフが怒鳴った。
 その声にイーファは我に返る。
「少しだけなら私が肩代わりしてやる。だから深呼吸して、しっかり空気を頭に送るんだ」
 クリフの強い眼光はイーファの反論を許さない。
 言われた通り、一度全てから手を引き心を落ち着ける。
 とても怖い顔でクリフは次々に溢れだしてくる精霊の力を制御していた。
 空を見上げる。空は青く、とても広大だった。
 思い出す。
『失敗してもみんなで仲良く死ぬだけ』
 その言葉は全部が全部冗談というわけではないのだとイーファは分かっていた。自分たちが失敗すれば全てはその通りになるという事実は、不可視の魔物となり邪悪な顔で手招きをしているのだ。
 大きく息を吐き、それからいっぱいに吸い込む。
 だからなんだ。
 魔物との戦いはいくらでも経験した。死の恐怖、そして無力の絶望は痛いほど味わった。今更そんなものに怖気づいて怯えてどうする。
 イーファは再度大きく呼吸をした。
 そして頭に暖かな血が流れ始めた感覚と共に自らの役目へ戻る。
 流れを制御する。異常を許さない。支配するのではなく、それらは正しき方へ誘導するのが正しいというのは精霊石を作った際に学んだことだ。
 思いだす。ほんの短い期間で二人の天才から学んだ全てを、今まで経験してきた全ての記憶を。
 ただやみくもに走るだけだった自分と別れを告げ、確固たる意志と共に信じられる道を進む。
 先ほどまでの苦労が嘘のように、まるで自らの体のように精霊の流れを思い通りに制御できるようになっていた。無論、それは乱れた力をクリフが一度整理したことによる影響もある。しかし確かにイーファが一つ階段を上った証拠でもあった。
 そして遂に力の本流は壁へと到達し刻まれた紋様を染めながら走り抜けていく。
 地面という平面から壁という立体へ。
 輝く光が町全体を覆い、合作立体魔法陣はその力を見せる。

「もういいよ、ここからは私一人でなんとかなる」
 クリフの声でイーファは再び現実の世界に戻った。
 魔力の消耗は少ないが精神的な疲れは凄まじく、溢れた汗を吸った服が体にへばり付いて少しだけ気持ち悪い。
「上手くできていましたか?」
「……及第点ってところだね」
「そうですか。そんなに評価して頂けてとても嬉しいです」
 イーファは柔らかな笑みを浮かべる。
「さ、脱力している暇があるならお仲間の所へ向かいな!」
「でも、私が行ったところで何もできません。今回は精霊石を作っている暇もありませんでしたし」
「そうさな。だから、ここにある包みを開けてみな」
 ニッと得意げな顔を作るクリフ。
 イーファはその様子に少しポカンとし、それから言われた通り線を踏まないよう注意してクリフの元へ向かい、言われた通りに包みを開けて唖然と口を開いた。
「え、うそ……どうして――――」
 それは一振りの杖だった。
 紅に輝くこぶし大の透き通った魔法石はイーファの見た事のないほど高品質なもので、それを先端に乗せている鳶色の柄もそれだけで幾らするか分からない逸品である。
 もっとも驚くべきは、柄だけではなく魔法石自体にまで魔法の紋、回路が彫り込まれている事だ。針でも無理ではないかと思う程の細部に至るまで細かく彫り込まれたそれは、もはや芸術の領域にすら達している。
「休憩時間の一つを潰して急遽作ったんだよ。魔法石は荷物にあったもんだが、柄の方は私が特別にアンタに合わせて作ったもんだ」
 クリフはわざとらしく欠伸をして見せる。
「少なくとも、お前さんが一生かかっても使いきれない程の精霊の力が込められているもんだから、出し惜しみせずに好きなだけ使いな!」
 イーファはただただ絶句している。
 冒険者であり、そして魔法使いであるから自分の手にもつ杖がどれほどの価値を持つか分かるのだ。
 これは冒険者における最高峰にして到達点、オリハルコンの称号を持つ白金級冒険者か、あるいは賢者とまで呼ばれるようになったほんの一握りの魔法使いでしか持ちえないような杖だ。
 それが今、自分の手に握られている。
 考えるだけで卒倒しそうになり緊張で震えてしまう。
「何呆けてるんだい!」
 クリフに怒鳴られてしまった。ここ最近、怒鳴られてばっかりだ。
「アンタは何をしたい? 何のためにここに残っている? それを思い出したんなら、どんな物を使ってでも目的を果たしてみせな!」
「――!」
「行きな、“小娘”!」
 イーファは走り出す。
 手に持つのはただの道具、その真の価値は誰が思うかではなく自分がどう使うかで決まるのだ。
 ようやく覚悟を決めたその後ろ姿をクリフは嬉しいような困ったような、何とも微妙な顔で見送り再び魔法陣の方へ意識を向ける。
「さて、もうひと働きといくかね」
 まったく老人を酷使して、世界ってのは何処までいつまでたっても困ったもんだ。
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