第42話 その名は悪意

文字数 4,157文字

 最初に踏み込んだのはテルミスだ。
 空を切って突き出された槍の一撃をへドランが最小限の動きで避け、異形の腕に持つ剣の片方を力任せに、無防備となった頭へと振り下ろす。
 ブレイスは即座に飛び出しその一撃を代わりに引き受ける。
 振り下ろされる剣に対して斜めに構えることで、振り下ろされた大剣が滑るように軌道が逸れ地面を切り裂き爆発に似た音と共に土くれを巻き上げた。
 やる事は最初にへドランと戦った時と同じ。
 攻撃をいなし、隙を見つけて確実に一撃を叩き込んでいく。
 それが小さなものであっても蓄積していけば無視できないダメージとなるだろう。
「おっと危ないっ!」
 テルミスがもう片方の異形の腕より繰り出された横薙ぎをへドランを飛び越えるように、ブレイスは屈んでスレチゲうようにして躱す。二人の消えた空間を切り裂いた剣は強力な風を起こし、ただ観戦するだけの脇の怪物たちを一部巻き上げ吹き飛ばした。
 以前とは違う。
 へドランの力は計り知れないほどに膨れ上がり、その一撃一撃が必殺の威力を持っている。
 だが一方で冒険者たちも同じではない。
 怪我の直った彼らの動きはへドランがかつて見たものとは全く別物であり、同じ人間とは到底信じられない速さとキレ、正確さを持って対応してくる。
 何より今回は三人目がいた。
『フレイムバレット!』
「チィッ!!」
 目の前の獲物が隙を見せたと思ったところで邪魔をするように飛んでくるいくつもの火球。
 へドランはその度に攻撃を中断して、本来の腕に握られている水色の短刀で相殺する必要に迫られる。かといって後ろの魔法使いに意識を向ければ、死角より槍と剣が撃ち込まれ的確に体へと傷を作り出しす。
 たった一匹の怪物であれば負ける事など無い。
 そう言うかのような一方的な戦いにへドランは少し苛立った様子で攻撃が雑になる。
 冒険者たちはその隙を見逃さない。
「貰った!」
 テルミスが懐に踏み込む。
 前後に開いた足に一瞬力を溜め、それを全て乗せた槍の一撃をがら明きの胸に向け――。
「ダメだ! 避けろっ!!」
 ブレイスの声に反射的に途中だった攻撃を止め、その場から横に飛ぼうとするが少し遅かった。
「つっ?!」
 脇腹に焼けつくような痛み。
 へドランに動いた様子はないというのに、いったい何が起きたというのか。
 すぐさま体制を立て直しつつテルミスは距離を取る。
 そして目に映ったのは、へドランの足元より突き出た不気味な赤い模様を持つ黒い茨だ。まるで影がそのまま実態を持ち、無数の赤黒い血管を脈打たせているような見た目の。その幾本もの細いツルはうねりながら地面へと引っ込んだ。
「あーあ、避けちまったか」
 つまらなそうにへドランは言う。
 その手に持つ宝珠から怪しい光ではなく、ドロリと赤黒く粘性の高い液体が地面に落ちる。
 ビチャリと音を立てて液体は地面へと吸い込まれていき――。
「ブレイス!」
 足元に唐突に現れる赤い斑点。
 声を受けてブレイスはすぐさま転がるように横へ飛んだ。
 その直後、それまで立っていた場所に無数の茨が突き出しゾッとするオブジェを作り上げる。
 獲物がいないと分かると茨はズルズルと地面に戻っていき、ポツポツと穴の開いた地面がだけがあとに残された。
「どうだ、驚いたか?」
「ああ、最高に悪趣味だな」
「そういうなよ。きっとお前たちにピッタリだからよ」
「丁重にお断りするよ。ていうか、人に勧めるならまず自分で使ってからにして貰える?」
 テルミスは吐き捨てるように言う。
 するとへドランは「ああそうだな」と呟き、再び宝珠から液体を落とす。
 その標的は“自分”だった。
「ヒッ?!」
 イーファから小さな悲鳴が上がる。
 足元に現れた無数の赤い点、そこから突き出す茨はへドランをなんの躊躇もなく貫いた。
 足、腹、腕、胸、首、顎から頭上に突き抜けるように。
 あまりに異様な光景にテルミスは思わず目を逸らす。しかしブレイスは混乱しながらも目の前で起きている事象に関する違和感を一つ突き止める。
 へドランは血を流していなかった。
 茨が突き刺さった場所だけではない。それまでブレイスやテルミスが行った攻撃による傷、そのどれからも人間であれば持っている赤い血を流していないのだ。
「なんだ、気がついたか?」
 ブレイスの頭の中でも読んだかのようにへドランは不気味な姿で邪悪な笑みを浮かべる。
「お前らの攻撃なんか、痛くもかゆくもなかったんだよ。だってのに自分らが優勢だと思ってよ、笑いを堪えるのが大変だったぜ?」
 どうだ、絶望したか?
 唖然とする二人へ向け、ズルズルとその身に入ってくる茨をものともせずに言う。
 茨は遂に地面から離れてその身に全て収まった。
「さーて、それじゃあもう少し遊ぶか」
 その背から取り込んだ茨が突き出し、獲物を探すかのようにゆらゆら揺れる。
 へドランを守る新たな“腕”が増えたのだ。
 ブレイスとテルミスは武器を構えなおす。そして再び攻撃を開始した。
 槍を突き出し、剣をふるい、大剣を避け、茨を弾く。打ち合いの音は止まない。幸いな事二テルミスの傷は浅く動きに支障が出ることは無かったが、いくつもの茨が攻防の穴を埋めるように動き回る為、先ほどのように隙を見ての一撃とはいかなくなる。
 逆に手数の差によって少しずつブレイスとテルミスが傷を負うようになってきた。
 その様を見てへドランは勝利を確信し醜悪に顔を歪める。
 弱者を弄びいたぶる快感を楽しむように。
 あの時、この二人を仕留められなかった事への不満はもう無い。
 目の前の冒険者たちに逃げ場はないのだ。

 ――ブレイズピラー・ロードレス!!

 そう、へドランは忘れていた。
 過去と今の情景を重ね、優位という立場に残虐に酔いしれていたが故に、ずっと続けられていた魔法の詠唱に意識を向けることが出来なかった。
 ブレイスを刺し貫かんとした茨が、テルミスを切り裂かんとしていた異形の腕が、二人と自分との間が、大地を焦がし立ち上る灼熱の柱に飲み込まれる。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ?!?!?!?!」
 異形の腕は焼け、茨を伝った炎が全身を覆いつくす。
 悲鳴を上げ逃げ場を探すも、炎の柱は徐々に中心へ向けて収束しており隙間はもう殆どない。
 無数の柱は遂に一つへ。同時に点を焦がすほどに高く立ち上り、その色を赤から青へ、青から白へと変化させる。
 終わりは唐突。
 プッツリと途切れるように炎は消え、中にいたものは全身から煙を上げ黒く焼け焦げている。
 蹲った体から炭化した表皮がパラパラと崩れ剥がれていく。
 ブレイスとテルミスは当然、このチャンスを見逃しはしない。
 本能の警告を受け顔を上げたへドランは迫る槍と剣を異形の腕で振り払おうとしたが、結果は二本の腕が空を舞い怪物たちと同じようにドロリと溶けることになった。
「クソ、クソ、クソクソクソクソクソガアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」
 へドランは水色の短刀を振って追撃を行おうとしていた二人を水圧により吹き飛ばす。
 そして立ち上がり、宝珠を自らの胸へ叩きつけるように“押し込んだ”。
 まるで泥の中に沈むかのように宝珠はその胸へ沈み込み、怪しい光が一気に強くなる。
「クソったれの魔法使いめ! いつもいつも邪魔しやがって!! 気に入らねぇ、ああ気に入らねぇ! 全部殺してやる! 無様に、無残に、醜悪に、卑劣に、二度と人間だった事を思い出せないよう辱めて惨めに殺してやる!!」
 へドランは血と唾を飛ばしながら憎悪を怨念を吐き出す。
 焼け爛れた体が宝珠より溢れ出す影に覆われていく。ブレイス、テルミス、イーファは冒険者としての直観により、すぐさま止めを刺さんと行動を開始したが、全ては宝珠の光と不可視の壁によって阻まれ近寄る事すら叶わない。
 へドランは尚も呪いを吐き続けていたが、その口すらも影に覆われ遂に途絶えた。
「アレは……卵?」
 真っ黒な球体がそこにあった。
 表面の一か所に吐き気を催す邪悪な光を発する宝珠があるだけの楕円体。
 いったい、そこから何が生まれて来るのか。
 距離を取って冒険者たちは見守る。
 ――内側から押されるように球体は変形した。
 ゴムのように伸びて、腕が、足が、頭が、尻尾が出来上がる。
 パックリと割れ目が現れ、開かれたそこにはサメのように何層にも連なった鋭い赤の牙。
 腕は六本あり、指が三本の腕もあれば、そもそも手の平を持たない触手のようなものもある。
 尻尾は先が二股に別れ、毒々しい紫のとげがびっしりと覆う。
 その頭に目は無く、胸で心臓のように鼓動を打つのは宝珠だ。
 誕生した恐るべき怪物は見上げるほどに巨大で、頭より突き出したとぐろを巻く角ですらブレイスの身長を軽く超えている。
 怪物はバックリと口を開けた。
「避けろ!」
 反射的にブレイスは叫び、走る。
 テルミスはすぐに反応したが、呆気に取られていたイーファは少し反応が遅れた。
「――えっ?」
 そう思わず言ったのはテルミスだ。
 何も見えなかった。
 何かがイーファを、怪物たちを、へドランだったものの前にあった全てを薙ぎ払い吹き飛ばしたのだ。そう何もかも。あの頑強な氷の防壁すらも紙切れのように突き破り、その残骸がガラガラと空より落ちてくる。
『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!』
 へドランだった怪物は咆哮する。
 途端にそれまで静観していた怪物たちが動き出した。
 歓喜の雄叫びを上げながら崩れた防壁より村の中へとなだれ込んでいく。
 呆気に取られていた守備隊の生き残りたちは慌てて彼らの迎撃に飛び込んでいくが、イーファの太陽が失われた結果、強化を失った彼らでは勢いに乗った一匹をすら満足に止められない。
 ただただ鮮血が空を舞い、人だった肉塊がバラバラに引き裂かれていく。
「やるしかないぞ!」
 放心していたテルミスを我に返らせたのはブレイスの怒鳴り声だ。
 彼は諦めていない。
 目の前の化物を倒し村を救った勇者となるため、覚悟の一歩を踏み出した。
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