第5話教師達の夏
文字数 2,533文字
夏真っ盛り。
生徒達は夏休みを謳歌しているであろうが、教師達はそうもいかない。毎日学校に来ては会議だ何だと休めないのである。
特に先日起きた猟奇事件のせいで生徒の身をどう守るか、の議題が持ち上がり、この日朝から会議室に籠りっぱなしであった。
普通の生徒だけならまだしも、この中学校にはかの陰陽師が生徒として在籍している。
特異点の彼は、その存在自体が他者から見れば腫れ物に触れるようなものなのだ。
校長と教頭は政府と警察庁のお偉いさんに呼び出され、上総の身の安全面を重視するよう告げられていることを会議の中で話した。
妖怪確定の犯人が恭仁京の名を口にしている限り、上総を登校させるわけにはいかない。
もちろん上総の安全を考えてだが、上総が学校に来ることで他の生徒も巻き添えになりかねないのだ。
その話を聞いて新人の如月健司は気付かれないように溜め息を吐いた。
なんとも複雑な気持ちになる。
この複雑な気持ち、言葉に表すことも出来なければ、それ自体が何故健司に溜め息を吐かせるのかも謎。謎を謎のまま放置するのは健司の性分ではないが、これに答えは見つけられるのだろうか、という思いもある。
浮かぶのは先日会った少年陰陽師こと恭仁京上総の照れ隠し。頭を撫でられ慣れていないと云っていた。早くに父親を亡くしたからだろうか、それによって幼い時分から跡継ぎとして自覚させられ、同年代の子供達のような楽しくも穏やかな環境にないからか。
跡継ぎとは――こんな歳の子供にも云うべき事なのか。大人になってから、とか、もっと成長してから、とか。
ツキリ、と胸が痛んだ。
『先生、如月先生。どうなさったんです、溜め息をついて。会議中ですよ』
小声で肘を小突つかれた。
隣の席に座る真柴幸子は、健司の一つ歳上で昨年新人教師として、この中学校に赴任して来た女教師である。
担当科目は音楽。
『すみません』
苦笑して健司は話を続けている教頭に視線を向けて、幸子との会話を遮断した。どうにも健司は幸子が苦手なのである。
何かと健司に対して世話を焼きたがるし、席が自由にも関わらず会議の時は必ず隣に座る。
そもそも大事な会議中に話し掛けて来ないでほしいし、幸子がこちらを見ているのは気配で分かってしまう。
『それでは、今日はこれまでにしましょう』
すらりとした体型の校長が告げた。
四十前半という校長にしては若い年齢だが、何より他が渋る上総の入学を率先して自分の中学校に受け入れた。実績もある遣り手の校長は会議終了の宣言をしてすぐに健司を見るとニッコリと微笑みを湛えながら、会議室の片付けをするように告げた。
一番の新人で男ということもあり、使い勝手が良い。
会議毎にこうして片付けを任せられる。
茶菓子の用意はベテランの女教師が数名でワイワイ井戸端会議よろしく支度をするが、その食器を後片付けするのは健司一人でしている。
最初を手伝わない代わりに。
『如月先生、いつも悪いね』
『いえ』
教頭と遠藤頼子が近寄って来て近くの茶菓子を纏めてくれた。
『今から皆さんと居酒屋に行くんだけど、如月先生もどうかな?』
赴任してから度々誘われる。
行く場所は決まっていて、居酒屋『酒呑 』である。
学校から歩いて数分の距離にあって、ここの教師達は常連になっていた。
世界各国の酒を取り揃えていて店主の拘りを感じる人知れた居酒屋だ。
常連は元より他方から噂を聞き付けた酒好きが毎夜訪れて、厳選された酒と旨いつまみに花を咲かせる。
あまり酒を好まない健司ですら、連れて行かれてからは一人でも通う程『酒呑』に惚れてしまったのである。店主が相棒と豪語している人物が作る料理が何より美味しいし、店主は赤毛で一見恐そうだが話してみれば気さくで笑い上戸だ。常連の中には店主と話したくて来る者も多いだろう。
教頭から誘われて、健司は喜んだ。
『いつもの所ですね? 片付けを終わらせて向かいますので先に行っていてください』
教頭も頼子も会議で健司が暗い顔をしていたことに気付いている。
何より生徒を大切にする新人なだけに、上総を学校に迎え入れないことに心を痛めているのだと、理解してくれていた。
『それじゃ』
『早く来るのよ?』
二人は軽く手を振りながら会議室から出て行った。
一人ポツンと残った健司は、ヨシ、と意気込み腕捲りをすると長机を畳んでは積み重ねていく作業に取り掛かった。単純だが、体力を使う。
エアコンを会議終了と同時に切ってしまったことを後悔しながら、額の汗を拭った。
『先生』
背後から声がして、健司は驚いて振り返った。
『び、びっくりした!! まだいらっしゃったんですか?』
真柴幸子が真後ろに立ち、しゃがんでいた健司を見下ろしていたのだ。
『驚いた顔も、可愛い』
『は?』
幸子は頬を赤く染めている。
夕焼けのせいではない。ようだ。
『お手伝いします』
『あ、いえ、大丈夫ですよ』
反射的に健司は立ち上がり、幸子と距離を取ろうとしたのだが、幸子はピタリと健司の後を付いてくる。
『この後皆さんと呑みに行くんですか?』
『ええ、そうです』
『そっか、じゃ私も行こうかな』
『はぁ?』
チラリと見てくる幸子の意図が汲めず、首を傾げるしかない。
今まで教頭や同僚教師に誘われても呑みに来ることが無かった幸子は、一体どういう風の吹き回しなのか今度は誘われてもいないのに、行くと云い出した。
しかし健司は一瞬戸惑ったものの、それ以上深く探ることはせず幸子に先に行って皆と合流することを勧めた。
『私も片付けを手伝います』
そう云って折り畳んだ長机を持ち上げようとするのを、慌てて健司が止める。
『ここは俺がやるんで、先生は食器をお願いします』
職員室にある給湯室で食器を洗ってくれるだけでも時間の短縮になる。
幸子は仕事を貰えてあからさまに喜び、笑顔で会議室を出て行った。
外では相変わらず蝉が五月蝿い。
健司はホッと息を吐いて、残りの片付けを始めた。
生徒達は夏休みを謳歌しているであろうが、教師達はそうもいかない。毎日学校に来ては会議だ何だと休めないのである。
特に先日起きた猟奇事件のせいで生徒の身をどう守るか、の議題が持ち上がり、この日朝から会議室に籠りっぱなしであった。
普通の生徒だけならまだしも、この中学校にはかの陰陽師が生徒として在籍している。
特異点の彼は、その存在自体が他者から見れば腫れ物に触れるようなものなのだ。
校長と教頭は政府と警察庁のお偉いさんに呼び出され、上総の身の安全面を重視するよう告げられていることを会議の中で話した。
妖怪確定の犯人が恭仁京の名を口にしている限り、上総を登校させるわけにはいかない。
もちろん上総の安全を考えてだが、上総が学校に来ることで他の生徒も巻き添えになりかねないのだ。
その話を聞いて新人の如月健司は気付かれないように溜め息を吐いた。
なんとも複雑な気持ちになる。
この複雑な気持ち、言葉に表すことも出来なければ、それ自体が何故健司に溜め息を吐かせるのかも謎。謎を謎のまま放置するのは健司の性分ではないが、これに答えは見つけられるのだろうか、という思いもある。
浮かぶのは先日会った少年陰陽師こと恭仁京上総の照れ隠し。頭を撫でられ慣れていないと云っていた。早くに父親を亡くしたからだろうか、それによって幼い時分から跡継ぎとして自覚させられ、同年代の子供達のような楽しくも穏やかな環境にないからか。
跡継ぎとは――こんな歳の子供にも云うべき事なのか。大人になってから、とか、もっと成長してから、とか。
ツキリ、と胸が痛んだ。
『先生、如月先生。どうなさったんです、溜め息をついて。会議中ですよ』
小声で肘を小突つかれた。
隣の席に座る真柴幸子は、健司の一つ歳上で昨年新人教師として、この中学校に赴任して来た女教師である。
担当科目は音楽。
『すみません』
苦笑して健司は話を続けている教頭に視線を向けて、幸子との会話を遮断した。どうにも健司は幸子が苦手なのである。
何かと健司に対して世話を焼きたがるし、席が自由にも関わらず会議の時は必ず隣に座る。
そもそも大事な会議中に話し掛けて来ないでほしいし、幸子がこちらを見ているのは気配で分かってしまう。
『それでは、今日はこれまでにしましょう』
すらりとした体型の校長が告げた。
四十前半という校長にしては若い年齢だが、何より他が渋る上総の入学を率先して自分の中学校に受け入れた。実績もある遣り手の校長は会議終了の宣言をしてすぐに健司を見るとニッコリと微笑みを湛えながら、会議室の片付けをするように告げた。
一番の新人で男ということもあり、使い勝手が良い。
会議毎にこうして片付けを任せられる。
茶菓子の用意はベテランの女教師が数名でワイワイ井戸端会議よろしく支度をするが、その食器を後片付けするのは健司一人でしている。
最初を手伝わない代わりに。
『如月先生、いつも悪いね』
『いえ』
教頭と遠藤頼子が近寄って来て近くの茶菓子を纏めてくれた。
『今から皆さんと居酒屋に行くんだけど、如月先生もどうかな?』
赴任してから度々誘われる。
行く場所は決まっていて、居酒屋『
学校から歩いて数分の距離にあって、ここの教師達は常連になっていた。
世界各国の酒を取り揃えていて店主の拘りを感じる人知れた居酒屋だ。
常連は元より他方から噂を聞き付けた酒好きが毎夜訪れて、厳選された酒と旨いつまみに花を咲かせる。
あまり酒を好まない健司ですら、連れて行かれてからは一人でも通う程『酒呑』に惚れてしまったのである。店主が相棒と豪語している人物が作る料理が何より美味しいし、店主は赤毛で一見恐そうだが話してみれば気さくで笑い上戸だ。常連の中には店主と話したくて来る者も多いだろう。
教頭から誘われて、健司は喜んだ。
『いつもの所ですね? 片付けを終わらせて向かいますので先に行っていてください』
教頭も頼子も会議で健司が暗い顔をしていたことに気付いている。
何より生徒を大切にする新人なだけに、上総を学校に迎え入れないことに心を痛めているのだと、理解してくれていた。
『それじゃ』
『早く来るのよ?』
二人は軽く手を振りながら会議室から出て行った。
一人ポツンと残った健司は、ヨシ、と意気込み腕捲りをすると長机を畳んでは積み重ねていく作業に取り掛かった。単純だが、体力を使う。
エアコンを会議終了と同時に切ってしまったことを後悔しながら、額の汗を拭った。
『先生』
背後から声がして、健司は驚いて振り返った。
『び、びっくりした!! まだいらっしゃったんですか?』
真柴幸子が真後ろに立ち、しゃがんでいた健司を見下ろしていたのだ。
『驚いた顔も、可愛い』
『は?』
幸子は頬を赤く染めている。
夕焼けのせいではない。ようだ。
『お手伝いします』
『あ、いえ、大丈夫ですよ』
反射的に健司は立ち上がり、幸子と距離を取ろうとしたのだが、幸子はピタリと健司の後を付いてくる。
『この後皆さんと呑みに行くんですか?』
『ええ、そうです』
『そっか、じゃ私も行こうかな』
『はぁ?』
チラリと見てくる幸子の意図が汲めず、首を傾げるしかない。
今まで教頭や同僚教師に誘われても呑みに来ることが無かった幸子は、一体どういう風の吹き回しなのか今度は誘われてもいないのに、行くと云い出した。
しかし健司は一瞬戸惑ったものの、それ以上深く探ることはせず幸子に先に行って皆と合流することを勧めた。
『私も片付けを手伝います』
そう云って折り畳んだ長机を持ち上げようとするのを、慌てて健司が止める。
『ここは俺がやるんで、先生は食器をお願いします』
職員室にある給湯室で食器を洗ってくれるだけでも時間の短縮になる。
幸子は仕事を貰えてあからさまに喜び、笑顔で会議室を出て行った。
外では相変わらず蝉が五月蝿い。
健司はホッと息を吐いて、残りの片付けを始めた。