雪に非ず、其は焔の子なり。然らば、祈らん

文字数 1,535文字

 ちろちろ、と。
 舞い散る白い物。
 ちろちろ。
 ちろちろ。  
 小さな小さな其を、雪なのだと思った。
 身体が熱く朦朧とする中、外界は真冬で美しい白い雪が舞っているのだろうと、少年は思った。
 地を白く染め、音を消し、雪は美しく舞い、息吐く者を魅了する。
 吐息は白く。
 天も地も彼方の山々も。
 何処も彼処も白い。
 ――のだろう。
 少年は薄い蒲団から、のそりと腕を出して白い結晶を掴もうとした。
 が、届く筈も無い。
 一度二度、三度、と(くう)を掴む。
 肉は削げ落ちてしまった。
 骨と皮をばかりの針の如く腕。
 足は、地を踏み身体を支えることはもう……叶わないだろう。
 自分の意思で自分の足で行きたい場所へ行く――。それが叶わない。
 『(あるじ)、何をしている?』
 黒づくめの長身の男が、外に出た少年の細い腕を丁寧に蒲団の中に仕舞い込んだ。
 耳が矢鱈と尖っている。人外の者に少年は心を許していた。黒づくめの男以外にも多くの異形の者が少年の周囲にいる。
 ()の者から見れば、異質。
 少年は人間なれど他の者から見れば、人外と何ら変わらない異質な存在なのだ。
 『雪が――。雪が降っているよ』
 幸の薄い笑顔で少年は黒づくめの男を見た。
 ――雪………主の好きな雪。
 黒づくめ男の目には、一片も雪は映っていない。
 見えるのは、火の粉。
 ちろちろ。
 ちろちろ。
 京の町が燃える光景。
 ちろちろ。
 ちろちろ。
 『――ええ、美しい雪ですね』
 

を止めるべく少年は、ほんの数日前迄京の都を必死に駆け廻っていた筈なのに。多くの仲間の協力で成功したと思っていたのに。
 相手は手強かった。
 少年の二枚も三枚も上手だった。
 仕方ない。
 少年はまだ十三歳、相手は師匠で

と謂われる大物なのだから。
 苦し気に呻く少年の額に手を宛がった。
 残り僅かの灯火。
 京を護るべく、少年は師の(しゅ)を一身に受け、苦しんでいる。
 何故こんなにも少年を苦しめるのか。男は当初理解に苦しんだが何て事はない、詰まりは大陰陽師と謂われる男も所詮は只の人間。
 己の嫉妬に欲望に歯止めが効かなかったのだ。
 『怖い顔』
 少年は笑った。
 と、表現すべきだろうか。何せ彼にはもう、笑う気力すら残されていない。言葉を発する事すら辛かろう。
 『ね――約束、して……』
 『?』
 『人間、を――……』
 閉じ行く瞳。
 『主!』
 『――……』
 ――赦して。
 口が微かに動く。
 ――人間を、嫌わないで。
 動くが、音が出ない。 
 ――憎まないで。
 聞こえない。
 異形の男は必死に主の音を聞き取ろうとした。
 優しく、柔らかく、心の奥を擽る音を。
 『――……』
 初めて心を動かされた人間の子供の音を。
 『主――』
 笑っている。
 目の端からゆっくりと涙が伝う。
 温かい、少年の生きた証。
 『……』
 魂が――抜けた。
 『主』
 そっと、髪の毛を手で鋤いてやる。
 『主よ』
 余りにも短い命。
 妖の瞬きにすらならぬ灯。
 小枝の如く痩せ細った主の体躯を抱き締め、声を殺し震えた。
 『主よ』
 パチパチと火の粉が近く迄迫っている。
 『――申し訳ありません、どうやら私は、主とのお約束――果たせそうに御座いません……』
 瞳に狂気を孕み、障気を放ち、全ての人間を怨み憎悪の言の葉を吐き捨て、喰い千切らんとす。
 悪鬼と化した男の背には、真っ黒の翼。
 赤く燃え上がる京の空を黒づくめの男は舞う。
 腕の中には愛しき人間の子供の亡骸。
 
 『主よ、申し訳ありません――申し訳ありません……』
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登場人物紹介

恭仁京 上総


主人公。13歳。

陰陽師。

如月 健司


中学教師。

立花 壮介


純文学作家。

如月健司と幼馴染みで同居人。

妖怪・すねこすり


上総の友達。

キュ、しか云えない。

妖怪・烏天狗 右京


見た目は美しい女だが、中身は逞しい男。

妖怪・烏天狗 左京


姿を消し、呼ばれた時にだけ現れる。

恭仁京家が誕生してから主人に忠実だが、何故なのか誰も知らない。

藤堂 美嘉


上総のいとこ。

上総のスケジュールの一切を担っている非常に厳しい女性。

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