第1話もふもふは正義
文字数 4,747文字
もふもふ。
なんて魅惑的な言葉であろうか。
もふもふ。
全てを平和にする最強の言葉。
もふもふ……。
『ああ! 分かった! 触れば良いだろが!』
『本当!?』
黒と白のもふもふ達が、うっとりと眺めていた人間の子供の前に来て丸まった。
『全く、人間の考えてることはよう分からん』
黒いもふもふは溜め息を吐いて、身体を撫でてくる子供に云った。
『何百年も生きてるのに?』
『阿呆が、我等はつい最近人間の里に下りたばかりなのだぞ』
黒いのが口悪く喋る。
『まぁまぁ、訶雪 良いじゃないか。たまにはこうして人間の子供と戯れるのも一興よ』
白いのは雪華 。
小型犬のような容姿をした二匹は妖の一種である。
『もふれば我等の話を訊いてもらえるのだろう? のぅ恭仁京 の倅』
嫌がる訶雪をもふり倒している恭仁京上総 は、勿論、と頷いた。
『妖 からの依頼は初めてだけど、僕に出来ることなら協力は惜しまないよ』
『流石は恭仁京家の当主だの』
『それよりさ、倅って、お父さん知ってるの?』
『何を謂うか。我等の社はお主の家の管轄だぞ。まぁ、今は分家が管理しておるがな、お主の父親が当主をしていた時分は吾等の社に毎朝清掃をしに来ておったえ』
雪華は懐かしむように宙を見つめ、物思いに耽っている。
『じゃが、それも昔の話だ』
訶雪は短い足を雪華の頭に乗せて話を止めた。
『それよりも、吾等の願いを伝えても良いのか? 何やら学舎の勉強をしておったようだが』
上総は机に広げられた教科書とノートを手早くしまい、今度は雪華をもふりだした。
『訶雪、話って何さ?』
『お主、現実逃避しただろ? 良いのか? 足らぬ頭が余計に足りなくなるぞ』
『余計なお世話だよ。ちゃんと家業継いでるんだから問題ない』
『お主が良いなら構わぬが、陰陽師は頭も良くなくてはいけぬのではないのか? 漢字読めぬと困るであろう?』
少年はあからさまに口を膨らませ不機嫌になった。
言動が子供の恭仁京上総はまだ中学一年の十三歳で、平安時代より続く陰陽師一族の現在の当主。
妖怪と人間が共存している現代日本に於いて、古来より継がれる恭仁京家一族は国政府によって唯一認可されている陰陽師一族だ。
『大丈夫、全部フリガナふったから』
『――のう、雪華よ。ほんに恭仁京の者に頼んで良かったのか? 阿呆にしか見えんのだが』
『訊くな訶雪。吾は一応信じておる。一応』
『あのさ二人共、それが人にモノを頼む態度?』
大きな声で不満を口にする二匹に対してこめかみに青筋を立てた上総だが、こう見えて占術を得意としている。
国により認可を得ている恭仁京家は連日依頼人が途切れず、予約は数ヶ月ないし一年先迄埋まっていた。その多くが上総の占術目当てなのだが、依頼人の中には著名人やその手の名士も少なくない。
昔から、国政府の裏に恭仁京有り、と詠われ歴代の総理大臣も隠密裏に恭仁京家を訪れては国の行く末を占っていた。
『冗談よ。この程度の戯れも通じぬのでは、世を渡るのは困難であるぞ、恭仁京の』
『なんかムカつく』
『ホホウ、訶雪も冗談を云うのだな』
丸い目を驚かせ雪華は黒い鼻をヒクヒク動かした。
『そ、そんなことよりも、雪華早よう依頼内容を云うのだ!』
照れ隠しに語気を荒げた訶雪が可愛らしく、思わず上総は黒い毛玉を抱き締めた。
滑らかで肌触りが良い。
さらさらの毛の下は温かく、生きてる証拠をしっかり誇示していた。
『僕犬飼ったこと無いんだよね。飼ってみたいな』
『一言云っておくが、吾等はそこらの犬と違うからな?』
訶雪と雪華は恭仁京家の近くの神社の狛犬である。
その二匹は数百年動くことも会話をすることも出来なかったのだが、ひょんなことから石像から霊体を出すことが出来るようになった。その原因となった人間を捜して欲しい、というのが二匹の依頼。
『吾等に名を与え力を与えし人間だ。とても強力な霊力を所持しているのだろうが、それきりとんと姿を見せなんだ。今まで会 うたこともないが、どことなく恭仁京の気配に似ておってな、もしかしたらお主なら何か知っておるのかも知れぬと思うて』
話を聞いていた上総は、少々不機嫌そうな顔をつくっている。
『名前を付けるのは簡単だよ。霊力が無くても誰でも付けることが出来る。だけど、そこからが問題だよ。普通の人間に狛犬二匹同時に力を与えることなんて到底出来ない。それこそ陰陽師レベルでもなければ』
腕の中の訶雪は鼻をヒクヒクさせ、意地悪な顔をして見せた。
『なんだよ訶雪。何か云いたげじゃん』
『上総、お主は石像の吾等に命を吹き込むことは出来るのかえ?』
『デキマセンガナニカ?』
雪華は笑いを堪えている。
『陰陽師でも難しいようだの』
『悪うございましたね、無能で』
訶雪を下ろし、椅子に座って不貞腐れた。
『何もお主が無能とは云ってないではないか。寧ろ評判はよう耳に入っておって、吾も訶雪も鼻が高いくらいじゃ』
『はいはい、ありがとうございます。で? なんでその名付け親を探そうとするのさ?』
『胸騒ぎがする、と吾等が神が仰るのだ。良くないことが起こる、と』
『どういうこと?』
『そこまでは分からん。神も仔細は分からぬと仰っておった。その人間を見つけて良くないこととやらが収まるのであれば、それに越したことはないが、突如力の強い者が現れたようなものじゃ、もしかすると周辺にも影響が出ておるやもしれぬ』
『そうか、そうだよね』
人間と妖怪が日常的に混じり会う世にそれだけ力の強い人間がいるのであれば、人間もましてや妖怪が放っておく筈がない。
良い方に転がれば良いが、生憎上総は過去悪い方にしか覚えはなかった。
『若い男だ。髪の毛は短髪で明るい茶色、お主より年上でな、背も高い。今時の男衆は皆背が高いのだの』
『ん?』
『上総、何も無しに探そうとしておるのかえ?』
『いや、訶雪達のことだから、その強い霊力だけで探すのかと思ってた』
『阿呆が』
即座に阿呆発言をした訶雪をもふり始めた。
『見目麗しい容姿じゃったな。笑った顔も女子 のような美男じゃった。それが人間と思えぬ高貴な気配を背負っておってな、吾等が主も眼をひんむいて見ておったわ』
『ねぇそれさ、こうだったらいいなぁ、なんてのは入ってないよね?』
『当たり前であろうが。雪華は嘘はつかん。純粋無垢だ』
足で上総の顔を押し退け脱出すると、雪華を庇うように威嚇した。
『だってさ、こんなド田舎にそんな人が歩いてたら目立つもん。背が高くて見目麗しい美男子でしょ? モデルとか芸能人じゃん』
滋賀県の琵琶湖に近い小さな街。
上総はド田舎と表現するが、人口密度も多くそこそこ栄えている街だ。
ただ、由緒正しき陰陽師一族が住んでいるからか、街並みはどことなく和風なのは否めない。そこを上総はド田舎と表現しているのだろうか。二匹は互いに顔を見合せ小首を傾げた。
『取り敢えず捜すことは捜すけど、期待しないでもらえるかな?』
『分かっておる。お主も勉学に家業に忙しい身だ、可能であるならば他の者にとも考えておったが、何せ吾等の姿は一介の陰陽師では見ることが出来ぬ』
『そうなの?』
上総の目には、もふり倒したばかりの二匹は普通に感触も温かみも犬や猫と変わらない存在。
『恭仁京とは奇異な存在よの。どこそこの平凡な陰陽師では太刀打ち出来ぬ妖者共とも、よう渡り歩いておるわ』
『――……』
特別な存在なのだと、誰もが口を揃えて云う。
日本の各地に陰陽師を生業にしている人間は数多いるが、国も政府も《恭仁京家》を特別視しているのは事実で、仕事が入ろうものなら学校に何日登校出来なかろうが、仕事優先と国から学校に指導が入る。おかげで久し振りに学校に行けば教師から生徒から奇異な目で見られるのだ。
平然と妖怪が人間と同じ暮らしをしている世の中だから仕方ないのだろう。妖怪絡みの事件や問題は全て陰陽師の管轄になる。
その為に陰陽師等は組織化し効率を良くするため仕事を分担制にしているのだが、その組織を束ねるのも何を云おう、恭仁京家なのだ。
本来、恭仁京家当主が全国の陰陽師達を束ねる役目を担うのだが、上総はまだ未成年。成人するまで親族の人間が代わりをしている。
組織の名は《大老會 》。
世界に散らばる陰陽師は全てこの《大老會》に登録をすることで、国や個人から依頼される仕事を割り振られる仕組みだ。
必ず登録をしなければならない。訳ではない。
しなくても良いが登録をしていなければ、単純に食いっぱぐれるだけ。妖怪絡みもしくは疑いのある案件は国から自治体から、或いは個人から連日多くの依頼が舞い込む為、登録さえしていれば無職になることはないのだが、陰陽師としての能力を常日頃磨いておかなければ命の保証は無い。
それだけ陰陽師の仕事は生死に関わることも多く、非常に危険な職業なのである。
『今度の日曜日、訶雪達の神社に行くよ。午前しか空いてないけど、取り敢えずその人の気配が残ってないか確認する』
『吾もしたのだが気配はもう無い。それさえ有れば吾等にも捜す事は容易かったが』
訶雪は残念そうに脱力している相方の顔を舐め慰めた。
どうにも雪華は名を与えた人間に対して変に肩入れしてしまっている節があるようだ。主でもない人間に、そこまで入れ込むのは非常に危険であろう、危惧する上総は雪華を抱き上げ頭を撫でた。
『雪華、本当は何か知ってるんじゃないの?』
『んんん……吾にも分からぬ。ただ、懐かしい気配じゃった。先にも云ったろう? 恭仁京の気と似ていると』
『ああ、云ってたね』
『昔全く同じ気配を感じた覚えがあってな。どんな人間であったか、どうにも思い出せなんだ。のう、訶雪、お主は覚えはないかえ?』
『無い』
『即答かよ!』
突っ込む上総を一瞥し、訶雪は人間と相方から顔を背けた。
『吾は雪華のように人間を好きにはなれぬ。一々勝手な人間共の顔や気配なんぞ覚えていられるか』
訶雪の反応こそが本来あるべき姿である。
『きっと何かあったから気になるんだろうね雪華。だけど、君達は君達のすべきことを忘れちゃいけないよ』
『若造、吾等に説教する気か? 云われんでも分こうておるわ』
『うん、訶雪がいるから心配してないよ。人間は勝手な生き物だから。雪華、それだけは忘れないで』
『お主は――上総は大丈夫なのかえ?』
『ん?』
『上総、お前は雪華と同じだな。人間のクセに此方に随分と肩入れしておる。周りから変人扱いされておろう?』
まだ中学生になったばかりの上総は、一瞬寂し気な表情を見せると訶雪と雪華を抱き締め顔を埋めた。
『うん、そうかもね』
季節はとうに春を過ぎ、直に子供にとって待ち望んだ長い休日に入る。
そんな暑い日の夜。
じわりと汗ばむ首筋。
何処ぞで鳴き続ける命の叫びは、人間の耳には五月蝿いだけ。それでも夏の風物だと、大昔から口々に云う。
『上総?』
暑くないのか、と己の毛玉に顔を埋める人間の子供を心配するも肩が細かく震えているのに気付き、雪華と訶雪は声を掛けるのを止め、暫くされるがままになった。
上総の夏休みの日程表には、友人との約束は一つも書かれていない。
なんて魅惑的な言葉であろうか。
もふもふ。
全てを平和にする最強の言葉。
もふもふ……。
『ああ! 分かった! 触れば良いだろが!』
『本当!?』
黒と白のもふもふ達が、うっとりと眺めていた人間の子供の前に来て丸まった。
『全く、人間の考えてることはよう分からん』
黒いもふもふは溜め息を吐いて、身体を撫でてくる子供に云った。
『何百年も生きてるのに?』
『阿呆が、我等はつい最近人間の里に下りたばかりなのだぞ』
黒いのが口悪く喋る。
『まぁまぁ、
白いのは
小型犬のような容姿をした二匹は妖の一種である。
『もふれば我等の話を訊いてもらえるのだろう? のぅ
嫌がる訶雪をもふり倒している恭仁京
『
『流石は恭仁京家の当主だの』
『それよりさ、倅って、お父さん知ってるの?』
『何を謂うか。我等の社はお主の家の管轄だぞ。まぁ、今は分家が管理しておるがな、お主の父親が当主をしていた時分は吾等の社に毎朝清掃をしに来ておったえ』
雪華は懐かしむように宙を見つめ、物思いに耽っている。
『じゃが、それも昔の話だ』
訶雪は短い足を雪華の頭に乗せて話を止めた。
『それよりも、吾等の願いを伝えても良いのか? 何やら学舎の勉強をしておったようだが』
上総は机に広げられた教科書とノートを手早くしまい、今度は雪華をもふりだした。
『訶雪、話って何さ?』
『お主、現実逃避しただろ? 良いのか? 足らぬ頭が余計に足りなくなるぞ』
『余計なお世話だよ。ちゃんと家業継いでるんだから問題ない』
『お主が良いなら構わぬが、陰陽師は頭も良くなくてはいけぬのではないのか? 漢字読めぬと困るであろう?』
少年はあからさまに口を膨らませ不機嫌になった。
言動が子供の恭仁京上総はまだ中学一年の十三歳で、平安時代より続く陰陽師一族の現在の当主。
妖怪と人間が共存している現代日本に於いて、古来より継がれる恭仁京家一族は国政府によって唯一認可されている陰陽師一族だ。
『大丈夫、全部フリガナふったから』
『――のう、雪華よ。ほんに恭仁京の者に頼んで良かったのか? 阿呆にしか見えんのだが』
『訊くな訶雪。吾は一応信じておる。一応』
『あのさ二人共、それが人にモノを頼む態度?』
大きな声で不満を口にする二匹に対してこめかみに青筋を立てた上総だが、こう見えて占術を得意としている。
国により認可を得ている恭仁京家は連日依頼人が途切れず、予約は数ヶ月ないし一年先迄埋まっていた。その多くが上総の占術目当てなのだが、依頼人の中には著名人やその手の名士も少なくない。
昔から、国政府の裏に恭仁京有り、と詠われ歴代の総理大臣も隠密裏に恭仁京家を訪れては国の行く末を占っていた。
『冗談よ。この程度の戯れも通じぬのでは、世を渡るのは困難であるぞ、恭仁京の』
『なんかムカつく』
『ホホウ、訶雪も冗談を云うのだな』
丸い目を驚かせ雪華は黒い鼻をヒクヒク動かした。
『そ、そんなことよりも、雪華早よう依頼内容を云うのだ!』
照れ隠しに語気を荒げた訶雪が可愛らしく、思わず上総は黒い毛玉を抱き締めた。
滑らかで肌触りが良い。
さらさらの毛の下は温かく、生きてる証拠をしっかり誇示していた。
『僕犬飼ったこと無いんだよね。飼ってみたいな』
『一言云っておくが、吾等はそこらの犬と違うからな?』
訶雪と雪華は恭仁京家の近くの神社の狛犬である。
その二匹は数百年動くことも会話をすることも出来なかったのだが、ひょんなことから石像から霊体を出すことが出来るようになった。その原因となった人間を捜して欲しい、というのが二匹の依頼。
『吾等に名を与え力を与えし人間だ。とても強力な霊力を所持しているのだろうが、それきりとんと姿を見せなんだ。今まで
話を聞いていた上総は、少々不機嫌そうな顔をつくっている。
『名前を付けるのは簡単だよ。霊力が無くても誰でも付けることが出来る。だけど、そこからが問題だよ。普通の人間に狛犬二匹同時に力を与えることなんて到底出来ない。それこそ陰陽師レベルでもなければ』
腕の中の訶雪は鼻をヒクヒクさせ、意地悪な顔をして見せた。
『なんだよ訶雪。何か云いたげじゃん』
『上総、お主は石像の吾等に命を吹き込むことは出来るのかえ?』
『デキマセンガナニカ?』
雪華は笑いを堪えている。
『陰陽師でも難しいようだの』
『悪うございましたね、無能で』
訶雪を下ろし、椅子に座って不貞腐れた。
『何もお主が無能とは云ってないではないか。寧ろ評判はよう耳に入っておって、吾も訶雪も鼻が高いくらいじゃ』
『はいはい、ありがとうございます。で? なんでその名付け親を探そうとするのさ?』
『胸騒ぎがする、と吾等が神が仰るのだ。良くないことが起こる、と』
『どういうこと?』
『そこまでは分からん。神も仔細は分からぬと仰っておった。その人間を見つけて良くないこととやらが収まるのであれば、それに越したことはないが、突如力の強い者が現れたようなものじゃ、もしかすると周辺にも影響が出ておるやもしれぬ』
『そうか、そうだよね』
人間と妖怪が日常的に混じり会う世にそれだけ力の強い人間がいるのであれば、人間もましてや妖怪が放っておく筈がない。
良い方に転がれば良いが、生憎上総は過去悪い方にしか覚えはなかった。
『若い男だ。髪の毛は短髪で明るい茶色、お主より年上でな、背も高い。今時の男衆は皆背が高いのだの』
『ん?』
『上総、何も無しに探そうとしておるのかえ?』
『いや、訶雪達のことだから、その強い霊力だけで探すのかと思ってた』
『阿呆が』
即座に阿呆発言をした訶雪をもふり始めた。
『見目麗しい容姿じゃったな。笑った顔も
『ねぇそれさ、こうだったらいいなぁ、なんてのは入ってないよね?』
『当たり前であろうが。雪華は嘘はつかん。純粋無垢だ』
足で上総の顔を押し退け脱出すると、雪華を庇うように威嚇した。
『だってさ、こんなド田舎にそんな人が歩いてたら目立つもん。背が高くて見目麗しい美男子でしょ? モデルとか芸能人じゃん』
滋賀県の琵琶湖に近い小さな街。
上総はド田舎と表現するが、人口密度も多くそこそこ栄えている街だ。
ただ、由緒正しき陰陽師一族が住んでいるからか、街並みはどことなく和風なのは否めない。そこを上総はド田舎と表現しているのだろうか。二匹は互いに顔を見合せ小首を傾げた。
『取り敢えず捜すことは捜すけど、期待しないでもらえるかな?』
『分かっておる。お主も勉学に家業に忙しい身だ、可能であるならば他の者にとも考えておったが、何せ吾等の姿は一介の陰陽師では見ることが出来ぬ』
『そうなの?』
上総の目には、もふり倒したばかりの二匹は普通に感触も温かみも犬や猫と変わらない存在。
『恭仁京とは奇異な存在よの。どこそこの平凡な陰陽師では太刀打ち出来ぬ妖者共とも、よう渡り歩いておるわ』
『――……』
特別な存在なのだと、誰もが口を揃えて云う。
日本の各地に陰陽師を生業にしている人間は数多いるが、国も政府も《恭仁京家》を特別視しているのは事実で、仕事が入ろうものなら学校に何日登校出来なかろうが、仕事優先と国から学校に指導が入る。おかげで久し振りに学校に行けば教師から生徒から奇異な目で見られるのだ。
平然と妖怪が人間と同じ暮らしをしている世の中だから仕方ないのだろう。妖怪絡みの事件や問題は全て陰陽師の管轄になる。
その為に陰陽師等は組織化し効率を良くするため仕事を分担制にしているのだが、その組織を束ねるのも何を云おう、恭仁京家なのだ。
本来、恭仁京家当主が全国の陰陽師達を束ねる役目を担うのだが、上総はまだ未成年。成人するまで親族の人間が代わりをしている。
組織の名は《
世界に散らばる陰陽師は全てこの《大老會》に登録をすることで、国や個人から依頼される仕事を割り振られる仕組みだ。
必ず登録をしなければならない。訳ではない。
しなくても良いが登録をしていなければ、単純に食いっぱぐれるだけ。妖怪絡みもしくは疑いのある案件は国から自治体から、或いは個人から連日多くの依頼が舞い込む為、登録さえしていれば無職になることはないのだが、陰陽師としての能力を常日頃磨いておかなければ命の保証は無い。
それだけ陰陽師の仕事は生死に関わることも多く、非常に危険な職業なのである。
『今度の日曜日、訶雪達の神社に行くよ。午前しか空いてないけど、取り敢えずその人の気配が残ってないか確認する』
『吾もしたのだが気配はもう無い。それさえ有れば吾等にも捜す事は容易かったが』
訶雪は残念そうに脱力している相方の顔を舐め慰めた。
どうにも雪華は名を与えた人間に対して変に肩入れしてしまっている節があるようだ。主でもない人間に、そこまで入れ込むのは非常に危険であろう、危惧する上総は雪華を抱き上げ頭を撫でた。
『雪華、本当は何か知ってるんじゃないの?』
『んんん……吾にも分からぬ。ただ、懐かしい気配じゃった。先にも云ったろう? 恭仁京の気と似ていると』
『ああ、云ってたね』
『昔全く同じ気配を感じた覚えがあってな。どんな人間であったか、どうにも思い出せなんだ。のう、訶雪、お主は覚えはないかえ?』
『無い』
『即答かよ!』
突っ込む上総を一瞥し、訶雪は人間と相方から顔を背けた。
『吾は雪華のように人間を好きにはなれぬ。一々勝手な人間共の顔や気配なんぞ覚えていられるか』
訶雪の反応こそが本来あるべき姿である。
『きっと何かあったから気になるんだろうね雪華。だけど、君達は君達のすべきことを忘れちゃいけないよ』
『若造、吾等に説教する気か? 云われんでも分こうておるわ』
『うん、訶雪がいるから心配してないよ。人間は勝手な生き物だから。雪華、それだけは忘れないで』
『お主は――上総は大丈夫なのかえ?』
『ん?』
『上総、お前は雪華と同じだな。人間のクセに此方に随分と肩入れしておる。周りから変人扱いされておろう?』
まだ中学生になったばかりの上総は、一瞬寂し気な表情を見せると訶雪と雪華を抱き締め顔を埋めた。
『うん、そうかもね』
季節はとうに春を過ぎ、直に子供にとって待ち望んだ長い休日に入る。
そんな暑い日の夜。
じわりと汗ばむ首筋。
何処ぞで鳴き続ける命の叫びは、人間の耳には五月蝿いだけ。それでも夏の風物だと、大昔から口々に云う。
『上総?』
暑くないのか、と己の毛玉に顔を埋める人間の子供を心配するも肩が細かく震えているのに気付き、雪華と訶雪は声を掛けるのを止め、暫くされるがままになった。
上総の夏休みの日程表には、友人との約束は一つも書かれていない。