第21話 帰結

文字数 2,897文字

 観月の誕生日の前日、事務所の二人は加我に連れられノルウェーへ発った。オフィスに主任がいなくてせいせいする反面、その穴を埋めるべく雑務が増える。
 とりわけ秘密を共有した俺に言い渡された仕事は、キナ臭い類のものばかりだった。

 小雨がぱらつく金曜日、俺はどうにか時間を作って観月の様子を窺いに事務所を訪問した。
 ノックをしなかっただけで、別に気配を殺していたわけじゃない。なのに観月は室内に入ってきた俺に気付かず、デスクで溜息ばかり吐いている。
 不意打ちで声を掛けても、大して驚かなかった。俺が突然現れることに免疫が付いたようだ。

「今週は、来さんたちいないよ」
「知ってる。だから、来たんだ」

 客用のソファに腰を下ろすと、観月は茶を出してくれて向かい側に座った。物問いたげに見つめられ、俺はくすりと笑みを漏らしてしまう。出張の件を尋ねたがっているのが手に取るように分かった。

 司門と高神は何のために北欧まで行ったのか。
 当人たちもろくに事前の説明がないままノルウェー行きを命じられたので、観月に話しようがなかったろう。と言って、こちらもすべてを打ち明けることはできなかった。

「出張は、お偉方の身勝手な都合。俺も後で知らされた」

 最初に加我が使った言い回しを拝借し、司門たちはノルウェー本部の視察に行ったのだと告げる。

「本部で何かあるの? 急に北欧まで呼び出されるなんて」
「ああ。神が降臨した」

 肝心な内容はぼかしたが、TECは決して正義でないと、観月に知っておいてもらわねばならない。
 神と聞いて、どう捉えるのか。邪神についてはもちろん、セレナの神力の源である地球本来の神々、『旧神』についてある程度の知識は頭に入っているはず。
 彼女は意味を測りかねていたけれど、尋ねてよいか躊躇していた。俺も説明を足さず話を流す。

「まあ、シャドウの件もあってTFCもゴタついてる」

 一番の気掛かりはそこだった。高神を襲ったのはまだしも、神社を損壊させたせいで一気にクトゥルフの従者が脅威となった。シャドウは目立つ動きをしすぎている。
 ノルウェー本部から俺以外のハンターが派遣される可能性もあるわけで、そうなった場合TFCに隠しているあれこれがバレる。

「その顔は、高神の体質の件を知ったのか」

 シャドウの話を出した時、観月はきゅっと唇を引き結んだ。
 高神がシャドウ同様、邪神との契約で生かされていると、同じ職場にいれば、いつかは気付くことになる。
 シャドウが水の従者なら、高神は風の従者。人の姿を保っていても、重傷を負った翌日に海外出張へ行ける程には人並みでない。

「……ソウさんも、心を読めるの?」
「俺にその能力はないな」

 訝しむ観月に、俺はまさか、と笑った。あながち間違いではないものの、精神感応とは違う。
 蒼の湖で一時的に精神を同調させたおかげで、元々分かりやすい彼女の表情がよりはっきり分かるだけのこと。

「それで、どうするんだ。事務所を辞めるのか」

 ナイに記憶を消してもらい、邪神と関わらない普通の生活に戻るという選択肢もある。本来ならここで高神のことを忘れ、手を引くのが正解だろう。
 しかし観月は首を横に振った。俺としては高神を思い続けてくれた方が都合がいいのに、手放しで喜べない感情も心の片隅で疼く。

「来週から、破魔の力のトレーニングを再開する。しごくから、覚悟して」

 鬼門の件が片付いて終わりではなく、むしろここからが本番。小夜がいない今、観月にはこれまで以上に鍛錬に励んでもらわねばならない。
 そろそろ行かないと、と立ち上がった俺は戸惑う彼女に決定打を放った。

「破魔の力を伸ばせば、高神を元の人間に戻せるんじゃないか」

 強い破魔の力なら、邪神との契約を解き従者の魔を祓える。児童公園にいた炎の従者は、観月によって一時的に心を取り戻した。おそらくエイや高神も同じだ。

「ハッピーバースデー、観月」

 玄関先で振り返り、最初に言うつもりだった言葉をようやく口にした。先程の情報は、誕生日に一人で過ごす彼女への贈り物になったに違いない。
 純粋な思いさえ利用する己は自分勝手で浅ましい。希望に瞳を輝かせる観月から目を逸らし、俺は逃げるように事務所を後にした。

 外へ出ると、針にも似た細い雨が頬を打つ。
 服を湿らせるだけの雨よりいっそ土砂降りの方がまだましで、泣けない身を投影したかのごとき天候が余計気分を滅入らせた。
 濡れるのは構わないので、雨の日も傘を持たない。何食わぬ顔で駐車場まで歩いて行った俺は、車の傍で立ち止まった。

「俺に用か、それとも観月?」

 振り返らず、背後の存在に話し掛ける。TFCを出てからずっと水の従者の気配が纏わりついていた。
 小夜の件があって以来、恐れをなしてもう現れないかと思っていたのだが。

「分かってて聞くの、ほんと性格悪いよね」

 馴染みのある気配が声を発し、人の形を取った。傘を差していなくても、降り注ぐ雨粒はあいつの体を濡らすことなく落ちていく。雨の日は水の従者の天下だ。

「観月の分身、消滅したんだろ。あんたがどうしてるか、見に来た」

 こちらへ近づき、シャドウは鼻先で笑った。

「ご覧の通り。ご期待に沿えなかったか」
「冷血漢」
「なんとでも」

 小夜を失った俺が悲嘆に暮れる有様を嘲笑うつもりが、当てが外れ、しびれを切らして出て来たらしい。
 俺を憎むのはともかく、TFCそのものを敵に回すのは利口ではない。クトゥルフが復活すればハスターとの対立が激化し、邪神抗争の惨禍に飲まれてしまう。

「もっと手段を選べ。無駄死にするぞ」
「別にいいよ。あんたの幸せを壊せたら」

 何度も聞いた台詞をシャドウは暗い瞳で呟いた。忠告を素直に聞き入れるくらいなら、そもそもリスクを冒してクトゥルフに付いたりしまい。
 俺ほど計算高くないだけで、目的のために命を削るのはあちらも一緒。

「お前の望みは叶えさせない。俺にもやるべき事があるからな」

 わざと冷たく言い放つと、シャドウはふんと鼻を鳴らして姿を消した。加我主任と違って、単純なあいつは御しやすい。

 本降りになった雨の中で立ち話をしていたせいで、体はすっかり濡れねずみだった。水滴が落ちる前髪を掻き上げ、俺は止めていた車に乗り込んだ。
 目元を手で覆い、運転席の背もたれを後ろへ倒して息を吐く。小夜が初めて現れた日も雪混じりの雨が降っていた。こうしてシートにもたれている時に声を掛けられた記憶が懐かしく呼び起こされる。

『ソウさん、素直じゃない』
『無理ばかりしてると、壊れちゃうよ』

 小夜が近くにいる気がして目を開けてみるも、当然誰もいない。

(幻聴が聞こえるなんて、末期だ)

 自嘲しつながら背もたれを戻し、シートベルトを締めた。
 たとえあいつ自身の思惑に反するとしても、観月の力を借りて必ず弟を人に戻す。俺は、あいつの望みより自分の望みを優先させる。

(平気だ。壊れたりしない)

 思い出の中の心配げな顔に、そう答えた。感情を抑えるのは慣れている。
 軽く瞑想して心を落ち着けた後、俺はTFCへ戻るべく車を走らせた。灰色の雲に覆われた空は一向に晴れる様子がなかった。


-完-
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