第20話 陰謀
文字数 2,200文字
漆戸良公園の事後処理を終わらせ、観月が待っているので早く事務所へ帰ってやれと司門たちを追い払う。俺は平和な緑地公園の体裁を整えて、最後に結界を解いた。
一段落して散策がてら見回っていると、夕刻の公園にぽつぽつと人が訪れ始めた。
瘴気が晴れた成果はてきめんに表れる。蒼の湖はロマンチックなデートスポットとして知られ、早速湖の方へ向かう若い男女とすれ違った。
楽し気な恋人たちの後姿を目で追っている自分に気付き、何を考えてるんだ、と自嘲してしまう。
ちょうど公園を出たところで、シンのオートバイが道路脇に止まるのが見えた。戦線を離脱していたシンが戻って来たらしい。
「シン、TFCへ乗せて帰ってくれないか」
こちらから声を掛ければ、シンは慌ててヘルメットを脱ぎ、首が落ちるのではないかという勢いで頭を下げた。
「すみませんでした! こんな大事な時に……!」
真面目の塊のような後輩は、持ち場を離れた後に鬼門が開いたことを知り、自責の念に駆られている。
「お前が謝ることない。主任の指示だったんだろ」
俺はバイクの後ろに乗り、軽く返してヘルメットをかぶった。
シンの行動は独断ではなく、現場を離れる指示を出したのは加我主任だ。加我はエイが水の従者だと知りながら、シンをエイの元へ向かわせた。上司の命令に従っただけの部下に非はない。
「そっちはどうだった? エイには会えたのか」
「いえ、俺が行った時にはもう……。無事なのかすら、分かりません」
「あいつは無事さ」
項垂れる後輩の背を、気にするな、と叩いてバイクを出させる。
エイは初めから姿を見せる気などなかった。従者に成り下がった身で、親友の前に出て行く度胸はあいつにはあるまい。
振り回されただけだと、シンに教えてやれない俺も、結局は主任と同罪だろう。
無断でTFCのオフィスを抜け出したため、俺のスマホには主任からの着信履歴が何件も表示されていた。
力を使って疲れてはいたが、休むより先に済ませねばならない用事がある。
十七時過ぎ、シンと共にTFCへ戻った俺はオフィスビルから出て行く従業員の流れに逆らい、主任の執務室のドアをノックした。
「おかえり。ご苦労さまだったね」
加我は肘掛け椅子に座り、何食わぬ顔で茶を啜っていた。叱責が飛んでくるのを覚悟していたのに、思いがけない労いに面食らう。
「意外と元気そうじゃないか。破魔の力の恩恵かな」
「……一体、どういうつもりですか」
怒りを抑え、俺は低い声で尋ねた。
俺の身体の疲労やダメージがさほど酷くないのは、破魔の力の余波をもらったおかげだ。すべて見抜いているこの男に、心臓を掴まれているようで空恐ろしくなるものの、今問いたいのはそこではない。
「シンを漆戸良公園から撤退させたのは、なぜです」
つかつかと近づいて、机越しに詰め寄る。真正面から睨もうとも、加我はのほほんとした態度を崩さなかった。
「エイに同情したんだよ。シンを死なせたくなかったんだろうね」
「TFCとして、あるまじき発言かと思いますが」
「これは手厳しい」
上司は諫言を笑って受け流す。
鬼門が臨界を迎えた時、シンがいればもっと犠牲を抑えられた。利用価値の高いシンを万が一にも失いたくない思惑からエイの嘘に乗ったのだとしたら、他の部下に対する裏切りになる。
「無論、今回の件に関して相応の補償はする」
加我は背を向け、ブラインドの隙間から窓の外を眺めた。その表情は俺からは見えない。
「そうそう。事務所の二人とノルウェーへ行くことになってね」
くるりとこちらを向いた時には、人の好さそうな仮面をかぶっていた。訳が分からず俺は眉を寄せる。
「出張だよ。観月さんには留守番を頼まないと」
明日から数日間の出張で、ノルウェー本部へ視察に行くという。ただの視察にしては、鬼門が閉じたばかりの時期であまりにも急すぎる気がした。
(派閥争いに巻き込む腹か)
大方の事情に見当を付け、苦々しい気持ちで主任のポーカーフェイスを探る。
現在、ノルウェー本部は内部分裂の真っ只中。原因は北欧の地に現れた二柱の神で、従来通りナイアーラトテップに付く側と新参の神を支持する側に分かれ、意見が対立している。
もちろんTFCに従事する者の大半は、上層部のろくでもない争いなど知る由もない。
司門と高神を引っ張り出して、ナイアーラトテップ支持を固めようという目論見なら、観月を日本に残す理由も頷ける。
「観月を連れて行かないんですか? 破魔の力を示すいい機会でしょう」
「さすがに、民間人を巻き込むのは忍びないよ」
俺の挑発を、加我はもっともらしい言い分で跳ねのけた。これまで民間人であれ、お構いなしに使い捨ててきた事実は棚上げだ。
破魔の力の存在はTFC本部に知らしめず、日本支部の奥の手として取っておくつもりだろう。
「言質を取りました。TFCは、観月に手を出さないでいてくれますね」
「一本取られたな」
上司は愉快そうに笑い、応じるとも否とも答えなかった。たとえ口約束を取り付けたところで、どうせ当てにはならないが。
「主任は、どちらの神を信じるんですか」
「見えない神より、見える邪神だよ」
加我は本部のお偉方ほど楽観的ではなく、ノルウェーのナイアーラトテップが忌むべき神だと知っている。なのに本部の過ちを正そうとしない。
もはやTFCという組織そのものが、アザトースの狂気に取り憑かれている。
一段落して散策がてら見回っていると、夕刻の公園にぽつぽつと人が訪れ始めた。
瘴気が晴れた成果はてきめんに表れる。蒼の湖はロマンチックなデートスポットとして知られ、早速湖の方へ向かう若い男女とすれ違った。
楽し気な恋人たちの後姿を目で追っている自分に気付き、何を考えてるんだ、と自嘲してしまう。
ちょうど公園を出たところで、シンのオートバイが道路脇に止まるのが見えた。戦線を離脱していたシンが戻って来たらしい。
「シン、TFCへ乗せて帰ってくれないか」
こちらから声を掛ければ、シンは慌ててヘルメットを脱ぎ、首が落ちるのではないかという勢いで頭を下げた。
「すみませんでした! こんな大事な時に……!」
真面目の塊のような後輩は、持ち場を離れた後に鬼門が開いたことを知り、自責の念に駆られている。
「お前が謝ることない。主任の指示だったんだろ」
俺はバイクの後ろに乗り、軽く返してヘルメットをかぶった。
シンの行動は独断ではなく、現場を離れる指示を出したのは加我主任だ。加我はエイが水の従者だと知りながら、シンをエイの元へ向かわせた。上司の命令に従っただけの部下に非はない。
「そっちはどうだった? エイには会えたのか」
「いえ、俺が行った時にはもう……。無事なのかすら、分かりません」
「あいつは無事さ」
項垂れる後輩の背を、気にするな、と叩いてバイクを出させる。
エイは初めから姿を見せる気などなかった。従者に成り下がった身で、親友の前に出て行く度胸はあいつにはあるまい。
振り回されただけだと、シンに教えてやれない俺も、結局は主任と同罪だろう。
無断でTFCのオフィスを抜け出したため、俺のスマホには主任からの着信履歴が何件も表示されていた。
力を使って疲れてはいたが、休むより先に済ませねばならない用事がある。
十七時過ぎ、シンと共にTFCへ戻った俺はオフィスビルから出て行く従業員の流れに逆らい、主任の執務室のドアをノックした。
「おかえり。ご苦労さまだったね」
加我は肘掛け椅子に座り、何食わぬ顔で茶を啜っていた。叱責が飛んでくるのを覚悟していたのに、思いがけない労いに面食らう。
「意外と元気そうじゃないか。破魔の力の恩恵かな」
「……一体、どういうつもりですか」
怒りを抑え、俺は低い声で尋ねた。
俺の身体の疲労やダメージがさほど酷くないのは、破魔の力の余波をもらったおかげだ。すべて見抜いているこの男に、心臓を掴まれているようで空恐ろしくなるものの、今問いたいのはそこではない。
「シンを漆戸良公園から撤退させたのは、なぜです」
つかつかと近づいて、机越しに詰め寄る。真正面から睨もうとも、加我はのほほんとした態度を崩さなかった。
「エイに同情したんだよ。シンを死なせたくなかったんだろうね」
「TFCとして、あるまじき発言かと思いますが」
「これは手厳しい」
上司は諫言を笑って受け流す。
鬼門が臨界を迎えた時、シンがいればもっと犠牲を抑えられた。利用価値の高いシンを万が一にも失いたくない思惑からエイの嘘に乗ったのだとしたら、他の部下に対する裏切りになる。
「無論、今回の件に関して相応の補償はする」
加我は背を向け、ブラインドの隙間から窓の外を眺めた。その表情は俺からは見えない。
「そうそう。事務所の二人とノルウェーへ行くことになってね」
くるりとこちらを向いた時には、人の好さそうな仮面をかぶっていた。訳が分からず俺は眉を寄せる。
「出張だよ。観月さんには留守番を頼まないと」
明日から数日間の出張で、ノルウェー本部へ視察に行くという。ただの視察にしては、鬼門が閉じたばかりの時期であまりにも急すぎる気がした。
(派閥争いに巻き込む腹か)
大方の事情に見当を付け、苦々しい気持ちで主任のポーカーフェイスを探る。
現在、ノルウェー本部は内部分裂の真っ只中。原因は北欧の地に現れた二柱の神で、従来通りナイアーラトテップに付く側と新参の神を支持する側に分かれ、意見が対立している。
もちろんTFCに従事する者の大半は、上層部のろくでもない争いなど知る由もない。
司門と高神を引っ張り出して、ナイアーラトテップ支持を固めようという目論見なら、観月を日本に残す理由も頷ける。
「観月を連れて行かないんですか? 破魔の力を示すいい機会でしょう」
「さすがに、民間人を巻き込むのは忍びないよ」
俺の挑発を、加我はもっともらしい言い分で跳ねのけた。これまで民間人であれ、お構いなしに使い捨ててきた事実は棚上げだ。
破魔の力の存在はTFC本部に知らしめず、日本支部の奥の手として取っておくつもりだろう。
「言質を取りました。TFCは、観月に手を出さないでいてくれますね」
「一本取られたな」
上司は愉快そうに笑い、応じるとも否とも答えなかった。たとえ口約束を取り付けたところで、どうせ当てにはならないが。
「主任は、どちらの神を信じるんですか」
「見えない神より、見える邪神だよ」
加我は本部のお偉方ほど楽観的ではなく、ノルウェーのナイアーラトテップが忌むべき神だと知っている。なのに本部の過ちを正そうとしない。
もはやTFCという組織そのものが、アザトースの狂気に取り憑かれている。