第16話 招待

文字数 2,801文字

 スーパーはまだ開店前のため、コンビニで材料を調達し、手早くケーキの生地を準備した。
 作るのはノルウェーの焼き菓子クランセカーケ。アーモンドの粉に粉砂糖と卵白と入れ、それをリング状の型に入れて焼き上げる。

「どうせ午後に会うことになる。本体の中で待ってろ」
「戻らなきゃ駄目?」
「駄目」

 ここにいたいと言う小夜に、観月の元へ戻るよう俺は強く促した。

「しばらくトレーニングは休みにする。忙しくなるからな」
「……分かった」

 寂し気に頷く小夜に胸が痛まなくもないが、ともあれ時間が惜しい。小夜がいなくなったことを確認してから、俺は生地をオーブンに入れた。

 観月との待ち合わせには、『おばけ公園』と呼ばれる児童公園を指定した。彼女が炎の従者を目撃し、事務所の連中と関わる原因を作った因縁の場所だ。

 どうにかケーキが焼き上がったので、仕上げは後ですることにして、車のキーを引っ掴む。遠隔移動なら所要時間ゼロで済むものの、観月を連れて来るため、車を出さねばならない。
 作業の残りはデコレーションだけなので、なんとかなる。

 急いだ甲斐あって、十四時前に待ち合わせ場所に到着。寒々とした児童公園へ足を踏み入れた俺は、周囲を見回して気を探った。

 公園に人はいない。行方不明事件が相次いだ児童公園で子供を遊ばせる親がいるはずもなく、ペンキの禿げた遊具が整備されず捨て置かれている。
 そこには、炎の従者の浄化されない残留思念があった。おばけ公園とはよく言ったもので、ここは様々な想念が渦巻いている。立地的にエネルギーが溜まりやすいのだろう。

 やがて公園沿いの歩道を観月が歩いて来るのが見え、俺は気配を消して建物の陰に身を隠した。近くにもう一人、別の気を感じる。様子を窺っていると、またも観月の前に水の従者が姿を現した。

「ソウと待ち合わせ?」
「……シャドウ!?

 傘型の大屋根の下、あいつは本人が傍にいるとは露知らず、観月を挑発する。
 淀んだ残留思念が隠れ蓑になり、都合よくこちらの気配を覆ってくれた。向こうからは見えない位置で、そのまま二人のやり取りに聞き耳を立てる。

「ソウは策士だよ。あいつの優しさは計算ずくだから」

(何を言うかと思ったら)

 相も変わらない思慮の浅さに思わず溜息が漏れた。観月を俺から遠ざけたいなら、もっと別のやりようがあるだろうに。高神を襲った直後にそんな忠告をするのは、むしろ悪手だ。
 案の定観月に怒りの眼差しで睨み付けられ、あいつは肩を竦めた。不貞腐れて退散するシャドウを俺はただ呆れて見送る。

 観月はといえば、なぜか自分の頭を拳で叩いていた。ごつんという音が耳に届いた程なので、結構な威力だったはず。

「……った」
「力一杯叩くか、普通」

 痛そうに頭を抱える様子に、笑いが堪え切れない。俺は十四時を示す腕時計に目を落とし、観月の方へ歩いて行った。

「ソ、ソウさん、どこからいたの?」
「どこからと言われても」

 焦ったような困ったような顔で問われ、とても初めから聞いていたとは答えられなかった。

「今来たばかりだが。気配が残ってる。シャドウがいたのか」
「うん……。ごめん、逃げられちゃって」

 そこでやっと彼女が自ら頭を叩いていた理由が飲み込める。シャドウを引き留められなかったことに責任を感じているらしい。
 あいつを見逃したのは俺の方であり、彼女の落ち度でも何でもないが、謝罪の気持ちがあるなら利用させてもらうまで。

「やっぱり、きみに失態を償ってもらおうかな」
「え?」

 当然ながら、観月は意地の悪い俺の言葉に狼狽している。

「これから、うちに来てスイーツを試食してくれる? 詫びは、それでチャラ」

 元々マンションへ招く算段だったため、いい口実になった。何度も来ている小夜はともかく、一人暮らしの男の家へ誘われたら普通は躊躇する。
 詫びという体裁なら観月も断れないわけで、後々司門たちに伝える際にも言い訳が立つ。

「きみに不埒な真似はしない。俺も職を失いたくないからな」

 保険の意味を込め、そう補足した。実際こんな寒い中で込み入った話をするわけにいくまい。
 悩んだ末に同行を承諾した観月を、道路脇に停めた車へ案内する。どうぞ、と助手席のドアを開ければ、彼女は戸惑った表情を浮かべた。

(やりすぎたか)

 安心させるつもりが、かえって逆効果だったかもしれない。無垢な女性相手ではやはり勝手が違うと、俺は心の中で苦笑した。
 マンションへは、車で十分程。ずっと緊張した面持ちの観月に、こちらもあえて無駄話は振らない。

「眺め、良さそうだね」

 マンションのエレベータの中で、彼女は落ち着かなげに視線を彷徨わせた。行先は九階。確かに眺めは良いものの、エントランスから部屋まで若干時間が掛かるのが難点と言える。

 カードキーでドアを開け、観月を部屋へ通した後、リビングで待っていてもらい、俺は午前中に焼いておいたキツネ色のケーキ生地にデコレーションを施した。何層にも積み重なったリング型のケーキに粉砂糖とチョコレートでトッピングし、最後の飾りにリボンを巻く。

 ノルウェーでは祝いの日にクランセカーケを焼く。スイーツは甘党の弟にせがまれて作っていただけで、俺自身はあまり好きじゃない。

「もうじき誕生日だって聞いた。少し早いけど、バースデープレゼントの代わり」

 クランセカーケの塔の形状をなるべく壊さないようナイフを入れ、取り分けた小皿を観月の前に置いた。

「お味は?」
「美味しい!」

 ケーキを口に運ぶ観月を見て、気持ちが和む。小夜も観月の中で感覚を共有できただろう。俺がしてやれるのはこの程度。
 来週には鬼門が山場を迎える。忙しくなるから、というのはもちろんあるけれど、小夜という存在がある今のうちに祝ってやりたかった。

「ところで、司門のことだが」

 本題に入るべく、こちらから水を向ける。観月が俺に連絡してきたのはその件だ。

「心配しなくても、星辰の影響で力が不安定になってるだけだ。そのうち元に戻る」
「……星辰て」

 観月はフォークを持つ手を止め、俺の説明に耳を傾けた。
 司門が弱っているのは星回りの影響であり、時が来れば自然に回復する。星辰の位置関係と邪神の状況を理解するには、邪神が幽閉された経緯から話す必要があるので、その辺は割愛した。

 司門と逆に、高神の力が増している事実も伏せておく。ヒアデス星団食が近付く頃、嫌でも知ることになるだろうが。

 冷えてきたなとベランダの外に目をやれば、白い雪が舞っていた。九階の窓からは、灰色の空と白い雪だけが見える。
 暖房が効いた室内は温かくとも、外の気温はかなり低い。

「ソウさんの予報だと、これからどうなるの」
「多分、嵐が来るんじゃないか」

 不安を宿した眼差しで問い掛ける観月に、嘘偽りなく返した。
 天候ばかりか、先行きは暗雲が垂れ込めている。楽観的な予測を提示したところで、白々しい気休めでしかない。
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