手品の種
文字数 2,378文字
聞き慣れた声。ここで聞けるはずがない声。
待ち望んでいた声。
なぜ今ここにという疑問を押しのけて、心の中に広がるのは……安堵と、勇気。
「誠治!」
自分の隣に立つ少年。同じ敵に立ち向かってくれる仲間。
「そのデカブツには気をつけて! そいつの正面には絶対立っちゃ駄目!」
アスモデルの真ん前に立ってしまった誠治に叫ぶと、誠治は瞬時に身をよける。炸裂音とともに袖口から突き出た杭に目を丸くしながらも、誠治は傷一つ負っていない。
「あんたはあの鞭を抑えて! 刀を折られないよう気をつけて!」
「うん!」
誠治にしてみればあれこれ疑問を抱いてもおかしくない状況のはずなのだが、ここへ来るまでに心の準備ができていたのか、飛雪の指示に素直に従う。
「また命知らずの異教徒でーすか、物好きな!」
バキエルが鋼の鞭を振るう。しかし鞘から抜き放った刀を操り、誠治は二本の鞭を巧みにいなしてみせた。
「何よそ見してんのよ!」
「くっ!」
誠治たちの攻防を見ていたアスモデルの不意を突く。前よりは深く入ったが、まだ決定打には遠く、顔をしかめる金髪の動きはさほど鈍りもしていない。
それでも、さっきまで攻め一辺倒だった相手を身構えさせる形には持ち込めた。剣と鞭の攻防も一段落して睨み合い。均衡状態と呼べそうなものがようやく成立する。
「ところでこの人たちは、飛雪が前に言っていた……」
「正解。そして香蘭の仇でもあるわ」
気息を整え、消耗した内功を回復させながら飛雪が答える。
「啓教のお坊さんみたいなもの、だよね。でもお坊さんなら人殺しなんかするはず……ないのが普通だと僕は思うけど……」
語尾が鈍るのはそうでもないと思い直したからか。華や陽ノ本の坊主も色々あるし。
「そうね。啓教も少し変わった宗教だけど、人殺しは禁じてるはず。でもまあ、啓教が華に伝わってきたのは七百年以上前だって言うしね。今の羅馬じゃ人を殺すのが当たり前になってるのかもしれないわ」
「野蛮人が、無礼なことを言うものでーす」
「我々は人を殺したりしてませーん」
「はあ? あんたらの目は節穴なの? ここにだってあんたらがついさっき殺したばかりの人間が転がってるじゃない!」
「デウス教を信じない者は、人間ではありませーん」
飛雪は言葉を失った。
誠治も、香蘭も、譚の姉弟たちも、息を呑んでいる。
「偉大なるデウス教を知らない、信じない、あるいは誤って信仰している蛮族など、猿みたいなものでーす。無駄な罪を重ねないうちに死ねたのを感謝して欲しいくらいでーす」
「猿に感謝など求める必要もないよ、アスモデル。我々はすでに神から素晴らしい贈り物を授かったじゃないか」
「そうだねバキエル。聖遺物の探索にとうとう成功したのだから」
「これを持ち帰ればハシュマル様がどれほど喜ぶか」
「そしてロムルスの教皇庁は威信を回復し、神の威光があまねくエウロパを照らす!」
「……けんな」
目を伏せて死体を見つめていた飛雪は、押し殺した声を発した。
「ん? 何か言いましーたか?」
「ざけんなっつったのよ、この腐れ外道ども!」
飛雪の心を、体内を、激しい怒りの炎が燃え狂う。香蘭の生い立ちを聞いた時にも勝るとも劣らない、猛り盛る瞋恚 の感情が、飛雪を突き動かした。
「身勝手で思い上がったくだらない欺瞞で自分をごまかして、さんざん人殺しを楽しんでおいて、挙げ句感謝しろ? 寝言は寝てから言いな、この人でなし! さっさとてめえの田舎に帰ってそこから二度と出て来んじゃねえや! 殺し合いならお脳のいかれた連中同士でしてろってんだ!」
息も継がずに罵倒を並べ立てた後、握りしめた拳を力強くかざす。
「貴様らが殺した連中に義理も恩義もありはしない。けれどあたしは、そいつらの尊厳のために、貴様たちを必ず倒してみせる!」
アスモデルとバキエルは、嘲笑で応じる。
「べらべらしゃべる猿でーすね」
「我々は神のしもべ。我々の振るう力は神の力、神の意志」
「この【金牛の角】で今度こそうるさい猿を黙らせてあげましょう」
アスモデルが、体力を回復したか前に進み出る。気合を込めて宣言はしたものの、飛雪もあの技に関しては依然として正体が掴めない。
不安を抱えながらも受けて立とうとした時。声がした。
「嘘吐き!」
上ずった、しかし、真剣な、香蘭の叫び声。
「あ、あな、あなたたちは、ただの人殺し! 信仰が違っていようと殺していい理由になんて、ならない!」
香蘭がこんな大声を出すのを初めて聞いた。
その声はずっと上ずっていて、時々裏返りもして、どもりもして。
けれど、デウス教徒二人の愚弄する視線に負けず、啓教徒は彼らの罪を告発した。
「そ、その武器だって、神の名を騙ってるだけの、偽物! 火薬仕掛けの細工物!」
その瞬間、アスモデルたちは露骨に狼狽の表情を見せた。
「火薬?」
飛雪が知る火薬の用途とは、花火だけだ。
「あの、あの臭いは、火薬の臭い! 私、知ってる! 軍で研究していた、筒に火薬を込めて鉛の弾を撃ち出す、銃っていう武器と同じ臭い!」
鉛の弾と鉄の杭とではずいぶん違うのでは、と飛雪は思ったが。
当のアスモデルの顔が劇的に険しくなっていき、正誤を示してくれる。
「さっきからずっと、あの杭を撃ち出す時に、左手を肘に添えている! きっとそこに仕掛けを作動させる引き金が――」
「ぺらぺらとうるさ――ぐうっ!?」
香蘭へ詰め寄ろうとするアスモデルを見逃す飛雪ではない。一気に近づき蹴り飛ばす。
「香蘭、助かったわ! そして誠治!」
まず功労者に、次いで相方に、声をかける。
「二呼吸だけ、その鞭に邪魔をさせないで! それだけあれば一人片づけられるから!」
「うん!」
待ち望んでいた声。
なぜ今ここにという疑問を押しのけて、心の中に広がるのは……安堵と、勇気。
「誠治!」
自分の隣に立つ少年。同じ敵に立ち向かってくれる仲間。
「そのデカブツには気をつけて! そいつの正面には絶対立っちゃ駄目!」
アスモデルの真ん前に立ってしまった誠治に叫ぶと、誠治は瞬時に身をよける。炸裂音とともに袖口から突き出た杭に目を丸くしながらも、誠治は傷一つ負っていない。
「あんたはあの鞭を抑えて! 刀を折られないよう気をつけて!」
「うん!」
誠治にしてみればあれこれ疑問を抱いてもおかしくない状況のはずなのだが、ここへ来るまでに心の準備ができていたのか、飛雪の指示に素直に従う。
「また命知らずの異教徒でーすか、物好きな!」
バキエルが鋼の鞭を振るう。しかし鞘から抜き放った刀を操り、誠治は二本の鞭を巧みにいなしてみせた。
「何よそ見してんのよ!」
「くっ!」
誠治たちの攻防を見ていたアスモデルの不意を突く。前よりは深く入ったが、まだ決定打には遠く、顔をしかめる金髪の動きはさほど鈍りもしていない。
それでも、さっきまで攻め一辺倒だった相手を身構えさせる形には持ち込めた。剣と鞭の攻防も一段落して睨み合い。均衡状態と呼べそうなものがようやく成立する。
「ところでこの人たちは、飛雪が前に言っていた……」
「正解。そして香蘭の仇でもあるわ」
気息を整え、消耗した内功を回復させながら飛雪が答える。
「啓教のお坊さんみたいなもの、だよね。でもお坊さんなら人殺しなんかするはず……ないのが普通だと僕は思うけど……」
語尾が鈍るのはそうでもないと思い直したからか。華や陽ノ本の坊主も色々あるし。
「そうね。啓教も少し変わった宗教だけど、人殺しは禁じてるはず。でもまあ、啓教が華に伝わってきたのは七百年以上前だって言うしね。今の羅馬じゃ人を殺すのが当たり前になってるのかもしれないわ」
「野蛮人が、無礼なことを言うものでーす」
「我々は人を殺したりしてませーん」
「はあ? あんたらの目は節穴なの? ここにだってあんたらがついさっき殺したばかりの人間が転がってるじゃない!」
「デウス教を信じない者は、人間ではありませーん」
飛雪は言葉を失った。
誠治も、香蘭も、譚の姉弟たちも、息を呑んでいる。
「偉大なるデウス教を知らない、信じない、あるいは誤って信仰している蛮族など、猿みたいなものでーす。無駄な罪を重ねないうちに死ねたのを感謝して欲しいくらいでーす」
「猿に感謝など求める必要もないよ、アスモデル。我々はすでに神から素晴らしい贈り物を授かったじゃないか」
「そうだねバキエル。聖遺物の探索にとうとう成功したのだから」
「これを持ち帰ればハシュマル様がどれほど喜ぶか」
「そしてロムルスの教皇庁は威信を回復し、神の威光があまねくエウロパを照らす!」
「……けんな」
目を伏せて死体を見つめていた飛雪は、押し殺した声を発した。
「ん? 何か言いましーたか?」
「ざけんなっつったのよ、この腐れ外道ども!」
飛雪の心を、体内を、激しい怒りの炎が燃え狂う。香蘭の生い立ちを聞いた時にも勝るとも劣らない、猛り盛る
「身勝手で思い上がったくだらない欺瞞で自分をごまかして、さんざん人殺しを楽しんでおいて、挙げ句感謝しろ? 寝言は寝てから言いな、この人でなし! さっさとてめえの田舎に帰ってそこから二度と出て来んじゃねえや! 殺し合いならお脳のいかれた連中同士でしてろってんだ!」
息も継がずに罵倒を並べ立てた後、握りしめた拳を力強くかざす。
「貴様らが殺した連中に義理も恩義もありはしない。けれどあたしは、そいつらの尊厳のために、貴様たちを必ず倒してみせる!」
アスモデルとバキエルは、嘲笑で応じる。
「べらべらしゃべる猿でーすね」
「我々は神のしもべ。我々の振るう力は神の力、神の意志」
「この【金牛の角】で今度こそうるさい猿を黙らせてあげましょう」
アスモデルが、体力を回復したか前に進み出る。気合を込めて宣言はしたものの、飛雪もあの技に関しては依然として正体が掴めない。
不安を抱えながらも受けて立とうとした時。声がした。
「嘘吐き!」
上ずった、しかし、真剣な、香蘭の叫び声。
「あ、あな、あなたたちは、ただの人殺し! 信仰が違っていようと殺していい理由になんて、ならない!」
香蘭がこんな大声を出すのを初めて聞いた。
その声はずっと上ずっていて、時々裏返りもして、どもりもして。
けれど、デウス教徒二人の愚弄する視線に負けず、啓教徒は彼らの罪を告発した。
「そ、その武器だって、神の名を騙ってるだけの、偽物! 火薬仕掛けの細工物!」
その瞬間、アスモデルたちは露骨に狼狽の表情を見せた。
「火薬?」
飛雪が知る火薬の用途とは、花火だけだ。
「あの、あの臭いは、火薬の臭い! 私、知ってる! 軍で研究していた、筒に火薬を込めて鉛の弾を撃ち出す、銃っていう武器と同じ臭い!」
鉛の弾と鉄の杭とではずいぶん違うのでは、と飛雪は思ったが。
当のアスモデルの顔が劇的に険しくなっていき、正誤を示してくれる。
「さっきからずっと、あの杭を撃ち出す時に、左手を肘に添えている! きっとそこに仕掛けを作動させる引き金が――」
「ぺらぺらとうるさ――ぐうっ!?」
香蘭へ詰め寄ろうとするアスモデルを見逃す飛雪ではない。一気に近づき蹴り飛ばす。
「香蘭、助かったわ! そして誠治!」
まず功労者に、次いで相方に、声をかける。
「二呼吸だけ、その鞭に邪魔をさせないで! それだけあれば一人片づけられるから!」
「うん!」