陽凰拳軽功奥義

文字数 2,053文字

「さ、逃げるわよ。誠治が先行して、あたしと香蘭が後からね」
 瓦入りの袋を誠治が片腕で抱える。飛雪は香蘭をおぶってから、これまた袋を抱えた。
「さて、最後の一撃と行きますか。……と、その前に」
 飛雪は部屋の中央の柱へ歩み寄ろうとして、色目人二人に気づく。存在を忘れていた彼らを窓際へ引きずり、下に声をかけた。
「殺人犯を二人落とすから、ちゃんと捕まえなさいよ!」
「【青眼鷹】! 今度は一体何を――」
 怒鳴り声を無視して、二人を放り出す。鄭嘉なら受け止められるだろう。
「では、改めて。誠治はそろそろ動き始めて。下の連中に感づかれないように、まずは高さを意識してね」
 誠治を促しながら、飛雪は内功を足に込めた。かなり消費するが、これが本日最後の大技になるはずなので、たぶん大丈夫。
「陽凰拳、猛襲爪撃!」
 塔の中央を貫いて最上階から一階まで立つ柱を、内功を込めて粉々になるように蹴り砕く。事前に各階で柱や壁に細工をしていたこともあり、これが完全崩壊の契機となった。
 炎に包まれた塔が、粉塵を巻き上げ瓦礫の山と化しながら崩れていく。下から聞こえる武芸者たちの怒号と悲鳴。まあ、選りすぐりの兵という鄭嘉の言葉を信じよう。
「よし成功! さっきアスモデルの奴が天井をぶち抜いて塔が揺れた時は、あのまま崩れるんじゃないかとちょっと不安だったけど」
「飛雪は、建物を壊すのが天才的に上手」
「あんまりうれしくないわね、その言い方」
 くだらないことを話しながら、窓際へ駆け寄り、飛んだ。
「陽凰拳軽功奥義……天界翔!」
 高く飛んだ先には、宙に浮く瓦。それを飛び移る際に踏み砕きつつ、さらに上へ。
 少し先では、誠治が抱えたずだ袋から瓦を前方上方へせっせと投げては、一番手前のそれへ飛び乗り、また瓦を投げてと繰り返していく。
 これこそが、かつての陽凰拳習得者が高楼から脱出したからくり。当人が軽功を維持し続け、瓦の枚数が足りて、地上から気取られぬ限り、どこまでも逃げることができる。
 香蘭を背負う飛雪も後をたどり、追跡者に気取られぬよう踏んだ瓦を砕いていった。
「やっぱり誠治はまだ飛び幅が小さいわね」
 雪を降らす垂れ込めた雲は、月夜と違い地上からの目を大きくごまかしてくれる。しかしそれが誠治の目測も狂わせるのか、あるいは危険すぎる飛び石渡りに意識が縮こまるのか、誠治の瓦の投げ方は飛雪の想定よりもいささか小刻みに過ぎた。
「瓦は足りる?」
「予定の二倍準備できたわけだし、まあ大丈夫でしょ」
 後は、沖合で待つ玲蓮の船に飛び乗るだけ。

 すでに陸地を遠く離れ、雪降る海の上を行く。しかし状況は詩的な感慨とはほど遠い。
「やばい……足りないかも……」
 飛雪は抱えたずだ袋の中の瓦の枚数を指先で数え、少し青ざめた。
 誠治が瓦を使いきるのが予想より早かった。その後は飛雪が手元の袋から瓦を投げたわけだが、これぐらいはいけるかと思って少し遠くへ投げたら誠治が飛び乗れず、あわてて余分に瓦を投げる、なんてことを繰り返すうちに瓦の枚数はどんどん減り……。
 さらに悪いことに、波が荒れたか風に押されたかはたまた玲蓮が距離を間違えたか、彼女の乗る船が予定よりもかなり遠くに流されていた。
 すでに明るく灯を燈す船は、視界に入っている。手元に瓦が九枚あれば安心して着地できる距離。なのに袋には七枚しか残ってない。
「……最後は泳ぐ?」
「駄目よ! 誠治はカナヅチなんだから!」
 これが池ならそれぐらいさせたかもしれない。しかし暗夜の穏やかならぬ海に、泳げない誠治を放り込むなんて、溺れ死ねと言うに等しい。
「一枚は袋で代用できるとして……もう一枚分、何かない!? 何か持ってない!? 投げることができて、足場にできるくらい適度に重いもの!!
 手は一定の拍子と距離を保ちつつ瓦を投げ、足はすでに投げている瓦へと次々飛び移りながら、飛雪は香蘭に訊ねた。残るは六枚。
「ええと……私の体」
「駄目に決まってるでしょ!」
 香蘭もかなり混乱しているようだ。残り五枚。
「ああ! 一枚分あればいいのよ、何か一つ、石ころくらいの大きさでもいいのに!」
「……石ころ? そんな大きさでもいいの?」
「内功込めればたぶん大丈夫! ああ、残り二枚! 三枚なきゃいけないのに!」
「なら……」
「なら? なら何? ああ、最後の一枚! そしてこの袋を投げて、もうおしまい!」
「これ、使って」
 背中におんぶした香蘭から、石ころほどの大きさの物体を受け取った。
「!」
 驚く飛雪だが、話をする余裕もない。
「助かったわ! 誠治、最後は少し小さいけどどうにかしなさい!」
 飛雪は残った内功を込めて受け取ったものを前方へ投げ、誠治に呼びかける。
 誠治がそれを踏んで、無事に玲蓮の船の甲板へと降り立った。飛雪も後に続く。
 数百年の間皇帝たちに受け継がれてきた玉璽は飛雪に蹴り飛ばされ、康天府沖の海中へ虚しく沈んでいった。
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登場人物紹介

宋飛雪

十六歳の少女。黒髪黒瞳が一般的な華の国にあって、金髪碧眼を持つ。かつて華の地を支配していた騎馬民族国家・狄が遠征した際にさらってきた西方人が祖先であるらしい。

侠客の母から武術・陽凰拳を一通り習い修めている。

楠宮誠治

十六歳の少年。諸事情により、陽ノ本から独りで華に渡って来た。

護身術として抜刀術を会得、達人の域に達している。

穆玲蓮

十八歳の少女。百年ほど前に南洋の国から華へ移り住んできた、快教徒の一族の娘。

一家は本屋を営みつつ、江湖の情報を取り扱う裏稼業も営んでいる。

香蘭

十代の少女。華の首都・康天府が前皇帝と現皇帝の争いで荒れ果てた際にふらりと啓教の寺に現れた。

空を見ると、以後の天気を当てる能力を持つ。

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