四十七人を倒す

文字数 3,966文字

 これまで街に出る時にはいつも隠していた、飛雪の蜂蜜色の髪が夜風になびいている。
 自由になった手も、鞭で打たれた痛みも、危険を脱したわけではないことも忘れ、誠治はしばしその美しさに見とれてしまった。
「貴様! 大侠殺しの分際で、よくもおめおめと舞い戻って来れたものだなあ!」
 譚佳哲の愚弄にも、飛雪が動揺した様子はない。
「その言葉、そっくりそのままお返しするわ。大侠殺し未遂のあんたにね」
 飛雪が何でもないことのように言った言葉は、居合わせた護衛局の面々に巨大な波紋を作らせた。元から騒がしかったこの夜の裏庭が、これまで以上のどよめきに満ちる。
「偶然あんたが護衛物資の一部を横流ししてるところを見かけてさ、ちょっと調べてみたら不正蓄財だのの証拠もわんさと出たから周大侠に報告したわけよ。で、あの日、人払いをした周大侠はあんたと話したいって部屋に入って、寸刻もしないうちに呻き声が聞こえてきたから飛び込んでみれば、あんたが短刀を周大侠の腹に突き立てていたところ。とりあえずあんたをぶちのめして縛り上げて、周大侠は出血がひどくて下手に動かすのもやばそうだから医者を連れて戻ってみれば、周大侠は消えてるしあんたが息のかかった連中集めてあたしを犯人に仕立て上げてるし、参ったわよ」
「はん、四年も考える時間があると、作り話もなかなか精巧になるものだなあ?」
 悪事を告発され、それでも譚佳哲は平然とした様子を崩さない。だが当人の言う通り、四年も考える時間があれば告発を受け流す心の準備もできるだろう。
「何とでも言いなさい。別にあんたらに信じてもらおうとは思ってないから」
 言いながら、懐から判官筆を取り出す飛雪。
「半年前と同じように恥をかかせてやるから、覚悟してよね」
 まるで少年のような声色でしゃべった飛雪。誠治には事情がわからないが、譚佳哲を筆頭に、三節棍の遣い手など一部の人間がざわめく。
「あの時の義賊! 【天勝星】も貴様だったのか!」
「今度は経穴だけで済ませるつもりはないけどね」
 後ろ姿しか見えないのに、飛雪のにやりと微笑む顔がはっきり想像できた。
「あたしの仲間を痛めつけたお礼、たっぷりしてあげるわ!」
 言うと同時。
 注視していたはずの飛雪が、疾風のごとく誠治の視界から消える。
 後方で弓を準備し始めていたごろつきども五人が、次の瞬間には盛大に吹っ飛んで壁や垣根に体を叩きつけられていた。
 そこを起点に、迅雷のごとく激しく折れ曲がりながら、飛雪は当たるを幸いなぎ倒していく。判官筆はむしろ相手の武器をいなす補佐的な使い方で、基本は殴る蹴る。手や足をへし折られた者が地に転がり、その数はどんどん増えていく。
 捕まる前に誠治があしらったチンピラたち五人は、飛雪の前に立つと嵐に飲まれた木の葉のように蹴散らされた。今回は逃げる余裕も趙海坊に助けを乞う余裕もありはしない。
 圧倒的、という言葉の意味を誠治は真に理解した。
 などとぼんやり思っていると、誠治にも襲いかかってくる者がいる。
「うわっ、と!」
 まだ手首は縛られている。両足は鎖で鉄球につながれている。どうにかかわして肘を相手の鳩尾(みぞおち)に叩き込むと、持っていた短剣を奪って縄を切った。鎖は切れないが、内功を込めると歩くぐらいはどうにかなりそうだ。
 飛雪の足を引っ張らないよう、誠治は散発的に襲いくる連中と戦い始めた。



「さっきはようもやってくれたのう」
 後ろからかかった声に振り向くと青白い坊主頭の趙海坊。徒手空拳で飛雪に対峙する。
「恥をかいたんだから逃げればいいのに。今度はあんなもんじゃ済まないわよ?」
「ぬかせ!」
 無造作に殴りかかってくるのをかわし、手加減せずに蹴った飛雪だが、鉄板を蹴りつけたような感触にひとまず距離を置く。内功による肉体強化らしい。
「ほれ、不意を突いたあん時のようにはいかんで?」
「不意を突かれて駄目なのは、習練して体に叩き込んだ技じゃない我流だからよね? たまたま高い内功を、たまたま得意な肉体強化に回した、そんなもの恐るるに足らないわ」
「我流が関係あるかい! 勝ちゃええんじゃ!」
「そりゃそうだけど、定石ってのは無数の我流をあしらうために発展してきたものよ」
 どう対処するか。こちらの内功を集中させて相手の内功を突き破る。徹底した連打で隙を突く。相手の鼻っ柱をへし折るにはそれらの手口が有効だが。
 ――残る相手がこいつ一人ってわけでもないし、楽をするか。
「陽凰拳、尾羽一撫(びういちぶ)
 軽功で素早く間合いに入り込み、斜め上から振り下ろした手刀で、趙海坊の顎先を軽くかすめる。趙海坊の頭が大きくぐらりと揺れた。
「あん? 何ちんけな真似を……お? おおう!?
 平然としていた趙海坊の膝が折れ、その場にへたり込む。
「そのちんけな真似で、脳震盪(のうしんとう)が起きるのよ。頭の中までは守りようがないわよね」
 内功を張り巡らすこともできなくなった全身に雨あられと拳を叩き込んでやると、趙海坊は宙を舞い、屋敷の屋根瓦に頭をめり込ませて動きを止める。
「ま、我流で江湖に名を売るくらいのところまでのし上がったのは大したものだけど」
 踵を返し、飛雪は残敵の掃討に向かった。まずは目の前の三節棍の遣い手だ。



 大勢は決した。誠治が倒したのが五人、まだ立っているのが三人。つまり三十九人が飛雪一人にすでに倒された計算になる。などと数える傍から、飛雪がさらに二人倒した。
 残っているのは譚佳哲だけ。
 配下の陰に隠れるように立ち回っていたが、いよいよ盾もいなくなる。すると誠治の方へ向かって来た。飛雪よりは与しやすいと判断したのだろう。それは実に正しい。
 ただ、誠治も今は拘束されていないし、手元には戦闘中に相手から奪った長剣もある。
「両刃剣はちょっと苦手なんだけど……」
 相手を殺さない刀術は習ったことがないのだ。峰打ちもできないのは、なお難しい。
 それでも、素手よりはまだやりやすい。
「こ、こいつの命が惜しければ……ギャアッ!」
 飛雪に意識を向けていた譚佳哲の肩や腕を軽く斬ると、あっさり短刀を取り落とす。
 誠治が切っ先を突きつけるとずりずり後ずさり、しかし後ろには飛雪が待っている。
「ま、まあ、話し合お――」
「今さらあんたと話し合う気があるとでも? あんたの舌先三寸、昔から嫌で嫌でたまらなかったのよね!」
 言いながら、顔面に一撃。そのまま流れるように蹴りと殴打を繰り出して、最後に拳を突き出すと、吹き飛んだ譚佳哲の体は屋敷の壁へ大の字になってめり込んだ。
 大きく息をつく飛雪。誠治もほっと一息つく。
「「ごめんね」」
 二人の言葉がきれいに重なった。
「な、なんであんたが謝るのよ?」
 四十人以上と戦うのはさすがに疲れたのか、飛雪の顔は上気して赤い。
「だって、僕が捕まったのが原因だから……飛雪こそ、どうして謝るの?」
「あたしと関わり合いになっていたから、あんたを酷い目に遭わせちゃったもの。あたしがあの瞬間助けに来られなかったら、あんた、あたしの名前を出したせいでもっと酷い目に遭わされてたかもしれないし」
「それを言ったら、飛雪が助けに来てくれたおかげで大して酷い目に遭わずに済んだ、とも言えるよ」
 誠治は苦笑しながら言って、頭を下げた。
「謝るより先に、お礼を言わなきゃいけなかったね、ありがとう」
 顔を上げると、飛雪は戸惑ったような小さな声で、何か呟いている。
「そ、それはむしろ、あたしの方が……」
「あの、飛雪?」
 誠治の声で我に返ったか、飛雪は何度か首を振るといつもの不敵な表情を取り戻した。
「将来はこれくらい自力で壊せるようになりなさいよ」
 すごいことを言いつつ、それぞれ一撃で誠治を縛る両足首の環を破壊してくれる。
 月明かりに飛雪の金色の髪が揺れ、ほのかな香りがふわりと誠治の鼻孔を包んだ。
「これでよし……何呆けた顔してんのよ」
「な、何でもないです」
 思わず顔を逸らし、話題も変える。
「あ、それより、買い物の荷物とか、財布とかが取り上げられちゃって……」
「これかな?」
 いつの間にか、玲蓮が屋敷の中から姿を見せて、誠治の財布と荷物を渡してくれた。
「悪いわね、玲蓮」
「いやいや、アタシこそろくにお役に立てなくて申し訳ない」
 飛雪との会話から大体の事情を察する。誠治が捕まる様子を見ていた玲蓮が、飛雪に知らせてくれたのだろう。
「玲蓮さん、どうもありがとうございます」
「いや、あの……ほんと、色々ごめんね」
 誠治がお礼を言うと、なぜか玲蓮はバツが悪そうな顔をして謝った。
「さて、香蘭のところに行くわよ。ご飯の支度しているはずだから」
 長い髪を颯爽となびかせて、飛雪が言う。
「…………」
「どうしたのよ、誠治」
 不審げになる飛雪に、誠治はあわてて言う。言いながら顔が赤くなるのを自覚する。
「いや、あの、その……飛雪は髪を隠さない方がいいなって、思って……」
 その言葉に、飛雪も顔を赤くした。
「あ、当たり前のこと言わなくったっていいわよ。それに、その、これからはずっとこうするから、よ、よかったわね」
 若干混乱気味の飛雪の言葉に、誠治は飛雪に関する譚佳哲の話や、飛雪と譚佳哲一味のやり取りを思い出す。
「とにかく戻ってご飯食べるの! 香蘭てば律儀だから、きっと冷めた食べ物の前でじっとあたしたちを待ってるわよ!」
 返事も待たずに飛雪は飛び上がった。
 だからその後に聞こえたはずもないのだが。
 ――ありがと。
 飛雪の声が、誠治の耳元で囁いたような気がした。
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登場人物紹介

宋飛雪

十六歳の少女。黒髪黒瞳が一般的な華の国にあって、金髪碧眼を持つ。かつて華の地を支配していた騎馬民族国家・狄が遠征した際にさらってきた西方人が祖先であるらしい。

侠客の母から武術・陽凰拳を一通り習い修めている。

楠宮誠治

十六歳の少年。諸事情により、陽ノ本から独りで華に渡って来た。

護身術として抜刀術を会得、達人の域に達している。

穆玲蓮

十八歳の少女。百年ほど前に南洋の国から華へ移り住んできた、快教徒の一族の娘。

一家は本屋を営みつつ、江湖の情報を取り扱う裏稼業も営んでいる。

香蘭

十代の少女。華の首都・康天府が前皇帝と現皇帝の争いで荒れ果てた際にふらりと啓教の寺に現れた。

空を見ると、以後の天気を当てる能力を持つ。

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