言葉に包まれ、少女は立ち向かう
文字数 1,836文字
屋根の上で玲蓮とともに息を殺しながら、飛雪はじっと譚佳哲の話を聞いていた。
聞いていたいわけではない。でも、動けない。
「死体を隠そうと、担いでどこかへ行った辺りが子供ゆえの浅はかさだな。ご丁寧に医者まで連れて戻ってきたが、そんなごまかしにだまされるわけもない。我々の追及に答えられず、姿を消してそれっきりだったが……」
いかにも感慨深げに首を振ると、譚佳哲は話を終えた。
――嘘吐き。
飛雪の心の中で溢れ返りそうな言葉は、しかし、口からは飛び出さない。
周囲の手下は、四年前のことを肴に口々に喚き立てている。中には周雲雕のことを思い出して感極まったのか、得物の三節棍を手放しておいおい泣いている男などもいる。
「あの恩知らずの糞娘」
「気持ち悪い髪と目の、冷血女」
「なんであんな奴に周大侠が殺されなければならなかったんだ!」
四年前とほとんど変わらない、悪意の渦。その中心にいるのは自分。
注がれる敵意に満ちた怒号に、体が強張る。呪詛にも似たそれに、全身が震える。
「あの、飛雪……」
隣の玲蓮が手を握ってくれる。でも、駄目だ。
鍛えた武芸も充実した内功も関係ない。いわれない嫌悪は、飛雪のすべてを凍らせる。
四年前、あの場から逃げ出すのがやっとだった。今度はもっとしっかり立ち向かえると思っていた。なのに今、憎悪への恐怖はあの時と変わらない。動けなくなっている今の方が、四年前よりひどいかもしれない。
誠治が捕まっているのに。動かなければならないのに。助けなくちゃいけないのに。
蔑む視線や嘲る声への怯え。それがもたらす自己嫌悪。二つの要因はそれぞれを増幅し合い、飛雪の心と体を身じろぎ一つできなくする。このままいたら呼吸もできなくなり、このまま鼓動も止まってしまうかもしれない。
「嘘ですね」
眼下から。囚われの身の少年の声がした。
「血の跡というものは、とても無視できるものじゃない。突発的な殺害ならまだしも、死体を隠す悪知恵があるならば、血を拭き取るぐらい最初にやってしかるべきだ」
訥々とした口調ながら。
「死体を担いでどこかに捨てて、その足で医者を連れて戻って来たというのも不自然だ。一度逃げた直後に戻って来るのは無実を装うためにまだありうるとして、それならば目撃者であるあなたを気絶させて縛り上げただけで済ますこと自体が明らかにおかしい。不利な証言をされる前に殺してしまうのが、悪人としては普通でしょう」
周囲から「てめえに何がわかるんだ!」と野次が飛び交い始める中でも、冷静に。
「四年前に果たして何が起こったのか、当事者で利害も絡むあなたの言葉だけではわかりませんし、たぶん飛雪にもわからないのでしょう。賢い飛雪のことですから、わかっていればその時に理路整然と説明できたはずだ。だから真相は、他の事実なり証言なりが出てこないことにははっきりしないことでしょう。けれど」
毅然と言い切った。
「僕はあなたなんかより、飛雪を信じます。侠客を名乗る誇り高い彼女を信じます」
「誠治……」
目に見えて声は届き、けれど離れている彼の、その言葉が。
直接触れているかのように、飛雪の震える肩を抱き。
柔らかな毛布よりも暖かく、少女の凍える心を包み込み。
崩れかけていた彼女の内側の芯を、支え直してくれた。
「ずいぶん威勢のいいことだなあ、ああ?」
愛用の九鈎刀を手にした譚佳哲が、脅しをかけるように誠治の首先に突きつける。
誠治の顔が、いくらか強張っているのが見えた。
飛雪がここにいると気づいているわけでもあるまいに、なぜ誠治はああも挑発気味な物言いをしたのやら。何も考えていなかったのかもしれないけど。
「ほんと、しょうがないわね」
呟きはごく自然に唇からこぼれ出る。
髪を隠していた布を外す。秋の月明かりを反射して、長い金色の髪がさらりと流れる。
「あの、飛雪?」
「たぶん手助けはいらないから」
玲蓮に一言告げると、屋根の上から飛び降りた。降りざまに、誠治を吊り下げている枝を蹴り折り、手にした布を構えると【巧言冷酷】の真ん前に着地した。
「何者!?」
「あんたたちがたった今話題にしてた侠客よ!!」
二振りの九鈎刀に内功を込めた布を巻きつけると、武器を奪って彼方へ飛ばす。
「はは、やっぱり顔隠して人目を忍ぶよりは、こっちの方がよっぽどいいわ。【青眼鷹】宋飛雪、仲間を返してもらいに来たわよ!!」
聞いていたいわけではない。でも、動けない。
「死体を隠そうと、担いでどこかへ行った辺りが子供ゆえの浅はかさだな。ご丁寧に医者まで連れて戻ってきたが、そんなごまかしにだまされるわけもない。我々の追及に答えられず、姿を消してそれっきりだったが……」
いかにも感慨深げに首を振ると、譚佳哲は話を終えた。
――嘘吐き。
飛雪の心の中で溢れ返りそうな言葉は、しかし、口からは飛び出さない。
周囲の手下は、四年前のことを肴に口々に喚き立てている。中には周雲雕のことを思い出して感極まったのか、得物の三節棍を手放しておいおい泣いている男などもいる。
「あの恩知らずの糞娘」
「気持ち悪い髪と目の、冷血女」
「なんであんな奴に周大侠が殺されなければならなかったんだ!」
四年前とほとんど変わらない、悪意の渦。その中心にいるのは自分。
注がれる敵意に満ちた怒号に、体が強張る。呪詛にも似たそれに、全身が震える。
「あの、飛雪……」
隣の玲蓮が手を握ってくれる。でも、駄目だ。
鍛えた武芸も充実した内功も関係ない。いわれない嫌悪は、飛雪のすべてを凍らせる。
四年前、あの場から逃げ出すのがやっとだった。今度はもっとしっかり立ち向かえると思っていた。なのに今、憎悪への恐怖はあの時と変わらない。動けなくなっている今の方が、四年前よりひどいかもしれない。
誠治が捕まっているのに。動かなければならないのに。助けなくちゃいけないのに。
蔑む視線や嘲る声への怯え。それがもたらす自己嫌悪。二つの要因はそれぞれを増幅し合い、飛雪の心と体を身じろぎ一つできなくする。このままいたら呼吸もできなくなり、このまま鼓動も止まってしまうかもしれない。
「嘘ですね」
眼下から。囚われの身の少年の声がした。
「血の跡というものは、とても無視できるものじゃない。突発的な殺害ならまだしも、死体を隠す悪知恵があるならば、血を拭き取るぐらい最初にやってしかるべきだ」
訥々とした口調ながら。
「死体を担いでどこかに捨てて、その足で医者を連れて戻って来たというのも不自然だ。一度逃げた直後に戻って来るのは無実を装うためにまだありうるとして、それならば目撃者であるあなたを気絶させて縛り上げただけで済ますこと自体が明らかにおかしい。不利な証言をされる前に殺してしまうのが、悪人としては普通でしょう」
周囲から「てめえに何がわかるんだ!」と野次が飛び交い始める中でも、冷静に。
「四年前に果たして何が起こったのか、当事者で利害も絡むあなたの言葉だけではわかりませんし、たぶん飛雪にもわからないのでしょう。賢い飛雪のことですから、わかっていればその時に理路整然と説明できたはずだ。だから真相は、他の事実なり証言なりが出てこないことにははっきりしないことでしょう。けれど」
毅然と言い切った。
「僕はあなたなんかより、飛雪を信じます。侠客を名乗る誇り高い彼女を信じます」
「誠治……」
目に見えて声は届き、けれど離れている彼の、その言葉が。
直接触れているかのように、飛雪の震える肩を抱き。
柔らかな毛布よりも暖かく、少女の凍える心を包み込み。
崩れかけていた彼女の内側の芯を、支え直してくれた。
「ずいぶん威勢のいいことだなあ、ああ?」
愛用の九鈎刀を手にした譚佳哲が、脅しをかけるように誠治の首先に突きつける。
誠治の顔が、いくらか強張っているのが見えた。
飛雪がここにいると気づいているわけでもあるまいに、なぜ誠治はああも挑発気味な物言いをしたのやら。何も考えていなかったのかもしれないけど。
「ほんと、しょうがないわね」
呟きはごく自然に唇からこぼれ出る。
髪を隠していた布を外す。秋の月明かりを反射して、長い金色の髪がさらりと流れる。
「あの、飛雪?」
「たぶん手助けはいらないから」
玲蓮に一言告げると、屋根の上から飛び降りた。降りざまに、誠治を吊り下げている枝を蹴り折り、手にした布を構えると【巧言冷酷】の真ん前に着地した。
「何者!?」
「あんたたちがたった今話題にしてた侠客よ!!」
二振りの九鈎刀に内功を込めた布を巻きつけると、武器を奪って彼方へ飛ばす。
「はは、やっぱり顔隠して人目を忍ぶよりは、こっちの方がよっぽどいいわ。【青眼鷹】宋飛雪、仲間を返してもらいに来たわよ!!」