第5話 『家路』を奏でる僕の彼女はオーボエが上手な、ドジっ娘ロボです

文字数 7,210文字

 浩一は30歳独身。一人っ子で両親も早くに亡くなったので、天涯孤独の身である。現在、無職。自身思うことは『ついていなかった』である。
 地方大学の工学部をそこそこの成績で卒業し、そこそこの企業の地元にある工場に就職した。このまま真面目に勤めれば定年まで心配ないと安心していた。職場での人間関係も良好で、お付き合いしたいと思う女性もいて、彼女との距離をすこしづつ縮めていた。そして、そろそろ2人きりでの食事に誘おうと考えていた。
 そんなある日、浩一の人生は一気に暗転する。会社の組織ぐるみの架空検査が某週刊誌で明るみに出ると、新聞・テレビ報道も続き、あっという間に倒産してしまった。浩一の仕事は基礎研究で、今回の不正とは直接関係がなかったが、もといた会社名は、再就職への大きな足かせとなった。正社員は諦め、最長3年の派遣社員として、数社渡り歩いたが、コロナ禍の影響で次の派遣先が決まらず、預金残高の底が見えてきた。

(来月の家賃ないなー)

浩一は、深夜アパート近くの公園の池にかかる橋の上から、水面を眺めていた。

「ちょっといいですか。こんな遅くになにをされているのですか?」

自転車に乗った警察官に不審尋問されてしまった。

「この池、こう見えて結構深く、3年前に酔っ払いが落ちて死んだんですよ」

(そうか、ここに飛び込めば、死ねるんだ)

「いえ。僕は、夜風にあたりたくてきただけです。いけませんか?」

「そうでしたか。それは失礼しました。でも、なるべく早くおかえりください」

人の好さそうな初老の警察官は、一礼して去って行った。少し癪に障った浩一がしばらく佇んでいると、さっきの警察官がすこし離れた場所で、浩一を見ていた。

(あの警察官の勘はすごいな)

浩一は仕方なく、誰が待つでもない自分のアパートに戻ることにした。浩一は、いつ死んでもいいと、いや死にたいと思っている。それでも、死ぬならなるべく人に迷惑にならないようにしたいとも、思っていた。

(あの池に飛び込んだら、あの警察官に迷惑がかるだろうが、アパートで首を吊るよりましだろう)

そんなことを考えながら、アパートの自分の部屋の前に来た。

(あれっ、電気消し忘れたのか。鍵まで開いてる。さては)

浩一は空き巣と確信し身構えて部屋に飛び込んだ。

「浩一さん。おかえりなさい」

見知らぬ若い女の子が、狭い玄関で窮屈そうに正座している。

「私はアカネです。今日から10日間、お世話になります」

「あなたのことなんか、知りません。お引き取りください」 (新手の美人局か? それにしては地味っ子だ……)

「そっ、そんなぁ」

アカネと名乗った女性は、涙目になって、紙を差し出した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
プロジェクト名 「ロボ娘と恋人になって初体験をする」
おめでとうございます。
厳正な審査の結果、あなたが本プロジェクトのモニターに選ばれました。
ロボ娘の取り扱いについては、別紙内容を遵守願います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

浩一はようやく思い出した。3ケ月前に、WEBで変わったモニター募集を見つけたのだ。

応募資格 男性25歳以上、童貞、1人暮らし

内容 アンドロイドと10日間同居し、恋人になれたら最終日に初夜を迎えられる。

浩一は、女性とは1度も交際したことがない、正真正銘の童貞クンであった。死ぬとしたら、それだけが心残りである。

(ロボ娘と初体験して死ぬのもいいかも)

と思いつつ、どうせ当選しないであろうと応募したのであった。

「アカネ…さん、ごめんなさい。よろしく御願いします」

アカネの様子は普通の女性としか思えず、浩一は一気に緊張した。

「改めまして、アカネです。家事は自信ありませんが、頑張ります。特技はオーボエです」

アカネは、いきなりオーボエを手にして演奏を始めた。浩一は呆気に取られて見ていたが、いまは深夜である。隣の部屋の壁がどんどんと鳴らされた。

「ばっきゃろー いま何時だと思ってんだ」

「アカネさん、楽器の演奏は昼間に、公園でやりましょう」

「浩一さん、ごめんなさい、アカネ知らなかったの」

アカネはまた涙目になった。

「今日は、もう寝ましょう。アカネさん、どうやって寝るんですか?」

「普通の女の子と同じです。お風呂に入って、髪を乾かして、お布団で寝ます」

「判りました。いまから準備するので、待っててください。それまでは、このへんの漫画でも読んでいてください」

「はぁーい」

今夜はシャワーで済ませようとしていたので、急いでユニットバスを掃除して、お湯を沸かし、シャンプー、リンス、石鹸、タオル、バスタオル、足ふきを準備した。念のため歯ブラシも。その間、アカネは漫画を読んでケタケタと笑っている。

「アカネさん、お風呂に入ってください」

「はぁーい」

今度は布団の準備である。1組しかないので、自分はソファーで寝るしかないだろう。シーツと枕カバーを交換した。掛布団には、消臭スプレーをかけた。

(自分は、なにやってんだろう)

と思いつつ、浩一の心は弾んでいた。ユニットバスからは、アカネの鼻歌が聞こえる。さっき、オーボエで演奏していたメロディーだ。

(どこかで聴いたことがある曲だなぁ)

「浩一さん、お先に」

アカネは、すっぽんぽんで出てきた。驚いた浩一は思わず後ろを向いて、見ないようにした。

「アカネさん、バスタオルの傍にある、パジャマを着てください」

「はぁーい」

アカネは、ぶかぶかのパジャマを着た。

「アカネさんは、布団で寝てください」

「明日は、何時に起きたらいいですか?」

「7時半にしましょう」

「はぁーい。では、おやすみなさい」

アカネは、布団の中に入り、目を閉じると、微かな機械音がしたかとおもうと、ピクリとも動かなくなった。

(やっぱり、アンドロイドだったんだ。動かないのなら…)

この時、浩一の中で、欲望が理性を上回った。アカネの掛布団をめくり、胸のふくらみに手を伸ばした。すると、けたたましい警告音とともに、アカネが起き上がった。また涙目である。

「浩一さん、酷い」

「アカネさん、ごめんなさい。魔が差しました」

浩一は、人生で初めて土下座して謝った。しばらくしてようやくアカネの機嫌がなおり、また布団に入り動きを停止した。
すると、次の文面のメールが入った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本日のポイントは、1点です。アカネに対しての受け入れは、非常によく2点だったのですが、最後に本人の了承を得ずお触りをしようとしたことで、マイナス1点されました。尚、最終日までに、10点になりませんと、初体験はできませんので、御注意ください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(やれやれ)

浩一とアカネの出会いの日はこれで終わった。

◇◇◇◇◇

「浩一さん、朝ですよ」

浩一が手探りで眼鏡を探すと、アカネがかけてくれた。

「おはようございます。朝食の準備が出来ています」

目玉焼きは真っ黒こげ、みそ汁は味噌ではなく、ジャムがはいっている。水を入れずに炊飯器にスイッチを入れたらしく、コメだけが黒くなっている。極めつきは、洗濯機には、洗剤1箱全部入れたようで、洗濯機から泡があふれ部屋中に泡が入ってきている。

「このポンコツロボ! みんなめちゃくちゃじゃないか!」

流石の浩一も、声を荒らげてしまった。
アカネは座り込み泣き出した。

「えーん、ごめんなさい」

あまりの大泣きに、浩一は自分らしくない酷い言葉を発したことを、恥じた。

「アカネさん、大きな声を出してごめんなさい。知らなかったんだから仕方ないですよ。1つづつやり直しましょう」

片づけして、朝食を作り直したら、昼を過ぎていた。その頃には、アカネはすっかり笑顔を取り戻していた。

「浩一さん、アカネ、オーボエを吹きたいです」

2人は連れ立って公園に向かった。池の中を通る、橋の中間点のベンチで一休みする。

「アカネさん、僕はこの場所が好きなんですよ」

そこへ、昨夜不審尋問をされた警察官が自転車で通りかかる。

「すみません。この公園の中で楽器を吹いてもよさそうな場所はどこですか?」

警察官は、浩一が連れるアカネを見て「ほう」という表情になったが、公園の外れで楽器を演奏しても、苦情がこない広場を教えてくれた。

浩一が芝生に寝そべる傍で、アカネはオーボエを吹いている。浩一には何の曲かさっぱり分からなかったが、聴いてとても心地よい音楽であった。気がつくと太陽がだいぶ西に傾いた時刻である。

「アカネさん、そろそろ帰りましょう」

「はい。じゃあ、最後に1曲だけ」

そう言って、昨夜入浴中に鼻歌で歌っていた曲を演奏した。

「聴いたことがある曲です………そうだ、学校で下校時間を知らせる曲です。なんていう曲なんですか?」

「ドボルザークの『家路』です」

「じゃあ、これから家に帰るのにピッタリの曲ですね」

◇◇◇◇◇

 アカネがやってきてから7日目、アカネは部屋の中の事を学習し、あまり家事の失敗をしなくなっていた。ただ、オムライスにマヨネーズを使ったり、砂糖と塩を間違えたり、1日に1~2回はやらかし、涙目を見せるのが、浩一にはかえって可愛らしく思えた。
 その日も、公園の広場にオーボエを演奏に2人で来ていた。すると、いつの間にか40歳代くらいの夫婦が、近くに座っている。

(あの夫婦、昨日もいたな)

「あのう。音がうるさいんですか?」

浩一が近寄って夫婦に声をかけると、夫婦は立ち上がって、会釈した。

「うるさいだなんて、とんでもない」

「あなた、この方にはこの際、お話ししたほうがいいわ」

男性はうなずいて、浩一に話を切り出した。

「実は、アカネは私達の娘なんですよ」

◇◇◇◇◇

 男性は脳外科医で、娘のアカネは高校3年生だった。あの音楽コンクールの日までは。
コンクールの朝、人身事故で電車がストップした為、やむを得ず母親が運転する車で行くことにした。ところが、首都高速で、多重追突事故に巻き込まれ、大型トラックに後部を追突される。アカネと母親は救急搬送され、母親は足の骨折ですんだが、アカネは頭と胸を強打し、脳も心肺も重篤な状態になってしまった。ここで、脳外科医の父親は、共同研究しているアンドロイド研究室と連携し、心肺停止と同時にアカネの脳を取り出し、アンドロイドに移植したのである。世界初のこの試みは、部分的な成功に留まった。アカネの人格のうち、『音楽を奏でる部分』と『恋をする部分』のみが連携され、そのほかの部分は、アンドロイドの脳で動くのだ。よって、大手術から目覚めたアンドロイドのアカネには、両親はおろかこれまで生きてきた記憶がなくなってしまった。

◇◇◇◇◇

「あの娘が演奏するオーボエだけは、前のまんまなんです。ほら、いま失敗したところも」

そう言って母親が涙を流した。
衝撃の事実を聞かされて、頭の整理がつかない浩一であったが、やっと1つの質問を発した。

「そんなに大切なアンド・・・いや娘さんなら何故ご一緒に住まれないんですか?」

「幼いころから、オーボエ一筋でプロの奏者を目指していたので、恋愛は二十歳になるまで、親のエゴで禁止していたんです。誰とも心を通わすことなく逝ってしまいました。ただ、今のアカネには『恋をする部分』が引継がれているので、恋愛を経験させたいんです」

その後は、医師である父親が語った。

「うちの学生の何人かに声をかけたんですが、事情を話すと皆に逃げ出されてしまい、ネットで募集したんですよ。正直にお話しすると、貴方が5人目です。前の4人の方は、いきなり抱き付いたり、ひどい扱いをするので、2日と持たずアカネは帰って来たんです。こうして、楽器演奏を出来るようになるまで、大事にしてくださったのは、貴方が初めてです。ありがとうございます。ここまでしていただいて申し訳ないのですが、アカネは今日このまま引き取らせてください。これは、これまでのお礼です」

最後の申し出に浩一は、自分でも驚くぐらい激高した。

「そっ、そんなのだめですよ。約束が違う。契約違反だ。まだ3日残っているじゃないですか」

「現在7日目ですが、アカネのラブポイントは、まだ3つです。あと3日で10ポイントは、不可能でしょう。こちらにも事情がありまして、早くアカネのパートナーを見つけたいのです。ご理解ください」

「お断りします!」

浩一は、最後はアカネにまで聞こえる大きな声を発し、夫婦に背を向けた。

「アカネさん。今日はもう帰ろう」

「でも、最後にいつもの曲を吹かせて」

アカネは夕日に向かって『家路』を吹いた。すると、母親が嗚咽するし、その肩を抱いた父親も涙している。浩一の心は一瞬ゆらいだが、曲が終わるとアカネと早々にその場を離れた。

「さっきのご夫婦、浩一さんのお知り合いなんですか?」

「いや違いますよ。たまたま通りがかって、アカネさんのオーボエに聞きほれたみたいです」

「まあ!嬉しい」

「さあ、帰りましょう。夕ご飯はカレーを一緒に作りましょう」

「わーい」

夫妻の視線を感じた浩一は、アカネを連れていかれないようにと、必死に考えた。

「アカネさん。これからは、ため口にしませんか。名前も呼び捨てに」

「うん。アカネ、コーちゃんが、そう言ってくれるの待ってたのよ」

「コーちゃんかぁ。じゃあ、僕もアカネちゃんと呼ぶよ」

そして、アパートに帰るころ、2人の手は恋人つなぎになっていた。

アカネが寝た後に、浩一に入ったメールによる、アカネのラブポイントは、昨日までの3ポイントから、8ポイントに急上昇した。

◇◇◇◇◇

9日目、浩一は、アカネに告白した。人生で初めてである。

「アカネちゃん、好きです。僕と恋人になってください」

アカネは頬を真っ赤に染めた。

「コーちゃん、ありがとう。とっても嬉しい。でも、返事は明日にするわ」

といって、さっさと寝てしまった。
メールによる、アカネのラブポイント9ポイントとなっていた。

(あと、1ポイントはどうしたらいいんだ。もう、やるべきことは、全てやった)

◇◇◇◇◇

10日目、最後の夜、コーイチは意を決して言った。

「アカネちゃん。キスしよう」

「コーちゃん、ありがとう」

アカネはそう言って、目を閉じた。浩一がどうしていいかオロオロしていると、アカネのほうから唇を重ねてきた。
浩一の胸の高鳴りは、最高潮に達した。浩一が余韻に浸っていると、アカネはいつものように布団にもぐりこんだ。

「コーちゃん、おやすみなさい」

そして、運命のメールが届く。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

おめでとうございます。10ポイントになりました。貴方と、アカネは恋人同士です。素敵な夜をお過ごし下さい。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

浩一は、おもわずガッツポーズをした。

「アカネちゃん、ありがとう」

そう言って、浩一は1人で部屋を出て自転車で公園に向かった。

池の中央にある橋に到着。ベンチに座りスマホに録画した、アカネが『家路』を演奏する動画を観た。

曲が終わり、浩一のほうを見て微笑んだところで動画は切れた。

(最後に、こんなに素敵な女の子と恋人同士になれてよかった。アカネちゃんは明日起きたらいなくなっている。この世に未練はない)


そして、池の中へ身を投じた。

(これで、なにもかも終わり。アカネちゃん……)

もう息が続かない、そう思ったその瞬間、浩一は何者かに体を持ち上げられ、池の外にほうり投げられ、意識を失った。


◇◇◇◇◇



浩一が目覚めると、そこは病院のベッドであった。

「目が覚めましたか。キミは、なんてことをしてくれたんだ!」

「あなた、この方を責めないで。あの娘が、恋人を助けたい一心でやったことなのよ」

 浩一を救ったのは、他でもない、アカネなのだった。
アカネのラブポイントが、10ポイントとなったので、アカネは停止せずに浩一が布団に入ってくるのを待っていたのだ。
しかし、浩一は部屋の外に出て行って、いつまでも帰ってこない。そこで、アカネは浩一が一番好きな場所と言っていた、公園の池の橋に行くと、浩一が池に落ちてもがいている。アカネは、ためらわずに飛び込んで、浩一を池の外に全エネルギーを使ってほうりなげた。その代償でアカネは、水没したままで停止した。物音を聞きつけた、警察官が浩一に蘇生術を施し、救急車を呼んだ。

「それで、アカネちゃんは?」

「我々が到着して、池の底から引き揚げましたが、移植した脳が決定的なダメージを受けて、完全に脳死してしまいました」

「アカネちゃん!!!!」

浩一は号泣した。

「どうしてあなたは、せっかく恋人同士になったのに、アカネを抱かなかったんですか?」

「それは、最後の夜にアカネちゃんを僕のなんかで、けがしたくなかったんです」

「それは、尊い考えですね。しかし、我々の計画が台無しです。その責任はとってもらいますよ」

「えっ…………」


◇◇◇◇◇


5年後、公園の広場で小さな女の子が、リコーダーを吹いている。

「エリ、もうそろそろ帰ろうか」

浩一が声を掛けるとエリと呼ばれた女の子が、笑顔で答えた。

「はーい。最後にいつもの曲ね」

エリは、『家路』を吹いた。

エリのリコーダーの音を聴きながら、浩一は思った。

(専門的なことは、判らないけど曲の吹きかたが、アカネちゃんとそっくりだ)

◇◇◇◇◇
 アカネが交通事故で心肺停止となった時に取り出したのは、脳の他に卵子があった。
アカネの両親は、その卵子を人工授精させ、まだ40歳の母親に着床し、アカネの子供を出産する計画を立てた。その相手は、まだ恋心が残ったアカネと心を通わせた男性にしようとしたのである。
退院した浩一は、アカネの父である医師の秘書のような仕事をしながら、人工授精に協力したところ奇跡が起こって、エリが生まれた。
◇◇◇◇◇

エリが『家路』の演奏を終え、浩一と手をつないだ。

「夕ご飯は、エリが大好きなマヨネーズオムライスだぞ」

「わーい」

もうすぐ冬のこの季節、日が傾き、広場に映る2人の影はだいぶ長くなっていた。



おしまい
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